禁煙条例

神奈川県には禁煙条例というのがあるのだが、
昨日養老乃瀧にいったら、ほんとに禁煙席があってびっくりした。
この店は割りと広いから条例に引っかかったのだな。
天狗とかならともかく養老乃瀧と禁煙席というのがいかにもミスマッチだ。
禁煙席はガラガラで、しばらくは自分ら一組だけ、その後もう一組来たけど、
当然のことながら、喫煙席の方が繁盛していた。
家族連れなどはわざわざ養老乃瀧にはよらないだろうねえ。
だが良いことを知ったのでこれからは利用させてもらおう。

酒は相変わらず禁じられているので飲むことができない。

自転車

思うに、自転車は当然車道を走るべきだ。
自転車がどんどん車道を走ることによって、自動車は街中では「徐行」するのが当たり前になるだろうが、
そもそも歩行者や自転車乗りが多い町中では自動車は徐行したり、あるいはそういう道を迂回するのが当然だ。
それがそうなっていなかったというのは、社会が自動車に有利にできていたからだろう。
歩行者も自転車乗りも自動車税を払わない。ガソリンも買わない。
道路は自動車税でできてるから、自然と、歩行者の発言権は弱くなる。
歩行者は自分の権利を「政治的」に守らねばならないが、それはなかなか難しい。
だいたいこれまでは普通の市民も「自動車に乗ってる俺様の方が貧乏で車にも乗れない歩行者より偉い」
という発想であり、歩行者に対して冷淡であった。

私も最近ただ普通に歩道を歩いていて自転車にぶつかれたことがある。
運転していたのは若い女性だったようだ。
向こうが100%悪くこちらにはなんの落ち度もないのだが、私は別に平気で、
向こうは転んでしまった。
面倒なので「許してやる」というつもりで無言で通りすぎようとしたら、
小声で「ふざけんなばか」と捨て台詞を吐かれてしまった。
私にどうしろというのだろうか。
「大丈夫ですか」の一言でもかけて欲しかったのか。
それを言うべきは相手のほうだと思うのだが。

歩行者と共用のスロープを自転車を降りずに乗るやつが未だにたくさんいる。
どんどん取り締まって留置所に入れるくらいの嫌がらせはしてもよいのではないか。
免許更新の時に自転車事故の悲惨なビデオも流した方が良い。

アルプスの少女デーテを有料にした。

[アルプスの少女デーテ](http://p.booklog.jp/book/27196)だが、もはや原作からどんどん離れて、オリジナルの作品になりつつあり、
またこれからかなり加筆する予定なので、今のうちに有料化することにした。

スタンダールの『赤と黒』は、『アルプスの少女ハイジ』の時代に非常に近い。
『赤と黒』はナポレオン第二帝政の始まりの頃にできた。1830年くらい。
『アルプスの少女ハイジ』が成立したのは1880年だが、アルムおじさんが若いころ放蕩息子だったのはちょうど1830年くらいだし、
また、『ハイジ』の原作であると言われるフォン・カンプによる『アルプスの少女アデレード』が成立したのは1830年だ。
ナポレオンとスイスは、アルプス越えやイタリア方面司令官などで非常に関係が深い。
また、フランス革命政府はスイスから領土を割譲したり、のちにナポレオンが調停役になったりしている。
1848年にウィーン体制が崩壊してスイスは連邦政府に移行しているのだが、その辺もなかなか面白い。
この時代のことをもっと詳しく調べると、長編とまではいかないが中編小説くらいに膨らますことは可能な気がする。
それはそれで面白いのではないかと思っている。

『赤と黒』は入院中に一通り読んだ。

ソルフェリーノの戦いは1859年で、おそらくアルムおじさんが参加したという戦争もこの一連の第2次イタリア統一戦争であるのは、
ナポリというキーワードもあるので、時期的に間違いないだろうと思う。
ところがソルフェリーノの戦いとスイス傭兵の関係が調べてもなかなかわからない。
ただあんまりこの部分をふくらませるともはやデーテの物語というよりアルムおじさんの物語になってしまう。
それともデーテの話をそれ以上にふくらませるか。そこが苦しい。

