kdpの年

まあ、おもうに、今年の最初のころは kdp 始まったばかりでみんなおもしろがって書評かいてくれたりしてたけど、今は一応無料キャンペーンで数は出るが、たぶんもうみんないろんなうぞうむぞうな本が出てくるから疲れちゃって、チェックしてらんない、読んでらんない、ていうか疲れたていうか、飽きちゃった状態なんじゃないかと思う。

私自身最初のころはわくわくしながらランキングを毎日眺めてたが、なんかもう最近は見るのもいやんなった。ていうか慣れたというか疲れたっていうか。

でまあこれが本来な姿なわけでみんながみんな好き勝手自分の本を出すから、なんか新しい仕組みが出てこないとみんな疲れ果ててしまうと思うのよね。

それと、超ヒモ理論出して感じたのだが、ツイッター界がだんだん kdp に適応してきて、いきなりアマゾンをリツイートしたりするんだが、ただのリツイートばかりがあふれて、感想も書評もないからこっちとしてはなんなんだこれはというしかない。

あと、超ヒモ理論は理系の人たちにタイトルとあらすじだけ受けて、理系の人って中身はたぶん読まないから、それ以上のリアクションない。小説読む人はたぶんなんじゃこりゃと思って、気に入ってもらえたら二度くらい読んで、だいたい二度読みすると書評を書く気がなくなる、たぶん。つか、慎重になって書けなくなってしまう。

書評書くってのはふつうは一気に読み終えてなんか一言いわずにおれないから書くわけで、あとで冷静になってから書くってのは、そりゃ、仕事でならかくかも知れないが、一円にもならんのにわざわざ他人の書評を書いてあげる親切な人はいないと思う。

書評を書くってのは本を執筆するのと同じくらい大変な仕事なわけで、実名ならなおさらで、匿名のカスタマーレビューにしても、もの書きの人ならなおさら、うかつには書けんわな。

あとですね、タイトルと内容紹介だけ読んで本文読まない人ってのは、キンドルもってないから読まないんでしょうね。アマゾンランキングで目立ってそのままウェブで読めれば読んでくれてると思う。しかしそれでは胴元のアマゾンがもうからんしな。わざわざキンドルに落として読むってのは、めんどい。いくら無料でも。いくらタブレットもっててキンドルアプリ入れてても。普段からキンドル読む人なら別として。

内容紹介に最初の数ページ分を抜き書きしておくってのもありかもしれん。どういう文体のどんな雰囲気の小説かってのはそれでわかるし。キンドルもってれば体験版落とせるわけだが、ウェブで見れた方がてっとりばやいわな。

そんで無料キャンペーンやってカスタマーレビューかいてもらって有料でも買ってもらうというビジネスモデルってんですか。それがまああんまりうまくいかない気がしてきた。パブーと大差ない感じもしてきた。全然別の仕組みがいると思う。悩む。だいたい個人出版というのはこの辺まではみんなやってる。こっからさき伸びるのかどうかが kdp の未知の可能性なわけよね。

あと、アマゾンの分類に怒っている人とかいて、「毬恵って誰だよ」とか言ってて、それは「司書夢譚」の主人公の名前なんだが、「司書夢譚」は日本史に分類されているんだが、「司書夢譚」は実を言うとこれは日本史です。読んでみればわかります。一番詳しいのは護良親王の話なんで、明らかにこれは小説仕立ての日本史の話なんだけど、カテゴリー分けはたまたまこれは間違ってないのだが、どんなアルゴリズム使ってるか知らないけど、ひどいよな。超ヒモ理論なんて絵本に分類されていたのだが、
どこが絵本ですか。まえまえからそれは気になっていた。なんで出版するときジャンルを書かせているのにカテゴリー間違ってるのかわけわかんない。

