雑な議論

世の中にはいろいろと雑な議論が多い。

私は民主主義というものに今のところ疑念を抱いているわけではないが、行政府の首長を直接選挙で選ぶのはおかしいと思っている。なぜおかしいかと言えば売名行為の泡沫候補がわらわらとわいてくるからではない。名指ししていえば小池百合子のような人が当選してしまうのが良くない。小池百合子には別に行政能力もなければ判断力もない。コロナ対策にしろ豊洲移転にしろ、ただ世の中の風評に流されているにすぎない。この人が選ばれるのは単なる知名度、人気投票の結果にすぎない。或いは何かの票田、もしくは後援者の力で選ばれているのであって、人を魅了する能力とか、金を集めたり動かしたりする能力が評価されたのでもない。

高須幹弥氏が内野愛里氏を評価していたのは面白かった。NHK党が供託金を払ってくれてそれに乗っかって内野愛里氏が立候補したのか、或いは自分で払ったのかは知らないが、内野氏は完全に計算づくで立候補しているし、政見放送も完璧に計算して演出されているし、自分がもつキャラクターを100%活用しているし、すべてを自分ひとりで考えてああいう行動をとったとすれば恐ろしく頭の良い人だなと私は思った。そりゃそうで、300万円も元手がかかっているんだから、入念にシナリオを書き、予行練習してあのビデオを撮ったのだろう。

こういうまったく無名の面白い人が世の中に出てくる機会を与えるという意味で東京都知事選もまんざら捨てたものではないと思える。しかし、都知事選は都知事を選ぶという本来の目的には何も機能していない、むしろ逆に、まともな首長が選ばれることを完全に阻害しているといわざるを得ない。

内野愛里の政見放送は今の首長選挙がただの人気投票になっていることを、意図してかどうかはともかく、如実にさらけ出しているという点でも良くできている。いやそもそも、人気投票であればまだ民意を反映しているといえるが、小池百合子が選ばれるということ自体、民意とはかけ離れた、ある種の組織票というか、ある種の集団催眠というか、大衆の無意識を扇動する何かが働いているとしか思えない。

安土桃山時代の日本が黒人奴隷を流行らせたという話は、確かにけしからん話ではある。これはアサクリだけの話ではなくディズニーがポリコレでやたらと黒人を映画に出すことへの反発、恐怖が根っこにある。海外でポリコレと歴史改変で日本が誤解される。確かに恐ろしい。日本人はこの話が好きらしい。好きというか頭に血がのぼるらしい。しかし歴史捏造ということならほかにもっと腹をたてなくてはならないことがたくさんある。

まず、奴隷というものは、かつて世界中にあった。異民族どうし戦争して捕虜になれば奴隷になった。イスラム教徒とキリスト教徒はしょっちゅう戦争していたから、イスラム圏にはキリスト教徒の奴隷が、キリスト教圏にはイスラム教徒の奴隷がいた。アラブ人はアフリカ人も奴隷にした。いわゆる奴隷貿易。イエズス会に限った話ではない。明白な歴史があるのに、黒人奴隷の責任をすべて日本にかぶせるなんてことができようはずがない。日本には日本で、やはり奴隷はいた。少なくとも人身売買は行われていた。夏目漱石の『坑夫』に周旋屋というのが出てきてみなしごの浮浪児を集めて鉱山に連れていくのだが、ああいう境遇の貧民はいくらでもいたに違いないし、周旋屋がいなきゃ乞食になるしかなかっただろう。

イスラムに奴隷王朝というのがあるが要するにイスラムではキリスト教徒の奴隷をイスラム教に改宗させてマムルークという軍団を作り、その軍団が独立して王朝を建てたというものだ。古代ペルシャでも僭主が奴隷を自分の後継者にしたという話がある。イブン・バトゥータも奴隷女を愛人にして世界旅行した。モーツァルトに後宮からの誘拐(Die Entführung aus dem Serail)というオペラがあるがこれもオスマン朝のハーレムを題材にしたもの。ベルモンテの婚約者コンスタンツェは海賊に囚われてスルタンに売られハーレムに閉じ込められたので救出するという話。

少し考えればそんなことにいちいち腹を立ててもしょうがない、もっとひどい話はほかにいくらでもあるのだけど、ほかにいろいろあるってことを知らず、たまたまネットで話題になったから腹を立てている。時間の無駄、人生の無駄としかいいようがない。

ChatGPTは嘘つきだ。役には立たない。

コロナのバカ騒ぎもそうで、いまだに「新型コロナ」などと言っているが、コロナウィルスは半年くらいの期間でどんどん変異していくのだから、コロナが新型なのはいつものことだし、もし2019年のCOVID-19をいまだに新型コロナと呼んでいるのだとするとおそろしい馬鹿ということになる。天然痘のように一度ワクチンを接種すれば一生かからないとか、風疹のように一生に一度もしくは二度くらい接種すれば有効なワクチンならばうてばよかろう。インフルエンザのように1度打てばだいたい数年は効果が期待できるというなら、打ちたいやつはうてばよかろう。しかしコロナは半年に一回ワクチンをうたねばならず、ワクチンの開発には半年以上かかるのだから、ワクチンはウィルスの変異にまったく間に合わない。だからコロナのワクチンを打つこと自体無意味だ。なのに今までインフルエンザのワクチンですらうってなかった人が頻繁にPCR検査を受けたり年に何度もワクチンをうったりするのはほんとみてて異様だ。本人もなぜ自分がそこまでコロナを恐れているのか自分で理解してないのではないか。

またマスクをしたとしてもコロナにかかるってことはもうほぼ確実なので、マスクをすることも無意味だ。というようなことは最初からわかっていたし2021年くらいにはあれこれやりつくして結論は出ていたにもかかわらず2023年までひきずった。そして2024年の今も大騒ぎしている。まったく人間は度し難い。

以前に選挙の効用というものを書いたのだが、あの石丸という人に働いていた重力場というものはどういうものだったのだろう。たぶんあれは、「二位ではダメなんですか」の蓮舫を二位にしたくない人たちが仕組んだ組織票だったのだろう。一位はほぼ小池て決まってたから、本気で小池を落とそうとした人がいるわけないと思う。蓮舫も二位を取りにいこうとしただけだと思う。あわよくばほんとうに都知事になれるかもしれないという欲はあったかもしれないが、とにかく二位を取ろうとした。石丸を担いだ連中の中身は自民党系であったり維新系であったりしたのだろう。若者の民意が石丸に集まったように見えるのは錯覚にすぎないのではないか。年寄りは蓮舫か小池に入れたがり、若者はそういう傾向が少なく分散した結果、若者が石丸を選んだように見えただけではないか。石丸という人は単に、小池に票を集めたくない、蓮舫に票を集めたくないと思った人たちが使った捨て石にすぎない。彼が何かのはずみで選ばれていたら大変なことになっていた。彼が有能な人だとはとても思えない。いずれにしても、内野愛里が売名行為のために立候補したなどということはどうでも良いことで、小池、石丸、蓮舫が上位三位を占めたということのほうがよほど大問題だ。そもそも売名行為でない選挙などあるはずがない。民意というものは結局選挙以外で知ることはできないのだが、その民意というものがそもそも虚無であって、もともと実体の無いものに選挙によってありもしないものがあるように錯覚させられているだけかもしれない。

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