ブログのタイトル

これまでけっこうあちこちでちょこちょこブログを書いてきたが、それらの記事は最終的にこの「はかもなきこと」に全部まとめている。こういうレンタルサーバーにブログを置いていると死んだとたんにサーバーごと消滅してしまうので、はてなブログなどに移しておこうと思ってた頃があったんだけど、まあそれはそれで、生きているうちはやはり自分のサーバーに置いておいたほうがカスタマイズしやすいし、人のブログもいくつか管理しているので、そんならついでに自分のブログも再開しようということになった。

「不確定申告」というのは今もはてなブログにあると思うが、それはここのバックアップのようなもの。

「はかもなきこと」は昔実名でブログを書いていたときのタイトルなのだが、その当時のブログは今検索してもまったく出てこないだろう。田中久三名義で書き始めたのは「亦不知其所終」というタイトルだったがこれは日本外史の北条時行のところで出てくる文句。「はかもなきこと」は和泉式部日記の「はかもなき夢をだに見であかしてはなにをかのちの世語りにせむ」から来ている。「はかもなきこと」「亦不知其所終」「不確定申告」いずれにしても、私はどうも否定から入るのが好きらしい。気をつけなくてはならない。ほかにも「世田谷素描」という題でブログを書いていたこともある。これも今検索してもまったく出てこないと思う。

アメリカは金利を下げるという。金利を下げるとまたしてもアメリカ人は借金して株を買うだろう。NYダウもとんでもない額になっている。金利を下げれば物価は上がり、賃金も上がり、インフレも進むだろう。貧乏人はますます借金し、ますます生活が苦しくなる。いいのかそれで。そもそもインフレになるのはアメリカの景気が良いからではなく逆で、景気が悪いからドルをどんどん刷って景気を無理やり回そうとするからで、ドル刷りすぎというのは政府、いや、中央銀行が悪い。ドルを刷るのはタダだからどんどん刷ってしまう。インフレになればなるほど貯金をしても無駄でむしろ借金したほうが得、ということになる。アメリカはもう完全に腹をくくってやっている。この借金経済というものはドルが基軸通貨であるうちは誰も損はしない。アメリカにどんどん借金が溜まっていっても、でっかい戦争があればそんなものは吹っ飛んでしまう。ただしアメリカ以外の国の通貨がとってかわって基軸通貨となったときに、アメリカは借金のせいで死ぬ。

ユーロは、EUが貧乏国をたくさん抱えているせいで信用がない。基軸通貨にはなれまい。スイスフランは安定していて高値だが、国が小さすぎて基軸通貨にはなれない。同じことはイギリスポンドや日本円にも言える。人民元は中国がもう少し腰が低くものわかりの良い国だったら今頃とっくに基軸通貨になっていたかもしれないが政治が悪すぎる。インドも人口が多いだけでまだ全然ダメ。となるとしばらくはアメリカドルでいくしかないから、案外パクス・アメリカーナはまだまだ続くのかもしれない。ただ誰もが言っているように大統領選挙のあと株がどかんと下がるってのはかなり高い確率でありえる。今のうちに売っておきたい株はいくつもあるのでそれを適当なところで売っておき、下がってから買い足す予定。私の場合特に理由がなければ100株ずつしか買わない。リスクは分散させたいからだ。一人投資信託的なやり方。下がったらナンピンして後で損しない価格で売って100株に戻す。基本的にそれしかやってない。なら最初から投資信託でいいじゃんと思うかもしれないが、他人任せなのは嫌なのだ。

何もやる気が起きないときには何もせず何も考えないのが良いのかもしれない。そうしていると無意識に脳の中が整理整頓されて、またものを考えようという気が起きてくる。それが瞑想とか悟りというものかもしれん。

飯も食わず、酒も飲まず、人とも会わず。勉強もせず。そういったものを無理につめてつめて人生を有意義にしようとするのがかえってよくないのかもしれない。

岡本太郎2

相変わらず岡本太郎を読んでる。

岡本太郎は伝統は過去のものではなく現代のものだと言っている。確かにその通り。過去の、死んだものではなく、その継承者や文化、生活とともに in vivo に保存されたものでなくてはならない。しかし、続けて言うには、