後拾遺集

結構百人一首に採られてるな。

> 43 心あらん 人にみせばや 津の國の 難波わたりの 春のけしきを

能因法師。ジャストシステム様、能因法師を一発変換できるようにして欲しいです。

> 46 立はなれ 澤べになるゝ 春駒は おのがかげをや 友とみるらん

着眼点がおもしろい。公任。

> 52 春の夜の やみにしなれば 匂ひくる 梅より外の 花なかりけり

これも公任

> 55 我やどの 垣根のうめの うつり香に 獨ねもせぬ 心地こそすれ

詠み人知らず

> 57 春はたゞ 我宿にのみ 梅さかば かれにし人も 見にときなまし

和泉式部の歌。すばらしい。

> 62 我宿に うゑぬばかりぞ 梅花 あるじなりとも かばかりぞみん

主でさえこれほどに見るだろうか。

> 89 いづれをか わきてをらまし 山櫻 心うつらぬ えだしなければ

> 93 白河院にて、花を見てよみ侍りける 民部卿長家
> あづまぢの 人にとはばや 白川の 關にもかくや 花はにほふと

これはおもしろい。感動した。

> 160 聲絶ず さへづれ野べの 百千鳥 殘りすくなき 春にやはあらぬ

> 165 四月ついたちの日、よめる 和泉式部
> さくら色に そめし衣を ぬぎかへて やま郭公 けふよりぞまつ

> 214 さみだれの 空なつかしく にほふ哉 花たちばなに 風や吹らん

相模。さらりと。

> 216 おともせで おもひにもゆる 螢こそ なく虫よりも 哀なりけれ

重之

> 217 宇治前太政大臣卅講の後、歌合し侍りけるに、螢をよめる 藤原良經朝臣
> 澤水に 空なる星の うつるかと みゆるは夜はの ほたる也けり

> 229 夏の夜凉しき心をよみ侍りける 堀河右大臣
> ほどもなく 夏の凉しく 成ぬるは 人にしられで 秋やきぬらん

> 265 秋も秋こよひもこよひ月も月ところもところ見る君も君

詠み人しらず。

> 379 大井川ふるき流れをたづね来て嵐の山のもみぢをぞ見る

白河天皇御製。
宇多上皇が御幸した大井川(大堰川)とはやはり嵐山あたりの桂川のことを言うわけだ。

> 390 さびしさに煙をだにもたたじとて柴折りくぶる冬の山里

和泉式部。

> 404 いづかたと甲斐の白根はしらねども雪ふるごとに思ひこそやれ

> 539 立ちのぼる煙につけて思ふかないつまた我を人のかく見む

和泉式部

> 607 かくなむと海人のいさり火ほのめかせ磯べの波のをりもよからば

源頼光。これは珍しい。
頼光が歌を詠むというのが珍しいし、「なむ」が歌に使われるのが珍しい。

> 611 おぼめくなたれともなくてよひよひに夢に見えけむわれぞその人

和泉式部。これも珍しい。「おぼめくな」などという口語的な言い方をするとは。

> 624 こほりとも人の心を思はばやけさ立つ春の風にとくべく

能因法師。貫之の、袖ひちて結びし水の凍れるを春立つけふの風やとくらむ、が本歌であろうが、
うまくひねってある。

> 625 満つ潮の干るまだになき浦なれやかよふ千鳥の跡も見えぬは

> 635 したきゆる雪間の草のめづらしくわが思ふ人に逢ひみてしがな

和泉式部。序詞がうまく効いてる。

> 646 つれもなき人もあはれといひてまし恋するほどを知らせだにせば

赤染右衛門。どうかこれは。

> 657 恋死なむいのちはことの数ならでつれなき人のはてぞゆかしき

> 658 つれなくてやみぬる人にいまはただ恋死ぬとだに聞かせてしがな

陳腐ではあるがなかなかおもしろい。

> 664 ほどもなく恋ふる心はなになれや知らでだにこそ年はへにしか

> 678 たのむるをたのむべきにはあらねども待つとはなくて待たれもやせん

相模。期待させるあなたに期待はしないが待つとはなしに待つかもしれません。
なんかな。

> 708 風の音の身にしむばかりきこゆるは我が身に秋やちかくなるらむ

詠み人知らず

> 712 明日ならば忘らるる身になりぬべしけふを過ぐさぬ命ともがな

赤染右衛門。
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな、の本歌か。
赤染右衛門のやけくそな感じがおもしろい。
君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな、の真逆を言っているのがおもしろい。

> 753 来じとだにいはで絶えなばうかりける人のまことをいかで知らまし

相模。
もう来ないといって来なくなった人へ。
来ないとすら言わず来なくなったなら、つらい人の本心をどうやって知ることができよう
(来ないと言い残したので本心は知っている)。
なんかもうね。

> 754 たが袖に君重ぬらむからころもよなよな我に片敷かせつつ

これも相模。すごい歌だな。
中島みゆきみたいだな。

> 755 黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき。

和泉式部。
これ有名。これ知ってる。

> 779 こひすとも涙の色のなかりせばしばしは人に知られざらまし

良い歌だなこれ。弁乳母。

> 790 世の中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける

これも和泉式部。さらっと。でも良い歌。
「恋てふ色」なかなか詠めそうで詠めぬよなあ。

> 796 荒磯海の浜のまさごをみなもがなひとり寝る夜の数にとるべく

相模。荒磯海の浜の真砂を全部欲しいと。

> 797 かぞふれば空なる星も知るものをなにをつらさの数にとらまし

藤原長能。星の数は数えられても、つらさの数をどうやってはかればよいのか。

> 798 つれづれと思へば長き春の日にたのむこととはながめをぞする

眺めているしかない。つまり期待できることはない。

> 801 君こふる心はちぢにくだくれどひとつも失せぬものにぞありける

和泉式部。

> 810 君がためおつる涙の玉ならばつらぬきかけて見せましものを

ありがち。

> 811 契りあらば思ふがごとぞ思はましあやしや何のむくいなるらむ

> 812 けふ死なばあすまでものは思はじと思ふにだにもかなはぬぞうき

> 816 神無月よはのしぐれにことよせて片敷く袖をほしぞわづらふ

相模

> 820 人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ

和泉式部。夏の虫が燃えて死ぬように、
人の身も恋に燃やして代えてしまおう。

> 826 うしとてもさらに思ひぞかへされぬ恋は裏なきものにぞありける

> 831 白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへばひさしかりけり

和泉式部。これもなんか知ってるな。

とりあえずこのへんにしとく。

後拾遺集はやっぱすごいわ。とくに和泉式部。
相模もすごい。
選者に共感するところがある。

でね、後世まあ定家とかがつまみぐいした百人一首が流行ったおかげで、
定家的に解釈される傾向があるのだが、
つまみぐあいによれば後拾遺集は写実的な歌ばかりのようにもみえ、
定家みたいにつまめば幽玄有情みたいにみえなくもない。
どちらともとりえる。

