世の中はステレオタイプに満ちあふれているが、ステレオタイプのすべてが偏見であり邪悪なものであるわけでなく、むしろステレオタイプの多くは社会的に意味があって不可欠なものだ。
ステレオタイプとはつまり社会的常識ということであり、その多くは単に人間社会が勝手に決めた決まり事や架空の宗教的イデオロギー的な産物ばかりでなく、生物学的解剖学的根拠に基づく正当で良心的なものも多く含まれる。
信号機の青が進めで赤が止まれというのもそうだ。
ステレオタイプはいちいちその功罪を論じ、悪しきものはなくして行かなければならないというのは、それ自体が「ステレオタイプ」である。
多くのステレオタイプはわざわざ気づかせる必要もない。
常識の存在にいちいち気づかないと前に進めないようではまともに社会生活ができない。
ジェンダーの問題に取り組む人たちがほとんどすべて女性であり、その発想がきわめて「女性的」であるのに本人たちはその「ステレオタイプ」に気づいてないか、気づいていても故意に避けているように見える。
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