今昔物語

平凡社東洋文庫の今昔物語集を読破しようとしているのだが、なんかヤバイ本だよねこれ。インド、中国、日本、のいろんな説話を集めたものなんだが、執筆者はおそらくヒマを持て余した僧侶だろう。それも共同執筆かな。

インドもひどいが中国もひどい。日本の説話に至ってはこれはもう日刊ゲンダイか夕刊フジかというレベル、しかしインドや中国の説話にくらべればまだかわいげがある。中世の仏教が、いかにして恐怖と罪悪感によって純真爛漫な庶民を改宗させようとしたか、中国の儒教が、いかに孝行を絶対視して人間性をゆがめてきたか、今昔物語集をとばさず全部読むとわかるだろう。魯迅が中国や儒教を批判したのがピンと来ない人は今昔物語集を読むときっとわかる。魯迅の副読本というのかな。

適当に有名なやつだけ拾い読みしたり、子供向けに脚色したやつ読んだのではわからないだろう。

ひとつだけ例を挙げておこう。

あるところに天真爛漫な漁師が住む島があった。そこに魚がたくさん押し寄せてきて人間のように「阿弥陀仏」としゃべるので、漁師たちはわけもわからず「阿弥陀魚」という名前をつけた。「阿弥陀仏」と呼ぶとさらにたくさん押し寄せてくる。捕まえて殺して食べたが逃げもしない。「阿弥陀仏」と唱えれば唱えるほどおいしく感じる。あまり唱えない人は少し辛く感じる。そこでみんな味の良さに夢中になって「阿弥陀仏阿弥陀仏」と唱えまくる。そのうち最初にその魚を食べた人の一人が寿命で死んで、三ヶ月してから紫の雲に乗って戻ってきて人々に告げるには「魚は阿弥陀仏が姿を変えたものである。私たちが仏の教えも知らず愚かなのを憐れんで、念仏を勧めにやってきてくれたのだ。この縁によって私は浄土に生まれ変わった。」これを信じた漁師たちはみんな慈悲の心を起こし、永久に殺生をやめて阿弥陀仏を念じ奉った。やがてみんな浄土に生まれ変わって、島には一人も人が居なくなった。
(今昔物語集巻4第37)

うーむ。私には、狂信的宗教のために島民が全滅した話にしか思えないのだが。

太平記

今昔物語と太平記ってアイディアの宝庫だと思うんだよね。まあ、日本版千夜一夜物語というか。太平記は一応歴史書なわけだが。太平記ダイジェストいうのがあったんで、
読み始めたのだが、いきなり「太刀の先を口にくわえて櫓をさかさまに落ち、太刀に貫かれて壮絶な最期を遂げた」とかでてくるんで先が思いやられる。

清朝末期の改革

1894年の日清戦争から1911年の辛亥革命までの清朝末期の改革は、よく調べるとけっこう面白いのかもしれん。キーワードは、戊戌維新、百日維新、康有為、梁啓超、光諸帝、変法維新、章炳麟、etc。西太后は当時の中国社会そのもので、「もし西太后がいなければ」という仮定は無意味だと思う。西太后が居なくても他の皇族が担ぎ出されただけだろう。1898年、光諸帝が康有為や梁啓超らにうまく立憲君主制を作らせていれば、1900年の義和団事件も1911年の辛亥革命も未然に防げたかもしれない。そうするとそもそも日露戦争も起きなかったかもしれないし、そうなると韓国は一時的に日清の保護下に置かれたかもしれないが、韓国併合はなかったかもしれないし、そのうち日清韓同盟が力を付けていけば、遼東半島もロシアから取り戻せたかも。というか日本が遼東半島を割譲して三国干渉を招いたのがまずかったのかなぁ。とかいまさらどうにもならんことではあるが。

呉智英「犬儒派だもの」比較的新しい本だが、世田谷中央図書館にあった。すばらしい。
冒頭「声に出して笑いたい誤文・悪文」で長尾真の岩波新書「「わかる」とは何か」がやり玉に挙げられている。きわめて普通の工学書で、それ以上でも以下でもない。が、彼はどういうわけか京大総長になった。たぶん理系人間が京大総長になったのが気に入らなかったのだろう。岩波新書か何かに科学論めいたことを書かされて、わざわざ批判の矢面に立って、呉智英に馬鹿にされるとはあわれなことだ。どうも工学者は偉くなると哲学をほいほい語り出すのだが、専門となんの関係もなく実にナイーブだ。岩波新書なんてものに書くから読者も期待して読む。岩波の編集者も偉い人だからとほいほい書かせる。書けば中身に関わらず買うやつは買う。
そして皆が不幸になる。