少なくとも後拾遺集は古今集の影響はそれほど無いとみた。
もちろんだじゃれや掛詞だけのうたもあるからそれが貫之の二番煎じだというようにピックアップすることもできるのだが、それはあまりにも後拾遺集というものをゆがめてみすぎだと思う。

陽成天皇暴君説

陽成天皇が暴君だったかどうか、判断するのは難しい。同時代資料としては『日本三代実録』があるが、これには大したことは書かれてないようだ。ぼかして記述してあるというが、陽成天皇に不利な部分がぼかしてあるのか、有利なことがぼかされているのか、どちらとも解釈できる。

私はおそらく、『日本三代実録』は、宇多上皇が編纂させたものであり、藤原時平の関与はさほどなかったように思う。つまり事実が淡々と書かれているだけであって、暴君というのは隠されたというよりは、もともとなかっただけじゃないかと思う。

それでまあ、状況証拠だけから言えば、清和天皇を子供の頃から面倒見てきたのは藤原基経・高子兄妹なわけだが、清和天皇の皇子・皇女の数というのは、成人してから死ぬまでの間がほんの短いことを考えると、異常なまでに多い。子供が生まれてないケースを考えれば、そうとう多くの女性に手をつけているはずである。天皇の場合、養育費や扶養の費用を天皇自身が負担するわけではなく、女性の親族が負担するわけだが、それにしてもあれだけ遊ぶには膨大な金がかかっただろうと思う。どうように膨大な時間もかかった。政治なんかやってらんない。

天皇のお小遣いを出したのは当然基経なわけだが、すべては、基経・高子としては清和天皇が子供を産んで高子が国母つまり皇太后になるための投資なわけである。つまり皇太子貞明が即位してくれないことには、元手が回収できない。大損なわけである。おそらく実務は摂政である基経がこなしたのだろう。どういう実務だったかは知らないが、律令国家というものが今の法治国家のように法律だけ決めれば官僚組織によって自動的に動く、はずもない。いまの法治国家ですら裏で賄賂が横行するのだから、平安時代に理想的な律令国家があったとするほうがおかしい。となると、全権を委任された基経はありとあらゆる手段を使って日本全国から税金を集め、官僚を搾取し、私有地を開墾し、寄進を募る。そのお金で主君を養い、その遊興費を捻出し、面倒みてあげて、その代わりに自分の懐にもしこたま金を入れる。すべては必要経費に計上。そうやってひたすら金と権力の日々を送る。一方、天皇は外を出歩いてひたすら愛人を作ってきままにくらしている。

ある日とつぜん、清和天皇は言ったかもしれない、基経、おまえもういいわ、俺成人したから全部自分でやる。あるいはこういったかもしれない。高子、俺兄さん(惟喬親王)に譲位して隠居するわ。俺の子供、まだ若すぎるから、後は兄さんに頼む。

いずれにしても基経・高子には許されない話である。これまで一生けんめいにがんばってきたことがすべて無駄になる。特に高子としては、自分の息子を即位させる、ただそれだけのためにしんぼうしてきたのに、今更他人に譲位されちゃこまると。

ま、そんなわけで清和天皇に非があったかどうかしらんが、彼はひどい死に方をした。
兄の惟喬親王もまた、悲惨な末路に。

ところが高子の子・陽成天皇も基経・高子をないがしろにしただろうね。もう成人したから摂政いらんわ、とか、藤原氏の女御なんかいらんわ。そう言った可能性が高い。基経出仕拒否の時期が元服以後で、また女御・后に基経の関係者がいない。陽成天皇ってもしかするとけっこう男気あふれる名君だったのかもしれんが、それは基経・高子には許容できないことだった。今までいくらおまえに金貢いできたと思っているの。どうしてもそうなる。

言い方はいろいろできるがだいたいそういうことだったろうと思う。

嵯峨天皇、清和天皇、陽成天皇と、コントロール不可能な天皇が続いたのだろうと思う。天皇何もしない。陽成天皇が藤原氏を切って親政をしていたら。外戚の紀氏とかがうまく仕事をした可能性もあるが、どっちかと言えば、いきなり国家破綻したかもしれん。しかしまあ、藤原氏に任せても遅かれ早かれ律令制は崩壊したんだけどね。

誰かが何かしないといけないのだが、その仕事を一手に引き受けたのが藤原冬嗣、良房、基経。ある意味、頼朝、頼家、実朝のころの北条氏に似たような立場だっただろう。うまみがなくちゃやってられないという気持ちはあったと思う。

仁明天皇、文徳天皇なんかは割とまとも、コントロールしやすい天皇だったと思う。
そういう系統で光孝天皇が選ばれたのではなかろうか。