紀淑望

古今251 「秋の歌合しける時によめる」または新撰和歌12。

> 紅葉せぬ ときはの山は ふくかぜの おとにや秋を ききわたるらむ

和漢朗詠集巻頭。

> 逐吹潛開、不待芳菲之候。
> 迎春乍変、将希雨露之恩。
> 内宴進花賦

五言でも七言でもない。なんだこれは。

> 吹(かぜ)を逐(お)ひて潛かに開く、芳菲の候を待たず。
> 春を迎へて乍(たちまち)に変ず、まさに雨露の恩を希はむとす。

芳菲は草花の香り。

新古今1866「猿田彦」

> ひさかたの あめのやへぐも ふりわけて くだりし君を われぞむかへし

これも謎の歌だな。

これで紀淑望の知られている歌や詩は全部かな?

古今集真名序

> 夫和歌者、託其根於心地、發其華於詞林者也。
人之在世、不能無為、思慮易遷、哀樂相變。感生於志、詠形於言。是以逸者其聲樂、怨者其吟悲。可以述懷、可以發憤。
動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。
和歌有六義。一曰「風」、二曰「賦」、三曰「比」、四曰「興」、五曰「雅」、六曰「頌」。
若夫春鶯之囀花中、秋蟬之吟樹上、雖無曲折、各發歌謠。物皆有之、自然之理也。
然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。
逮于素戔烏尊、到出雲國、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。
爰及人代、此風大興、長歌短歌旋頭混本之類、雜體非一、源流漸繁。譬猶擴雲之樹、生自寸苗之煙、浮天之波、起於一滴之露。
至如難波津之什獻天皇、富緒川之篇報太子、或事關神異、或興入幽玄。但見上古歌、多存古質之語、未為耳目之翫、徒為教戒之端。
古天子、每良辰美景、詔侍臣預宴莚者獻和歌。君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。所以隨民之欲、擇士之才也。
自大津皇子之初作詩賦、詞人才子慕風繼塵、移彼漢家之字、化我日域之俗。民業一改、和歌漸衰。
然猶有先師柿本大夫者、高振神妙之思、獨步古今之間。有山部赤人者、並和歌仙也。其餘業和歌者、綿綿不絕。
及彼時變澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艷流泉涌、其實皆落、其華孤榮、
至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀。故半為婦人之右、難進大夫之前。
近代、在古風者、纔二三人。然長短不同、論以可辨。
華山僧正、尤得歌體。然其詞華而少實。如圖畫好女、徒動人情。
在原中將之歌、其情有餘、其詞不足。如萎花雖少彩色、而有薰香。
文琳巧詠物。然其體近俗。如賈人之著鮮衣。
宇治山僧喜撰、其詞華麗、而首尾停滯。如望秋月遇曉雲。
小野小町之歌、古衣通姬之流也。然艷而無氣力。如病婦之著花粉。
大友黑主之歌、古猿丸大夫之次也。頗有逸興、而體甚鄙。如田夫之息花前也。
此外、氏姓流聞者、不可勝數。其大底皆以艷為基、不知和歌之趣者也。
俗人爭事榮利、不用詠和歌。悲哉悲哉。雖貴兼相將、富餘金錢、而骨未腐於土中、名先滅世上。
適為後世被知者、唯和歌之人而已。何者、語近人耳、義慣神明也。
昔平城天子、詔侍臣令撰万葉集。自爾來、時歷十代、數過百年。
其後、和歌棄不被採。雖風流如野宰相、輕情如在納言、而皆以他才聞、不以斯道顯。
陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、惠茂筑波山之陰。淵變為瀨之聲、寂寂閉口、砂長為巖之頌、洋洋滿耳。思繼既絕之風、欲興久廢之道。
爰詔大內記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河內躬恒、右衛門府生壬生忠岑等、
各獻家集并古來舊歌、曰「續万葉集」。於是重有詔、部類所奉之歌、敕為二十卷、名曰「古今和歌集」。
臣等、詞少春花之艷、名竊秋夜之長。況哉、進恐時俗之嘲、退慚才藝之拙。適遇和歌之中興、以樂吾道之再昌。
嗟乎、人丸既沒、和歌不在斯哉。
于時、延喜五年歲次乙丑 四月十五日、臣貫之等 謹序。

