近頃の twitter はほんとうにもう見るのも嫌だ。特定のアカウントを巡回し、思いついたことをメモしたり写真を載せたりするだけにして、まとまった文章はこちらに書こうと思う。
一年のうちで三月と八月はとくに気力が萎えるので、そのせいもだいぶあるとは思うが、なんというかもうまったくやる気が出ないし、生きている張り合いがない。思うに私の場合、本を書いている間は、すごい本を書いて世の中に残すぞーと、気が張っていて、生きているという充実感があるのかもしれない。しかし原稿が出来上がり、校正する余地ももうほとんどないとなると、急にやることがなくなって、これから何をやればいいんだろうという喪失感でいっぱいになってしまうらしい。
もちろん実際に本が出て、良いとか悪いとか、人の評判を聞きたいとは思うが、しかしそれ自体がもう少し長生きしたいなとか、人生って楽しいなという風にはならず、じゃあもう本も書き終えたことだしあとはできるだけ苦しまずに死にたいななどと気分になりがち。
岡本太郎は両親がともに文人であったからあのように文章が書けたのであろうし、また彼の書いたものを出版してくれるツテにも困らなかったのだろう。岡本太郎という人を見ていると、アートとは煎じ詰めるところアートビジネスのことなのだなと改めて思わされる。日本のマスコミにしても、ゴッホやピカソのようなアーティストが日本にも欲しい、ではだれをそのシンボルとして奉るかと物色したところ、一番手ごろなキャラクターだったのが岡本太郎だった、ということではないか。彼の作品に目立つもの、奇抜なものはあるけれども、ではもし彼が大阪万博で太陽の塔の制作を任されていなかったら、今どれくらいの人が彼を覚えているだろうか。彼が太陽の塔を作ったのは、一部は実力であろうが、アート業界におけるコネとか出版社や新聞社やテレビへの露出のおかげというところが大きかったはずだ。
実際私が岡本太郎の作品でレプリカなりなんなり所有したり飾ったりしたいかと言えば、それほど魅力的なものはない。そもそも私はピカソが好きではないし、現代美術、前衛芸術にも関心がない。私が絵葉書を買ってみたり、額装して壁にかけたりする絵といえばレンブラントくらいしかない。レンブラントと岡本太郎はまったく真逆の作家だ。
戦前、旧秩序を擁護した朝日新聞は、戦後、旧秩序をぶっ壊す側に回って保身を図らねばならなかった。そうした状況で岡本太郎はちょうどよいアイコンだったのではなかろうか。
岡本太郎が亀井勝一郎、竹山道雄など学者の文章をこきおろしているところがあるが、これとても一種のヤラセであろう。ほんとうに日本のタブーに触れるのであれば出版社や編集者がそういう文章を世の中に出すはずがない。竹山道雄は、斑鳩の里や法隆寺は美しいが駅前のパチンコ屋は汚いなどというどうでも良い話をしている。そんなことをわざわざ文章にすることになんの意味があるのか。情報量ゼロではないか。そして岡本太郎のように、そんな文章をわざわざ批評することにも意味はないのである。岡本太郎は竹山道雄の文章は美文ではあろうが美そのものではないという。そりゃそうだろう。世の中には情報量ゼロの美文をありがたがる人がたくさんいる。それに比べて、最初は汚くみっともなく見えたゴッホやピカソのほうが現代ではより広く世の中に受け入れられている。それはその通りに違いない。
また、小林秀雄が押し入れから骨董品を岡本太郎の前に次々にもち出してきて目利きを試すという話があって、小林秀雄という人はそうやってちまちまと骨董品を蒐集し人にみせびらかすような人であったのかと、しかも骨董品の鑑定というものに対してひどく臆病な人であった(骨董趣味の人はしばしばそうだが)ことがわかり、これはこれで面白いエピソードだけど、そこで岡本太郎が言うのは、経験で鑑定するのでない、玄人は知り過ぎている。素人のほうが批評はうまいはずだ、などと言っていて、そういうこともあるかもしれないが、そうではないこともあるかもしれないとしかいいようがない。ほんとうであるとも嘘であるとも証明できないことを延々と書く。芸術家の文章にはありがちではなかろうか。
岡本太郎は芸術と芸を分けたがる人で、彼の定義によれば、芸とは芸能とか技能のようなもので、伝統的な様式美をとにかく守るものであり、一方で、芸術とはそうした家元とか伝統とは関係なしに若者がいきなり作り出すものである、などと言っている。別にそう言いたければそういえばよかろう。この定義は、岡本太郎やピカソやゴッホには当てはまるけれども、世の中はすべてが前衛芸術でできているわけではない。そんなことは岡本太郎自身承知しているわけだが。
彼は技術と技能の違いについても書いている。技術はひたすら未来に向かって進歩していくが、技能は逆に後ろ向きで、伝統を墨守するのだと。そうかもしれない。だが、技術と技能は真逆のものであり、相容れないものだ、とは私は思っていない。和歌を詠んでいればわかることだ。彼は法隆寺が焼けたのであれば自分が法隆寺になれば良い、古典はその時代のモダンアート、などという。まさにそれであって、古いものを残し尊重しつつ、自らも新しいものを作ることが大事なのだ。古いものと新しいものを区別することは(やりようによってはしばしば)害悪でもある。戦前と戦後、江戸時代までと近代で線引きして一方は良く他方は悪いという、いわゆる二分法で書かれた主張は、わかりやすいだけでたいてい間違っている。
彼が室町や江戸時代の文芸、美術について書いている箇所があるけれども、やはりよくわかってない、というよりかなり雑な知識しかない。そりゃそうだろう。知識や経験があってはいけないと言ったとたんに室町時代の芸術はほとんどすべてわからなくなる。アフリカやポリネシアの原住民が彫った彫刻とか、文字がなかった縄文時代や弥生時代の土偶や埴輪とは違うのだ。文字は読んで理解しなくてはならない。
正しいのか正しくないのか確かめることもせず、本人が実際に書いものを直接読まずにその人を批評する人が非常に多いので、岡本太郎のやり方考え方は非常に危険だと思う。文芸に関していえば、ちゃんと読まなくてはならない、徹底して読まなくてはならない、それはいわゆる世の中の芸術鑑賞とは違う、それが文芸の本質だ。
世阿弥が優れていると岡本太郎は言っているがではあなたはどれくらい世阿弥を読んで理解しているのか。世阿弥と世阿弥以外はどう違うのか、自分で読んでいなくては説明できないはずだ。現代美術には詳しく、一方古典芸能については雑な式しかなく、その上で現代美術は優れていて古典芸能はだめだというのでは説得力がまるでない。
岡本太郎は伝統芸能を批判し、本居宣長も古今伝授をさんざんに攻撃する。私も宣長につられて古今伝授を批判し、それで和歌を擁護したつもりになったりもしたのだが、そういうつまらない伝統やしきたりを目の敵にしてもあまり意味はない、少なくとも、時間を費やして文章にしたり、ましてやそれを出版する必要はないと思えてきた。別に私がやらなくても岡本太郎が書いていることを、わざわざ私が書く必要はない。みんなどこかで読んで知っていることだから。ほんとうに自分だけが気付いたことを書けば十分だ。
去年のこの辺りから岡本太郎の文章を読み始めたようだ。リンクを貼っておく。この頃から既に生きているのが楽しくないなどと言っているようだ。面白いね。おんなじことを何度も何度も書いているのは年寄だから仕方ないということにしておこう。