普墺戦争1866年。普仏戦争1870年、ドイツ統一、第二帝政崩壊、第三共和国成立、だよなあ。

なるほど、フランクフルトはドイツ同盟(オーストリアを含む)の中の自由都市だったが、普墺戦争のときにオーストリア側について、プロイセンに負けたときにプロイセンのヘッセン・ナッサウ州の一部として併合されたんだ。ふーん。

すいえんさーで見たが、高田理穂は確かに美少女だ。17歳。

おはよう日本の鈴木奈穂子も、なかなか良い。毎日見てると髪型が変わったりして面白い。こちらは29歳か。
ていうかね、入院してると朝が早くて。見るに耐えるのがおはよう日本くらいだったわけだが。

どちらもNHKの番組だってとこがアレだ。というより、NHKのどこを見てるんだという話だ罠。

未だに早朝に目が覚める。まだ退院三日目だからな。

入院一ヶ月経過して作った詩

臥病一月過無聊 臥病一月無聊に過ぐ

安穏起居似幽囚 安穏として起居す、幽囚に似たり

迎秋不覚秋風冷 秋を迎えて秋風の冷たきを覚えず

窓外只眺片雲流 窓外、只、片雲の流るるを眺む

「囚」はqiu/ であり、「流」は liu/ であって、現代の普通話でも韻を踏んでいるし、
また平水韻表ではどちらも平声の「尤」だから、間違いなく韻は踏んでいる。
ただ、平仄はでたらめだ、というか確かめてない。
平仄の規則は極めて難しく、普通話ではもはや崩れてしまっているし、現代の日本人がわざわざそこまで考えて漢詩を作るのは無理というか無意味なのではないか。
ちうわけで、二句と四句を押韻するくらいで許してもらえないか。

しかし、今時、漢詩をガチで自作している人はどのくらいいて、そのうちどのくらいがものになってるのか。

花神

長々と入院していた。
ヒマだったので、ボランティア室というところに置いてあった司馬遼太郎の『花神』という小説を読んだ。
例によっていろいろと問題の多い小説だと思う。

たとえば『燃えよ剣』には主人公の土方歳三のヒロイン役が出てくるが、これがフィクションであっても特に問題はない。
しかし、大村益次郎とシーボルトの娘、楠本イネとが恋愛関係にあった、とするのはかなり誤解を招く設定だろう。

また例によって司馬遼太郎は「大政奉還」は坂本龍馬の「独創」であるとしているのだが、
坂本龍馬がそんなだいそれたことを自分で思いつくはずがない。
これこそ今の日本人の多くがとらわれている司馬遼太郎の「虚構」、いわゆる「司馬史観」の第一だ。
司馬遼太郎のファンはとかく歴史をうがって見ることが好きなようだが、司馬史観を頭から信用しているように見えるのは滑稽だ。

大政奉還論の根拠となる「船中八策」だが、これは伝説に過ぎない。
史料的に言えば軍記物程度の信頼性しかなかろう。

坂本龍馬は、薩会同盟における薩摩側のエージェントが高崎正風であったのと同じ程度の意味で、
薩長同盟における薩摩側のエージェントに過ぎなかったと思う。
レオナルド・ダ・ビンチが、いろんな発明家や科学者たちのテクニカル・イラストレータに過ぎなかったように。

薩長同盟というのは、犬猿の仲であった薩摩と長州の間を、第三者の土佐の坂本龍馬が取り持った、と解釈されることが多いようだが、
状況証拠的には薩摩が幕府や会津をだまし、かつて痛撃を与えた長州を懐柔しつつ自分の側に巻き込んだ、薩摩が主導した同盟である。
その中心人物は西郷隆盛だっただろうし、公家の側では岩倉具視だっただろう。
大政奉還論とは薩摩が幕府の味方のふりをしながら幕府の力をそぎ、譲歩させるための虚構の空論だっただろう。
薩摩と長州は表向き大政奉還に反対だったようなふりをしていただけだ。