新撰和歌 巻第四 恋・雑 荓百六十首 (1/2)

> 202 しのぶれば くるしきものを 人しれず 思ふてふこと たれにかたらむ

古今519。題知らず、読み人知らず。

> 203 人しれず おもふこころは 春がすみ たちいでてきみが めにも見えなむ

古今999 「寛平御時歌たてまつりけるついてにたてまつりける」
藤原勝臣

> 204 久かたの あまつそらにも あらなくに 人はよそにぞ おもふべらなる

古今751。題しらず、在原元方。「あらなくに」→「すまなくに」

> 205 たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに

古今909。題しらず、藤原興風

> 206 おとにのみ きくのしらつゆ 夜はおきて ひるはおもひに けぬべきものを

古今470。題しらず、素性、「けぬべきものを」→「あへずけぬべし」

> 207 わがうへに つゆぞおくなる あまのがは とわたるふねの かいのしづくに

古今863。題しらず、読み人しらず。「かいのしづくに」→「かいのしづくか」

> 208 よし野がは いはなみたかく 行くみづの はやくぞ人を おもひそめてし

古今471。題知らず、貫之。

> 209 世のなかに ふりぬるものは 津のくにの ながらのはしと 我となりけり

古今890。題知らず、読み人知らず。

> 210 足引の 山したみづの うづもれて たぎつこころを せきぞかねつる

古今491。題知らず、読み人知らず。

> 211 ぬきみだす 人こそあるらし したひもの またくもあるか そでのせばきに

古今923。「布引の滝の本にて人人あつまりて歌よみける時によめる」業平。
「ぬきみだす」→「ぬきみだる」、「したひもの」→「しらたまの」、「またくもあるか」→「まなくもちるか」。
古今和歌六帖1711、「またくもあるか」→「まなくもふるか」、または3192「ぬきみだす」→「ぬきとむる」。
業平集59、古今と同じ。
伊勢物語87、「・・・そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督まづよむ。わが世をばけふかあすかと待つかひのなみだの滝といづれ高けむ。あるじ次によむ。ぬき乱る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに、とよめりければ、かたへの人笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。」

> 212 ほととぎす なくやさ月の あやめぐさ あやめもしらぬ こひもするかな

古今469。題知らず、読み人知らず。

> 213 たがみそぎ ゆふつけ鳥か から衣 たつたのやまに おりはへてなく

古今995。題知らず、読み人知らず。

> 214 津の国の むろのはやわせ ひてずとも つなをばやはく ものとしるべく

古今和歌六帖2606「きのくにの むろのはやわせ いでずとも しめをばはへよ もるとしるがね」

わかりにくい。「ひでず」は「ひいでず(秀で、穂出の転)」、早稲田に穂が出る前にしめ縄を張ってしまおう、見張っているとわかるように、の意味か。

> 215 なにはがた しほみちくれば あまごろも たみののしまに たづなきわたる

古今913。題知らず、読み人知らず。「しほみちくれば」→「しほみちくらし」。

「雨衣」は「田蓑」にかかる。田蓑の島は淀川河口付近にあった島。

赤人「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして たづ鳴き渡る」の変形か?

