中国大陸

少年マガジンの「中華一番」という漫画を読んでいたら,
中国の形に盛りつけされた「真鯛大陸封」という料理が出て来るのだが,
これは時代設定は清朝だったのではないかな.
だとすれば外蒙古が中国領に含まれてないとおかしい.
中華民国では外蒙古は中国領だったはずで,
つい最近台湾政府が地図を書き換えたのじゃなかったかな.

追記:

華声和語

によれば,
1996年1月,
台湾政府は中国本土の県以下の地名を大陸風に改めたが,
モンゴルは未だに中国領に含まれているそうだ.

また,1689 年ネルチンスク条約当時ならば外興安嶺まで中国領だったはずだ…
つまりこの中国の形は人民中国のものなのだが….
まあどうでもいいか.漫画だし.

さらにどうでもいいことではあるが,中国でもマダイを真鯛と言うのだろうか.
非常にあやしい.
そもそも中華の冷菜に刺身が出るというのは,
皆無とは言えないかもしれないが,
極めて怪しい!

小室直樹

小室直樹のことはときどき私の「日記」にも出て来るので,
カンの良いひとはもうお気づきかもしれないが,
私は中学生の時に小室直樹に心酔して以来の小室ファンである.

小室直樹は 1980 年「ソビエト帝国の崩壊」で世に知られるようになった.
そのころはわっともてはやされてちょくちょくテレビに出ていたが,
討論会で女流評論家に乱暴な振舞いに及んだ,とか,
田中角栄裁判の検察官どもを送電線に逆さ吊りにしろ,とか,
文部大臣を縛り首にしろ,と言ったとか,
フィリピンの街頭で群衆を前にマルコスを殺せと演説したとかしないとか,
とにかくむちゃくちゃな人なので自然とマスコミには登場しなくなった.
テレビに出てる変人というのはしょせんパフォーマンスとして変人を演じているだけであって,
小室直樹ほどの変人になるとテレビには出せないのである.
その当時の一般的な評判は,奇人変人過激な右翼論客,というところか.
私も当時なぜ小室直樹はあれほどまでに田中角栄を擁護するのか理解できなかった.
今はまあまあ理解できているつもりだが,未だに三島由紀夫がどうのこうの
という当たりはついていけない.

小室直樹はカッパブックスというあやしげな大衆向け新書から
盛んに本を出していたが,
テレビには全然出て来なくなってしまったので,
知名度はどんどん落ちていったと思う.
「田中角栄の呪い」といった怪しげなタイトル,
ある種ふざけた文体など,まともな書物の体裁をとっていなかった.
落合信彦の本と並べて置いてあったりするとさらにうさん臭さが増したりした.
あれはおそらく預言が成就されたあとの,
未来の読者にだけわかるように書いてあったのである.
だいたい落合信彦の本はたいてい絶版になっているが(多分),
小室直樹の本は「ソビエト帝国の崩壊」から「国民のための経済学原論」まですべて今でも手に入るはすだ.
左翼系知識人は小室直樹をあまり相手にしなかった.
彼らは要するに世の中にもてはやされている人間や思想を論破することによって
自分が有名になりたいだけだ.
しかし実際に「ソビエト帝国」が「崩壊」してのちに小室直樹は
再評価されるようになった.
「ソビエト帝国の崩壊」を「預言」したのは小室直樹だけではないとか,
小室直樹が最初ではないとか,
あんなことは誰にだって言えるとか,そういう評価が多かったように思う.
エンジニアリングの世界でもそういう「結果論」
をぶつぶつつぶやくやつは必ずいるのだ.
小室直樹の預言は当たることもあるし外れることもある.
もちろん預言は当たるにこしたことはないが,
もし小室直樹の預言を批判したいのなら,その「方法論」を批判すべきだ.
それから,小室直樹は自分の願望を「預言」することがあるが,
これの的中率は極めて低い.
しかし「預言」とは本来そうしたものだ.
小室直樹があれほど祈願したにもかかわらず,田中角栄は甦らなかった.

fj に「小室直樹」の名前が出て来たのはせいぜい
「国民のための経済学原論」以後だ.
それまで小室直樹という偉大なる預言者を fj は知らなかったのである.
というよりも,fj はマスコミ(あるいはせいぜい大学の講義)から
仕入れたネタを肴にだべる程度のものだから,そんなもんだろう.

