ホワイトカラーの論理

戦後の終身雇用は実質的に労働市場を否定する形になった。
労働市場も市場の一つである以上その需要と供給の均衡、
労働者の流動性を無視することは資本主義の否定であり、
一種の社会主義である。

日本全体が終身雇用に傾いたのは国鉄のせいだろう。
国鉄は失業者を積極的に抱え込んだ。
たまたま高度経済成長で余剰人員を抱え込んでいてもうまく回していけた。
それを松下などの民間企業もまねしてやはりそれなりの成果をあげた。
大学もではと終身雇用向けの人材をどんどん大量に送り出すことになる。

終身雇用はもともとは戦後の復興、雇用対策、失業対策、
民間企業による自発的な社会保障、福利厚生の充実という善意から出発したものだった。
また、民間企業が転職というものをいやがったということもあるだろう。
渡り職人のようにソニーから松下、松下から東芝へと技術者が転職するのをホワイトカラーがいやがったのではないか。
つまり技術者の囲い込みという側面があったはずだ。

技術者はどちらかと言えば一つの会社に縛られたくない傾向がある。
転職したがる。できれば自立したがる、という意味では経営者に似ている。
安定した職に雇われ、自ら拘束されることを求めるホワイトカラーとはそこが違う。
技術立国である日本には本来終身雇用は向かない。
しかし文系学部はコストがかからないからホワイトカラーをやたらと育てた。
終身雇用とホワイトカラーはセット。
それが技術者を飼い慣らし、搾取し、技術立国日本の力を奪っていった。
終身雇用は日本を支えるエンジニアたちの犠牲の上になりたっていた。
そしてエンジニアたちはどんどんふぬけになっていった。
ホワイトカラーの魂に毒されたのである。

大学は、学生がよい会社に就職することに最適化するものである。
大学が社会に対して超然としていて学問をやるところだというのは幻想だ。
そして卒業した学生がどのようなキャリアパスを経て最終的にどのようなポストに落ち着くかをトレースするのは大学としてはめんどうだ。
新卒でどこに就職するかというところばかりに目がいく。
そこへ終身雇用。
非常に相性がよろしい。
労働市場は新卒の学生にだけ存在することになった。
それが当たり前で誰も疑問に思わなくなった。
日本にしかないものだから変だとは思わない。
日本独自のすばらしい制度だと思うようになった。
バブルの前まではそれでよかった。
別に終身雇用制度というものがあるわけでなく、
能力ではなく、長く勤めれば勤めるほどに生涯賃金が有利であれば実質的に終身雇用となる。

能力給とか、成果主義というが、
終身雇用の場合はつまり上司が部下を評価するということにほかならないから、
どうしても私情主義となり、温情主義となり、能力とは関係なくなる。
自分の能力を正当に評価してくれるところに転職することこそ本当の評価であり、
ほんとうの能力給である。
そのためには労働市場が流動的でなくてはならない。

終身雇用では、
ある一定期間会社にいることによって自動的に昇進する。
これまた能力の否定である。
日本社会は村社会で出る杭は打たれるなどと言うが、常にそうであったわけではない。
ホワイトカラーに都合のよい過去の事例が掘り起こされているにすぎない。

労働市場が流動的ならば大学に入り直したり、専門学校に通ったりすることもできる。
大学も高卒の託児所ではなくて実践的な教育を行う場になり得る。
実際高卒を四年間預かって社会人にすることは不可能だと思う。
最近では大学に通いながら、或いは卒業してから専門学校に通うらしい。
これすなわち戦後リベラルアーツ教育の否定ではないのか。
大学も需要に応えるべきなのではないのか。
そもそも大学とは何なのか。

大学四年間は授業に出るよりも美術館巡りをしたり映画をみたり海外旅行したりするのが良いという人もいる。
そんな時間をやりくりする能力があるならしたらよい。
四年間はあっという間に過ぎる。
大学は人脈と一般教養だけ身に付ければよいというのはホワイトカラーの理屈である。
たまたま今の世の中ホワイトカラーが多数派であるというだけだ。
世の中はホワイトカラーだけが支えているのではない。