Linus の Just For Fun(和訳)を読むと、世の中にはやはり文系と理系の厳然とした違いがあるなと思う。フィンランド人でも日本人でも違いはない。背が高い低いとか太ってるとかやせているというのは外見だから、見てすぐにわかる。しかし、文系理系というのは脳の中身のことなので、見ただけではわからん。そんな区別はないものだと言いたがる人もいる。しかし状況証拠から見ればやはり明らかにあるように思われる。

理系文系の違いは、理系は数学や物理に美しさを感じるということ。数学に心地よさを感じる人たちが集まった集団が理系。まあ、そういって間違いない。芸術学部の連中は、なるほど彼らは確かに美しさということに敏感であるし、関心が高いのであるが、数や数式が美しいとは決して考えない。いや、数を美しいと感じないからこそ、それ以外のものを美しいと感じる能力が発達しているのだと思う。数を美しいと感じる人は逆にそれだけで満足できてしまい、それ以外のものをわざわざ追求しないのだろう。

Linus が成功したのはタイミングが良かったからだろう。Linus と同程度の才能と意欲を持つ人間はいくらでもいたが、成功するには何か新しい流れが生まれるその現場に居合わせなくてはならない。Linus のような人材はつまり理系であり、オタクである。そういう人間を芸術学部の中で育てるのは不可能だ。そういう人材が欲しければ募集を工夫するしかない。カリキュラムでどうにかなるレベルを超えている。

康有為その2

康有為って中国で最初に学会とか新聞とか政党作っちゃった人らしいのだが、だからすごく偉い人なんだが、それがまたすべて日清戦争以後だというのがどうしようもなくじれったいし、ついでに孔子教みたいな新興宗教まで始めちゃったのがまた激しくはがゆいし、
さらには変法運動はことごとく失敗して、孫文の革命ですべてご破算になっちゃってるし、その後はほぼ完全に隠遁しちゃって民国時代にひっそり死んじゃってるし、じゃあ孫文は成功したかというと決してそうは言えないし、なんかすべてにはがゆくてじれったいというかむなしいというか。

西安は何やってるんだ。無礼な日本人が居たっつーのはわかるが、デモとかやってる場合じゃないだろうっつうか。ていうか有人宇宙飛行とかやってる場合じゃないだろうっつうか。康有為が新聞社作って発行して有頂天になっているのと同じじゃんか。

康有為に相当する日本人は福沢諭吉か勝海舟かというところか。

康有為

たまたま康有為というマイナーな人の伝記があったので思わず借りてみる。

読んでみたが大して面白くない。改革してみたが、地方の役人や官僚がまったく言うこと聞かなくて、みんな西太后の言うことばかり聞くので、日清戦争の敗戦で始まった変法自強運動も三ヶ月で頓挫してしまった、というのがあらすじ。

なんていうか西太后は国を滅ぼした悪女のように言われるが、西太后がもし康有為のような改革をやろうとしても、同じように失敗したんじゃないか。官僚と役人と民衆が言うこと聞かなきゃ改革なんてやっても無駄だ。無駄だとわかってたから彼らの好きにさせただけなのかもしれん。光緒帝も別に無力でも無能でもなく。

西太后というのは東条英機みたいなもんかな。彼も別に無能でも悪人でもなかっただろう。

大清帝国はだからだめなんだと言ってみるのは簡単だが、現在の日本も似たようなもんだ。改革しようとしても官僚や民衆が言うこときかない。その点小泉君はよくやっとる。
彼の改革は遅いと民衆はいうようだが、私からみればずいぶん速い。ていうか改革はゆっくり遅いくらいでちょうどいい。役に立てばいいんで、即効性なんて必要ない。少子化というか、少人口化は私はむしろもっと進行した方がよいと思う。日本人は日本に五千万人もすんでりゃ十分だろ。要らなくなった田舎は自然に還せばいい。生活はずっと快適になるだろう。でも年金は困る。だから税金を注入すればいい。財源は間接税でいいじゃんか。福祉は別に考えればよく、消費税と絡ませる必要はなんもなし。結果的に北欧のような高福祉の国になるんだろうけど、それで別に何の問題もなし。

