蜀山人2

[蜀山家集 全](http://www.j-texts.com/kinsei/shokuskah.html)。
狂歌のみをだいたい見繕ったもののようだ。
これは便利。

弥生十二日舟にて隅田川にまかりけるに花いまだ咲かず

> 隅田川 さくらもまだき 咲かなくに 浮きたる心 花とこそ見れ

これはまともな歌。

春の日、芝のほとりにて

> 春の日も ややたけしばの 浜づたひ 磯山ざくら 見つつ飽かぬかも

これも良い歌。ていうか、一番良い出来ではないか。
竹芝海岸の「たけ」を春が長けるの「たけ」にかけていて、
「浜づたひ磯山ざくら」がうまく効いていて、
最後は万葉調にしめている。
やればできるじゃん、大田南畝君。まあ秋成の友人だけはある。
こういう歌を江戸時代に蜀山人あたりが詠んでいるというのが、やはり近世の和歌もあなどれんよなあ。

磯山ざくらとは磯に咲く山桜のことだろうか。
続後拾遺集に

> 心なき あまの苫屋も にほふまで いそやまざくら 浦風ぞ吹く

これはまあまあ良い歌。
作者はネットで検索しただけだとわからん。国歌大観で調べんとな。

竹芝は当時どんな浜辺であったか。
砂浜だったか。砂利か泥か、或いは磯か。今となってはまったく想像がつかない。

浜庇山といへる茶屋にて

> しばしとて やすらふ芝の浜庇 ひさしくみれど 飽かぬ海づら

年の暮れに

> 衣食住 餅酒油 炭たたき なに不足なき 年の暮れかな

杏園詩集はところどころ面白いがうまく意味の通らない(解釈に自信のない)ところが多すぎる。
たとえば隅田川を詠んだ詩で「南連両総北三叉」というのがある。
両総は下総国と上総国だが、北の三叉とは何か。
常陸、下野、上野であろうが、確証が持てない。

狂歌は「蜀山百首」と「千とせの門」が良い。
あとはあまりできがよいとは思えない。
「狂歌百人一首」は大嫌いだ。ただのパロディでつまらん、が、世間では一番知られているようだ。
「めでた夷歌百首」も似たようなもの。
「巴人集」「巴人集拾遺」は詠草にあたるか。数は多いが良いものは少ない。

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