ブログ回帰

SNSの下品さが加速している。

SNSが俗悪下品なのは、もちろんSNSを運用している会社が俗悪下品だからだが、SNSを利用しているユーザーが俗悪下品だからでもある。テレビ番組が俗悪下品なのと同じ理由だ。テレビを見ている視聴者が俗悪下品だからテレビ番組は究極まで俗悪下品になっていく。

犬がうるさいのも飼い主が下品だからだ。タバコが臭いのも喫煙者が下品だからだ。世の中全体が下品なのはもうどうしようもない。昔はそうした下品さが気にならなかったが、年を取るとどうしても好き嫌いが激しくなる。世の中には年を取ればとるほどに何事にも寛容になる人もいるらしいが、私はそんな境地にはなれそうもない。

要するに世間の問題というよりは個人的なメンタルの問題なのだが、この問題は表裏一体なのでどうしようもない。我慢するか逃げるしかない。

テレビはできるだけ見ないようにしている。それでも現実の世界に生きていると視界の片隅にしばしば入ってくるのだが、もうそれは仕方ない。

SNSは全部やめると言ってしまえば潔いのだがそれもなかなかできない。とりあえずTwitterは酔った勢いで和歌を詠むときには使おうと思う。あと適当にメモるときとか。

1994年からブログとメイルはあった。この二つは比較的まともだ。その後出てきた有象無象のSNSというのがダメだ。

オンラインチャットというものはけっこう昔からあったが、好きじゃないので使っていなかった。LINEとかSMSとかmessengerのたぐいは使いたくない。しかしそれしか使わない人もいるのでごくたまに使うことになる(ただしLINEは絶対使わない)。

facebookはリールがキモすぎる。facebookのコンセプト自体は間違ってないと思うが、facebookを使うユーザーがアホすぎてああいうリールがバンバン流れてくる。インスタグラムもそうだ。エロはダメだがぎりぎりエロじゃない動画はありとかいうyoutube、tiktok文化。アホか。アホは死んでほしいが、世の中はもともとアホなので、世の中はどんどんアホが加速する仕組みになっていくので、逃げるしかない。SNSがキモいのは人間がキモいからなので、これはもうどうしようもない。SNSは人間のキモさを果てしなく増幅する方向で進化していく。これはもう不可避な現象。

ついでに言っておくとPayPayキモい。絶対使わない。

書きたいことはブログに書けば良い。連絡はメイルでやりとりすればよい。ブログとメイル。この二つの手段で仕事も趣味も片付ければ平和だ。SNSよさらば。

google検索

最近のgoogleはちょっと特殊な検索をかけるとすぐに

No results containing all your search terms were found.
Your search – ほげほげ – did not match any documents.

などとそっけない返事をするようになったような気がする。昔は当たってるか外れているかはともかくとして、なんらかの検索結果を出していたが、今は何かの閾値に達していないものは一切表示すらしない。僕らはその断片的で不正確な検索結果から何か有用なヒントをつかんだりしていたのだが、いまやなんの手がかりももらえない。不正確な検索結果を出してしまうと何かgoogleにとって不利益にでもなるのか。法的な問題でもあるのだろうか。信頼性が低いサイトの結果は表示しないポリシーになったのだろうか。ともかくすごく不親切になった気がする。

今はgoogleに課金した企業の検索結果が上位に出る。インデックス登録はされていても、それらの企業の検索結果だけが表示されて、閾値未満のページは表示すらされない。

おじさんはなぜぶつかってくるのか

普通の電車の普通の座席に詰めて座っていると腰が痛くなってくる。他人と体が接触していると無意識のうちに気を使い体に力が入るので、それが腰に来るのだ。だいたい15分以上そうした状態が続くと後でずっと腰痛が残って、電車で座れる以上に疲弊するので、途中で立つようにしている。

おじさんはなぜぶつかってくるのか、という話があるが、今日ぶつかってるおじさんを目撃した。おじさんは怒っているのだ。ぼーっと歩いている人に対して、君は間違って歩いているよ、よく周りをみて歩こうね、そこは君が歩くところじゃないよ、スマホ見ながら歩くなよ、横に広がって歩くと邪魔だよと、ぶつかることで警告しているのだ。ああいうふうに体を張って赤の他人を教育しようとしている人をみると私なんかは畏敬の念すら覚える。ああいう人がもっと増えれば世の中はもっと良くなるのではないか。私はやらないけど。