今一部の業種が人材不足なのに賃金が伸び悩んでいるのは労働市場のせいだ。
労働市場が健全ならば人材不足つまり需要があるのに供給が不足していれば賃金が上がる。
これによって需要と供給が均衡する。
賃金が伸びないのは今の企業が多くのホワイトカラーを正社員として抱え込んでいるからだ。
日本企業は外資系に比べてはるかに多くのホワイトカラーを雇用している。
いまや会社はホワイトカラーをリストラしたくてうずうずしている。
ホワイトカラーは余っていてゆえに賃金を押し下げている。
労働市場に人材がうまく配分されてないから賃金が伸びないのだ。

今の政権のせいではない。
ずっと昔からの積み重ねで日本社会がそうなってしまっているのだ。

終身雇用会社の場合部下が付くと上司が部下の「先生」となる。
そして先生と呼ばれることをよろこぶ。
俺は出世した。偉くなった。先生と呼ばれる身分になった、と。
彼は「プロの教員」ではない。
「プロの教員」は「先生」と呼ばれることを嫌う。
教員が仕事なんだからプライベートまで教育のことなど考えたくない。
ましてプライベートで先生なんて呼ばれたくない。
身内や会社の部下なんかに呼ばれたくない。
「先生」と呼ばれて喜ぶのは一般人だけだ。
そういう素人どうしのなれ合いの世界というのがホワイトカラーの社会だ。

大学も少子化対策のために社会人教育をやろうとしているが、
まったく人が集まらないそうだ。
世の中がまだ終身雇用の論理で動いているからだ。
大学が長期的視点に立って生き残ろうと思うなら、
コストのかからない文系学部を新設するなど論外。
留学生を大量に受け入れるのも対処療法。
社会人に学部や大学院を開放して専門教育を施すしかないと思う。
社会全体が変わっていかなくてはならないときが来ている。
しかしそういう議論はいっこうに進まない。

和歌とプロパガンダ

伊東静雄の詩を読むと、
当時の日本人の昂揚と、そこから突き落とされた絶望が刻まれていてつらい。
伊東静雄は戦前はドイツ語訳風な漢語調の硬派な詩を作った。
しかし戦中は大和言葉で詩を作った。
戦後、ふつうの話し言葉で詩を書くようになった。

伊東静雄もまた国粋主義に振り回された一人だった。

国威高揚のための国粋主義は極めて危険だ。
大和言葉もファナティックな思想の道具とみなされてしまった。
非常に不幸なことだ。
上田秋成も本居宣長も大和言葉や和歌がプロパガンダに使われるとは思ってもいなかっただろう。

私の祖父も戦中に大和言葉で和歌を詠んだ。
伊東静雄とまったく同じだと思った。
戦争だから和歌を詠むというのはあまりにも悲しい。
戦後和歌が忌避され、醜悪な現代短歌が生まれたのは、和歌をプロパガンダに使ったせいだ。

ツイッターでわざと歴史的仮名遣いを用いたり、
天皇は万世一系でうんぬんと賛美したりするのを見るのはつらい。
我々は一度挫折と失敗を経験したのだからそこから学び、その経験を活かすべきではないのか?

国費留学

なんか最近は割とツイッターを読んで書くようになった。
わざわざこのブログのリンクを貼るようなことはしないが、
興味をもった人はリンクを貼らないでも読みに来てくれると思う。

ツイッターでフォロワーを増やそうとしているのはむろん私の小説の読者を増やすためである。
つまりは営業である。
このブログにリンクを貼った方がよりわかりやすいとは思うが今のところそこまではしていない。
私としてはツイッターで昔fjやらウェブ日記界でやったようなことを繰り返したくはない。
渦中に巻き込まれたくはないのだ。

ツイッターで中国の留学生は日本の文科省から奨学金もらっててずるい、日本の学生に回すべきだ、
という意見が多いのだが、これはどうか。
そういう国費留学生というのは中国からの留学生の中のほんの一握りで、
中国の中でもものすごいエリートの人たちだ。
その他おおぜいは私費留学生であって日本の税金が使われているわけではない。

中国人のエリートたちに少しでも日本びいきになってもらうには国費留学という制度は必要だと思う。
中国人でも韓国人でも国費留学で来る人たちはすごく頭がいいし、
将来中国という国のリーダーになる人たちだ。
そして自分たちの国の政治を批判的に見る理性を持ち合わせている。
自分たちの国の将来を真剣に憂えている人たちだ。
私が知る人ではほとんど100%がそうだ。
彼らは人民日報を信じてない。
というか普通の中国人でも人民日報を信じてはいないし、
中国野菜や中国製粉ミルクを信用してないだろう。
反日はある程度は現政権の国策に過ぎないのだから、そこのところを見誤らないように、
外国にいる外国人の味方をできるだけ増やすように、
決してそういう善良な外国人に嫌われぬようにしなくてはならない。

そのためには、本来日本人に出すべき奨学金を多少外国人に回すくらいはやむを得ないと思う。
というか、何度も書いているが、
日本の財政を圧迫してるのは社会保障と地方交付なんで、
生活保護や外国人への奨学金、国家公務員や国会議員の給与なんてのは誤差に過ぎない。
そんな些細なことにばかりこだわるのはまぬけだ。

文学全集を立ち上げる

以前に[京極派](/?p=9207)
で、丸谷才一は京極派というものがまるでわかってないんじゃないかと疑いを持ったのだが、
この「文学全集を立ち上げる」という本を読んでますます疑念は深まった。

日本文学全集に古今集と新古今集と風雅集と玉葉集を入れるという。
なぜよりによって21代勅撰集からこの4つを選ぶのか。

p124
> 三浦 「玉葉」「風雅」は「新日本古典文学大系」にも入っていないでしょう?

> 丸谷 あの二つはいまだに虐待されているだよ。なぜ虐待されるかというのは、二つ理由が考えられる。一つは、折口信夫が絶賛したから(笑)。

> 三浦 本当の話ですか(笑)。

> 丸谷 それと、あの二つは北朝の文学なんです。「風雅」は明らかに北朝、「玉葉」も北朝の色が濃厚ですね。国文学者たちは北朝には触れたがらないんだよ。

> 鹿島 いまだにそんなことがあるんですか。

> 丸谷 少なくとも僕は、そうなんじゃないかなと思うんだ。岩佐美代子さんのように、「北朝が正統なんだということを政府ははっきりせよ」と言う学者もいる。でも、男の国文学者でそんなこと言う人は誰もいないんだよ。国文学者はつまり官僚なんだもの。仕方ないさ。

つまり丸谷才一は「玉葉」「風雅」は北朝の勅撰集で虐待されている。
北朝が正統だと言っているのは岩佐美代子くらいで男にはいない。
だから男の自分がやってやる、そう言っているだけにしか読めないのである。

一応丸谷才一は京極派を研究している岩佐美代子という人を知っているらしい。
しかしほんとに理解しているのだろうか。
岩佐美代子が北朝が正統だなどとほんとに主張しているのか。
そう言いたいのは丸谷才一だけなんじゃないのか。
南朝とか後醍醐天皇とか楠木正成とか太平記が嫌いで抹殺したいだけじゃないのか。
当時の二条派とか京極派とかいうコンテクストを無視して単に政治的理由で北朝を応援したいだけなんじゃないの?まさに邪道。

丸谷才一という人はやっぱり和歌なんて何もわかってないんじゃなかろうか?

「玉葉」「風雅」が異端視されたのは、京極派だからだ。
伝統を破壊する、前衛だったからだ。
主流は保守的な二条派に収束していった。
なぜ二条派が主流になったか。
北朝が正統でなく、南朝が正統だからなのか?
そんなこと考えてた江戸時代までの国学者は一人もいないと思う。
宣長はそんなこと一言も言ってない。

ついでに[皇統の正統性](/?p=15983)
というのも読んでみてほしい。

日本に学者はいなかった

丸谷才一「文学のレッスン」のp152に「日本に学者はいなかった」という章がある。非常に困惑する章題なのだが、本文を読んでみると、「近代日本文学では学問が軽蔑されていた」、とか、「小林秀雄は明治憲法で中村光夫は現行憲法だ」などと書いている。

小林秀雄は気持ちの良い歯切れの良い文体だがしかし何を言っているのかさっぱりわからない。

中村光夫の文章にはそういう爽快さがないけれど内容を伝達する能力は高い。

で、世の中の人は小林秀雄みたいな人を優れた批評家だと思い込んでしまったので、批評は訳がわからなくてよい、みたいな話になっている。訳がわかる評論とは論文であって評論ではない、そういうものは学者が書けば済む話だ、というわけだ。

いやまあ言いたいことはわかる。小林秀雄は朦朧体みたいなもので、至る所かすんでいる。でもときどきすごく論理的でほかのどの論文よりも明晰で説得力があるところがある。そういう意味ではフロイトに似ている。でも論文じゃないんだな。そこが天才的なところだわな、他人にはまねできない、学者にはそういう仕事はできない、という意味で。小室直樹もそれに近いかもしれんね。小室直樹は(一応)学者だけどね。

「日本に学者がいなかった」なんてどこにも書いてない。困った表題だ。

平家物語の主人公

丸谷才一は「文学のレッスン」の中で

p124

> 「平家物語」は、前半の主人公は平清盛、後半の女主人公はその娘である建礼門院徳子という形になっていて、このバトン渡しがうまくいっているせいで成功している。

と書いている。
はて。そんなばかな。
「平家物語」は特に主人公らしき人はいない。
不特定多数の人が関わっていろんな説話がだんだんと集まってできている。
清盛が主要な人物なのには違いないが。
祇王とか二代后とか俊寛、文覚などはほぼ独立したエピソード。
祇王なんかでは明らかに清盛は脇役であり、
二代后では清盛などまったく関係ない。

いろんなエピソードに埋もれているが、
平清盛の息子の重盛、重盛の子の維盛、維盛の子の六代(平高清)
の三代記として読むことも可能だ。

文覚荒行、勧進帳、文覚被流、の一連のストーリーもとって付けたようだ。
文覚がこれほどに取り上げられるのは、平家物語を編集した僧侶が文覚の弟子か何かだったからではないかと思われるし、おそらく六代とも近かったに違いない。

徳子が主人公になる灌頂巻は、読んだことないんだが、
また別のエピソードなわけで、
あとから付け足されたもののように思われるし、
ともかく全体的に言えば、保元物語や平治物語のようにかっちりひとまとまりになった軍記物語になってない。
「バトン渡しがうまくいってる」とはとても思えない。

丸谷才一は平家物語を通して読んだことがないのではないか?
何かのダイジェスト版のことを言っているのではなかろうか。

p132
> 「平家物語」でも「太平記」でも「曽我物語」でも、何かというとすぐに中国の話を持ち出して、長々としゃべる癖がある。

これも同様だ。
たぶんどこかの坊さんが無理矢理本編と関係ない蘊蓄話を挿入しただけのことで、
深い意味はないはず。

p139
> 「平家物語」なんかでも、和歌を引く、漢詩を引く。

「平家物語」は部分的には歌物語として読むことができる。
当時の物語は、源氏物語でも竹取物語でも、歌物語として読むことは可能だ。
伊勢物語も歌物語だし。
ていうか歴史的に言えば、和歌の詞書きが発達して物語というものになったのだ。
だからいちいち唐突に和歌が入る。
劇の中に突然歌や踊りが入るミュージカルみたいなものといえばいいか。
これ、現代人に説明してもなかなかわかってもらえない。
小説がメインだ、小説と歌は別物だと思い込んでいるからだ。

二代后は歌物語だし、祇王は歌の代わりに今様が入る。

p262
> 「ばさばさと股間につかふ扇かな」というのが入ってます。これが朝日新聞に載った朝に、野坂昭如から祝電が来た(笑)。

私が知る限り丸谷才一が自分で作った唯一の詩歌である。
あれだけ詩歌についていろいろと語っておきながら、自詠でこれしか自慢するものがないのか。
おそらく和歌は詠めまい。
詠んだとしても大田南畝のような狂歌を詠むのに違いない。
丸谷才一ほどの人なのだから自分の著書の中に堂々と自詠の歌を載せればいい。
そして自慢すれば良い。
それを朝日新聞の「折々の歌」に掲載されたくらいで喜ぶなんて。
不思議な人だな。

登城

丸谷才一の「文学のレッスン」に江戸時代の侍はひと月に四、五回お城に行けば勤めたことになるから暇人天国だったなどと書いている(p204)が、そんなはずはないと思う。

事務職じゃないんだから城にいれば仕事が勤まるはずもない。
ある程度以上偉い人は蔵米を給料としてもらうのではなく領国を経営しなくちゃならない。
つまりは地方自治体の長のような役目で、しかも、三権分立なんてものはないから、
立法・行政・司法、全部こなさなきゃならなかった。
部下も全部自分で雇わなきゃいけない。
領国というのは一箇所にまとまってあるわけではない。
相模に三百石、武蔵に二百石、のようにばらばらにもらってた。
ものすごく遠い土地に領国があることもある。
そういうのを全部任されているからほんとならばものすごく忙しいはず。
忙しいはずだが代官なんかに丸投げして遊んでいる旗本もいたかもしれん。
御家人にしてもなんとか奉行とかその与力とかどんどん仕事が回ってくる。
江戸町奉行ならいいが長崎奉行みたいにとんでもなく遠いところに転勤することもある。
年貢の取り立てとか市中警邏とかとにかくいろいろある。
無役なら仕事はないかもしれんが、手当もないから失業中みたいなものだ。
暇人天国なんてはずがない。

ま、だから、わざわざ登城する日というのは幹部会議か進捗報告のようなもので、
それこそ週一くらいしかやらなかっただろう。

毎日登城する役人もいたと思う。祐筆などの事務官・秘書官はそうだったに違いない。
文人というのは、おそらく、和歌にしても漢文にしても、文官として必要だから、
仕事として学んだのだ。
暇つぶしじゃない。
丸谷才一が大好きな大田南畝にしてもそうだったはずだ。彼はれっきとした幕臣。
上田秋成は武士ですらない。
紙油商の養子になった。
商売がうまくいっていれば町人の方がヒマはあったのではなかろうか。
本居宣長は本業は医者だった。学問がしやすいようにわざと自由業を選んだ。
しかしヒマだったわけではない。

文学のレッスン2

長くなるので記事をわける。

p151

> 色好みの話で、こういうエピソードがあります。本居宣長が亡くなったとき、弟子たちが本居家に集まって、酒を飲みながら口々に先生の偉大さをたたえ、あんな偉い学者はもう出ないみたいなことを語りあっていた。そしたらお酒を運んでいた本居家の女中の一人がワーッと泣きだした。みんながどうしたんだと問いただしたら、その女中いわく、「そんなに偉い先生だとはわたしは知りませんでした。毎晩のようにわたしの部屋に来て、一緒に寝ようというのを、わたしは邪険に断ってばかりいました」って。