私は小室直樹のようになりたかった.
小室直樹のようになるということは,
小室直樹の本を読むだけではなく,
小室直樹だったらこのときどう判断するか,
小室直樹の本と相談することなく自分で解決できるようになることである.
例えば湾岸戦争や金丸の頃はまだ小室直樹がリアルタイムで御託宣してくれていた.
そのとき小室直樹が書いた本やコラムを読む前に,
自分なりに小室直樹だったらどう言うだろう,と考えてみる.
そのあと小室直樹の書いたものを読んでみるのだが,
彼はいつも私の予想と違うことを書いていて,落胆したものだ.

小室直樹の本に「日本資本主義崩壊の論理」というのがあってこれは副題が「山本七平「日本学」の預言」となっている.
山本七平はその最初の著書「日本人とユダヤ人」でこてんぱんに叩かれた.
それというのもイザヤ・ベンダサンという偽名で書いたことと,
最初の著書だったのでいろいろとナイーブな点があったのと,
当時最盛期だった左翼論客との泥沼のディベートに巻き込まれたためであろう.
つっこもうと思えばいくらでもつっこめる本を書いてしまったのが
山本七平の敗因である.
そして死体に鞭打つように,山本七平を攻撃する人は後をたたない.
いいカモにされているのである.
fj でカモにされるのも,山本七平のようなナイーブな人(素人)である.
小室直樹はわが国では「素人の業績を「専門家」は,絶対に評価しない.
況んや,これを採長補短し,健全に哺育するなど,夢想もできない.
その最も不幸な例が,故・山本七平氏である」と言っている.

幸か不幸か,山本七平は「日本人とユダヤ人」で名前を知られた.
で,以後の著作はすべて色眼鏡で見られるようになったのである.
山本七平は知識をひけらかすというところもないではないが
(それはすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
またそそっかしいことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
また説教じみたことを書くこともあるが
(それもまたすべての知識人がそうなんであって,
山本七平がとくにひどいとも思えないのだが)
特に悪意をちりばめて書いているとも思えない.
悪意を抱いている人間が読めば,
悪意をちりばめて書いているように見えることもあるのである.

新宿西口動く歩道

なぜまたあんな一方通行の歩道を作ったのだろうか.
しかも午後 3:00 に一旦通行人を締め出して方向転換する.
そのうえ,動く歩道は普通の歩道よりも1mほど高くなっていて,
動く歩道に乗るにはちょっとしたスロープを登り降りしなくてはならない.
動く歩道を作るのはまあいいとしてなぜなんな間抜けな仕様にしたのか.

出羽桜というのはもちろん関取の名前ではなくて日本酒の名前である.
がしかし風邪で鼻がつまっていて何を飲んでるのかさっぱりわからなかった.
ビールだとそれなりに楽しめるのだが.

以前「アムネスティ・インターナショナル」に
ロサンゼルス国際空港かどこかでドルをむしりとられて以来募金というものは決してしないと心に決めたのだが,
そもそも自分の金が誰にどう使われるかまったくコントロールできない状況で道端ではじめて会った人間を信用して金を渡してしまうというのはまったく愚かな行動だと思っているのだが,
秋葉で「阪神大震災がどうのこうの」と金を集めている連中がいたので例によって無視することにした.
私に声をかけた人は私の視界の外で「あれ?では募金だけでも…」
なぞといい続けていたのだが,
どうも彼らは「ボランティアだから金集めしても頭はさげなくて良い」
だとか「金を出すのは当然だ」とか「自分達は正しいことをしてる」
とか思っているようだが,
そのへんが私にはカチンとくるのだ.
その不快さがあとあとまで残ってしまう.

グルコノデルタラクトン

薬剤師の女性に,長年の謎であった「グルコノデルタラクトン」について聞いてみたところ,家に帰って教科書で調べて FAX で送るとのことであった.