中には若い女性にぶつかりたいだけの変態おじさんもいるのかもしれない。だがどちらかといえばそういう「犯罪的」「反社会的」な「ぶつかりおじさん」は少数派であり、多くのおじさんはこのごみごみした都会に義憤を感じ義挙しているのだと思う。多くの場合、自分のだらしなさを隠すために、そういう「犯罪的ぶつかりおじさん」が時々槍玉にあがって、「ぶつかられ女子」たちの自己正当化に使われているのではないかと推測する。「なぜ私はいつも人にぶつかられるのかしら」と思っている人の多くは、なぜ自分がぶつかられるか、ふだん人混みの中で(いや、空いてる道でもそうだが)どんなに軽率な歩き方をしているか自己認識できてないだけだと思う。普段そういうぞんざいな歩き方をしている人が電動アシスト自転車なんか乗った日には今度は加害者に回ってしまうのだ。非常に恐ろしい。

普通、人は、町なかを歩くとき、自分の動線に入ってくる人を予測しながら歩いていると思う。自分と他人のどちらの動線が優先かを判断し、こちらの動線のほうが明らかに優先であれば進み、向こうが優先、もしくは、こちらが優先ではあるけれども状況的に向こうに譲ったほうが無難だなというときにはこちらが避ける。人が多く通る重要な通路の上で溜まってる人たちがいたり、逆行してくる人がいたりすると邪魔だなと思いつつも迂回する。そういう「普通でない人」が雑踏の中に1%もいればすごく目立つし、見てていらいらする。「普通の人」はそういう「普通でない人」たちにいちいちメンタルをやられないように無視しながら日常を生きている。中には自分と同じかそれ以上に動線を気にしながらしかしせかせか歩いている人に遭遇することがあり、そんなときにはどっちに回避して良いかわからずとまどうこともある(まあそれはしかし仕方ない)。

はてな匿名あたりでもよく話されていることではある。

悪いのはいつまでも工事している小田急だ。小田急という会社の性格の悪さがいろんなところに出ている。ほとんどの人はそういうところを見逃しているかまったく気にしていない。だからいつまでたっても改善されることはない。なぜさっさと首都機能移転しないのだろうか。東京は世界で一番人がたくさん住んでるとか、新宿は世界一の駅だとか、インバウンド万歳とか、何をいい気になってるんだ。馬鹿じゃなかろうか。さっさと分散させろ。

野球とかサッカーとか競馬とか、人のしのぎにいいように踊らされて、なんて人って馬鹿なのかと思う。

まったく学習しないfacebook

なんであんな下品なショート動画をいつまでもいつまでも推してくるんだろう。ずっと非表示ボタンを押してるんだが一向に減らない。facebookは最高に最悪に頭悪い。何がパーソナライズだ。君はいったい私のことをどのくらい知ってるというのかね?

そもそもショート動画自体が頭悪すぎて好きじゃない。世の中はますますおかしな方向へ向かっている。要するにゲスの趣味嗜好を基準にシステムが構築されているのだ。recommendation system も頭悪かったが、今の AIの頭の悪さはますます加速している。カスタマイズすることもできず一方的に送りつけられてくる。これからさらにこのアホシステムが世の中を支配するのかと思うと吐き気がする。SNSが人を不幸にする。

ネトウヨ政党

私自身は決してネトウヨ政党ができても支持することはないが、ネトウヨはある程度いても仕方ないと思っている。今の日本には左翼が多すぎて、特に全共闘世代の年寄り連中がまだ闊達に活動している現状では、対抗勢力として多少のネトウヨがいないと釣り合わない。自民党は政権与党の地位を維持するのが最優先で、あまり過激なことは言えないので、自民党以外の右翼政権というものはどうしても必要になる。

ネトウヨはアサハカだというが左翼だってアサハカなんだから別に問題ない。アサハカな人たちが支持するアサハカな政治家がある一定数いるのは民主主義では当たり前だろう。そうとはいえ、県知事を直接選挙で選ぶのはもうそろそろやめても良いのではないか。余りにもおかしな知事が多すぎだろう。まず市町村長を直接選挙で決めて、市町村長が知事を選出するとかにしてはどうか。

万年筆

万年筆は持ち歩くべきではない。他の筆記具よりも壊れやすいし、ポケットの中で液漏れして服を汚すかもしれない。もっぱら仕事場の中だけで使うのが良い。まして人にみせびらかすのはよくない。

万年筆は手間がかかる。しかしそれが良い。インクを詰め替えるときに手が汚れるのも、たまには良い。そうしてインクと戯れていると気が晴れる。筆で字を書くとき墨で手が汚れるのも心地よい。

webのアクセスが一時的に増えたのだがまた減ってしまった。誰かがクロールしに来ただけのことだったのかもしれない。

googleにインデックス登録をリクエストするとその場では登録されるのだがしばらく経つとまた登録を外されたりするようだ。その理由がサイトマップが見当たらないとかそんなことらしいんだが、サイトマップにはすでに載せている。googleのやることはほんとよくわからん。

web日記30年

twitterにリンクを張ったのでPVが増えたかと思ったがまったくそうではなかった。google search console でちまちまURL検査してインデックス登録リクエストしたおかげで検索が増えている。過去記事を読まれるのはちと恥ずかしくもある。昔の記事には稚拙なものも多い。中には30年前に書いたものなどあって、物の見方が変わってしまうのは仕方ないではないか。