「伝統」は、もっぱら封建モラル、閉鎖的な職人ギルド制の中で、むしろ因襲的に捉えられて来ました。今日でもほとんど、アカデミックな権威の側の、地位をまもる自己防衛の道具になって、保守的な役割を果たしています。

そうした不毛なペダンチズムに対する憤りから、岡本太郎は『日本の伝統』を書いたのだという。「伝統」と言っても明治後半に作られた新造語に過ぎず、「内容も明治官僚によって急ごしらえされた」「文部省がバックアップして権威になると」「無批判に、ウムを言わさず国民に押し付けてしまう」「新しい日本の血肉に決定的な爪あとを立ててはいない」「大層に担ぎあげればあげるほど、かえって新鮮さを失い、新しい世代とは無縁になりつつある」「学者、芸術家、文化人、すべてが官僚的雰囲気の中で安住している」、要するに、東京大学文学部の亀井勝一郎、竹山道雄なんかが嫌で嫌でたまらないんだろうなってことはよくわかった。私が佐々木信綱に抱く感情に近いものがある(佐々木信綱には私が好きな歌もあるが、考え方で相容れないところも多い)。

まあよろしい。しかし

絵描きには浮世絵や雪舟よりも、ギリシャ・ローマの西洋系の伝統の方が、現実の関心になっている。

などとくると、はて、それは単に、あなたの感想ですよね、としか言いようがなくなってくる。浮世絵や、明治に入ってからの錦絵などにも、面白いものはいくらでもあるではないか。もちろん明治の錦絵や、もっと後の川瀬巴水なんかは西洋画の影響を受けたものではあるのだが。

源氏物語だとか(中略)新古今だとか俳諧だとか(中略)それよりもスタンダール、ヴァレリー、ドストエフスキー、サルトルでも、カフカでも、フォークナーでも構わない。多少のインテリなら、若い日、むしろそういうものに夢中になり、魂が開かれ、(中略)音楽でも、ベートーヴェンやショパンよりも第何世常磐津文学兵衛の方がぴんとくる、なんていう若者は珍しい

などというに至っては、それってただの西洋かぶれですよね?としか言いようがない。スタンダールも私は読んでみたが長すぎて展開が遅すぎてとても読めなかったんだが、岡本太郎は読んだことがあるのだろうか。サルトルなんてばかばかしくて読む気もおきない。三遊亭円生が落語の中で常磐津なんかをうたったりするが、常磐津がすごく好きなわけじゃないが、ああいうふうに歌えたらきっと気持ちが良いだろうなとは思う。

岡本太郎の視界には、杜甫や李白、史記、平家物語や吾妻鑑や太平記、日本外史、三国志演義、西遊記、水滸伝、紅楼夢のようなものはまったく入ってこないのだろう。彼に見えているものは伝統そのものではなく、伝統を掲げてふんぞり返っている官僚や学者、虎の威を借りる狐らの姿なのだ。トゥキディデスやクセノフォンやアリアノス、イブン・バトゥータも見えてはいるまい。

岡本太郎は、どこか書きすぎるところがある。突っ走り過ぎるところがある。面白いことを言ってるけれども、明治政府が作り出しそこに乗っかった権威主義的アカデミズムが嫌い過ぎて、そこへ自分自身の偏見と無知が加わって、いたるところで論理がねじ曲がり破綻しており、勢い、明治以前の文芸を否定し西洋を礼賛している、ように見える。しかしながらしょせん彼は言論の人ではない。評論家ではない。画家であり芸術家であるから、多少おかしなことを言っても、あーあの人は芸術家だからと見逃されているだけだ。

私もつい先日文学というものを書いたが、私が感じている近代文学のいかがわしさというものを、岡本太郎も感じているのだと思う。

装飾

岡本太郎は『日本の伝統』で

装飾性と芸術の関係は大へん複雑ですが、芸術が本質においてはたんなる装飾の反対物であることは確かでしょう。真の芸術は装飾性をおびることはできますが、けっして純粋の装飾ではなく、それを越えたものでなければならない。