早速送ってもらった.「グルコノデルタラクトン.白色の結晶又は結晶性粉末で,味は初め甘く,次に加水分解され,グルコン酸を生じ,わずかに酸味を呈する.食品では,大豆,牛乳の蛋白の凝固剤の他,膨張剤原料,酸味料,キレート剤などに用いる.」

ふむ.つまりグルコン酸というものが,蛋白質を固化させるんだな….
もちっと調べてみたくなったのだが,今「岩波理化学辞典」がどこかに行ってて調べられない.

釣月耕雲慕古風

私の部屋には,「釣月耕雲慕古風」と書かれた軸が掛かっている.床の間なぞないので,壁に直接,西日が当たらないあたりに掛けている.じいさんが昭和 45 年くらいに書いたものである.なかなか勢いがある,若々しい書体で,わりと良く掛けて眺めてたらしいから,当人も思い入れがあったんだろう.「月を釣り雲を耕し古風を慕う」というのは,漢詩の一句なんだろうが,誰の詩なのかわからない.どうも中国人の詩にしてはあまりに浪漫的というかボッカ的というか.もしかすると近世の日本人の作った詩かもしれん.

豆腐作り

ハウスの本とうふという手作り豆腐があり,これは大豆の粉を水に溶かして煮立たせたのち凝固剤を加えて作るもので,豆腐は確かに作れるんだが,こないだ試した「手寄せ豆腐」とは違い,まるきり普通の「絹漉し豆腐」の味で,これなら普通に売ってる絹漉し豆腐を買った方がましだ,という結論に達した.ただしこれなら,水気がない分軽いし,日持ちはするだろうね.あと,キャンプに持っていくとか.

今は冷蔵庫に入れとくだけで半年くらい保つ豆腐がある.あれは充填絹漉し豆腐の一種で,結構おいしい.

日曜ふと「東急ハンズならニガリを売っているんじゃないか」と思い立って,ついでに出来たばかりの新宿のハンズでも見物するかと,まず渋谷のひまわり(床屋)に行ったあと,わざわざ新宿に出かけた.予想はされていたことだったが,東京人の新しもん好きはすさまじいもんがある.交通の要所で,首都圏の人口のキャパシティが大きい分,なんか珍しいもんがあるとたちまちこんだけの人数が繰り出してくる.高島屋もハンズもむちゃくちゃな行列だ. Sega の JoyPolice や紀伊国屋書店もある. JoyPolice 大繁殖中だな.あほらしいので,代々木まで歩いて,渋谷に引き返した.代々木駅は,実は新宿北口や東口なんかよりも新宿ハンズには近いようだ.でもあほみたいに空いていた.恵比寿ガーデンプレイスが目黒と恵比寿のほぼ中間にあるのと同じようなもんだな.あれも,目黒から動く歩道をつければいいんじゃないの?したら,動く歩道だけで目黒から恵比寿までいける.ついでに山手線一周,動く歩道だけでぐるっと回れるようにするってのはどうだろう(笑).

代々木駅は南口しかない.北口があれば高島屋方面に行くにももっと近くて便利なはずだ.

渋谷のハンズの, 2A キッチン用品のフロアに,なんとニガリは売ってあった. 10 g 入りの袋が 20 くらいパックになったのが,なんと 300 円.安いもんだ.あとは豆乳.あちこち百貨店めぐりをしても,「調整豆乳」は売っていても,「単なる豆乳」は売っていない.サミットでスジャータの「豆腐のできる豆乳」を買う. 500ml で 110 円くらい.安いもんだ.

豆腐作りを試みたのだが,大失敗だった.あまり固まらない上に「苦すぎる」のだった.要領が皆目わからないので, 10 g のニガリを茶碗に入れてお湯を足して溶いてみた.ニガリというもんはどんな味がするんかの?という好奇心から一口なめてみたら,めちゃにがい.おかげで何度もうがいした.豆乳と混ぜるとこの強烈なにがみが取れるもんかな,と楽観的に考えて,ひと煮立ちした豆乳にニガリを加えたのだが,なかなかうまい具合に固まらない.しかも強烈ににがい.

ようするに今回,素人が単に豆乳とニガリを混ぜただけでは豆腐はできないんだよ,という至極当然のことが明らかになったわけだ.

