宇治谷 順

「キュレーター」は面白い。
しかし評判が悪くて連載打ち切りになったそうだ。
連載ものは最初だけうまくてあとはつまらないのが多い。
連載にこぎつけるまでは原作者も編集者も真剣なのだろうが、
いったん連載に持ち込めば惰性で続けているだけなものが非常に多い。

よく似たマンガに「ギャラリーフェイク」があるが、
「キュレーター」はそれより7年も前に出ている。
キュレーターとかキュレーションという言葉が一般化してきたのも最近のことだ。
どうもこのマンガはちょっと時代が早すぎたようだ。
こういうマンガが電子書籍で復刻されて再び読めるようになるのはすばらしいことだと思う。

同じ原作者のマンガで「弁護士TASUKE」というのがあるが、こちらも面白い。
連載ものであるのに、あまりキレが落ちずに続いているのは見事である。
しかし[原作者の facebook](https://www.facebook.com/ujijun/posts/788800747863854:0)など見るとこれもまた尻切れトンボで連載打ち切りになったらしい。
もっとつまらないマンガでずっと連載しているのもあるのに不思議なことだ。

刑事もののテレビドラマはだんだん進化していて、例えば最近は「相棒」
などが評価されるようになった。
ああいうややこしい話は昔は(少なくともテレビドラマでは)人気がなかった。
「太陽にほえろ」「西部警察」「踊る大捜査線」などの馬鹿げた話が受けていた時代とは、
ずいぶんと変わった。
「弁護士TASUKE」も今連載されていればきっと人気が出ただろうと思う。

原作者がまじめに原作を書いても時代が早すぎて世の中に受け入れられないことはあるよなあと、
この宇治谷順という人の作品を見ると思ってしまうのだ。

auブックパス

ガラケーをスマホに買い換えて約1年。
最初は出たばかりの xperia Z ultra を買ったのだが、
無茶な使い方をしていたせいでとうとう割れて使えなくなった。
それで今度は xperia z3 にした。
xperia は初代タブレットの頃から使っているが、
だんだんによくなってきて、z ultra で一線を超えた。
もはやいかなるスマホもタブレットも xperia には勝てまい。
sony の walkman が apple の ipod にやられたその反撃がやっと奏功してきたところだと言える。
ただ日本人向けには良いこの xperia も外国人にはただの高いおもちゃにすぎない。
多少経済的に余裕がある日本人にしか売れない設計になっている。
非常にもったいないが、sony には節を曲げずにこれからも頑張ってもらいたい。
でないと私が買うスマホやタブレットがなくなってしまう。
これからも sony の売り上げに貢献するためにときどきスマホを割って買い換えてあげなくちゃいけないかもしれない。

それでまあうちは諸般の事情で au 縛りなのだが、
連絡先はなんとか復旧できた。
au のバックアップと google のバックアップの二つがあって、
au の au cloud かなんかに同期がとれていたらしくて、
friends note というやつを使って最近までの連絡先がほぼ完全に復旧できた。
au id ってところで連絡先は管理できるみたいなんでこれからはも少し活用していく。

というわけで auブックパスとの付き合いはそろそろ1年になるが、
未だに読み放題を解約できずにいるのはそれなりに活用しているからだ。
最初は手塚治虫の作品があれもこれも読み放題なので、それだけで満足していたのだが、
だんだん飽きてきた。全作品が読めるのではない。
私の知る限りでも「海のトリトン」が無い。
kindle版はあるのでそちらを買うことにしたのだが。

手塚治虫は短編に良いものが多く、
連載ものはあまりぱっとしない。
トリトンは例外的にやや長いけども面白いと思う。

古きを慕う

和歌は外来語や漢語に対して排他的であるというが、
実は大和言葉自体に対しても同様だ。
はるさめ、とは言うが、あきさめ、こさめ、きりさめ、などは和歌には使われない。
これらの語が俳句や都々逸に使われるのはまったく問題ないことだ。
なつさめ、ふゆさめなどはそもそもそういう言葉がない。
そのかわり、さみだれ、しぐれなどという言葉がある。
なぜそうなっているかと言っても理由はないのだ。