装飾的絵画では、意がみちてそれを越えたばあいはよい。しかし一つまちがえば平板なデコレーションに堕し、無内容な非芸術におちいってしまう危険性をいつもはらんでいる

などと言っている。しかしながら岸田劉生は『想像と装飾の美』において

美術というものは元来人間の想像の華(はな)である。その根本は装飾の意志本能にある。美術とは世界の装飾にあるともいえる。美は外界にはない、人間の心の衷(うち)にある。それが外界の形象をかりて表われると自然の美となりその表現が写実となる。それが外界の形をかりずにすなおにじかに内からうねり出て来たものが、装飾美術になる。

と言っている。ここでまず注意せねばならぬのは、岸田劉生は美術における写実と装飾を対比させているのに対して、岡本太郎は、美術の本質は装飾を超えたところにあるべきだ、と主張しているところだ。岡本太郎は写実と装飾の間の緊張関係などというもの、つまり写実などというものには何の関心もないように思える。

岸田劉生は洋画も描き、自ら日本画も描いてみて、日本画で写実を追求するのは無意味である、日本画の本質は装飾にある、美術とは世界を装飾することであり、装飾とは人の心の中にあるものだと言っている。尾形光琳や岸田劉生の境地に至れば、装飾もまた芸術であるということについて、岡本太郎は反対するわけではあるまい。

岡本太郎は「デーモニッシュな緊迫感こそ芸術の内容」であるといっている。それはそうであろう。伝統美術にもデーモニッシュな緊迫感は必要だ。世の中には伝統美術をただ継承し墨守し、「単なる装飾」「平板なデコレーション」にしてしまう人が多い傾向がある、それはそうとして、伝統美術が本来、悪魔的な何かを欠いているわけではない。装飾的でない写実的な絵画であろうと、抽象画であろうと、現代美術であろうと、前衛芸術であろうと、意が満ちておらず、デーモニッシュな緊迫感を欠いておれば、平板なデコレーションに堕し、無内容な非芸術におちいってしまうのは同じことではないか。そこを分けるのは伝統と前衛の違いではないはずだ。世の中には無内容で非芸術な現代アートだっていくらでもある(LEDでただピカピカ光るだけのインスタレーションとか、都庁なんかに投影したプロジェクションマッピングとか)。伝統芸術以上にデーモニッシュな現代アートを見つけるほうがむしろ難しいほどではあるまいか。

岸田劉生のアートは過去との連続性でできている。一方で岡本太郎は過去を切り捨て、過去に価値を見ないことでそこからアートというものを定義付けようと企んでいるように見える。明らかに岸田劉生のほうが無理がなく自然であり、岡本太郎のほうは強引で、決めつけで、いたるところで論理が破綻しているように見える。

岡本太郎

近頃の twitter はほんとうにもう見るのも嫌だ。特定のアカウントを巡回し、思いついたことをメモしたり写真を載せたりするだけにして、まとまった文章はこちらに書こうと思う。

一年のうちで三月と八月はとくに気力が萎えるので、そのせいもだいぶあるとは思うが、なんというかもうまったくやる気が出ないし、生きている張り合いがない。思うに私の場合、本を書いている間は、すごい本を書いて世の中に残すぞーと、気が張っていて、生きているという充実感があるのかもしれない。しかし原稿が出来上がり、校正する余地ももうほとんどないとなると、急にやることがなくなって、これから何をやればいいんだろうという喪失感でいっぱいになってしまうらしい。

もちろん実際に本が出て、良いとか悪いとか、人の評判を聞きたいとは思うが、しかしそれ自体がもう少し長生きしたいなとか、人生って楽しいなという風にはならず、じゃあもう本も書き終えたことだしあとはできるだけ苦しまずに死にたいななどと気分になりがち。

