亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘詠歌’ Category

詠歌一体

04.06.2014 · Posted in 詠歌

朦朧趣味を読み返してみると、 やはり為家という人は、父定家には似ず、むしろ祖父の俊成に似て、 素直なわかりやすい歌を詠む人であったように思う。 丸谷才一は定家が好きで為家が嫌いなのだ。 だからたぶん俊成もそんなに好きではなかろう。 為氏は定家に輪をかけて幽玄チックな人だったらしい。 どうも父より祖父が好きになるタイプらしいね、この家系は。 だから趣味が代ごとに振動している。 為氏の子・為世までくるとかなりもうへろへろになってる感じがする。

為家の歌論に「詠歌一体」というのがある。

和歌を詠むこと必ず才能によらず、ただ心より起これることと申したれど、 稽古無くては上手のおぼえ取りがたし。 おのづから秀逸を詠み出だしたれど、のちに比興のことなどしつれば、 さきの高名もけがれて、いかなる人にあつらへたるやらんと誹謗せらるなり。

俊成・定家・為家・為氏という四代の歌風の変動を見るとき、上の主張はかなり意味深である。 「比興」とは「他のものにたとえて面白く言うこと」とあり、 つまりは、実景を詠まずに、作り事でおもしろおかしい歌を詠むこと、という意味であろう。 まさに父定家や子の為氏はそういう歌を詠むのである。 為家はゆえに祖父俊成のような素直な歌を詠みたいと言っているのではないか。 しかしただ素直な歌を詠んでいても「上手のおぼえ取りがたし」つまり他人に評価されにくいから、 稽古は必要だと。 しかしあまり(定家や為氏のように)稽古しすぎると奇をてらいすぎていかんよと。

例に挙げている歌がまた興味深い。

紅葉浮水
藤原資宗

筏士よ 待てこととはむ みなかみは いかばかり吹く 山のあらしぞ

新古今に載る。 ここで紅葉とは嵯峨野のことである。

月照水
源経信

住む人も あるかなきかの 宿ならし 蘆間の月の 漏るにまかせて

これも新古今に載る。 この二つは題詠の心得のために例示したものであり、 前者は題を読まないと何の意味かつかみかねる(おそらく上流で花か紅葉が散っているのであろうと予測されるが春なのか秋なのかはわからない)のだが、題をそのまま歌に詠むのはよろしくないと。 後者は「月」は歌に出るが「水」はただ連想させているだけとなる。 題に水とあるから蘆間からは月の光だけでなく、露も漏れているのだろう、ということになろうか。

其の所の当座の会などには、只今の景気ありさまを詠むべし。 たとひ秀歌なれども、儀たがひぬれば正体なきなり。

正論である。 わざわざそれを言っているのは、 正直に詠まず、作って飾って詠む輩が多いからだろう。

雪降れば 峰の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

祖父俊成の歌だ。 褒めている。確かにすばらしい。

見渡せば 波のしがらみ かけてけり 卯の花咲ける 玉川の里

相模。まあこれも実景の歌だわな。 恋の歌は

しのぶれど 色にいでにけり 我が恋は ものやおもふと 人のとふまで

うらみわび 今はまだしの 身なれども 思ひなれにし 夕暮れの空

が良いらしい。 前者は有名だが後者は無名の歌だわな。 今はまだ思いが通じていない恋だが、うらみわびて眺めるのに馴れた夕暮れの空、という意味だわな。 確かに面白い。

日も暮れぬ 人もかへりぬ 山里は 峰のあらしの 音ばかりして

源俊頼。なるほど確かに良い歌だ。実に単純明快。 ま、いずれにせよ、俊頼や俊成、家隆などは褒めているが、定家の歌が良いとはどこにも書いてない。 これは愉快だ。 暗に父の歌風を批判しているようにも見える。

詠歌一体 はコメントを受け付けていません。

ひとつの仮説

03.29.2014 · Posted in , 詠歌

飲む前は飲まじと思ふ 飲めばとくやめんと思ふ されどすべなし

特に最近の傾向だが、 酒を飲まずにいると血圧が 99-65 とかになる。 普通に低いのではなく、 アンカロンやアーチストなどの薬によって心臓を強制的に休ませているせいではないか。