私はかなり早くからウェブに日記を公開していた者の一人だと思う。1994年にwebサーバーを立ち上げて、メモ書きのようなものを残し始めた。あまりにも幼稚なものは今は非公開にしてあるが、当時のものを読めばその雰囲気はわかると思う。1996年になると日記猿人などが出てきて私もせっせとweb日記などを書いたものだ。あの頃書いた記事はサルベージしてないだけでまだけっこうあるはずなんだよね(個人情報的に出せないとかで)。中台危機ダイジェストなどは、これは当時30才の私が書いたものだが、けっこう熱心に書いている。今の人たちはこういう過去のケーススタディなどろくにしないで、twitterあたりでやれ中国は台湾に侵攻するなどと騒いでいる。日本は良く奇襲戦法を採る。保元の乱以来ずっとそうだ。中国という国は奇襲はあまりやらない。歴史的にやった人がいるだろうか。項羽とか韓信くらいか。少しずつ挑発して様子を見ながら攻めてくる。中越戦争もそうだったと思う。そうしているうちにアメリカ人はすぐ頭に血が上ってマスコミが煽るから、議会は台湾に同情してきて空母を送り込んでくる。そうすると中国はひよって諦める。逆に下手に出て何もしないと調子に乗ってどんどん攻めてくる。南沙諸島や尖閣諸島なんかがそれだ。

しかし1994年から書き始めたとして今年は2024年だから30年が経ったわけだ。すごいね。年を取るはずだわ。ここにはそれ以前の日記も遡って多少は載せている。

道元 永平広録 巻十 偈頌。私の祖父が58才のときに書いた書。今の私とちょうど同じ年齢だなあ。

しかし、Eizoのモニターを使ってるのに中間調が全然出てないな。今年度買ったmouse computer のノートPCのディスプレイの方が発色が良い。世の中が進化しているのか。経年劣化によるものか。

氏姓

氏(うぢ)は朝鮮語(ul)、モンゴル語(uru-g)、ツングース語(ur)、トルコ語(uru)などと共通で、血縁、同族という意味で、地名や職業を一族の名としたもので、おそらく古代には女系の家系を言っていたのではないか。

これに対して姓(かばね)は屍、つまり死骸を意味する大和言葉であり、天皇から下賜される政治的な名であった。明らかに氏のほうが姓よりも古い。

族(やから)は家(や)+血縁(から)の意味で、(たね)とも訓む。

漢語の氏はおそらくもとは丘という意味(岐阜の阜に同じ)であって、丘の上に村が形成されたため氏族の意味になったのだろう。族は旗と矢からなり、明らかに軍事集団のことを言うようだ。姓は最も古くて、漢民族がかつて女系社会だった頃からある宗族のこと。

漢族の社会が女系から男系に変わった時期はよくわからないが、古い姓以外に、多くの氏や族ができてきて、それらは農耕共同体であり、軍事集団でもあったから、指導者を男から男へ継承する必要が生まれた。その継承ルールから姓以外に雑多な氏族が生まれ、姓もその中に飲み込まれて、すべての氏姓、宗族が男系に転じたが、女系の頃にあったイクソガミー(外婚)制度はそのまま男系にも引き継がれたのだろう。

一神教はサイコパス

必ずしもヒマではないが仕事に煮詰まったときなど、メンテナンスがてら自分の古いブログを読み返したりし、過去記事を整理しているとさらにまた書いておきたいことがでてきたりする。昔は今よりずっと知識が少なく感覚的にものを書いていて、書いている内容もたわいなく、ときどき全然自分ではない別人が書いている文章を読んでいるような気分になる。殻の中にまだ身がつまってないザリガニが、だんだん詰まっていく過程を観察するのは我ながら興味深い。

嵐が丘嵐が丘2ジェーン・エアなどに、初めて私が嵐が丘を読んだときの感想が残っており、これまた興味深い。最初に読んだ時の印象というのはまさに一期一会なんだよなあ。女性がなぜあんな陰惨な話を好むのか、いまだに理解できない。むしろ一般女性は拒絶反応を示すが、サイコパス小説として史上最高の傑作、とか評価されているのであればまだわかる。たぶん原作というより演劇とか映画の影響が大きいのだろう。イケメン男性と美人ヒロインの悲恋。映像ではしばしば美化して描かれる。

サイコパスという言葉は便利な言葉であまり安易に使うまいと思うが最近つい使ってしまう。

一神教の起源という話は2000年つまり私が35才の時書いたものだ。この頃までの私の認識ではフロイトというのはインチキスピリチュアル占い師、というような、世間一般にありがちなものであった。