法律が判例の積み重ねでできているように、
和歌は誰かが急に新しい言葉を作ってもしっくりこない。
和歌が古きを慕うというのは法律の判例主義と同じで、
何百年もかけて少しずつ変わっていくのは良いが、
急激に変えてはいけないといっているのである。
古いものを墨守していても死んでしまう。
その加減が難しい。

明治の人たちはしかし新語や造語をやたらと作った。
和歌にもそれを強要した。破壊的、革命的な変化が許されると信じた。
信じなければ明治維新なんてやってられなかっただろう。
根拠として万葉時代の歌が持ち出された。
万葉の歌は前例主義から自由だったと言いたいのだ。

さみだれをなつさめとかゆふだちと言い換え、しぐれをふゆさめと言い換えることに抵抗がない人はそうすれば良い。
俳句や現代短歌がどうなろうと私は知ったことではない。
私は千年前と互換性のある歌が詠みたい。
いや、違うな、ある時代にしか通用しないような価値観にはしばられたくない、というべきか。
だから私は自分では和歌しか詠まないし、
自分の歌は和歌としか言わない。

後鳥羽院初学の歌

> この頃は 花ももみぢも 枝になし しばしな消えそ 松の白雪

後鳥羽院御製。正治後度百首(1200年末)。新古今。
後鳥羽院の 1200年より前の歌というものは残っていない。
当時満20歳。
和歌の習い立てに定家の

> 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

> 駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ

の影響をもろに受けたものであるのは間違いない。
後鳥羽院に定家が出詠したのも 1200年であり、それ以前に二人に交渉はない。

後鳥羽院の歌に定家の露骨な影響を見るのはしかしこれくらいであり、
後鳥羽院はおそらくまもなく定家の影響を受けることを拒み、
俊成や西行、或いは式子を志向するようになったと思う。
というのは定家の歌はあまりに癖が強いので真似るとすぐにばれるからである。
それでも上の二つの定家の歌の模倣者は多かった。
そういう意味では後鳥羽院はわりとまともな精神の持ち主だったと思う。

胃がもたれる

脂っこい外食で胃がもたれる。
自宅でインスタントラーメンとか食べても平気だが、
外食のラーメン屋はアウト。
年を取ったものだなあ。

炭水化物中心にストレスない程度に食べた方がよい。
我慢して食べないとたしかに痩せるのだが、血液検査結果がどんどん悪くなる。
とくにコレステロール値。
痩せてもコレステロール値は逆に上がるのが怖すぎる。

肉自体はなんということもない。
魚も問題なし。

20代、30代はよかった。
40代もまだ新しいことに挑戦することに意味があり得た。
小説を書き始めたのも40代だった。
しかし、保守以外何もしないのが一番楽で効率的なのが50代。
恐ろしい。

地方都市を旅行しても、海外旅行しても、たぶんこれくらい楽しくてこれくらい退屈するだろう、
ってことがだいたいわかってしまう。
中央線沿線を飲み歩けばこのくらい楽しくてこれくらい疲れるだろう、ってこともわかってしまう。
若手を育てたいとかなんか組織を作ったり貢献したいと思ったこともあったが、何の意味もないことを悟った。
CGは嫌いじゃない。
だけど切りが無い。
これくらい作り込めばこれくらい良いものができる、そして自分の才能ならばここまで行くにはこれくらいの努力が必要だということもわかる。
その努力と引き替えに失われる自由な時間がもったいない。
というか、別に自由な時間が欲しいわけではない。
やってる最中に、これは死んだ後まで残る仕事じゃない、と思うとそれ以上やる気がうせる。

50歳までに特に未練がないくらいに人生を楽しんだ、ということにしておくか。

紙の本だが、あっさりと初校ゲラに行くらしい。
単著でしかも自分の和歌が載った本を出すのは初めてなので、
かなりぎりぎりまで自分を追い詰めた。
自分なりに良い本だとは思うが、ものがものだけに、大して売れない可能性が高い。
期待して売れなかったときにがっかりするのが怖い。
定家、後鳥羽院、式子内親王、その他もろもろ新しい知見(笑)をぎゅうぎゅうに詰め込んで300枚弱。
500枚は軽く書いた。1000枚行ってたかもしれんが、それをどんどん削って300枚弱にしたのだ。
多少は反響がなくては困る。

