加納諸平だが、『柿園詠草』巻頭
> うぐひすの 今朝鳴く声を 糸にして 霞の袖に 花ぞ縫はまし
こういう歌を好む人もいるのだろうが、
私にはいかにもあざとく見える。
> 心して 風の残せる 一葉すら もずの羽吹きに 誘はれにけり
絵はがきの挿絵のような、安っぽさがある。
こういうものを明治の歌人が詠んだならば、まあ仕方ないと思うかもしれんが、
景樹の桂園派と何か無理に張り合っているような感じがする。
江戸時代も安政くらいまでくると和歌もだいぶ雰囲気が変わってくる。
歌というものはある程度きどってて、かっこつけてるものなんだが、加納諸平のはそれが、嫌みに感じるのだ。
> 夕かけて 小雨こぼるる たかむらの 蚊のほそ声に 夏を知るかな
こういうものであれば好感もてる。
> 棹ふれし 筏は一瀬 過ぎながら なほ影なびく 山吹の花
おそらくこの歌は、景樹の
> 山吹の 花ぞひとむら 流れける いかだのさをや 岸に触れけむ
に対抗したものではなかろうか。「柿園」というのも景樹の「桂園」に対抗したもののように思われるし。
加納諸平という人は紀州の加納家の養子となり、
やはり和歌山で紀伊徳川家に仕えていた本居大平(宣長の養子)に入門して国学をまなんだ。
つまり宣長の孫弟子に当たるわけだが、
宣長や大平とはまるで歌風が違う。
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