> ― それはどこかに書いてあるんですか(笑)。

> 岡野弘彦さんから聞いたんです(笑)。

岡野弘彦は三重県の神主の家に生まれたので、もしかすると実話かもしれない(笑)。
丸谷才一より一才年上で存命。
でもなんとなく、
国学者や神道家のコミュニティーの中で自然と広まったゴシップのような気がするなあ。
本人ご存命なのだから聞いてみたい気はする。

私は、宣長の恋歌をみていて、ただ観念的に恋を歌ったのではなかろうとは思っていた。
ある程度事実に基づく心情が盛り込まれているのではないかと。
ただ、七十近くのおじいさんが毎晩女中をくどくということと、
青年時代に色好みであったということは必ずしも結びつかないと思う。

いずれにしてもどうでもよい話ではある。
単なるエピソードとして紹介してみたかったのだろう。

文学のレッスン

丸谷才一「文学のレッスン」を読んだ。
丸谷才一はもうなくなってしまったが、ものすごい長寿で、死ぬまで執筆活動をしていた幸運な人だ。
この本もインタビューという形で2007年頃から始めて2010年に出たものだが、
80才をとっくに越えていた。
「文学概論」のようなものというのをうたっているが、
いろんな作家や作品が羅列されているがその一つ一つについて解説しているわけでなはい。
体系的とも言いがたい。
エッセイのたぐいというべきだろう。

短編小説のことをスケッチと言うと書いてある。
私も「川越素描 (a sketch of kawagoe)」というのを書いた。
しかし私の書いたものの中では「川越素描」は一番の長編と言ってよい。
長編だけど普通の長編小説みたいな構成にはなってない。
千一夜物語のようなつもりで書いたもので、その個々の要素は素描にすぎない、
と言いたいわけである。
長編小説というのは今で言えば指輪物語やハリーポッターみたいなのを言うのだろう。
どちらもイギリス人の作家だ。
丸谷才一もフランスは短編、イギリスは長編が発達したと言っている。
なるほどなと思う。
ましかし、フランスでも「レ・ミゼラブル」やスタンダールなんかは長編だわな。
私はたぶん、長編を書こうとしても書けないんだと思う。
書こうとすると「川越素描」や「司書夢譚」のような短編を束ねたようなものになるか、
束ねきれずに「エウドキア」「ロジェール」のような中編小説の集合体のようなものになってしまうだろう。
書こうとしたけど書けなかったというのは一つの成果だと思う。

丸谷才一はモーパッサンは短編(どの作品がとは言ってない。脂肪の塊や女の一生は明らかに短編ではない)、永井荷風の「墨東綺譚」を中編と言っていて、
私にしてみるとどちらも短編のような気がするが、
気分としてはたしかにモーパッサンは短編であり永井荷風は中編の人な気がする。
志賀直哉がスケッチがうまいというのは分かる気がする。
「小僧の神様」「清兵衛と瓢箪」「剃刀」「万暦赤絵」・・・。

p117

> 「太平記」という歴史物語が日本の国運を左右したというのが僕の前々からの説なんだけれども、「太平記」というのは、怨霊がいかに世の中を乱すか、要するに後醍醐天皇や楠木正成の怨霊が怖いという話ですよね。それを読んだ人たち、階層的にいうと一番上の徳川光圀や頼山陽から、「太平記読み」の講釈を聞いた庶民まで、みんなそろって正成は偉いし南朝は尊い、彼らの怨霊は怖いから大事に祀らなくちゃね、そういうイデオロギーを持っていた。

丸谷才一は戦後民主主義の文化人で、太平記とか頼山陽とか徳川光圀とか本居宣長などを徹底的に抹殺しなきゃならないと考えていた一人だ。
むろん現代的な意味において太平記や日本外史や大日本史や古事記伝などはナイーブで脚色されているわけだが、それを言うなら源氏物語だって平家物語だってそうだ。
太平記のせいにして議論を終わらせるのは単なる思考停止にすぎぬ。