なんでそういう簡単なことがすっとできないのかなぁ。康有為も王安石くらい暴れてくれりゃ、或いは金玉均みたいに暗殺されたりすれば、もっと伝記も面白いのかもしれんが、
地味なんだだよねぇ。まあ別に歴史に残らんでも一個人としては、それなりに普通に暮らせればいいんで、その点では康有為は王安石や金玉均よりもお利口さんだったのかもしれんし。

百歳以上生きた宋美齢は日本人は口べただと言ったらしい。また、日本人は短気ですぐ切れる人種だと思われている。つまり日本人というのは無口で短気なわけで、中国人は相対的に饒舌でねばり強いというわけだ。まあ中国人から見れば周囲の蛮族はみんなそんなもんだと思うが。無口で短気で癇癪持ちだから明治維新では一時的にうまく行ったように見えて、その後ひどく失敗した。失敗したんで懲りたかというとそうではなくて、戦後日本なんて戦争中と大して精神構造は変わってない。プロジェクトXで黒四ダムがどうしたとか言ってるようだが、多くの人死にを出すほどの緊急性があったのか。技術的な成熟を待ってやれば一人も死なずに工事できたんじゃないのか。巨人の星のようなスポ根モノが大嫌いだ。そういう、気分や勢いで戦争されても困るし、そのままの勢いで戦後復興とかされても困るんだよね。

踊る大捜査線

踊る大捜査線、テーマは「警察から政治を排除して、命懸けで仕事している現場の人間に納得いく仕事ができるようにしよう」であっているでしょうか。危険思想なんだよな。危険思想に満ちあふれているよ。戦前の青年将校だって同じことを言うだろう。

警察は政治そのものなんだよ。世論が「たとえ警官が撃たれても警官は撃ってはいけない」と言うなら、たとえ現場の人間がそうではないと思っても、またドラマを見ている人間がそれに同意したとしても、主権者である国民の意思に背いてはいけないだろう。

同僚が撃たれたから普段よりも真剣に捜査するというのであれば、民間人が撃たれたときは相対的に不真面目に仕事していることになるだろう。現場の人間の心理によって仕事の質が変動するのは事実であろうが、それを肯定するのはどうであろうか。

「現場の警官にもっと権限を持たせて、現場の判断で拳銃を撃てるようにする」ということが正しいかどうか判断するのは主権者である国民だし、それこそまさに政治なのだが。

National Geographic はお説教臭いのと、アメリカ中心主義なのが鬱陶しいが、そこに目をつぶればまあまあだ。同じ番組を何度も流すのも、復習できてむしろよろしい。

9.11にしろ煎じ詰めればアメリカの国内問題なのに、「世界が変わった」みたいな言い方されると不愉快なんだよね。

CNNj はなんかもう。あの同時通訳みたいのが鬱陶しいだけ。BBC も bloomberg も似たりよったり。

ディスカバリーチャンネルも、アニマルプラネットもいまいちおもしろくない。この程度のドキュメンタリーなら、地上波垂れ流しでもまま見られるし。

地上波のドキュメンタリーも悪くないんだが、National Geographic スタイルにして1チャンネルまるごとドキュメンタリーみたいにすると、クオリティもさらに良くなるのでは。オンラインのビデオレンタルみたいになるのが理想型かな。

デンマーク

デンマークという国があります、人口約500万人。400人イラクに派兵していた。で、もう一ヶ月ほど前のことだけど、デンマーク人一人とイラク人二人が戦闘で死亡したわけです。マスコミ的にはあまり話題にならなかったけど、私は非常に興味深かった。アメリカやイギリスのような帝国主義国の人間が戦争で死ぬのはあたりまえだけど、デンマークですよ、むしろ歴史的には弱者。立場変わってもし日本が自衛隊を派遣して人死にが出たらどうなることか。日本人が死なないまでもイラク人を殺したらどうなるのか。非常に興味深い。海上保安庁が領海侵犯した不審船を沈没させて北朝鮮工作員らしき人たちを「殺した」ときもあれだけ騒いだのだから(ていうか勝手に自爆自沈したのだが)。