2004年にはモーセと一神教という本を読み始めて、コンプレックスがどうのとか夢占いがどうのということはおいといて、ユダヤ教の起源についてはものすごくわかりやすく面白いことを書いている。彼はユダヤ人だが無神論者だ。

その後もヤハウェと火山アドンとエデンアジアとエジプトモーセとレビ族近親婚などという記事を書いている。

エジプトは古来多神教の国だ。そこへシリア・メソポタミア地方からヒクソスが侵攻して第15王朝をナイル下流域に建てた。シリアの宗教、バアル神などがエジプトに流入して混淆した。エジプト古来の宗教が外乱によって大きく変質した。ナイル上流域にはヒクソスの支配を逃れた第16王朝があり、その次の第17王朝がヒクソスを追い払って、第17王朝を継ぐ第18王朝が新王国時代を作った。しかしながらエジプトは完全に古い宗教に戻ることはなく、さまざまな宗教が混在した状態になった。

この第18王朝時代にアメンホテプ4世(アクエンアテン、イクナートン)がいきなり一神教、アトン信仰を創始したというのは、ムガル帝国のアクバルが宗教の融和を行ったことを思わせるし、さらに遡ってマウリヤ朝のアショカ大王が当時の新興宗教であった仏教を保護したことにも似ているように思える。

思うに、ヒクソスとともにエジプトに入ってきた東方の宗教は、おおざっぱにエデンとか、アドンとか、アトンなどと呼ばれていたと思う。エデンが世界の東にあるというのはエジプト人から見てエデンという宗教が東から来たことによるのではないか。日本や中国からからみて仏教の極楽を西方浄土と言うように。

しかしながら東方の宗教はエジプト人にとって所詮異民族の宗教に過ぎず、イクナートンの宗教改革は失敗した。このときにアトン信者たちがエジプトから追放された事件が脱エジプトであった。

イスラエルの13氏族のうち12氏族はもともとイスラエルからエジプトに来た人々で、モーセを含むレビ族だけは(イスラエルにもともと土地を持たない)エジプトの土着民だったのではないか。エジプトに移り住んだイスラエル人と、カナーンに残ったイスラエル人(あるいは沿岸地方から入植してきたフェニキア人(ペリシテ人))の間で、土地相続問題で争いになった。というようなことが旧約聖書には書かれているのではないか。

ヘブライ語でアドナイ、ギリシャ語ではアドニスというがもともとはフェニキア語のアドン。ヘブライ語はフェニキア語の一種であり、もともとイスラエル人とフェニキア人にはほとんど区別がなかったのではないか。というより、現代まで生き残ったフェニキア人の一氏族がユダヤ人なのではないか。

それはそうとでは一神教は東から来た宗教だったのかというと、それは結局良くわからない。シリアやメソポタミアにも当時一神教などというものはなかったはずで、フェニキア人にも一神教などというものはなかったし、ましてエジプトには一神教などあるはずもない。フェニキア人はもともとアドンも信仰していたし、バアルも信仰していた。カナーンに残留したフェニキア人はバアルを主神としていたが、エジプトから逃げてきたイスラエル人はアドンを信仰していた。しかもこのアドン信仰は、古いフェニキアのアドン信仰ではなく、エジプトという宗教のかまどのなかで窯変した新興宗教だった。それは、エジプト古来の神々を退けてアドンだけを信仰するという排他的な性格のものだったに違いない。そしてそれを核にして、イスラエル人によるカナーン再入植の過程で一神教が生まれたのだろう。

いったん生まれてしまうと、この一神教というものが非常に中毒性の高い、自己主張がはげしいサイコパス的なもので、特に西アジアにおいては適性が高く、世界宗教に発展し、今も信者を増やしつつある。しかしながら宗教を擁護する人たちは無神論者をサイコパス扱いしがちなのだが。

バーコード読み取り

マルエツを褒めます。

マルエツは自動精算機を採り入れるのが比較的遅れたせいかもしれないが、バーコードの読み取りが優れている。斜めっていても、パッケージに多少しわがよってても、きちんと読み取る。

ところが某巨大モールを全国に建ててる某スーパーではバーコード読み取りが悪い。

そのうえ、パスモの読み取り感度も悪い。

自動精算機なんだけど、スーパーによっては、レジ袋に入れたかどうか頻繁に判断間違うところもある。なんかいちいちセンサーで重さとかなんかをチェックしてるらしいんだが、ストレス溜まるよな。

その点、マルエツのやり方はよく出来ている。客側にストレスがたまらない。レジの側で処理することは最低限にしておき、自動レジ係の店員がよく目配りしてうまく裁くようにできているのだと思う。

ともかくこういう自動化はどんどん進めてもらって、できるだけすみやかに、あほな店員、あほな接客、あと財布から小銭を出すのに手間取る客なんかにメンタルをやられない社会にしてほしい。