岡本太郎は両親がともに文人であったからあのように文章が書けたのであろうし、また彼の書いたものを出版してくれるツテにも困らなかったのだろう。岡本太郎という人を見ていると、アートとは煎じ詰めるところアートビジネスのことなのだなと改めて思わされる。日本のマスコミにしても、ゴッホやピカソのようなアーティストが日本にも欲しい、ではだれをそのシンボルとして奉るかと物色したところ、一番手ごろなキャラクターだったのが岡本太郎だった、ということではないか。彼の作品に目立つもの、奇抜なものはあるけれども、ではもし彼が大阪万博で太陽の塔の制作を任されていなかったら、今どれくらいの人が彼を覚えているだろうか。彼が太陽の塔を作ったのは、一部は実力であろうが、アート業界におけるコネとか出版社や新聞社やテレビへの露出のおかげというところが大きかったはずだ。

実際私が岡本太郎の作品でレプリカなりなんなり所有したり飾ったりしたいかと言えば、それほど魅力的なものはない。そもそも私はピカソが好きではないし、現代美術、前衛芸術にも関心がない。私が絵葉書を買ってみたり、額装して壁にかけたりする絵といえばレンブラントくらいしかない。レンブラントと岡本太郎はまったく真逆の作家だ。

戦前、旧秩序を擁護した朝日新聞は、戦後、旧秩序をぶっ壊す側に回って保身を図らねばならなかった。そうした状況で岡本太郎はちょうどよいアイコンだったのではなかろうか。

岡本太郎が亀井勝一郎、竹山道雄など学者の文章をこきおろしているところがあるが、これとても一種のヤラセであろう。ほんとうに日本のタブーに触れるのであれば出版社や編集者がそういう文章を世の中に出すはずがない。竹山道雄は、斑鳩の里や法隆寺は美しいが駅前のパチンコ屋は汚いなどというどうでも良い話をしている。そんなことをわざわざ文章にすることになんの意味があるのか。情報量ゼロではないか。そして岡本太郎のように、そんな文章をわざわざ批評することにも意味はないのである。岡本太郎は竹山道雄の文章は美文ではあろうが美そのものではないという。そりゃそうだろう。世の中には情報量ゼロの美文をありがたがる人がたくさんいる。それに比べて、最初は汚くみっともなく見えたゴッホやピカソのほうが現代ではより広く世の中に受け入れられている。それはその通りに違いない。

また、小林秀雄が押し入れから骨董品を岡本太郎の前に次々にもち出してきて目利きを試すという話があって、小林秀雄という人はそうやってちまちまと骨董品を蒐集し人にみせびらかすような人であったのかと、しかも骨董品の鑑定というものに対してひどく臆病な人であった(骨董趣味の人はしばしばそうだが)ことがわかり、これはこれで面白いエピソードだけど、そこで岡本太郎が言うのは、経験で鑑定するのでない、玄人は知り過ぎている。素人のほうが批評はうまいはずだ、などと言っていて、そういうこともあるかもしれないが、そうではないこともあるかもしれないとしかいいようがない。ほんとうであるとも嘘であるとも証明できないことを延々と書く。芸術家の文章にはありがちではなかろうか。

岡本太郎は芸術と芸を分けたがる人で、彼の定義によれば、芸とは芸能とか技能のようなもので、伝統的な様式美をとにかく守るものであり、一方で、芸術とはそうした家元とか伝統とは関係なしに若者がいきなり作り出すものである、などと言っている。別にそう言いたければそういえばよかろう。この定義は、岡本太郎やピカソやゴッホには当てはまるけれども、世の中はすべてが前衛芸術でできているわけではない。そんなことは岡本太郎自身承知しているわけだが。

彼は技術と技能の違いについても書いている。技術はひたすら未来に向かって進歩していくが、技能は逆に後ろ向きで、伝統を墨守するのだと。そうかもしれない。だが、技術と技能は真逆のものであり、相容れないものだ、とは私は思っていない。和歌を詠んでいればわかることだ。彼は法隆寺が焼けたのであれば自分が法隆寺になれば良い、古典はその時代のモダンアート、などという。まさにそれであって、古いものを残し尊重しつつ、自らも新しいものを作ることが大事なのだ。古いものと新しいものを区別することは(やりようによってはしばしば)害悪でもある。戦前と戦後、江戸時代までと近代で線引きして一方は良く他方は悪いという、いわゆる二分法で書かれた主張は、わかりやすいだけでたいてい間違っている。