薩摩は会津と同盟を組んで長州を駆逐した後だったから、幕府も会津も、鳥羽伏見の戦いが始まる直前まで、
薩摩を信頼し、味方だと思っていた。
薩会同盟は表向きまだ有効であり、その同盟は公武合体論に基づいていた。薩摩は軍事力を会津や幕軍同様、おおっぴらに行使したし、
軍艦や武器を公然と調達していた。
その裏ではすでに薩長同盟が動いていた。
大阪の冬の陣で家康がまず大阪城の外堀を埋めたように、薩摩はまず徳川氏に大政奉還させただけであり、
当初から武力革命を目指していたのは明らかだろう。

つまり、坂本龍馬が独り大政奉還論を声高に叫んでいたのは事実であったかもしれないが、彼の独創というよりは、
彼をエージェントとして利用していた薩摩が、彼に宣伝させていたのだろう。
要するに彼は一種の薩摩の捨て駒であり、薩長や幕府の怒りを一身に受け、暗殺されてしまったのではないか。
龍馬が暗殺されたことによって無血革命の主導者を喪失し、薩長による武力革命に拍車をかけた、という考え方は、たぶん間違っている。

薩摩はかつて長州の敵だったがそれは長州が単独で突出しようとしたのを阻止したのに過ぎず、
薩摩はもともと長州と目指すところは同じだった。
たまたまそれで薩会同盟というものが成立したから、薩摩は佐幕派だと見なされたわけだが、
それもまたカモフラージュの一種にすぎなかったのだろう。
従ってそのエージェントであった高崎正風が、後々明治政府の要職に就けるはずもない。

しかしこの『花神』というのはよく調べて書いてある。
彰義隊についても高崎正風についても。
しかし、彼が正風に興味を示したのはたまたま正風が薩摩のエージェントとして動いたことや、
中川の宮とも親しかったということがあったからであり、
正風に対する私の関心の持ち方とは全然異質だ。

コーヒーやめて紅茶にしようか

ドリップして入れたレギュラーコーヒーはカフェインが多い。
お茶はもともとその半分以下であり、かつタンニンがカフェインと結合するので、カフェインの作用はかなり弱まるようである。
実際、烏龍茶を多少飲んでも大丈夫だ。
お茶は、玉露などをたくさん飲まない限り(いったいどんなシチュエーションだろうか)、特に問題ないように思える。
ミルクコーヒーの代わりにミルクティーを飲めば良さそうだ。

安田善次郎

例によってウィキペディアを使って安直にいろいろ調べているのだが、
安田講堂は最初は寄付した安田善次郎を匿名にしていたようだが、1921年に彼が暗殺された後は、
おおっぴらに「安田講堂」と呼ばれたようだ。着工は彼が死んだ年、完成は1925年、つまり、『帝都春暦』の舞台となった年。
間に関東大震災が挟まっている。

良くひなびた居酒屋などに張り紙で「五十、六十は鼻たれ小僧」うんぬんとある文句はもとは安田善次郎によるという。
確かに、天保から大正まで生きたのだから長寿ではある。

安田善次郎と成島柳北は同じ年生まれで、安田は欧州視察で生命保険というものに着目した成島に勧められて今の安田生命を創始したという。
しかし安田はすでに明治政府御用達の商人として莫大な富を得ていたし、安田銀行は彼自身の力によって作ったものだろうから、
成島柳北の助言がどの程度彼に影響したかはわからない。

帝都春暦

[帝都春暦](http://p.booklog.jp/book/34939)をパブーに公開。
かなり趣味に走っているからと、全部読まないとたぶん意味不明な内容だから、全部公開して無料にしておいた。
こういうのを面白いと思う読者は(文章の善し悪しとかは別として、テーマ的に)はたして日本人の何パーセントなのだろうかね。

春暦というのはつまり為永春水『春色梅児(ご)与(よ)美(み)』にちなむ。

もちろん私が東大文学部の助手の生態など知るはずがない。
まして女子高等師範学校のことなど。
しかも大正末期の。
すべて想像で書いている。
大きく外してなければ良いのだが。

『帝都春暦』や『司書夢譚』などは、割と最近にさらっと書いた中編で、書くのにだいぶ慣れてきた頃のものだから、
あまり迷いがないのではなかろうか。
一方、『将軍放浪記』は事実上初めて書いた小説で、かなり書き直して、初期形態とはだいぶ変わってしまっている。

