フロイトの『トーテムとタブー』を読み始める。
ここでタブーと宗教というのは、区別されている。宗教とは神を崇拝することであって、タブーとは神よりも古く、より原始的で、理由付けのない禁忌を言うらしい。フロイトの時代には、世界中でさまざまな先住民や未開民族が発見され、分類された。それらの民族の多くには、宗教と言えるような組織的なものはほとんど見られず、タブーの方がより強く社会を制約している、とフロイトは観察している。
フロイトが言いたいことはつまりこういうことだろう。近親姦の禁止や族外婚の風習というのは、ほとんどすべての、まったく無関係な社会にも見られる。それは、男性のボスによる一族の女性支配に由来する。トーテムとは部族、血縁のことで、東アジア的に言えば、姓とか本貫のこと。姓は原初的には女系だった。なぜ古代、女系で姓が継承されるかというと、古代は女権が強く、女性が財産権を持っていたからだ、とはフロイトは考えない。むしろ逆。男のボスが横暴であって、妻や娘たちを独占するために、妻や兄弟姉妹間で姦通することを禁じるために、妻とその子孫たちはすべて同じトーテムに属することとし、トーテム内の姦通を禁じたのである。この理屈で言えば、一族の中で同じトーテムに属さない、つまり自由に姦通できるのは夫一人となる。男子が成長すると、自分のトーテムの外、つまり家族の外の女と結婚しなくてはならない。これが族外婚。Exogamy というものだ。
確かに、まったく未開の、何の言語もなく、決まりもなにもない社会にも、この理屈で言えば、トーテムは発生しうる。トーテムの発生には理屈がない。ただ単に横暴な男子と無力な女子供がいるだけだ。それが数世代か数十世代繰り返されるかは知らないが、そのうち、誰もその由来は知らないが、トーテムという社会制度だけが成立するというわけだ。
恐ろしくも非情、しかし説得力のある理論だ。余りこれまで見聞きしたことがないのだが。Wikipedia などには、
遺伝子上の欠陥を補う事で、子の遺伝的な多様性を増加させ、子の繁栄の可能性を高める。
とあって、確かに、古代人がその遺伝的な問題を経験的に知っていて、それゆえに族外婚が自然発生したというのが、通説だろう。しかし、近親婚による優生学的な弊害というのは、かなり緩慢なものであって、たとえば貴族や王族などが、何世代にもわたって同族と婚姻関係を結んだ場合にしか起こりえないのではないか。人口の圧倒的多数を占める庶民には、あまり関係ないはず。庶民、特に未開民族においては、早婚、雑婚、多夫多妻が当たり前であろうから、数世代もすれば遺伝子の問題などあっという間に解消してしまい、
問題にならないように思う。
このフロイトが発見した理論が今日ではほとんど忘れさられ、無視されているのは驚くべきことだ。