株と本

株を始めてもう4年目だけれども、利益は出せていると思う。人の意見を参考にするよりは、自分の勘だけでやったほうがうまくいく気がするし、これまでそうしてきてだいたい外さなかったのだから、これからも同じようにやったほうが良いと思っている。なぜこのやり方でうまくいくのかうまく説明つかないのだけど、今のところ、失敗して退場する側の人にはなっていないので、やり方を変える理由もないのである。

私の場合定年退職に向けて貯金から株にお金を移さなくてはならないと考えている。いわば老後死ぬまでの資金を貯蓄する延長線上でやっているだけで、安い株を買って高い時に売るだけだ。今高くなりつつある株を買って下がる前に売り抜けるというのはデイトレのやり方であり、他に何もやることがないくらいヒマになったらやるかもしれないが、今はただ安物を買って値上がりするのを待つだけだ。つまり私は、明日はどの株が上がるかなーなどと考えて株を買ってはいない。逆にどの株が下がるかなーってことばかりいつも考えている。

業績とかはほとんどみてない。業績が悪いから安くなっているわけで、そのうち業績が回復すれば上がるだろう、今が底値かどうか見極めて、底値でなかった場合にナンピンするかどうかも見極めたうえで割安な株を買うのみ。業績が悪くなりすぎて上場廃止とかになれば洒落にならんのだがそういう銘柄にはいまだにであったことがないし、またそのリスクを避けるためにも分散投資している。

それでいろんな割安株を100株ずつくらい買っているのでこのやり方はたぶん自分で勝手に個別銘柄を買って投資信託してるようなもんだと思っている。

今回任天堂を買ったのは失敗だった。やはり他人のペースに巻き込まれてはいけない。長期的に任天堂の業績が回復しないということはほぼ考えにくいが(任天堂よりヤバい株はほかにいくらでもある)、しばらく塩漬けにしておかなきゃならん。後はフジッコにも困っている。上がったらすぐ売り抜けたい。大抵の場合はあがったりさがったりを繰り返しているだけなので上がった時に嫌なら売る。それでこれまではなんとかなっていた。

note の株が上がっているが、note に書く気はない。note を使ってみたこともあるが自分には向いてない気がする。カクヨムも同じ。ブログ感覚でちょこちょこ書き溜めていってときどき有料版にしたり、或いは広告を付けたりするんだろうけどそういう執筆スタイルが合わない。逆にここのように損得抜きでただ書き散らしているほうがまし。

3年位前から書き続けていたものがやっと今年の秋には出そうなのだが、3年間だらだら書き足したものだから分量がやばいことになっている。新書だと5万字くらいか。さらっとすぐに読める。今小室直樹のカッパ・ブックスなど読み直すとすごく読みやすい。中身もすかすかだ(センテンスごとに改行してるのは笑える。言ってることもいい加減で適当。ちゃんと事実を調べず思いつきだけで書いている)。高校生くらいの頃の私はこういうものを喜んで読んでいたのだと思う。文章の量という意味では『虚構の歌人 藤原定家』くらいがちょうど良いのだが今からこれを読んでみると悪くはないが中身が薄い。言いたいことが全然言えてない。定家の結論にまだ全然達していないうちに書いているから仕方ないのだが(ただ自分としては他人よりははるか先を行っているつもりではいるのだが)。

5万字くらいの新書をコンスタントに出し続けられればそれが一番良いような気がする。それができるには毎回1万部くらいは売れなくてはなるまい。それが難しい。私が書くことはたぶん世の中でそんなに需要がない。需要が無いからまとめて20万字とか40万字の本を、いろんなトピックを一つの本にまとめてだそうということになるが、それはよろしくない。私が今書いて出したいことは2、3冊の本では全然足りないことがわかってきた。

書きながら調べて、調べると主張や方向性もだんだんに変わってきて、たとえば最初は宣長の本を書いていたつもりがいつの間にか徂徠に重心が移ってきたりする。これが困る。『読めば読むほどわからなくなる本居宣長』を書いていた頃と今では宣長に対する見方は全然違う。徂徠については何の興味もなかったが今はある。見方も全然違う(そもそも徂徠について書かれたどの本を読もうと徂徠がわかるはずがないのである。ということがわかった。もし徂徠について書かれたまともな本があったら中学生の頃の私でも理解できたと思う。徂徠は難しくないが、その全然難しくない徂徠を書いている本がどれもこれもどうでもよい、バカみたいな、的はずれなことばかり書いている。宣長についても同じことは言える。小林秀雄が書いている本も同じ。あれを読んで宣長や徂徠がわかるはずがない。とはいえ小林はまだずっとまともなほうだと思う)。

小林秀雄のように固定ファンがいればそうやって思いついたことをだらだら書いていても良いのかもしれないが、私の場合は宣長の本を出すなら宣長のことについて、徂徠の本を出すなら徂徠についてちゃんと結論まで到達したあとにまとめて書くしかない。しかしそれが難しい。書いているうちに書きたいことが変わってしまうのだから。

ともかく次出す本はぴしっとまとめて書いて出す。15万字以下にしたかったが結局20万字くらいになるだろう。これくらいの分量の本はいくらでもあるのだが、読みやすい分量とはいえない。読んでがっつり満足してもらえれば良いのだが。

これが売れなければ私が書いた本は未来永劫売れないってことがほぼ確定したようなもので、まだ書き残したことはたくさんあるが、書いても無駄だろう。少なくとも出版することには意味がないから、こういうブログにダラダラ書くか、kindle で出版することになると思う。kindle は嫌いではない。

思うにたまに思いつきでしか書かないこのブログでもそれなりのPVはあるらしいから真面目に毎日コツコツ書けばそれなりに読む人はいるのかもしれない。それで課金したければ note 辺りに有料記事を書いてそちらに誘導すれば良いのかもしれない。あるいは youtube で評論とかするかもしれない。定年退職してヒマになったらそういうことを試してみても良いかもしれない。今はそんな余裕はない。

そういえば小室直樹の『三島由紀夫が復活する』が新書で再版されていたので買ってみた。私が大学生の時に買ったときはなんか見た目が自費出版みたいなどんくさい本だった。内容も難しいというかわかりにくいというか。編集者のチェックが入っていない、小室直樹が一人で勝手に書いた文章のようだというか。今読んでみるとけっこう読み応えがある。カッパ・ブックスの書き散らした中身がスカスカなやつよりは良い。むしろ読みやすさすら感じる。やはり三島由紀夫は人気があってある程度売れるとみたのだろう。表紙の写真もかっこいい。

三島由紀夫の本を書くやつは三島由紀夫人気にあやかって売れる本が書きたいのだろう。あるいはほんとに三島由紀夫が好きな人か。いずれにせよ、三島由紀夫と伊東静雄、三島由紀夫と藤原定家について書いた人がほとんどまったくいないのにはあきれかえる。三島由紀夫が好きな人は藤原定家も伊東静雄も知らぬのだ。この二人がどれほど三島由紀夫と関係が深かったかもしらんということだ。それでよくもまあ三島由紀夫を語れるものだと思う。

youtube の登録チャンネルを片っ端から削ってみた。そしたら勧めてくる動画がガラッと変わった。今まではあまりにも雑多なチャンネルを登録していたから何を推薦していいか AI が混乱していたのだろう。登録チャンネルを削ることにも効用があることがわかった。

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