だが、酒を飲んだ翌朝は 139-95 とかになる。 約40跳ね上がる。 この効果は約2日続いてまた血圧は下がる。

血圧と血中アルコール濃度に明らかな相関がある。 人間の体はみんなそういうもんかというとそういうわけではなく、 アルコールを飲むといったん血圧は下がるものである。 そこからやや上昇するということはあってもここまで極端ではない。

それから、酒をしばらく飲まずにいると、 何もしないのに体重は減少もしくは維持する傾向がある。

それでまあ一つの仮説なのだが、 薬を飲んで血圧が 99 くらいになっていて酒を飲んでさらに血圧が 80 とか 70 に下がろうとすると、 私の体はこりゃ大変だということで一生懸命無理に血圧を上げようとする。 同時にLDLコレステロールを大量合成して血中コレステロール値を上げてしまう。 コレステロールを合成しすぎるのは体に良くないがこの際血圧を維持するためには仕方ない。

さらに、ものを食べずに酒を飲むとさらに血圧が下がるというので、 体は余計にカロリー消費を抑制して、余計に痩せなくなる。

つまり、薬と酒の作用で私の体は飢餓状態・病気の状態と勘違いして、 いくら痩せよう、コレステロール値を下げようと思い、食事制限をしたり歩いたりしても、そうはならないのである。 だから体全体は痩せてきても最後まで腹の脂肪が落ちないのだ。 次の血液検査まで酒を抜いてみよう。 今までは検査の前日だけ酒をやめていた。それではだめなんだろう。 それでコレステロール値が下がっていれば、 まずその仮説で間違いないのではなかろうか。

寝る前に毎日ちびちび養命酒を飲む、という飲み方は案外間違いではないかもしれないが、 そもそもそんな飲み方は私にはできない。

ひとつの仮説 はコメントを受け付けていません。

とりよろふ

03.25.2014 · Posted in 詠歌

「とりよろふ」は万葉集に「大和には群山あれどとりよろふ天の香具山」という形でしかでてこない。 岩波古語辞典はあっさり「不詳。気持ちや生活のよりどころとする意か」とある。 「とりより」から派生したのは明らかであり、こちらは用例が多い。 原義は「手づるをつかんで近くに添うこと」、らしい。 「うつり」に反復・継続の接尾語「ひ」がついて「うつろひ」となるように、 「とりより」に「ひ」がついて「とりよろひ」。

そうしてみると、大和にはいろんな山があるが、 それらの山々がとりよろふ天の香具山、 つまり、大和の山々の中でも、中心的な位置、存在、代表であるところの天の香具山、 となるだろうか。天の香具山自体は、高くもなく、平凡な山であるが、その名の通りに何か特別な意味を持つ山である、 ということだろう。

忘れ草 忘れな草と とりよろふ 野の八千草に まどひぬるかな

はて、これは誰の歌であったか。 あれ? わからんぞ。 あ、わかった。やはり自分で詠んだのだ。

とりよろふ 天の香具山 よろづよに 見るとも飽かめや 天の香具山

宣長の歌だが、単なる枕詞のように使ってあるな。

日の本や こまもろこしと とりよろふ よろづの酒を 飲みてしやまむ

これは私の歌なのだが。 こんな使い方していいのだろうか。

うーん。不適切な気がしてきた。

とりよろふ はコメントを受け付けていません。

真白嶺と芝山

03.22.2014 · Posted in 詠歌

最近また和歌を詠もうと思いリハビリしてる。

しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の真しらね

しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の芝山

のどちらがよいか悩んでいる。 「真しらね」は「真白嶺」だが、どうも不思議と用例が少ない。 秋成の歌に

箱根路の 雪踏み分けて 真しらねの ふじの高嶺を 空にみるかな

というのがあるが「富士の真白嶺」とやった人はまだいないらしい。 かたや、「富士の芝山」というのは万葉集に出て、便利とみえて、その後もいろんな人が使っている。 加藤千蔭

あづま路に まづくる春の 日の影を 雪に待ちとる 富士の芝山

うらうらと 富士の芝山 霞む日に 田子の浦舟 ゆたに漕ぐみゆ

明治天皇の歌にも

あづまにと いそぐ船路の 波の上に うれしく見ゆる ふじの芝山

とあり、昭憲皇太后の歌にもあったはず。 どっちがいいかね。

真白嶺と芝山 はコメントを受け付けていません。

季節の変わり目の風邪

10.02.2013 · Posted in 詠歌

風邪引いてだるい。 こないだ白血球が減ってたから免疫弱まってて治りにくいのかな。やだな。 はやく薬代えたい。

秋や来ぬ夏やおはりぬ暑からで寒くもあらで風邪ぞひきつる

夏の夜の暑さに風邪をひきし身にけふは涼しき秋風ぞふく

どうかね。

季節の変わり目の風邪 はコメントを受け付けていません。

訓導の詠歌

12.23.2012 · Posted in 詠歌

祖父は昭和二十年当時、国民学校の訓導、つまり今で言う小学校の教諭だった。 四月四日、訓導にも動員令が下ったと、 祖父は「応招前記」という日記に書いている。 面白いのは毎日のように和歌を詠んでいることで、 祖父が和歌を詠むとは初めて知った。その歌の存在すら知らなかった (もしかするとまったく忘れてしまっただけで実は祖父から和歌の影響を受けた可能性もなくはないのだが)。

きのふまで人ごととのみ思ひしに今日より我もいくさ人なり

悪くない。 明治四十五年生まれなので、当時三十三歳のはずだ。

戦局の日々に苦しくなればとて大和心にゆるぎあらめや

菜の花の散るをも待たで征く人を送りて次は我かとぞ思ふ

粥すすりすめらみくにを護る者我一人にはあらざるものを

沖縄の決戦夢に見しものをおのが勤めはかはらざりけり

動員の学徒となりて征ける子よまめに務めよ我が国のため

今をおきて立ち上がるべき時はなしすめらみくにのますらをの子ら

メリケンを討たむばかりに剣とる今日この頃ぞうれしかりける

我一人正しと思ふ心こそ正しからざる心なりけれ

皇国の興廃かける一戦の間近に迫る夏の朝かな

いかづちのとどろく中に田植ゑする乙女の心強くもあらなむ

みそとせも生きながらへし身にしあれば散りゆく今日に何不足ある

おそらく当時みんなこんなふうに和歌を詠んだんだろうなあ。 そして戦後、反動でまったく詠まなくなったのだ。

こういう歌を詠んでしまうと、なかなか普通の歌は詠めないものだ。

訓導の詠歌 はコメントを受け付けていません。

鐘の音寒き浅草寺

05.13.2012 · Posted in 詠歌

今書いている小説はほぼできあがった。 主役は新井白石。 ヒロインは将軍家継の生母・お喜世の方。 たぶんこのパターンの話は今まで無いはず。 しばらく一人称の話ばかり書いてきたので、リハビリを兼ねて、今回は三人称で書いてみた。

どちらかと言えば短編。応募〆切が直近の新人賞に応募する予定。 余りこてこての歴史小説にしたくなかったのだが、加筆しているうちにやっぱり蘊蓄君がてんこ盛りになってしまった。 ていうかピュアな歴史小説書いたのは久しぶりではなかろうか。 現代小説ばかり書いていて疲れた。 やはり一番書きたい歴史小説でリベンジする。

清元節(?)を使おうと思うのだが、著作権的に問題があると困る(時代的には問題ないのだが、適当にネット検索で拾うと何が混じっているかわからん)のと、 ストーリーにぴったり歌詞をあわせるため、 一つでっちあげることにした。

浮かぶ釣り船 帆掛け船
行き交ふ人や 誰ならむ
むすべば消ゆる うたかたの
一夜うたげの 江戸湊
かなたこなたに 寄る波の
枕さだめぬ ちぎりもや

冴ゆる月夜の 浦風に
さやぐ岸辺の 芳原は
秋のなごりの あともなく
川面に落つる むら時雨
鐘の音寒き 浅草寺
いつしか雪に 降り変はる

ていうか、演歌だな。演歌の源流は浄瑠璃か歌舞伎だわな。 和歌が詠めれば苦も無く作れる。 ていうか、漢詩に比べれば全然楽。

似たような言い回しがあると嫌だなと思ってネットで検索しながらやってるが、 こういうのは案外無いのかもしれん。 一部孝明天皇御製など使わせてもらってる。

鐘の音寒き浅草寺 はコメントを受け付けていません。

和歌

06.10.2011 · Posted in 詠歌

久しぶりに歌でも詠むかと思うのだが、あれは、毎日詠んでるから詠めるのであって、半年近くブランクがあると、 なかなか出てはこない。

手にあふぐうちはの風にやがて来む夏の暑さのおもはるるかな

少しずつ、リハビリ。

ともかく、肺がへたって機能が低下しているのだから、タンパク質をたくさん摂らないと回復しないよな。

むらぎもの胸を病むこそ苦しけれ息はつづかず歩むもつらし

和歌 はコメントを受け付けていません。

四行詩

11.09.2010 · Posted in 詠歌, 読書

オマル・ハイヤームのルバイヤート。 岩波書店の。 著作権切れなのな。

Rubaiyat of Omar Khayyam rendered into English Verse by Edward Fitzgerald

Wikipedia には

神よ、そなたは我が酒杯を砕き、
愉しみの扉を閉ざして、
紅の酒を地にこぼした、
酔っているのか、おお神よ。

などというのが載っているが、これはどれに該当するのか。さっぱりわからん。 できるだけ原文に忠実なのが欲しい。

酒が無くては 生きてはをれぬ
赤くかもせる えびかづら
ゑひてこよひの よとぎをめせば
いまひとつきと さしいだす

都々逸を二つつなげて四行詩にしてみた。どうよ。 ちなみに「えびかづら」は葡萄を意味する大和言葉。

神はいますか たふとき神は
うつつならぬぞ うらめしき
あるかあらぬか しりえぬかたが
酒と恋路を いましむる

いまいちか。でもこんな感じだろ。

けふこそ春は 巡りくれ
酒を飲むこそ 楽しけれ
とがむなたとひ にがくとも
にがからむこそ いのちなれ

今樣風。けっこう楽しいな。 絶句風に韻も踏んでみたし。 元ネタは小川亮作訳、

今日こそわが青春はめぐって来た! / 酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。 / たとえ苦くても、君、とがめるな。 / 苦いのが道理、それが自分の命だ。

なげくとて のがれらるべき さだめかは
けふは生くとも あしたには われもよみぢを たどるべし
さればわらひて はなをめで
うまざけにゑひ こひにおぼれむ

長歌風。 元ネタは、

さあ酒を酌み交わそう / 運命の車輪は我々の背骨を踏みしだいて回る / 嘆いても笑っても同じなら / せめて花を愛で美酒に酔い恋に溺れよう。

はて、これは誰の訳だ。

ふーむ。だいたいわかってきたぞ。 七五調定型詩を書くとき、いわゆるルバイーイを表すには、 都々逸×2でも今様でも、少々短すぎる。 しかし長歌にすると調べに長短ができて歌いにくい。 どうしたらよかろうか。

四行詩 はコメントを受け付けていません。

詠草

10.31.2010 · Posted in 詠歌

雪や降る 霰やふると 手をのべて 雨のしづくに 触るる頃かな

金はなし 金無きをりに 酒飲めば ありと思ひし 頃のしのばる

飲めや酒 つまめや肴 一杯の 酔ひぞたのしき 金はなけれど

雨音の しづけきよはに 酒飲みて 何をか我の 歎きてあらむ

下の句は伊東静雄。

いとまなき なりはひの日々に まぎれつつ あといくとせを かくはあるべき

詠草 はコメントを受け付けていません。