> 216 夕されば くものはたてに 物ぞ思ふ あまつそらなる 人をこふとて

古今484。題知らず、読み人知らず。

> 217 あまつ風 雲のかよひぢ ふきとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ

> 218 たちかへり あはれとぞ思ふ よそにても 人にこころを おきつ白波

> 219 こきちらし たきのしら玉 ひろひおきて 世のうきときの なみだにぞかる

> 220 川の瀬に なびくたまもの みがくれて 人にしられぬ こひもするかな

> 221 いくばくも あらじうき身を なぞもかく あまのかるもに おもひみだるる

> 222 すみの江の なみにはあらねど よとともに こころをきみが よせわたるかな

> 223 わたのはら よせくるなみの たちかへり 見まくもほしき たまつしまかな

> 224 あさきせぞ なみはたつらむ よしの河 ふかきこころを 君はしらずや

> 225 わたつうみの かざしにさせる しろたへの なみもてゆへる あはぢしまかな

> 226 こころがへ するものにもが かたこひは くるしきものと 人にしらせむ

> 227 みな人は こころごころに あるものを おしひたすらに ぬるるそでかな

> 228 みちのくの あさかのぬまの はなかつみ かつ見る人を こひやわたらむ

> 229 かつ見れど うとましきかな 月かげの いたらぬさとの あらじと思へば

> 230 我が恋は むなしきとこに みちぬらし おもひやれども ゆくかたもなし

> 231 ふたつなき ものとおもひしを みなそこに やまのはならで いづる月かげ

> 232 なぬかゆく はまのまさごと わが恋と いづれまされり おきつしら波

> 233 われ見ても ひさしくなりぬ すみよしの きしの姫松 いくよへぬらむ

> 234 わたつうみの そこのこころは しらねども 人を見るめは からむとぞ思ふ

> 235 おもひきや ひなのわかれに おとろへて あまのはまゆふ いさりせむとは

> 236 つれなきを いまはこひじと おもへども こころよわくも おつるなみだか

> 237 世の中の うきもつらきも つげなくに まづしるものは なみだなりけり

> 238 わがこひを しのびかねては あしひきの 山たちばなの いろに出でぬべし

> 239 いろなしと 人や見るらむ むかしより ふかきこころに そめてしものを

> 240 おきもせず ねもせで夜を あかしては はるのものとて ながめくらしつ

> 241 なよたけの よのうきうへに 初しもの おきゐてものを おもふころかな

> 242 あはれてふ ことだになくは なにをかも こひのみだれの つかねをにせむ

> 243 世の中は むかしよりやは うかりけむ わが身ひとつの ためになれるか

> 244 わがこひは 人しるらめや しきたへの まくらばかりぞ しらばしるらむ

> 245 たまぼこの みちにはつねに まどはなむ 人をとふとも われとおもはむ

> 246 こひしきに いのちをかふる ものならば しにはやすくぞ あるべかりける

> 247 わびぬれば 身をうきくさの ねをたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ

> 248 こむ夜にも はやなりぬらむ めのまへに つれなき人を むかしとおもはむ

> 249 しかりとて そむかれなくに 今年あれば まづなげかるる あはれ世の中

> 250 あしがもの さわぐいりえの しらなみの しらずや人を かくこひむとは

> 251 わたつうみの おきつしほあひに うかぶあわの きえぬものから よるかたもなし

> 252 そこひなき ふちやはさわぐ 山川の あさきせにこそ うはなみはたて

> 253 山ざとは ものさびしかる ことこそあれ 世のうきよりは すみよかりけり

『和漢朗詠集』にも出る。古今944 山里は物の憀慄(わびし)き事こそあれ世のうきよりはすみよかりけり。

> 254 木のまより かげのみ見ゆる 月くさの うつし心は そめてしものを

> 255 かりのくる みねのあさ霧 はれずのみ 思ひつきせぬ 世のなかのうさ

> 256 ゆふされば やどにふすぶる かやり火の いつまでわが身 したもえにせむ

> 257 わがこころ なぐさめかねつ さらしなや をばすて山に てる月を見て

> 258 君といへば 見まれまずまれ ふじのねの めづらしげなく もゆる我がこひ

> 259 風ふけば おきつしら波 たつた山 夜半にや君が ひとりゆくらむ

> 260 あやなくて またなきなみの たつた川 わたらでやまむ ものならなくに

