明治天皇と万葉調

明治天皇も初期、つまり、明治十五年くらいまで、万葉調の、つまり幕末維新の志士らの影響を受けた歌を詠んでいるのだが、
その後は自分なりにだいぶアレンジして、いわゆる万葉調そのまんまの歌は詠まなくなっている。
それはつまり自身の歌が上達したとか自分のスタイルを確立したとか、高崎正風の影響が強まったとか、いろいろ考えられると思うが、
ではそれ以前の明治天皇は、誰から万葉調の影響を受けたのだろうか。
これがまったくわからない。
たとえば、

> 臣どもと駒はせゆけば大庭の梅の匂ひをちらす春風

> 白駒にうちまたがりてのりまはす道にて蝉のこゑを聞くなり

> まつろはぬ熊襲たけるのたけきをもうち平げしいさを雄々しも

> 黒駒にひとむち入れて武蔵野のまはぎのさかりいざや見てこむ

のような歌だ。
つまり、高崎正風以後はわりと文献が残っているが、それ以前となると、まったくけんとうつかない。

Visited 16 times, 1 visit(s) today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA