ジェーン・エア

嵐が丘を書いたエミリ・ブロンテのお姉さんがシャーロット・ブロンテで,
その人の書いた小説がジェーン・エアで,
その映画化されたビデオを嵐が丘のついでに借りてきた.
普通に楽しめた.
主人公(ヒロイン)が幸薄い孤児で,

> 愛された人のためなら馬に蹴られても牛に突かれてもいいわ!

と言うところなんか,思わず馬の後脚にぱかっと蹴られるシーンや,
牛の角にどかっと突き飛ばされる姿を想像してしまって泣けた.

小説にも映画化しやすいのとしにくいのとあるだろうけど,
ジェーン・エアはごくしやすい方ではないか.

嵐が丘は難しいよね.
私も読む前に恋愛小説だという話は聞いていたが,
読み始めてしばらくは誰と誰が愛し合うのかさっぱり分からず,
もしこのまま映画化すれば,
最初の 30 分間はただもう殺伐として陰惨な家庭のありさまが
延々と描写されるだけだ.
映画化するにはある程度小説としてのディテイルを落したり,
或いは筋を整理したり流れをつかみやすくしなくてはならないと思うが,
そうするとあの独特の粗野で雑然とした雰囲気が伝わらなくなってしまうだろう.
そのうちキャサリン・アーンショウという気性の荒い女の子と,
アーンショウ家に拾われてきた(或いはその家の亭主の隠し子?)
ヒースクリフという男の子が
この話の主人公らしいことがわかってくる.
この二人は幼い頃嵐が丘で野性児のように放任されて育つ.
互いに相手を自分の分身のように考えていたが,
そのうちキャサリンだけがおしとやかな女性として育てられるようになり,
とくに好きでもない近所の金持ちの家の息子
エドガー・リントンと結婚してしまう.
ヒースクリフはいじけて家を飛び出す.
三年後ヒースクリフはお金をたんまり稼いで嵐が丘に戻って来る.
そしてアーンショウ家とリントン家に徹底的な復讐を開始する.
ヒースクリフはエドガーの妹イザベラをかどわかして結婚する.
わがままなキャサリンは夫エドガーというものがありながら
ヒースクリフとの交際も続けたがり,
エドガーにも彼との交際を勧めるが,エドガーはそれを拒絶する.
キャサリンは三日三晩自室に閉じ籠って怒り狂った挙げ句,
脳膜炎をわずらい半病人になってしまい,
ヒースクリフと再会したとき発作をおこして死んでしまう.
ヒースクリフはいよいよ復讐の執念を燃やす.
という救いようのないお話なのでした.
まあ凡庸な監督が映画化しても収拾つかん筋書きだよなぁ.
西原理恵子なんかが漫画化すると笑えるかもしれん.

嵐が丘2

なかなか面白い.
これは,キャンディキャンディとか
赤毛のアンとか(赤毛のアンは実は読んだことも見たこともないが :-P)
よりもむしろシドニーシェルダンに似ている.
penguin books の本も借りてくる.
ビデオも借りて来る.
しかしこの映画はとんだデキソコナイだ.
借りて損した

青木大使

夕刊フジに書いてあったが,
日本大使公邸が占拠されたのは日本大使の責任であるから,
大使は辞任すべきであるという.
外務大臣も辞任すべきであるという.
また,同じことは日経の春秋にもちょっとだけ書いてあったが,
こちらはどちらかというと同情的である.
私は,理由の如何を問わず,また本人が人質になったかどうかも関係なく,
大使公邸での事件はつまるところ大使が責任を取るのが筋だと思う.
責任者が処分されることによって責任の所在が明らかになることが重要なんであり,
そのために責任者は部下よりも余計に給料を貰い名誉も与えられているのであり,
それが綱紀粛正ということであり,
それが noblesse oblige というこである.
青木大使個人がどれだけ頑張ったかとか,サムライだったかどうかとか,
そんなことはどうでも良い.
いやサムライだったんならなおさら潔く「辞任」し,
後世に範を示すべきだろう.

どちらかと言えば日本政府全体が
そういうぬるま湯みたいな体質だから起きたとも言える事件ではある.
そんなことはもちろんわかり切っている.
夕刊フジによれば,例年は用心のため昼間に小規模のパーティを開いていたが,
去年は夜盛大に開いたそうだ.誰の指示かは明らかだ.
よって国家的信頼の喪失,人的物的被害,数百億円の支出,などなどの結果を生んだ.
のんきにパーティを開いて隙を作るとか,
重大事件が発生したときに
大使が不在だとか大使が遅刻するとか(日米開戦の時),
そういう不祥事の再発を防ぐためにも厳しく処分すべきではなかろうか.

追記:
日本大使公邸においてペルー政府が,
日本政府または日本政府の全権を委任していると見なされる大使に許可なく
軍事行動を起こして,
邦人に死者が出た場合,
それは本来戦争事由にもなりうる重大事件だ.
もちろん,日本がペルーに対して宣戦布告する,ということもあり得る,
という意味でだ.
橋本龍太郎がブゼンとしていたのも当然だと思う.
まあしかしそれは極端な例ではある.
帝国主義華やかなりし日のやり方である.
今回の場合,
日本政府は軍隊も派遣せず,
ペルー政府にすべてをまかせていた形になっているので,
事後承諾でもやむを得ないだろう(で結局何がいいたいのだ?).

人質が一人死んだのはわざと殺したんだという疑惑が現地の新聞で
取り上げられているそうだ.
まあ私が独裁者フジモリになり代わって考えてみるに,
人質全員無事救出することの方が,
やっかいな政敵をどさくさに紛れて殺すよりも,
国際世論にも国内世論にも評価され,
ずっと自分の独裁体制を固めるのに役に立つんじゃないのかな?
だから私はその手の話は信憑性は低いと思う.
ただ,軍の影響力がどのくらいあるかというのが不確定要素ではある.
フジモリ大統領ではなく,軍の中の一部の勢力の指示かもしれないし,
それはあり得るかもしれない.
アメリカ政府や日本政府はそのへんを気にしているようだが….

嵐が丘

ある複数の女性の知合いからすすめられて嵐が丘を読み始めたが,
まだ最初の百頁ほどしか読んでないのだが,
どうしてこんな陰湿な話が多くの女性の人気を集め得るのか全く理解できない.
イギリスの本場の「嵐が丘」を訪れる女性が少なからずいる.
決して風光名媚でもなんでもないただの荒野らしいのだが.
女性にはきっと「こわいもんみたさ」みたいなものがあるんだろう.
よくわからん….
キャンディキャンディとかならまだわかるのだが.

中国大陸

少年マガジンの「中華一番」という漫画を読んでいたら,
中国の形に盛りつけされた「真鯛大陸封」という料理が出て来るのだが,
これは時代設定は清朝だったのではないかな.
だとすれば外蒙古が中国領に含まれてないとおかしい.
中華民国では外蒙古は中国領だったはずで,
つい最近台湾政府が地図を書き換えたのじゃなかったかな.

追記:

華声和語

によれば,
1996年1月,
台湾政府は中国本土の県以下の地名を大陸風に改めたが,
モンゴルは未だに中国領に含まれているそうだ.

また,1689 年ネルチンスク条約当時ならば外興安嶺まで中国領だったはずだ…
つまりこの中国の形は人民中国のものなのだが….
まあどうでもいいか.漫画だし.

さらにどうでもいいことではあるが,中国でもマダイを真鯛と言うのだろうか.
非常にあやしい.
そもそも中華の冷菜に刺身が出るというのは,
皆無とは言えないかもしれないが,
極めて怪しい!

小室直樹

小室直樹のことはときどき私の「日記」にも出て来るので,
カンの良いひとはもうお気づきかもしれないが,
私は中学生の時に小室直樹に心酔して以来の小室ファンである.

小室直樹は 1980 年「ソビエト帝国の崩壊」で世に知られるようになった.
そのころはわっともてはやされてちょくちょくテレビに出ていたが,
討論会で女流評論家に乱暴な振舞いに及んだ,とか,
田中角栄裁判の検察官どもを送電線に逆さ吊りにしろ,とか,
文部大臣を縛り首にしろ,と言ったとか,
フィリピンの街頭で群衆を前にマルコスを殺せと演説したとかしないとか,
とにかくむちゃくちゃな人なので自然とマスコミには登場しなくなった.
テレビに出てる変人というのはしょせんパフォーマンスとして変人を演じているだけであって,
小室直樹ほどの変人になるとテレビには出せないのである.
その当時の一般的な評判は,奇人変人過激な右翼論客,というところか.
私も当時なぜ小室直樹はあれほどまでに田中角栄を擁護するのか理解できなかった.
今はまあまあ理解できているつもりだが,未だに三島由紀夫がどうのこうの
という当たりはついていけない.

小室直樹はカッパブックスというあやしげな大衆向け新書から
盛んに本を出していたが,
テレビには全然出て来なくなってしまったので,
知名度はどんどん落ちていったと思う.
「田中角栄の呪い」といった怪しげなタイトル,
ある種ふざけた文体など,まともな書物の体裁をとっていなかった.
落合信彦の本と並べて置いてあったりするとさらにうさん臭さが増したりした.
あれはおそらく預言が成就されたあとの,
未来の読者にだけわかるように書いてあったのである.
だいたい落合信彦の本はたいてい絶版になっているが(多分),
小室直樹の本は「ソビエト帝国の崩壊」から「国民のための経済学原論」まですべて今でも手に入るはすだ.
左翼系知識人は小室直樹をあまり相手にしなかった.
彼らは要するに世の中にもてはやされている人間や思想を論破することによって
自分が有名になりたいだけだ.
しかし実際に「ソビエト帝国」が「崩壊」してのちに小室直樹は
再評価されるようになった.
「ソビエト帝国の崩壊」を「預言」したのは小室直樹だけではないとか,
小室直樹が最初ではないとか,
あんなことは誰にだって言えるとか,そういう評価が多かったように思う.
エンジニアリングの世界でもそういう「結果論」
をぶつぶつつぶやくやつは必ずいるのだ.
小室直樹の預言は当たることもあるし外れることもある.
もちろん預言は当たるにこしたことはないが,
もし小室直樹の預言を批判したいのなら,その「方法論」を批判すべきだ.
それから,小室直樹は自分の願望を「預言」することがあるが,
これの的中率は極めて低い.
しかし「預言」とは本来そうしたものだ.
小室直樹があれほど祈願したにもかかわらず,田中角栄は甦らなかった.

fj に「小室直樹」の名前が出て来たのはせいぜい
「国民のための経済学原論」以後だ.
それまで小室直樹という偉大なる預言者を fj は知らなかったのである.
というよりも,fj はマスコミ(あるいはせいぜい大学の講義)から
仕入れたネタを肴にだべる程度のものだから,そんなもんだろう.

私は小室直樹のようになりたかった.
小室直樹のようになるということは,
小室直樹の本を読むだけではなく,
小室直樹だったらこのときどう判断するか,
小室直樹の本と相談することなく自分で解決できるようになることである.
例えば湾岸戦争や金丸の頃はまだ小室直樹がリアルタイムで御託宣してくれていた.
そのとき小室直樹が書いた本やコラムを読む前に,
自分なりに小室直樹だったらどう言うだろう,と考えてみる.
そのあと小室直樹の書いたものを読んでみるのだが,
彼はいつも私の予想と違うことを書いていて,落胆したものだ.

小室直樹の本に「日本資本主義崩壊の論理」というのがあってこれは副題が「山本七平「日本学」の預言」となっている.
山本七平はその最初の著書「日本人とユダヤ人」でこてんぱんに叩かれた.
それというのもイザヤ・ベンダサンという偽名で書いたことと,
最初の著書だったのでいろいろとナイーブな点があったのと,
当時最盛期だった左翼論客との泥沼のディベートに巻き込まれたためであろう.
つっこもうと思えばいくらでもつっこめる本を書いてしまったのが
山本七平の敗因である.
そして死体に鞭打つように,山本七平を攻撃する人は後をたたない.
いいカモにされているのである.
fj でカモにされるのも,山本七平のようなナイーブな人(素人)である.
小室直樹はわが国では「素人の業績を「専門家」は,絶対に評価しない.
況んや,これを採長補短し,健全に哺育するなど,夢想もできない.
その最も不幸な例が,故・山本七平氏である」と言っている.

幸か不幸か,山本七平は「日本人とユダヤ人」で名前を知られた.
で,以後の著作はすべて色眼鏡で見られるようになったのである.
山本七平は知識をひけらかすというところもないではないが
(それはすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
またそそっかしいことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
また説教じみたことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
特に悪意をちりばめて書いているとも思えない.
悪意を抱いている人間が読めば,
悪意をちりばめて書いているように見えることもあるのである.

新宿西口動く歩道

なぜまたあんな一方通行の歩道を作ったのだろうか.
しかも午後 3:00 に一旦通行人を締め出して方向転換する.
そのうえ,動く歩道は普通の歩道よりも1mほど高くなっていて,
動く歩道に乗るにはちょっとしたスロープを登り降りしなくてはならない.
動く歩道を作るのはまあいいとしてなぜなんな間抜けな仕様にしたのか.

出羽桜というのはもちろん関取の名前ではなくて日本酒の名前である.
がしかし風邪で鼻がつまっていて何を飲んでるのかさっぱりわからなかった.
ビールだとそれなりに楽しめるのだが.

以前「アムネスティ・インターナショナル」に
ロサンゼルス国際空港かどこかでドルをむしりとられて以来募金というものは決してしないと心に決めたのだが,
そもそも自分の金が誰にどう使われるかまったくコントロールできない状況で道端ではじめて会った人間を信用して金を渡してしまうというのはまったく愚かな行動だと思っているのだが,
秋葉で「阪神大震災がどうのこうの」と金を集めている連中がいたので例によって無視することにした.
私に声をかけた人は私の視界の外で「あれ?では募金だけでも…」
なぞといい続けていたのだが,
どうも彼らは「ボランティアだから金集めしても頭はさげなくて良い」
だとか「金を出すのは当然だ」とか「自分達は正しいことをしてる」
とか思っているようだが,
そのへんが私にはカチンとくるのだ.
その不快さがあとあとまで残ってしまう.