南北朝や室町時代は難解だが非常に重要な時代である。
それがわからんから降参しますというのが嫌で全部太平記のせいにする。
太平記に影響を受けたであろう徳川光圀や頼山陽のせいにしようとする。
それではだめだ。
南北朝がわからねば天皇はわからん。
南北朝がわかってる日本人がどれほどいるか。
だから日本人のほとんどは天皇とは何かがわかってない。
天武天皇や天智天皇とか古代の天皇のことをいくら学んでも天皇のことはわからん。
藤原、北条、足利、徳川がどのように天皇を利用してきたかということがわからんと天皇はわからん。
天皇がわからんというのは南北朝がわからんというのとだいたい同じだと私は思う。
太平記のせいにしないでほしい。

対句と対聯

聯という字が我々にほとんどなじみがないように対聯という概念も日本人には希薄だと思う。
対聯は五言排律のような比較的長い漢詩にのみ使われる用語であり、
律詩や絶句くらいしか親しみがない日本人にはよくわからん世界である。

対聯は二句だけでも成立し、中国では今も門の左右に掲げたりする。

八股文の股というのも聯であり、
すなわち八股文とは四つの対聯を胴体とする文章というのに他ならない。
対聯が三つの六股文というのもあり得る。

八股文には頭と尾がついている。五言排律とまったく同型である。
このことについては「帝都春暦」に詳しく書いておいた。
八股文と五言排律のアナロジーに気づいたのが私が初めてだとはとても思えない。
中国の文学会ではすでに定説なのかもしれぬ。

対句というのは二字でも時には一字でも成り立つものだが、
対聯はたいてい五字、さもなければ七字とか八字などである。

このように対聯というものは中国文芸には非常にポピュラーなものだが、
日本文芸ではほとんど発達してないと言って良いと思う。
古今集仮名序の
「人の心を種「よろづの言の葉」とか、
「花に鳴くうぐひす」「水に住むかはづ」とか、
「力をも入れずして天地を動かし」「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」とか、
「男女のなかをもやはらげ」「猛きもののふの心をもなぐさむ」
は典型的な対句だが、
これはおそらくは真名序の
「託其根於心地」「発其華於詞林」とか
「動天地」「感鬼神」「化人倫」和夫婦」が原型であろうと思われるのである。
当時の人々には文芸を論ずる言葉がなく、漢文を参考にするしかなかったと思う。

しかるに後世になると、
連歌というものが流行りだして、一つの歌が上の句(発句)と下の句(付句)に分かれた。
これはある意味非対称な対聯と呼び得るものであるかもしれない。
さらに発句は三つの句でできているから、
音楽に二拍子と三拍子があるように、
俳句はある種対句を発展させたワルツ形式の句構成であるかもしれない。
そう考えると俳句の意義というものがわかった気がするのである。

日本人は、干支や陰陽五行説のようなものを、外来思想として受け入れつつも、
そういう完全なシンメトリーというものを忌避する傾向があると思う。
七五調のような非対称なものが逆に安定すると考えている。
阿吽の形相なんかも対称の中にも非対称をもたせている。
右近の桜、左近の橘なんかもそうかもしれん。
夫婦岩も非対称だ。

日本人の場合はそれをさらに発展させて、
生け花でいうところの天地人とか真留体などの非対称な三角関係を安定していると考える。
同じことは庭石の配置にも言えるし、俳句の句の配置にも言える。
これは決して完全に等辺な正三角形のようなものを言うのではない。
キリスト教における三位一体説とはよく似ているがまったく別種の発想から来るものだ。
日本人はシンメトリーとかトリニティーというものを意図的に排除する傾向がある。

和歌というものは、近世の日本人好みの非対称三角関係というものにはおさまらぬ。
形も無くぐにゃっとしたものだ。
正岡子規は最後までそれが理解できなかった。