なぜか明治神宮に行ってきた。
降ればなほ 行きて見まほし 春雨に 代々木の園は 青みたるかと
みそのふに 春雨ふれば 人を無み しめ野にひとり あるここちする
正直に言えばここまでは「心象風景」。わりに人はいた。しかもふしぎと女が多い。最近、明治神宮内の「清正井」がブームらしく、宝物殿などはいつも閑散としているのに、そこから流れてくるのか、にわか歴女たちが「大正天皇ってダンディー」とか言いながら群れているのが、何かいらだたしいやらにがにがしいやら。テレビ見たくらいでほいほい沸いてくるなよと思いつつ。
春雨の ふれる宮路を 踏みゆけば しめりてきしむ さざれ石かな
などか知る 虎を狩りたる きよまさの 名にしおふ井戸に 人の寄り来る
で、よく見ると雨の中にも視界に人影が一人二人と入ってくる。同じ場所にずっと立ち続ける女性とか、一人で気功やってる男性とか。写真撮ってるひと、地面に穴掘る人とかいろんな人がいる。
占いやってる人ってものすごい勢いでしゃべりたがるよね。いや、しゃべりたがっているのではなくてそういう仕事なのかもしれんが。女性だとわざと化粧をしなかったり。すっぴんでも大丈夫なんですパワーとか。心霊スポットならずパワースポットとか。そういう人たちが明治神宮に集結しだしたらどうしようとか杞憂だろうか。
なんか明治神宮創建当初全国から集められた植樹は、当時の写真で見ると大鳥居よりも背が低かったようだ。そこで詠める:
うつせみの 代々木のもりは 鳥居より 木高くなりぬ ふりしまにまに
おほきみの みよのとほさを 生ひ茂る 代々木の杜の 木立にぞ知る
代々木公園の方にも行ってみる。こちらも日曜だが雨のためほとんど人はいない。しかしまったく居ないというのでもない。見るといろんな碑やら像やらが立っている。中で「大東塾十四烈士自刃之處」というものがあり、ここがむかし連兵場で終戦当時に切腹をした人たちが居たらしい。塾長の影山庄平という人の辞世の歌:
こんとんを ひらきて今や 天地の 始発の時と 祈り行くなり
國うれふ やたけ心の きはまりて 静かなるかも 神あがるとき
代々木連兵場は米軍に接収され宿舎用地となり、東京オリンピックの時に返還されて選手村となり、そのあと国土緑化運動の中の一つとして森林公園となったそうである。これらうっそうたるレバノン杉やヒマラヤ杉やメタセコイヤの林も東京オリンピック以来とはなかなか信じがたいものがある。
きもをなめ たきぎにふせし つらき世を 知らずなりゆく わがくに民は
知るらめや 代々木の園も ひとたびは えびすの住める 里となりしを
それはそうと、「たまぼこ」は「道」にかかる枕詞なので、宣長の「玉鉾百首」とは「神の道」を教えた歌だったのだ。どうりで宣長にしては、ぎこちない歌ばかりだと思った。
うまざけは 日ごと飲みても うまけれど ひと日あくれば なほまさりけり
歌物語というのはあるが歌ブログというのはあまり無いジャンルではあるまいか。