彼が室町や江戸時代の文芸、美術について書いている箇所があるけれども、やはりよくわかってない、というよりかなり雑な知識しかない。そりゃそうだろう。知識や経験があってはいけないと言ったとたんに室町時代の芸術はほとんどすべてわからなくなる。アフリカやポリネシアの原住民が彫った彫刻とか、文字がなかった縄文時代や弥生時代の土偶や埴輪とは違うのだ。文字は読んで理解しなくてはならない。

正しいのか正しくないのか確かめることもせず、本人が実際に書いものを直接読まずにその人を批評する人が非常に多いので、岡本太郎のやり方考え方は非常に危険だと思う。文芸に関していえば、ちゃんと読まなくてはならない、徹底して読まなくてはならない、それはいわゆる世の中の芸術鑑賞とは違う、それが文芸の本質だ。

世阿弥が優れていると岡本太郎は言っているがではあなたはどれくらい世阿弥を読んで理解しているのか。世阿弥と世阿弥以外はどう違うのか、自分で読んでいなくては説明できないはずだ。現代美術には詳しく、一方古典芸能については雑な式しかなく、その上で現代美術は優れていて古典芸能はだめだというのでは説得力がまるでない。

岡本太郎は伝統芸能を批判し、本居宣長も古今伝授をさんざんに攻撃する。私も宣長につられて古今伝授を批判し、それで和歌を擁護したつもりになったりもしたのだが、そういうつまらない伝統やしきたりを目の敵にしてもあまり意味はない、少なくとも、時間を費やして文章にしたり、ましてやそれを出版する必要はないと思えてきた。別に私がやらなくても岡本太郎が書いていることを、わざわざ私が書く必要はない。みんなどこかで読んで知っていることだから。ほんとうに自分だけが気付いたことを書けば十分だ。

去年のこの辺りから岡本太郎の文章を読み始めたようだ。リンクを貼っておく。この頃から既に生きているのが楽しくないなどと言っているようだ。面白いね。おんなじことを何度も何度も書いているのは年寄だから仕方ないということにしておこう。

ウクライナ

ツイッターあたりですでにさんざん書き散らかしたことではあるが、ブログにはまだ書いてないと思うので、まとめておく。ポーランドやバルト三国などはともかくとして、ベラルーシとウクライナはピョートル大帝以来ずっとロシアの縄張りだった。それがソ連となり、ワルシャワ機構となり、冷戦時代となり、固定化した。

しかしソ連は弱体化した。経済的にというより、国力的にというよりむしろ、科学技術的にまったく西側諸国に追いつけずに崩壊した。そうなると、ポーランドやバルト三国はまっさきにロシアのくびきから逃れたけれど、ピョートル大帝、いやその前のイヴァン雷帝以来の属国であったベラルーシとウクライナはロシア圏にとどまった。

ところがだんだんとウクライナはなんの頼りにもならないロシアよりも、豊かなヨーロッパのほうにひかれていった。ウクライナはもともとキエフ公国であり、東ローマ帝国の継承者といってよく、西アジア世界の文化文明はギリシャから黒海を渡ってキエフを経て、だんだんにかつてモンゴルが支配していたロシア内陸部に伝播していって、モスクワ公国ができた。しかしいつの間にかモスクワがウクライナの親分みたいになってしまっていた。ウクライナとしてはロシアと縁を切ってヨーロッパの、EUの、NATO の仲間に入りたがった。

しかしウクライナを失うとロシアは同時にクリミアを失ってしまう。クリミア戦争時代からの権益を失ってしまう。またプーチン大統領は、自分の統治時代になって、イヴァン雷帝以来、ピョートル大帝以来の権益を失うことにはとうてい堪えられなかった。もちろんロシアはウクライナを失っても黒海への出口を完全に失うわけではないのだけど、シベリアなんかは持ってても広いだけでなんの価値もない土地だし、ウクライナを失うと結局ロシアは実質的にモスクワ大公国時代の田舎国家に戻ってしまう。

となるとロシアとしてはウクライナをやすやすとNATO、EU側に渡すわけにはいかない。戦争にならざるを得ない。だけどあえてゼレンスキーがそれをやらかしたということは、ゼレンスキーが英雄だったから、勇気があったからというよりは、アメリカの全面的なバックアップがあったからだ。