4月30日が50歳の誕生日。
それまでには出るはずだ。
40代最後の記念になるわな。
今も学術書はほとんどが紙の本だ。
いきなり電子媒体では流通しない。
図書館にも置かれない。
図書館においてもらい、定家を調べたくなった人が手にとってくれると良い。
まともかく和歌の本などそれほど売れるものではない。

藤原氏の勉強2

いわゆる大化の改新とか乙巳の変というのは蘇我氏のお家騒動に過ぎないように思える。
主家は滅んだが、蘇我一族が滅んだわけではなく、皇族が力を付けたかというとそういうわけでもなく、
藤原氏の台頭はもう少し後だ。

大化の改新が天智天皇と中臣鎌足によるとしたのは藤原不比等に違いないのだが、
すでに舎人親王によって完成していた日本書紀を不比等や光明皇后らが改変したとすれば足りるのである。
藤原氏は単に文武と聖武の外戚となったが故に権力を手に入れたにすぎない。
皇族や他の氏族のように日本という国を建てて、あるいは国を治めることで権力者になったわけでもない。
白村江の敗北によって日本が中央集権的な律令国家を指向し、それが奈良朝の聖武天皇の治世として結実したわけだが、
そのことにも藤原氏はほとんど関係してない。
天皇家や蘇我氏、その他の有力な氏姓が九州や中国地方から次第に近畿に移ってきたのに対して、
藤原氏は単なる山科土着の豪族で、皇室に絡みついて利を得た存在にすぎない。
というのではあまりにも後ろめたいので、
大化の改新というものの主役になることにしたのだろう。

高倉院御製

新古今に見える高倉院御製四首。

275 瞿麦露滋といふことを

> 白露の 玉もて結へる ませのうちに 光さへ添ふ 常夏の花

「瞿麦」はエゾカワラナデシコ。
「ませ」は「まがき」のこと。

524 紅葉透霧といふことを

> 薄霧の たちまふ山の もみぢ葉は さやかならねど それと見えける

668 上のをのこども暁望山雪といへる心をつかうまつりけるに

> 音羽山 さやかにみする 白雪を 明けぬとつぐる 鳥のこゑかな

1146 題知らず

> つれもなき 人の心は うつせみの むなしきこひに 身をやかへてむ

1163 題知らず

> 今朝よりは いとどおもひを たきまして なげきこりつむ 逢ふ坂の山

まあ、普通だ罠。

藤原氏の勉強

藤原氏と天皇家の関係は、
不比等の娘・宮子が文武天皇に入内するまでは見られない。
文武の皇子・聖武天皇にふたたび不比等の娘・光明が入内して皇后になった。
つまりこの二代にわたる入内と、人臣で初めての皇后の位についたのが事実上の藤原氏の歴史の初めである。
不比等の息子の四兄弟がこの藤原政権確立に活躍したが、
藤原氏は天然痘でほとんど絶えてしまう。
この段階ではそのまま歴史から消えてしまうことも十分にあり得たわけである。

蘇我氏を滅亡させたクーデターに天智天皇や中臣鎌足が関与していた可能性はかなり低い。
しかも天皇不在で、天智天皇は皇太子のまま白村江を戦ったというが信じがたい。
天智天皇はほぼ間違いなく白村江の敗北よりは後の人だ。
天智天皇陵が山科にあり、中臣氏の本貫が山科であるのは何かの因縁かもしれないが、
よくわからん。
天智・持統・草壁のラインに藤原氏が何かの関与をしたのだろうがよくわからん。
そもそも天智・天武が蘇我氏を滅ぼさなくてはならない動機がない。
持統も元明も蘇我氏の娘だし、
天武も蘇我氏に擁立されている形である。
そして天武が天智の娘をことごとく妻としているのは異様だ。
天武を擁立していた勢力が天智の血を必要としたからだが、
蘇我氏くらいしか思い当たらない。藤原氏ではないはずだ。

ソーヴィニヨン・ブラン

ソービニヨン・ブランは飲みやすいのが多いが、
最初ちょっと変な匂いがするなと思っていた。
飲んでいるうちにだんだん気にならなくなるのだが、最初の開けたての一口目が気になる。
ぎんなんみたいな、うんこみたいな匂いだなと思っていたのだが、
ある人がうんこと言うよりはネコのおしっこのようだというので、
確かに言いえて妙だなと思ったのだが、
ウィキペディアに