> 261 あまの川 雲のみをにて はやければ ひかりとどめず 月ぞながるる

> 262 つなでひく ひびきのなだの なのりその なのりそめても あはでやまめや

> 263 みやこにて ひびききこゆる からことは なみのをすげて かぜぞひきける

> 264 逢ふことの なぎさにしきる なみなれば うらみてのみぞ 立ちかへりける

> 265 あかずして 月のかくるる やま里は あなたおもてぞ こひしかりける

> 266 人しれぬ おもひのみこそ わびしけれ わがなげきをば われのみぞしる

> 267 あかなくに まだきも月の かくるるか 山のはにげて いれずもあらなむ

> 268 いそのかみ ふるともあめに さはらめや あはむといもに いひてしものを

> 269 おもふより いかにせよとか あきかぜに なびくあさぢの いろことになる

> 270 あなこひし いまも見てしか 山がつの かきほにおふる やまとなでしこ

> 271 あれにけり あはれいくよの やどなれや すみけむ人の おとづれもせず

> 272 むらどりの たちにしわが名 今さらに ことなしぶとも しるしあらめや

> 273 あしたづの たてる河辺を ふくかぜに よせてかへらぬ なみかとぞ見る

> 274 人しれず やみなましかば わびつつも なき名ぞとだに いはましものを

> 275 いにしへの 野なかのしみづ ぬるければ もとのこころを しる人ぞくむ

> 276 人しれず ものをおもへば 秋の田の いなばのそよと いふ人もなし

> 277 なにはがた おのがたもとを かりそめの あまとぞわれは なりぬべらなる

> 278 それをだに おもふこととて 我が宿を 見きとないひそ 人のきかくに

> 279 ここにして わがよはへなむ すがはらや ふしみの里の あれまくもをし

> 280 しほみてば いりぬるいその くさなれや 見る日すくなく こふらくおほし

新撰和歌 巻第三 別・旅 荓二十首

> 181 たちかへり 稲葉の山の みねにおふる まつとしきかば 今かへりこむ

古今365、題知らず、行平

> 182 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでし月かも

古今406、「もろこしにて月を見てよみける」「この歌は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたくひてまうてきなむとていてたちけるに、めいしうといふ所のうみへにてかのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるを見てよめるとなむかたりつたふる」安倍仲麿

> 183 おとは山 こだかくなきて 郭公 きみがよはひを をしむべらなり

古今384「おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる」貫之

> 184 ゆふづくよ おぼつかなきを たまくしげ ふたみのうらは あけてこそ見め

古今419「たじまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうべけるに、ともにありける人人のうたよみけるついてによめる」藤原兼輔

> 185 人やりの みちならなくに おほかたは いきうしといひて いざとまりなむ

古今388「山さきより神なひのもりまておくりに人人まかりて、かへりかてにしてわかれをしみけるによめる」源さね

> 186 わたのはら やそしまかけて こぎ出でぬと 人にはつげよ あまのつり舟

古今407「おきのくにになかされける時に舟にのりていてたつとて、京なる人のもとにつかはしける」小野篁

> 187 かつこえて わかれもゆくか あふ坂は 人だのめなる 名にこそ有りけれ

古今390「藤原のこれをかがむさしのすけにまかりける時に、おくりにあふさかをこゆとてよみける」貫之

> 188 都いでて けふみかのはら いづみがは 川かぜさむし ころもかせやま

古今408、題知らず、読み人知らず。

> 189 ゆふぐれの まがきはやまと みえななむ 夜はこえじと やどりとるべく

古今392「人の花山にまうてきて、ゆふさりつかたかへりなむとしける時によめる」遍昭。

> 190 かりくらし たなばたつめに やどからむ あまのかはせに 我はきにけり

古今418「これたかのみこのともにかりにまかりける時に、あまの河といふ所の河のほとりにおりゐてさけなどのみけるついでに、みこのいひけらく、かりしてあまのかはらにいたるといふ心をよみてさかづきはさせといひければよめる」業平