アメリカとロシアが直接戦争すれば世界大戦になってしまう。だからアメリカはウクライナを支援するだけにした。ロシアが大嫌いなヨーロッパ諸国は大喜びした。しかしこれは実質的にアメリカとロシアの戦争だ。少なくとも日本にとって、ウクライナがどうなろうとなんの関係もない話である。ウクライナもロシアもポーランドもベラルーシも同じスラブ系の国であり、彼らがどうしようかということは彼らが決めれば良いことであって、日本が口出しするようなことではないし、ましてウクライナを支援するなど馬鹿げたことだ。そういうことを言って朝鮮を支援し、中国を支援し、インドシナに進出して、インパールにも出ていって、日本は痛い目にあったのではないか。外国がどうなろうと日本はかまうべきではないし、かまうなら相応の責任をしょい込む覚悟が必要だ。

アメリカは戦争がしたいのだ。なぜならそれが一番儲かるからだ。アメリカが抱える借金を帳消しにするには戦争が起きたほうがよい。でも世界大戦は嫌だ。だからウクライナ戦争が起こった。それでもまだアメリカの借金は膨らんでいく。では次はどうなるのか。アメリカは戦争を好み、貧乏人を借金漬けにする悪い国だ。

借金経済

借金漬けになって自転車操業しているといえばたいていの銀行はそうだ。だから銀行は取り付け騒ぎが起きるとあっという間に倒産してしまう。たいていの中小企業もそうだ。銀行や信用金庫から借りれるだけの金を借りて手元に現金を残しておく。利息払いが勿体ないが、それよりか運転資金に余裕があるほうが大事。借りるには審査が要る。審査通ったなら借りないほうが損という考え。

同じことでアメリカは借金経済なので、一般市民が借金すればするほど経済は回る。金持ちでも信用取引なんかやってる連中は借金しているのと同じだ。自分の金だけで堅実にやっている人も中にはいるのかもしれないが、ちょこちょこ低利で金を借りてそれで利鞘を稼いで高利で運用して返して儲けが残れば良い。そういう運用をしている。

アメリカという国はずっとそういうこすっからい錬金術を試してはこけ試してはこけしてきた。

つまり、要するに、貧乏人をどんどん借金漬けにして失業しても破産しても放置すれば良い。そうすることによって借金経済が回り、借金経済がさらに拡大すればよい。借金は悪ではない。善である。貧乏人がたくさんいることは経済発展の必然である。

多少消費が減ったくらいで慌てるな。多少失業者が増えたくらいどうってことない。多少のリセッションくらいはあっても、国全体が破綻することはない。バブルがはじけることはあってもうまく制御してソフトランディングにもっていけばそれでよい。貧乏人が足りなけりゃどんどん活きの良い移民を入れれば良い。そのほとんどがいずれ借金の返済が滞り貧民層に落ちていこうがしったことか。中には優秀なやつもいて、がんがん経済を回すようになるかもしれない。

失業して食うに困って家も売って道端で生活する連中や犯罪者が増えて、治安が悪化しても、治安の良い場所に金持ちだけの町を作れば問題ない。いくら治安が悪いといっても、メキシコや中南米諸国に比べればまだマシだ。とりあえず借金するやつは多ければ多いほど経済のためにはよく、救済する必要すらない。逆に、救済しようとするから経済が冷え込んで不況になるのだ。アメリカの金持ちたちはそう考えているのかもしれない。日本だととうてい考えられない、「非人道的」な政策だが。

日本では、幕府が財政難になると松平定信みたいに緊縮する。おんなじことをバブル期の首相もやった。総量規制。当時の大蔵大臣は橋本龍太郎だった。ああいうことするからダメなんだよとアメリカの金持ちたちは笑っているのだ。

小室直樹もバブルなんてわざわざ潰す必要はなかった、と言っていたと思う。

文学

私は文学という言葉が好きではない。小林秀雄も文芸とはいうが文学とはなかなか言わないと思う。文学というのは文芸に関する学問のことであって、文芸、つまり、言語による芸能、あるいは創作活動そのもののことではないように思える。