寄せ豆腐のもと

サミットはスジャータの「豆腐のできる豆乳」を売っていたりと,豆腐にはなかなか造詣が深いスーパーであるとお見受けいたす.それで,今回非常に珍しいもんをみつけた.寄せ豆腐,おぼろ豆腐,汲み出し豆腐,釜出し豆腐などいろいろ言い方はあるが,その類の豆腐は最近はどこのスーパーでも手に入るようになった.ところが,これは,寄せ豆腐のもと,というかなんというか.普通の寄せ豆腐のような,プラスチックの容器の中に,なんと豆乳が入っており,それとは別に液状のニガリがちっちゃなビニールの袋の中に入っている.豆乳にニガリを入れて「電子レンジで 3 分温め」,そのあと 5分待てば出来上がるとのこと.

おおっ!すげえぜ!なんてこったい.

うちには電子レンジなぞという文明の利器はない.ミルクパンで豆乳を温めつつ,ニガリを投入(シャレを言ってる場合ではない)する.専門用語では「ニガリを打つ」というらしいが. 70 ~ 80 度くらいで温めるというのは,以前何かの本で読んで知っていたので,ちょうど牛乳を温める具合に温めるんかな?と思いつつガスコンロで温めてると.おおっ.固まる固まる.

スプーンですくって食べてみると,なんと感動的にうまい!むう.おそらくこれが豆腐の,いや大豆の一番うまい食いかたではあるまいか.

そうか.豆腐は豆乳とニガリさえあれば,こんな簡単に豆腐は作れるのだな.豆乳はスジャータのを買えばよい.なければ 1 日水に浸して,ミキサーで砕いて漉せばいいのだ.問題はニガリだな.どこにいけば手に入るのだろう.そりゃあ,豆腐屋にいけばあるだろうが.売ってくれるかなぁ.

充填絹ごし豆腐

市販の豆腐では,あたりはずれが比較的少ないという意味で「充填絹ごし豆腐」が好きだ.固めたあと水にさらしたやつは,味が抜けてしまってるような気がする.「充填絹ごし豆腐」は大豆の味が封じこめられているような気がする.今日は最初そのままで,そのあとフリーズドライの「きざみわけぎ」と醤油をかけて食べてみた.

中台危機ダイジェスト

新聞が溜ってきたので,捨てる前に「中台危機ダイジェスト」でも書いておこうと思っていろいろ読んで見たら,ものすごい量なので,ちょっといやんになってきた.でも時間あるだし.やってみるか.

※追記: 1996年に起きた第三次台湾海峡危機のこと。

華声和語ものぞいて見たが,あんだけ大騒ぎになったわりにはあまり記事がない.かなり遠慮していると見た.

2月1日 台湾株価急落

国民党系企業,中央銀行の連日の介入.今から思えばこの時期の株は「買い」だったよな.

2月2日 米の不確実性有益

ナイ前米国防次官補に聞く.

--中台間で衝突が起きたらどうするのか.

米国政府はそうした質問には答えないことにしている.台湾を守ると言えば,台湾は冒険をしようとするかもしれないし,逆ならば,今度は中国がより攻撃的な姿勢をとるかもしれないからだ.

この問題では(米国がどう出るか分からないという)不確実性こそが戦略的に有益な役割を果たす.朝鮮戦争の際に何が起きたかを思い起こすべきだ.当時,米国はいったん韓国を防衛しないと表明,その後,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が韓国を攻撃し,結局,米国が韓国防衛に乗り出した.

この記事については既に3月8日にも言及している.さて,上の朝鮮戦争のときと全く同じことが南沙諸島問題についても言えるだろう.フィリピンから米軍基地が撤退したことが,現在の南沙諸島問題の遠因になっている.結局フィリピンは中国に対抗するために米軍の軍事力が必要なのであり,フィリピンはまっさきに,日米安保見直しに賛成した(日経 4/18.ラモス大統領「米国がアジア太平洋地域と軍事的関わりを持ち続けることがはっきりした.宣言を歓迎する.」).

2月8日 福建省で軍事演習

人民解放軍が 2/10 未明から福建省沿岸で陸海空軍の合同演習.旧正月(19日)前に終了.

2月10日 中台軍事力比較

米国介入なしでも台湾は自力防衛できる,との楽観的な見方も.ただしミサイル攻撃にはほとんど無防備.