日本とアメリカは軍事同盟の関係にあって、アメリカが好きか嫌いかとか戦争が好きか嫌いかイラク戦争に賛成か反対かというのはともかくとして、同盟してるんなら兵隊は出さなくちゃならん。もし春秋戦国時代に同盟関係を結んでいるのに兵隊を出さんではすまされん。腹に一モツあると思われて攻撃されてもしかたない。同盟関係というのはそもそもそういうもの。春秋戦国時代も現代も国際関係という意味では大きな違いはない。だからデンマークのような小国でも兵隊を派遣している。

いっそのこと日本人がイラクで死ぬかイラク人を殺すか、そこまでしなければ日本人の平和ボケは直るまい。いったん現実を突きつけられれば、北朝鮮問題のように、(ある程度)現実に即した判断ができるようになる。北朝鮮や共産中国を理想の国のように礼賛してた連中がいたのだから。しかし戦争に関してはまだその呪縛から逃れられていない。

警官だって消防士だって殉職はある。自衛官が一人も死なない方がほんとうは異常なのだ、といえる。自衛隊派遣は殉職の可能性を含めてした方がよいと思う。ということを誰も正々堂々と言わない。まったく異常だ。

イラク戦争に関しては私が書いた通りに推移しているといえる。ていうかアメリカと戦争するならベトナム戦争を参考にするだろうし、総力戦は避けてゲリラ戦に持ち込もうと思うだろうし、となると正面から戦って犬死にするよりは、地下に潜ってアメリカ本国に厭戦気分が高まるまで辛抱強く抵抗を続けるだろう。

ベトナム人にとってかつてそうであったように、イラク人にとっても、またパレスチナ人にとっても、最大の味方はアメリカ本国の平和主義者たちなのだ。

ベトナム戦争ではベトナム人が200万人死に、アメリカ人は3万人死んだそうだ。それだけの覚悟があればアメリカには勝てるのである。日本やドイツのように国際法にのっとって総力戦を仕掛けては負けるだろうが、国際世論を背景に自らの国土を戦場としたレジスタンスを続ければ勝てる。アメリカ人を1万人殺せば間違いなくアラブ人はアメリカ人に勝てる。いや、アメリカが自分で勝手に負ける。問題は中東戦争であれほどあっけなく弱かったアラブ人にそれだけの覚悟があるのかどうかということだったのだ。

ロシア原潜沈没事故、生存者の望みなしとかいう記事を読むと、ああこれはたまたま原潜が原子炉積んだまま沈んだから記事になってるが、この程度のへまはあの国では日常茶飯事なんだろうなあ、人死にが出てもいちいち報道されないくらい頻繁に起きているんだろうなと思うのだった。

日露戦争物語

江川達也が「BE FREE」「ラストマン」「東京大学物語」と来て、今は「日露戦争物語」。
教育モノが好きなんだね。で、今は日清戦争にさしかかったところ。

江川達也が「王道の狗」を読んで影響を受けていたかどうかは微妙。金玉均の描き方がまるで違うところをみれば、おそらくは読んでないか。では「坂の上の雲」を読んでいるかといえば、もちろんそうだろう。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を原作とした映画やらを禁じているそうだが、原作というほど似てはいない。しかし秋山真之が主人公なところはそっくりだがなー。

「坂の上の雲」では金玉均についての描写はあまりなかったような気がする。一応全部通して読んだはずだが。

江川達也「日露戦争物語」司馬遼太郎「坂の上の雲」安彦良和「王道の狗」を読み比べるというのはなかなかおもしろいんだが。「坂の上の雲」は超ベストセラーで、「日露戦争物語」もそこそこメジャーだと思うが、ミスターマガジンに連載された「王道の狗」を読んでる人というのはきわめてまれだろう。安彦良和は最初ガンダムのキャラクターデザイナーとして現れ、それからアリオンという空想的というか浪漫的なギリシャ神話ネタの漫画を書いた。はっきり言ってアリオンは大した漫画ではない。ところがギリシャ神話を取材にギリシャに行って、それからトルコでクルド人というのを知って、「クルドの星」という漫画を書いたのだが、これがなかなかの傑作。またトルコで日本近代史というものに開眼したのだと思われる。日本神話にも関心を持ち神武天皇とか大国主の命の話も書いているが、こちらはどうにもこうにも。さらに幕末から日清戦争までを書いた「王道の狗」は傑作だと思うが、ノモンハン事件あたりを書いた「虹色のトロツキー」はかなり異常で難解。割と好きなのは「三河物語」で、大久保彦左衛門と一心太助が大阪の陣に徳川方で参戦するという話。これはメディア芸術祭か何かで賞をもらってたようだが、知名度はほとんどないんじゃないか。