> 191 わかれをば やまのさくらに まかせてむ とめむとめじは 花のまにまに

古今393「山にのぼりてかへりまうできて、人人わかれけるついでによめる」幽仙法師

> 192 このたびは ぬさもとりあへず たむけ山 紅葉のにしき かみのまにまに

古今420「朱雀院のならにおはしましたりける時にたむけ山にてよみける」菅原道真

> 193 あかずして わかるるなみだ たきつせに いろまさるやと しもぞふるらむ

古今396「仁和のみかどみこにおはしましける時に、ふるのたき御覧じにおはしましてかへりたまひけるによめる」兼芸法師

> 194 名にしおはば いざこととはむ みやこ鳥 我が思ふ人は ありやなしやと

古今411「むさしのくにとしもつふさのくにとの中にあるすみだ河のほとりにいたりてみやこのいとこひしうおぼえければ、しばし河のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなくとほくもきにけるかなと思ひわびてながめをるに、わたしもりはや舟にのれ日くれぬといひければ舟にのりてわたらむとするに、みな人ものわびしくて京におもふ人なくしもあらず、さるをりにしろきとりのはしとあしとあかき河のほとりにあそびけり、京には見えぬとりなりければみな人見しらず、わたしもりにこれはなにどりぞととひければ、これなむみやこどりといひけるをききてよめる」業平

> 195 わかるれど うれしくもあるかな 今夜より あひ見ぬさきに なにを恋ひまし

古今399「かねみのおほきみにはしめて物かたりして、わかれける時によめる」躬恒

> 196 夜をさむみ おくはつしもを はらひつつ くさの枕に あまたたびねぬ

古今416「かひのくにへまかりける時みちにてよめる」躬恒

> 197 むすぶ手の しづくににごる やまの井の あかでも人に わかれぬるかな

古今404「しがの山ごえにて、いしゐのもとにてものいひける人のわかれけるをりによめる」貫之。
拾遺1228「しがの山ごえにて、女の山の井にてあらひむすびてのむを見て」

「あかでも」は閼伽?

> 198 から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

古今410「あづまの方へ友とする人ひとりふたりいざなひていきけり、みかはのくにやつはしといふ所にいたれりけるに、その河のほとりにかきつばたいとおもしろくさけりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふいつもじをくのかしらにすゑてたびの心をよまむとてよめる」業平

> 199 いのちだに こころにかなふ 物ならば なにかわかれの かなしからまし

古今387「源のさねかつくしへゆあみむとてまかりけるに、山さきにてわかれをしみける所にてよめる」しろめ

> 200 したおびの みちはかたがた わかるとも ゆきめぐりても あはむとぞ思ふ

古今405「みちにあへりける人のくるまにものをいひつきて、わかれける所にてよめる」友則

> 201 きたへゆく かりぞなくなる むれてこし かずはたらでぞ かへりつらなる

古今412「ある人、をとこ女もろともに人のくにへまかりけり、をとこまかりいたりてすなはち身まかりにければ、女ひとり京へかへりけるみちにかへるかりのなきけるをききてよめる」読み人知らず

「かへりつらなる」→「かへるべらなる」

新撰和歌 巻第三 賀・哀 荓二十首

> 161 わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて こけのむすまで

> 162 なくなみだ 雨とふらなむ わたり川 みづまさりなば かへりくるがに

> 163 わたつ海の はまのまさごを かぞへつつ 君がいのちの ありかずにせむ

> 164 ちのなみだ おちてぞたぎつ しら川は 君が代までの 名にこそありけれ

> 165 しほのやま さしでのいそに すむ千鳥 君が御代をば や千代とぞなく

> 166 うつせみの からを見つつも なぐさめつ ふかくさのやま けぶりだにたて

古今831 僧都勝延(ほりかはのおほきおほいまうち君身まかりにける時に、深草の山にをさめてけるのちによみける、空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて)。

