しづのをだまき

新古今恋五辺りを読んでいると、

忍びて語らひける女の親、聞きていさめ侍りければ 参議篁(小野篁)

数ならば かからましやは 世の中に いとかなしきは しづのをだまき

あるいは

藤原惟成

人ならば 思ふ心を いひてまし よしやさこそは しづのをだまき

などと出てくるので、ここでは「しづのをだまき」は単に「賤の男(しづのを)」として使われているように見える。身分が低いので相手の親に諫められたとか、告白できなかったとか。

伊勢物語32段

むかし、物いひける女に、年ごろありて、

いにしへの しづのをだまき 繰りかへし 昔を今に なすよしもがな

といへりけれど、何とも思はずやありけん。

ここでは「倭文の苧環」という意味で、「いにしへのしづのをだまき」までがひとつながりの意味になっていて、しづは唐衣に使われる漢綾に対する昔ながらの麻などで織られた大和綾というもの。なので「いにしへのしづ」となる。古くは濁らず「しつ」「しつおり」「しつり」などと言ったらしい。「をだまき」は「緒手巻」か「麻手巻」か。紡いだ麻の糸を巻いたもので、糸から綾を編むときに使う。
機織りの動作から「くりかへし」となった。ましかし、「いにしへのしづのを」というのがつまり「昔おまえとつきあってたこの身分の低い男がよぉ」というへりくだった意味も含むのだろう。となるとかなり滑稽な雰囲気の歌となる。

古今集雑題しらずよみひとしらずに

いにしへの しづのをだまき いやしきも よきもさかりは ありしものなり

という歌があり、おそらくはこれが「しづのをだまき」いちばん古い形で、 やはりこれも「賤の男」にかけた意味に使われている。「いやしき」も「よき」もという辺りがわかりやすい。

千載集、源師時

恋をのみ しつのをたまき くるしきは あはで年ふる 思ひなりけり

ここでは「恋をのみしつ」と「賤の男」と二つの意味に使われている。

新古今、式子内親王

それながら 昔にもあらぬ 秋風に いとどながめを しつのをだまき

ここでは「ながめをしつ」と「しづのをだまき」に「くりかへし」を連想させて、昔ながらのようでそうでもない秋風にいつまでも長々とながめをしてしまった、の意味か。女が詠んだ歌としては初出か?それに式子は決して賤しい身分ではない。ちょっと不思議だ。どうしても「しづのをだまき」を詠んでみたくなったのかな。ここから静御前の歌が生まれてきたか。

もっとあるがだいたいこのくらいで全パターン網羅か。

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