ついでに台湾に旅行したとき見聞したことを書く.台湾では social service や military service がある.いわゆる徴兵・兵役である.蒋介石を祭った中正紀念堂というのがあって,ここで女子高生らしき連中が日曜の午後にブラスバンドとかバトントワラーとかやっている.一見なごやかな光景である.しかし,よくよく見るとバトンと思っていたものが銃剣なのである.つまりこれも軍事演習の一部と見てよい.日本では,普通の女子高生が武器の取扱いの稽古をしたりすることは,ない.つくづく日本は平和である.と思った.

2月13, 14日 中国の集結部隊「大規模ではない」

40 万人という数は,台湾の経済に影響を与えるために流された可能性がある.とのこと.
実際は 15 万人以下(台湾国防省発表).また,李登輝総統の得票率を下げるため,とも.

2月14日 米政府高官相次ぎ中国牽制

ペリー国防長官.

中国は今こそ正しいメッセージを米国に送るべきだ,

この段階では言葉による牽制.

2月23日 台湾の歴史

台湾には外省人(共産党政権誕生後,中国本土から移り住んだ人)と、本省人(それ以前から台湾に住んでいた人)がいる.

1947年,台湾住民は初め中国復帰を喜んだが,国民党の強権と腐敗に失望.本省人の騒乱を武力鎮圧.

1949年,国民党は共産党との内戦に敗れ,台湾に移動.少数派の外省人が権力の一切を握る.本省人の亡命者国外活動.

1988年,本省人の李登輝総統登場.独立運動も合法化.ちなみに李総統は本省人.京大 OB だそうだ.

2月29日 米国対中赤字急増

米国の対日赤字が減少する半面,対中赤字が急増し,対日赤字に迫る勢い.

そうか~.中国ってけっこう儲けてるんだな.それで米国は対中制裁とかって言ってるんだな.

3月4日 二・二八事件

1947.2.27 国民党政府の警官がヤミタバコ売りの中年婦人を殴打.翌日には台湾全体の騒動に.蜂起した人々が親日的であったことが災いし,国民党関係者との凄惨なリンチ合戦に.南京中央政府は精鋭部隊を派遣して暴動を鎮圧.二万人以上の台湾人が殺された.台湾人は国民党に失望.

3月5日 ミサイル演習発表

人民解放軍は 3/5 から 3/15 まで,台湾に近い東シナ海と南シナ海でミサイル発射訓練をすると発表.

3月6日 即時反撃

台湾国防部長.

中国軍の発射したミサイルが一発でも台湾の領海 12 カイリに着弾した場合,台湾は直ちに反撃する.

3月8日 ミサイル演習強行

発射されたのは地対地中距離ミサイル M9.台湾を緩やかな経済封鎖に置く形.

橋本首相

公海上では法的に問題ないのかもしれないが,不幸な方向にあると思う.

3月11日 空軍機避難打診

台湾が,フィリピン,シンガポール,インドネシアなどに,中国との軍事衝突になった場合に空軍機を避難させられるかどうか,非公式に打診した.中国は,空軍設備をミサイル攻撃して制海・制空権を握ったのちに,台湾に上陸してくると考えられるため.

3月12日 中国実弾演習

広東省沖海空軍実弾演習.

横須賀を母港とする米第七艦隊空母インディペンデンスを台湾沖に派遣.原子力空母ミニッツ,ペルシャ湾から急行.ミニッツは通常パキスタン・インド間の紛争に備えてインド洋辺りにいる.

クリストファー国務長官

中国の演習は無謀な威嚇であり危険な威圧だ.米国は必要な場合に助けになるため台湾に近付く。

橋本首相

公海上で動いているわけだから,第三国がとやかく言うことはできない.

確かに.しかし限りなく当事者に近い第三国である.

外務省

西側諸国がさまざまな行動を起こしているにも関わらず,中国側は必ずしも期待したような自重と自制の方向にない。

わが国が自制を求めたにも関わらず,新たに実弾射撃訓練まで公告したのは,台湾周辺での軍事訓練を本格化させるもので,アジア全体の安定にとって好ましくない。

この日の産経新聞第三面「怪刀乱麻・江沢民さんの記念碑を」は,いかにも産経らしい論説.