> 167 かめのをの 山のいはねを とめておつる たきのしらたま 世世のかずかも

> 168 ねても見ゆ ねでもみえけり おほかたは うつせみのよぞ ゆめにはありける

> 169 いにしへに ありきあらずは しらねども ちとせのためし きみにはじめむ

> 170 あすしらぬ わが身なれども くれぬまも けふは人こそ こひしかりけれ

> 171 ふしておもひ おきてかぞふる よろづ代を 神ぞしるらむ 我が君のため

> 172 花よりも 人こそあだに なりにけれ いづれをさきに こひむとか見し

> 173 わすれがたき よはひをのぶと きくの花 けさこそ露の おきてをりつれ

> 174 なき人の やどにかよはば 郭公 かくてねにのみ なくとつげなむ

> 175 かすが野に わかなつみつつ よろづ代を いはふ心を 神ぞしるらむ

> 176 かずかずに われをわすれぬ ものならば 山のかすみを あはれとは見よ

> 177 君がため おもふ心の 色にいでて 松のみどりを をりてけるかな

> 178 露をなど はかなきものとおもひけむ 我が身もくさに おかぬばかりを

> 179 見えわたる はるのまさごや あしたづの ちとせをのぶる かずとなるらむ

> 180 さきだたぬ くいのやちたび かなしきは ながるるみづの かへりこぬなり

新撰和歌 巻第一 荓序

> 玄番頭従五位上 紀朝臣貫之上

> 昔延喜御宇、属世之無為、因人之有慶、令撰萬葉集外、古今和歌一千篇。
更降勅命、抽其勝矣。
伝勅者執金吾藤納言、奉詔者草莽臣紀貫之 云云。
未及抽撰、分憂赴任、政務餘景、漸以撰定。
抑夫上代之篇、義尤幽而文猶質、下流之作、文偏巧而義漸疎。
故抽下始自弘仁、至于延長、詞人之作、花實相兼而已、今之所撰、玄之又玄也。
非唯春霞秋月、潤艷流於言泉、花色鳥聲、鮮浮藻於詞露、皆是以動天地感神祇、厚人倫成孝敬、上以風化下、下以諷刺上、雖誠假名於綺靡之下、然復取義於教戒之中者也。
爰以春篇配秋篇、以夏什敵冬什。
各各相鬪文、両両雙書焉、慶賀哀傷、離別羈旅、戀歌雜歌之流、各又對偶、惣三百六十首、分爲四軸、蓋取三百六十日、關於四時耳。
貫之秩罷歸日、將以上獻之、橋山晚松、秋雲之影已結、湘濱秋竹、悲風之聲忽幽。
傳勅納言亦已薨去。
空貯妙辭於箱中、獨屑落淚于襟上。
若貫之逝去、歌亦散逸、恨使絶艷之草、復混鄙野之篇。
故聊記本源、以傳来代云爾。

「始自弘仁、至于延長」

弘仁(810 – 824)、嵯峨・淳和天皇の時代。
延長(923 – 931)、醍醐・朱雀天皇の時代。

以下は他人による註釈か?

> 中納言兼右衛門督藤兼輔 承平三二十八薨五十七

中納言兼右衛門督 藤原兼輔 承平三(933)年二月十八日薨去、五十七歳。

> 醍醐帝 延長八九十九崩四十六

醍醐天皇、延長八(930)年九月十九日崩御、四十六歳。

紀貫之、承平五(935)年、土佐より帰洛。
天慶三(940)年、玄蕃頭。
天慶六(943)年、従五位上。
天慶八(945)年、木工権頭。
ということはこの序は943年から945年までの間に書かれたことになる。

> 黄帝崩葬橋山

黄帝、崩じて、橋山に葬る。『史記』「五帝本紀 黄帝」に見える。
「序」中に出る「橋山」の解説か?

> 舜崩蒼橋之野於江南九疑是為零陵

これも『史記』「五帝本紀 舜帝」に見える。
正確には「崩於蒼梧之野。葬於江南九疑。是為零陵。」