誰かがliteratureを無造作に文学と訳して、それがそのまま定着してしまった。私が文学という言い方をするのは近代文学、文学者が文学ブンガクというときにの文学に限られる。文学という言葉にはガリ版刷りの油インクのような嫌な匂いを感じる。文学というと、新聞紙で何かをこすったときにインクと油と匂いが付いてしまうような、そんな汚れた感じがする。

ついでだが、今の人は国文学とは言っても国学とは言わない。かつて国文とは和文と漢文のことであった。もろちん平家物語のような和漢混淆文も国文ではあろうが、かつては国文とは言っても和文と漢文のけじめは厳格にあり、文人の素養として、和文の中心には和歌があり、漢文の中心には漢詩があった。今の国文学にはそういうものがまったくない。国文学は日本の伝統文芸という意味をもはやもっていない。単に日本文学、日本語学、のようなものを漠然とさしており、そこには現代小説も含まれている。

私にとって国文とは、和綴じにした本から匂ってくる、和紙と墨の匂いのするものだ。

飽きっぽい

人生は面白いとかつまらないというのはしょせん気の持ち方次第なので、死ぬまで適当におもしろおかしく生きればそれで良いのだと思う。

結局私は飽きっぽいのだと思う。引っ越しは好きで良くやった。転職も最初の仕事を4年やって移り、さらに4年後また転職した。そうやって4年おきに転職していればたぶん気が紛れたのだろうが、今の仕事はもう20年以上やっている。長くやればやるほどやる気が出る人もいるのかもしれないが、私はだめだ。新しく越してきた町ならばどこも知らないから散歩するだけでも気が紛れる。新しい飲み屋を巡ってみることもできる。しかし20年以上住んでると新しいことは何もない。再開発があって新しいビルが建つくらいのことだ。

これもまた年齢が関係している。若いうちは気安く転職、引っ越しできたが、今はもう無理だ。同じことを定年まで続けるしかない。最初は楽しくやりがいがあった仕事も今ではなんの興味もない。同じテーマをしつこく掘り下げる人もいるかもしれないが私はそういうタイプの人間ではない。

じゃあなにか新しいことを無理やりやってみるとか?やろうとしたことはある。安アパートを職場の近くに借りて住んでみるとか。しかしあまりおもしろくはなかった。というか、年をとればとるほど何もかもめんどくさく億劫になるし、なんだか疲れる。後他人に関わるのが怖くなる。非常に臆病にもなった。自分としては普通にしゃべったりしているつもりなのに相手が傷ついたとか言われるともうできるだけ他人とは関わらないようにしようという気になる。

老人になったことを認める

できるだけ早く自分が老人になったことを認めて楽になりたい、と思う一方で、自分の周りにいる60過ぎの人たちは、そんなことはまったく気にもしてないようすで、そのギャップに困っている。要するに自分の気持ちの持ち方の問題なのだが、自分は老人だと認めたほうが気持ちが楽になるのか、老人であることを認めない、というより気にしないほうが気が楽なのか。いずれにせよ、体力とか病気とか年齢の問題では必ずしもないようにも思える。

もう早いところ老人であることを認めて定年退職したい、という気持ちが強い。私は若い頃は道楽させてもらって、一年浪人した上に博士課程まで進学させてもらった。浪人生の期間を含めて10年間(学部期間を除けば6年間)も、就職するのが遅かったのに、60才になったらさっさと引退したい気持ちでいっぱいだ。とにかくもう働くのに飽き飽きした。大塩平八郎なんて40才で隠居して私塾を始めた。そういう身分になりたいものだ。

私の人生の楽しみはといえば夜飲み歩くことと、本を書くことだったと思う。文章を書くことはだいぶうまくなったように思うが、それは、私が本を書くことがうまくなったから、というよりも、一度書いたものを長い時間をかけてじっくり推敲するテクニックを身につけたからのように思える。年を取って面白いことを書けるようになったから、ではないと思う。面白いことを思いついたり書いたりするにはやはり若さが必要だとも思う。

