達磨歌

投稿者: | 2010年2月28日

冷泉為人「冷泉家・蔵番ものがたり」を読む。
藤原俊成・定家から続く冷泉家当主が書いた本。重い。
冷泉家は天皇が東京に遷都しても京都に残り続けたのだと言う。

定家の歌は当時「新儀・非拠・達磨歌」と批判されたという。
達磨とはつまりは禅宗の創始者だ。
達磨歌とはつまり禅問答のようなわけのわからない歌という意味だろう。
まったくその通りだと思う。

> 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ

にしても

> 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮れ

にしてもそうである。
言葉は美しいが、描かれた光景はただの空虚な何もない世界である。
上の句で色彩鮮やかな光景を提示しておいてそれを否定し、下の句では代わりに寒々しい虚無な光景を残して放置する。
和歌をただ二つにぶち切って、華やかな世界提示と否定、そして救いようのない世界の放置という構成にする。
ただそれだけ。そういうパターン。
それで結局なぜ定家が受け入れられたかと言えばその言葉の美しさと禅問答のような空疎さ、難解さだろう。
あるいは本歌取りという退廃的な知的遊戯として。
禅もまたそれから武家社会で受容され、もてはやされた。
禅ってなんかかっこいい、みたいな。
そういうのをさらに発展させると「古池や蛙飛び込む水の音」や
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」になっていくのだろう。
俳句とは要するに「達磨歌」の末裔なのだ。

だから、定家が当時「達磨歌」と呼ばれて批判されたと知ってなおさら自分の解釈の正しさを確信した思いだ。

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