> ブラック・ユーモアの好きなフランス人にいわせると、ソーヴィニョン・ブランは「ねこのおしっこ」、シャルドネは、「犬のおしっこ」のにおいがするという。

などと書いてあって驚いた。
シャルドネが犬のおしっこだと思ったことはないが、
ソービニヨン・ブランは確かにくせのあるにおいがあるのだ。
白ワインというのはおしっこに見えなくもない。
ウィキペディアに書いてなければ営業妨害になるかもしれないので書かないところだった。
cat’s pee、pipi de chat
などで検索しても出てくるので間違いあるまい。
ブラック・ユーモアというより実際育て方や醸造方法によってはそういう匂いがつくのだ。

しかしまあワインの味とか香りなんてのは、
案外素人が先入観なしに飲んだほうがぴたりと当てるものかもしれない。
そういう傾向はいろんな分野にもあてはまる。

ふりかえると。

昔の日記など読むに、
和歌を詠んでいたのは学部生だった頃、つまり1986から1989年くらいなのである。
そのあとずっとブランクがあって2009年に再び詠み始めた。
つまりは田中久三という名前にしてからだ。44歳。
式子内親王の

> 忘れめや あふひを草に ひき結び かりねの野辺の 露のあけぼの

> 忘れめや 賀茂の社の 御薗橋 渡り初めにし 春雨の頃

と返してから、だんだんに詠み始めた。
2010年にはかなり盛んに詠んでいた。
2011年から小説を書き始めて、その歴史小説の中に和歌を使うようになっていた。
この頃から完全に古典文法に則った歌を詠むことにする。
それまでは割といい加減なやつもまじっていた。
昔の人の歌と並べて違和感のないようなのを詠むようになった。

今回定家の話を書いたのだが、
ずいぶん和歌に対する見方が変わった。
「民葉和歌集」にかき集めた歌の多くがつまらなく感じるようになったので、
選び直さなくてはならぬかもしれぬ。

歌が詠めるようになるには時間がかかる。
2009年頃のツイッターを見ると私は俳句(のようなもの)を詠んでいた。
しばらく和歌を詠んでなくて俳句みたいなものしか詠めなくなっていたのだ。
そういうものに体(というか脳)がなっていて、それは詠めても歌が詠めない。
適当な文法で歌を詠んでいるとそういう歌しか詠めないし、
そういうときに詠んだ歌の文法を直そうとしてもなおらない。
つまりそういうふうに微妙に文法が間違っているのが味になってしまっていて、文法を直すと味まで失ってしまうからだ。

気に入らないときは直すのではなくてまったく新しい歌を一から詠むしかない。
もう最初から古典文法に則った歌しか詠まないと決めて、体をならしていくと、
自然と正しい歌が詠める。それ以外の歌は最初から思いつかないのだ。
これはもう普通の武芸とかの芸能と同じだろうと思う。
体を馴らしていって自然に詞とか動作が出てくるようなものしかものにならないのである。
別の形に体を馴らせばそのようなものしかでてこない。
毎日毎日詠んでいればそのうち良い歌が出てくるようになる。
もう漢語は使わないとかカタカナ語も使わないとかへんな文法とか字余りは使わないと決めてしまって、
体がなじんでしまえば、案外からだのほうがその環境に適応して、
そういうものが自然に詠めるようになる。
これはもう人間の脳がそのような仕組みになっているからとしか言いようがない。

もちろん新しい概念は新しい詞を使わなくては直接的には表現できない。
しかし心の動きというものは昔から変わらないのであり、
人間(ホモ・サピエンス)というものも何万年も同じ種なのだから、
古い詞を使った新しい表現をみつければよい。
それは最初は比喩のようなものかもしれないが、一般化すれば慣用句になるのである。
時間はかかるがそうして古典語を新しい時代に適合させていかなくてはならない。
造語で一足飛びに概念を輸入しようとしてもいずれは反動がくる。

昔の人の歌を眺めていると突然自分からも歌が出てくることがあるのは、
その人の歌の詞や表現、そのもととなった心を借りることで今まで詠めなかったことが詠めるようになるからだ。
歌が詠めない理由の多くは古典語の制約というよりは、表現を知らないだけのことが多い。
昔にも似たような表現があり、代替可能であることにふと気がつくのである。
外国語を日本語に訳するのも似たようなものだろう。