  1. 中国がおっかない国であることを自分からみせつけた.
  2. 中国は安心できないと周辺諸国がつくづく思い知らされた.
  3. 日米双方で安保の重要性が増してくる

ことから,江沢民の記念碑を浦賀に建てよう,という話.

3月13日 米議会に「親台」広がる

イギリス,強い批判.ロシア,自制要望.中国,米艦隊派遣批判.

3月14日 防衛庁分析

3月15日 日経朝刊第一面左下

12~13日,米軍と自衛隊が,「演習を装って集結した中国軍部隊が台湾海峡にある金門,馬祖両島やそれ以外の台湾の島に対して限定的奇襲攻撃をかける恐れがある」と判断,極めて高度の厳戒体制に入っていたことが14日防衛庁筋が明らかに.

「防衛庁筋」とは?

この件については3月10日にも触れた.

金門島というのは,マカオのすぐ近くにある島で,福建省から数キロしか離れてない.台湾領土ではあるが台湾本島よりも中国本土に近い.

3月18日 福建省沖陸海空軍合同演習

3月19日 米下院台湾防衛決議可決

米下院.中国が台湾を攻撃した際に軍事介入を米政府に求める決議を可決.

アメリカは中国による侵略,ミサイル攻撃,海上封鎖から台湾を守らなければならない.

艦艇,航空機,対空防衛システム供与を政府に求める.

総統選候補者

李 登輝
与党 国民党
優先課題は中台敵対状態の集結
長期的には中台統一.
彭 明敏
野党 民進党,元台湾大学教授,政治学部長
台湾独立.日米による牽制望む.
林 洋港
無所属,前司法部長.前国民党副主席.
中台統一
国家は一つ.統治権は二つ.
陳 履安
無所属,前監察院長
中台統一
李総統のあいまいな態度が中台緊張の原因.

3月20日 米,台湾にミサイル供与

米政府.台湾に地対空ミサイル「スティンガー」供与決定.台湾要請の潜水艦供与は見送り.

3月21日 米上院決議

米上院も,下院同様決議.

3月23日 総統選開始

3月24日 台湾総統直接選挙

「中国世界初」の最高指導者直接選挙.アジア諸国のコメント慎重.中国に遠慮か.

中国発言「台湾は中華人民共和国の一部」から「一つの中国」へ軟化.

李総統勝利宣言,公用語の北京語ではなく台湾語で.

> 党派の利益を越えて一票を投じてくれた方にお礼したい.

中国の軍事演習の危機感のために,与党国民党ばかりでなく,野党民進党の独立派本省人の支持を広く受けて圧勝したことを指す.

民進党候補が 30% 得票すれば,選挙後国民党と民進党の連立政権が誕生するというシナリオであったが,結果的には国民党の一人勝ちになった.

開票結果

李 登輝 54.0 %
彭 明敏 21.0 %
林 洋港 14.9 %
陳 履安 10.0 %

3月27日 米艦隊撤収

26日,ペリー米国防長官

危機は今や過ぎ去った,と理解している.

中国は軍事演習を終え,自軍へ撤収した.楽観的な見方さえしている.

米国務省バーンズ報道官

米空母インディペンデンスは母港横須賀へ帰還を開始.米原子力空母ミニッツはオーストラリアへ移動.

参考文献

華声和語

[ 4/1 No. 80]
[ 3/26 No. 79]
[ 3/18 No. 78]
[ 3/12 No. 77]
[ 3/4 No. 76]

山形

月曜日に山形にいった.
山形行は合宿免許で赤湯というところにいって以来である.
今回は「つばさ」でいった.
福島まで,仙台行きの「やまびこ」と山形行きの「つばさ」が連結して行くんだけど,
「やまびこ」がやまがた行きみたいな気がしてしょうがない.
「やまびこ」がやまがた行きの方が,絶対間違えにくいと思うのだがなぁ.

山形には昔「ヤマガタダイカイギュウ」というジュゴンみたいな動物が棲んでいたんだそうだ.
漢字では山形大海牛とかくのだろうな.
山形県立博物館で,
天井から全長五メートルくらいの足がない動物の化石が吊してあって、
いかにも巨大な動物の霊のようであった.