まだしばらく面白いことは書けるかもしれないが、頭がぼけて固くなってきて書けなくなっていくと思う。あと5年以内にそれは来ると思っている。推敲すればするほど文章は磨かれて良くなっていくがものすごく精神的に疲弊する、ということもわかってきた。書いて書きっぱなしは気持ち良いが読み直して後悔する。これって酒を飲んで酔っ払うのに似ている。書いたら書いたで責任が発生して、それが死んだ後まで残るかと思えば、そのことがものすごく重荷に感じるようになってきた。自分が書いたものに縛られて、気が休まらないのだ。私ももうずいぶんとものを書いてきたので、もうこれ以上書かなくても良いのではないかと思える。これ以上書けば書くほど精神的な負担が増えるだけな気もする。少なくとも小説はもう新しく書く必要はないと思っている。今までに書いたものを手直しするだけで私の寿命は尽きてしまうだろう。

ただまあこういうブログのような文章はただのはけ口なので、あまり気にせず、気楽に書こうとは思っている。考えているとだんだん精神的に自分を追い詰めてしまう。それを書くことによって気分が楽になるとか、気持ちが整理されるということはある。誰かに読ませたくて書くというよりは、自分を納得させるために書く、というかな。

FRB

FRB というと Federal Reserve Board を指すのか、それとも Federal Reserve Bank を言っているのか区別がつかないので避けられる傾向にあるのではないか。FRS (Federal Reserve System) という言い方もある。単に Fed ということもあるが、意味はほとんど同じであると言って良いと思う。

chair of the Federal Reserve は単に Fed chief と呼ばれることが多いようだ。

今の Fed chief 、連邦準備理事会議長はジェローム・パウエルという人だが、彼は利下げは結局しなくてはならないと考えているようだ。しかしFRBの理事には利下げに反対する人がいて、なかなか利下げに踏み切れない。利下げしろとFRBに圧力をかけてきているのは当然アメリカの銀行だ。失業率が上昇し、借金の取り立てが滞ると銀行はつぶれてしまう。FRBは銀行にお金を出して救済しなくてはならない。しかしFRBがせっかく銀行に金を貸してあげても、銀行はそれをそのまんま投資に回してしまう。コロナ騒ぎの時に行われた緊急融資制度 BTFP (Bank Term Funding Program) を悪用して利鞘稼ぎし、市場に余計な資金が流れ込んで株価の異様な高騰を招いたりした。また BTFP は FRB が決めたことではなくアメリカ政府が政策として決定したことだったから、政府が金利に介入した前例を作ったと非難された。

つまりここから見えてくるのは、銀行は政府に圧力をかけて、政府はFRBに圧力をかけて、銀行救済のための利下げを要求してきており、議長はやむなしと考えているけれども、それに反対する人もいるということだ。なんで反対するんだよ、金利は下げれば良いじゃんと思うかも知れないが、銀行や政府が金くれくれと言ったからといってほいほい金をくれてやっては国の借金はどんどん増えてしまう。銀行は結局最後にはFRBや政府が救済してくれるからと安易に借金し、コロッコロ金を転がして金儲けして、安易に貧乏人に高リスクの貸し付けをするようになる。汗水流して堅実に商売し、真面目に税金を納めているのが馬鹿らしくなる。返せないとわかっていて貧乏人に金を貸し人を破滅させ、国家の治安を危うくするのは悪徳ですらある。パウエルが利下げするというのも単に状況に流されて議長として保身でやるというくらいの理由からだろう。なんらかの歯止めは必要なんじゃないかと考えるのが普通だと思う。

警備会社と自警団に守られた金持ちだけが安泰に住む街がある一方で、スーパーで万引きしたくらいでは警察も動かないスラムもある。それでもなお移民を受け入れ、失業者や路上生活者は放置し、さらに高利で金を貸し付ける。貸す銀行の側もいつ倒産するかわからない。弱者はいつでも切り捨てられ、強者だけがうまうまと生き延びる。アメリカはひどい国だ。農林中金が匙を投げたのも当然だ。この格差はさらに加速していくのだろう。好きなだけやりたいだけやれば良いと思う。