「王道の狗」は前振りをざっくり省略すれば、自由民権運動で投獄され脱獄した主人公が金玉均の用心棒となり、その遺志をついで日清戦争後も朝鮮でゲリラ活動を繰り広げるというもの。「日露戦争物語」みたいに読んでわかった明治時代、みたいな書き方にはなっていない。

なんかとりとめのない話になってしまったな。

で、金玉均もそうだが陸奥宗光がまた。PHP文庫に岡崎久彦「陸奥宗光」というのがあり、また新潮文庫に角田房子「閔妃暗殺」というのがあるのだが、読んでも読んでもようわからんのだが、その中でも江川達也の描写というのはなかなか的確でわかりやすいなあと思った。彼はそうとうに努力していると思う。

ただ、江川達也の書き方だと、陸奥宗光も金玉均も、日本と清が一戦交えることで、清、朝鮮でそれぞれ日本の明治維新のような改革が進んで、日本、清、朝鮮の三国によって西洋による東洋の侵略をくい止めることができる、と考えていたことになる。それでいいんだろうか。

農業

農村や田園というものは、人間と自然が共生しているような印象を与えるのだが、実際には農業ほど自然を破壊するものはないというのが歴史的事実である。山に囲まれ高温多湿な日本の農村を考えていてはわからんことだが、地球上の非常に広い範囲で農業とそれに伴う人口爆発によって、森林が半砂漠に変わっていった。中国北部、北アメリカ、中東、北アフリカなど。

工業はやり方さえうまくやれば農業ほどには自然を破壊しない。公害さえ発生させなければ工場が地表に占める面積などごく局所的なものだ。漁業や捕鯨、その他野生動物の狩猟や野生植物の採集というものは縄文時代からあるものであり、乱獲さえしなければ、もっとも自然に対するインパクトが少ない。牧畜もそれに準じる。もっとも自然界に与える影響が大きいのはアメリカ式の畜産である。農作物を人間がそのまま食べるのでなく、家畜に食べさせてその家畜を食べるのであるから、通常の農業よりもさらに悪質である。しかしアメリカ人がやっていることはメソポタミアのシュメール人もやっていたことである。
人類いや農業の業の深さというか。

菜食主義は単に殺した動物の肉を食わないというだけであり、森林を畑に変えるという行為を通じて間接的に野生動物を殺しているのである。もし自然界を保護することを最優先にするのであれば、畑を森林に戻して、野生動物や野生植物を計画的に間引くのが良い。つまり現代の最先端の科学を応用して、縄文時代の狩猟採集方式に回帰すればよいのだ。

このように考えれば、捕鯨をやめて鯨を養殖しようという考え方がいかに愚かであるかわかるだろう。

雍正帝

宮崎市定の「雍正帝」という本を読むと、

康煕帝はどこまで漢文化に対する理解があったかは別として、しきりに文化事業を起こして大きな書物を編纂させた。その十中八九は徐乾学が編纂の総裁官であったというが、そのたびごとに弟子を編纂官に任用し、事業が終わると部下は恩賞を受けて大官に抜擢され、或いは試験官となって地方に赴く。芋蔓式に目に見えない広範な組織が出来上がるわけである。

とある。康煕時代の文化事業といえばまず康煕字典だが、そもそもなんのために康煕字典というものが作られたかということなど考えたこともなかった。康煕帝は文武両道に秀でた名君だとみんなが漠然と考えるところだが(陳舜臣もそう考えたらしい)、満州から移り住んで間もない康煕帝が自分の意志で漢和辞典なぞ作ったはずはなかった。学者連中が自分の学閥を肥え太らせるために、喧嘩は強いが無教養な天子様からお金をせびったのである。