カフェイン

24時間ホルターをまたつけて、それを外したので、また体調も以前よりはずっと落ち着いてきたので、
久しぶりに烏龍茶やコーヒーを少量飲んでみたのだが、
またしても目眩や動悸がおこった。
だいたい、コーヒーを飲んだあと、1、2時間後。いきなりくる。
カフェイン入りガムを噛んだときと状況は良く似ている。
摂取した直後ではないのだ。それで原因が良くわからなかった。でも状況的にほぼ間違いないだろう。

困ったことだが、少なくとも心臓の数値が人並みまで改善し、今飲んでいる多量の薬をやめるまでは、カフェインの摂取をやめるべきだ。
でも、一つ原因不明の理由がほぼ確定したのはよかった。

こうなるとこれまでのいろんな不具合も、カフェインに対する、処方されている薬の副作用であるような気がしてならない。

アルコールについても同じことが言えるだろう。
アルコールを飲んで具合が悪くなっても、それは私の心臓のせいなのか、
薬の副作用なのかはわからない。
まあしかし、エタノールは低分子のアルコールに過ぎず、カフェインはアルカロイドの一種だから、
心臓への作用はまるで違うにちがいない。
エタノールは脳に直接作用する。
一方アルカロイドはホルモンの一種だから、交換神経などを狂わせるのだろうと思う。

アルコールやカフェインの摂取を再開するときには、やはりリスクを伴う。心臓というのは厄介だな。

24時間ホルターというのは、データを解析して結果が出るまで二週間くらいかかるようだ。
入院して心電図を取れば何時間でも何日でもリアルタイムでわかるわけだが。
しかし、通常の生活をしながら、病院食にはない食べ物を食べたり飲み物を飲んだり、
町中を歩き回ったりといういろんな出来事が起こりうる中で、心電図を24時間記録できるということは、すごいことである。
病院の中では決して得られないデータだ。
しかもそういうデータを入手できる人はごく限られている。
研究ネタにはすごく面白そうだ。

心臓は非常に特殊な臓器だし、その病気というのは多岐にわたるから、
ともかくいろんなことを用心しなくてはならないのだろうが、私の病気はその中のごく1例なのであり、
すべての可能性を疑っていたら、とにかく気が休まることがない。
まずは、主たる病因だけ治療してもらい、それが治ってから他のことにも手をつけてほしいのだが。
追加で精密検査をすればするほど別の異常が見つかるものだと思うが、とりあえずそれらは、当面の病気が治るまでほっといてもらいたいのだ。

で、まあ、思ったのだが、救急病院と町医者を比べれば、救急病院の方が料金は安いし、話も早いし、いちいち紹介状を書いてもらって町医者へ行ったり、
また救急病院に戻ったり、めんどうくさい。
町医者では処方箋書いてもらうだけで金をとられ、薬屋ではまた金をとられ、けっこう時間もかかるし、料金がいちいち割高なのだ。
薬局も二箇所ほど行ってみたが、やはり、救急病院の院内処方の方が安いようである。
また、ホルターの取り付けも救急病院の方が丁寧だし料金も安い。
これじゃあもう勝負はついた。

思うに救急病院というのは緊急性があるか重病の患者だけを扱い、少し病状がおちついたら町医者に紹介してそちらで治療させる。
或いは要介護老人などはその専用施設へ転院させる。
そうやって、常に、重症患者の緊急入院のキャパシティを確保しているのだろう。

救急病院には国からの補助金もたくさんでているし、その使命も重い。スタッフも場数をこなしているし、専門に分かれているから、
どうしても町の医者や薬局のサービスはたちうちできない。
金儲け主義とかそんな意味でなく、そういう小規模なところはどうしても人件費や諸経費がかかってそれらを治療費に上乗せせざるを得ないに違いない。
病気に罹ってみて初めて見えてきた世界だな。

だからずーっと救急病院に居座った方が得なのだろう。少なくとも今のように、町医者で手に負えないからまた救急病院に行ってね、
みたいなことを繰り返すようならずっと救急病院に通った方がよいと思う。
でも、そんな緊急性がなくなったら、救急病院の負荷を高めることはできるだけ遠慮した方が良いのだろう。