みよしののよし野の山の山さくら花

> ときしもあれなどかは花の咲くをりにかくも嵐ははげしかるらむ

とでも言いたいくらいに風の強い日。
電車もバスも乱れまくり。
それはそうと、
だいたい、これでもかこれでもかとばかりにやたらに桜が咲いているのはたいていソメイヨシノであり、
おそらくは戦後にむやみと植えまくったものなのだろう。
しかし、山桜はたいてい一本だけぽつんと生えている。植えられている。
しかしそれが吉野山には三万本もあるという。
ちと想像がつかない。

で、その山桜だが、ここらで見かけるのは白い花といっしょに葉が青々と混ざる桜だが、
それはそれでまあ良いとして、
吉野山の桜は、宣長が形容しているように「葉は赤く照」っているようなのである。
幼い赤みがかった葉と白い桜の花がまじりあったのがほんとうの吉野の山桜なのであって、
それに近い桜をたぶん私は見たことがないのだと思う。
真淵の

> もろこしの人に見せばやみよしののよし野の山の山さくら花

の歌からは芭蕉の松島の歌にも似た意図的な同語反復による興奮が伝わってくる。
宣長がこれにそっくりな歌

> もろこしの人に見せばや日の本の花の盛りのみよしのの山

を詠んでいるのがおかしいというかほほえましい。
しかし、吉野は遠い。せめて大阪辺りに住んでいれば電車で日帰りできるのだろうが。
花鳥風月と言って馬鹿にはするが、そこまですごいものはやはり体験してみたいものだ。

本棚をあさっていたら絶版になった岩波文庫版千載和歌集が出てきた。
これはラッキー。
書き付け

> やすらはでことわざしげきをりをのみもとめて花はかへりみぬらし

うーむ。
何才くらいの頃に詠んだ歌だろうか。
花見なんかしてるヒマはないんだというやけくそな感じが出ているわけだが
(昔の日記を見たら、昭和61年4月11日だった)。
上のは覚えがあるが、

> ゆふさりて窓ゆすずしき風ふけどなほなぐさまぬ我が心かな

> オレンジのナトリウム灯の下に咲く夜のつつじのけふはやさしき

自分の作のはずだが、まったく覚えがない。
今とあんまり作風変わらんな。

角川文庫の古今集も出てくる。
これにも書き付けがある。

> 伸びたなとひげをみなからいはるれどそりてみむとは思はざるなり

> まとめては食へぬものから八百屋にて葱ふたたばで百円なりき

> 六十分テープに昔こまごまとエアチェックせし曲を聴くなり

かなり昔の歌だな。
俳句もある。

> ストーブで靴あぶったら布こげた

> 夜遅く台所に行きものをくう

> することのない日は一日中寝てる

> 牛丼を食べに三十分歩く

> ストーブは次から次にお湯が沸く

> ストーブをしまうにはまだ早すぎる

なんとも言いようがないな。
たぶん、20才くらいのだろう。
俳句が混ざっているのはかなり古い。

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