気力が続かないのでこのへんにして脱稿すると思う。体の表面の腫れは収まってきたが、皮膚がひりひりするとこがあちこち飛び回ってなかなか収まらない。ウィルスは撤収を始めたが免疫系との最後の戦いを繰り広げているのだろうか。
はよう酒が飲みたい。
連休がつぶれたともいえるし、連休だから助かったともいえる。
気力が続かないのでこのへんにして脱稿すると思う。体の表面の腫れは収まってきたが、皮膚がひりひりするとこがあちこち飛び回ってなかなか収まらない。ウィルスは撤収を始めたが免疫系との最後の戦いを繰り広げているのだろうか。
はよう酒が飲みたい。
連休がつぶれたともいえるし、連休だから助かったともいえる。
そろそろ定家のやつを脱稿しないと精神的にまいってしまう。
私の書いたやつというのはたいてい読みにくい。
書きたいことを書く努力と、
それをさらに磨いていく努力と、
人が読んで読みやすくする努力、この三つが必要だ。
書きたいことを書いて人にも読みやすいものを書ける人は得だなと思う。
たぶんそんな人が物書きになるのではなかろうか。
自分の書いたものは、少なくとも自分には面白いのだが、
他人はまったく面白くないのが困る。
定家や貫之や西行なんかは、私はもう頭の中にだいたいわかっているから、
それを書けばいいんだけど、
それだけでは人は読みにくい。
ある程度はしょって書かないとスピード感がでないんだわ。
何でもかんでも説明しながら書いていくともっさりする。
全然話が先にすすまないし、
ウィキペディアみたいな事実の羅列に限りなく近づく。
どっちにしても人はついてこない。
自分の中ではすでに完成形があるのにもどかしい。
作曲家の話で置き換えるとわかりやすいことがわかった。
バッハやベートーベンやブラームス、
みんなだいたい名前は知っているが、
誰が先に生まれて誰が後に生まれたかとか、
西暦何年にこの人たちが何をしたかということは、
ちゃんと書いて説明してもらわないと素人にはわからん。
ググれとかウィキペディアに書いてある、でもいいんだが、確かに不親切だ。
やはりある程度は書かねばならぬ。
自分にとって定家や貫之や西行はわかりきっているが、
バッハやベートーベンやモーツァルトはよくわからんように、
他人には、バッハやベートーベンやモーツァルトはよくわかっているが、
定家や貫之や西行はわからんのである。
ただまあ、私が読者なら、
わからんなりに面白い話を書いてくれてたら、
ググりながら読むだろうと思う。
ドラクエだってマインクラフトだって、
面白いからわざわざ攻略法調べてやるわけで、
やっぱググらせるくらい面白くなくてはならんわけである。
わかりやすく書けば良いという問題ではないのかもしれん。
最近一番外したのは『海賊王ロジェール』だと思うのだが、
ノルマンコンクエストのシチリア王の話なわけだが、
日本人にはほとんどなじみがない。
『江の島合戦』もかなり外したと思う。
こういう、まだ誰も書いてない誰も知らない話を書きたいのだが、
書いても誰にもわからない。そこが困る。
かといって頼朝とか清盛の話を書いても人がすでに書いてるからつまらないし、
じゃあ人がまだしらないこと書こうとすると、
清盛の異母弟の頼盛がとかいう話になって、
結局誰も知らん話になってしまう。とても困る。
変な赤いぶつぶつが出来たので皮膚科に行ったら、帯状疱疹という病気だと診断された。子供の頃に罹った水疱瘡のウィルスが体の中に潜伏していて、加齢によって体が弱ってくると活性化するらしい。50才以上の人に多いという。6、7人に1人くらい発症するという。
不思議なことに体の片側にしかできものができない。ウィルスが神経の奥の方をおかすからだという。神経は脊髄を中心に体の外側に向かって伸びている。その途中がウィルスにやられるとその下流が皮膚まで達してできものになるらしい。食あたりでリンパがやられたのかと思ったが全然違った。寝違えみたいな腰痛が伴う。風邪引いたときのふしぶしの痛みとも似ている。
ちゃんと治療しないと神経痛が残るそうである。なるほど神経が痛むというのはこういうものなのだ。痛みが体のあちこちに移る感じだ。肌をなでるとひりひりする。必ずしも強い痛みではないが、不快だ。
酒も飲んではいけないらしい。年を取るというのはほんとに面倒だ。
犬が鳴くのも、
不審者を咎めるような鳴き方をするのはまあ非常事態だから仕方ないとして、
ずーっと一定間隔で飼い主の気を引くために鳴いていることがある。
飼い主がかまってやらないと一時間でも二時間でも鳴き続けるからやっかいだ。
つまり、目覚まし時計を止める人がいなくてずっとなりっぱなしになっているのと同じだから、はたで聞いている方がいらいらするのだ。
だいたい明け方に犬がこういう鳴き方をするのは、
飼い主が寝てて、犬が先に目をさまして、
餌をくれとか散歩につけていけとか鳴いているのだ。
なんて迷惑なんだろう。
ほんとうに腹が立つ。
はやく日本もペットは免許制にして、
しつけのできないやつを取り締まってほしい。
もっとさわげば私以外の隣人も怒り出して文句を言って解決するかもしれないと思う。
ともかく自分が文句を言うのはやめておきたい。
建暦3年は12月5日まで、翌日改元して、建保1年12月6日となる。
建保1年12月6日はユリウス暦で1214年1月18日。
つまり建暦3年は西暦でいうと1213年と1214年をまたいでいる。
1214年は、建暦3年でもあり、建保1年でもある。
問題は、建保2年1月1日が1214年2月12日なので、
1214年は建暦3年でもあり、建保1年でもあり、建保2年でもあるのである。
ややこしい!
建保1年は、1214年1月18日から1214年2月11日まで。
世の中には文系も理系も得意な人と、文系も理系も不得意な人しかいないのだが、
特に英語が嫌いな人が理系へ行き、
特に数学が嫌いな人が文系へ行く。
国語が文系理系問わず嫌われないのは単に学ばなくてもそれなりの点がとれてしまうからだ。
子供が多くて学校が少ない時代はそれでもよかったが、少子化で教員も余ると、
文系しかできない理系しかできないというような教員は害悪であり、
また本人もそれに気付いているからなおさら古い体制にしがみつこうと必死になる。
高校の段階で理系文系と分けるのは時代にあわない。
ドイツやフランスなどでやっているように、大学で高等教育を受けるか、
さもなくば職業訓練学校に行くのかを高校で選別すればよい。
文系理系などの専門に分かれるのは大学に入ってからでよく、場合によっては大学院に入ってからでよい。
学位は全部Ph.Dに統一してもよい。
そうしないと、文系も理系も出来る人の居場所が確保できない。
そして、文系も理系も教えられる教員だけを残して、
場合によって数学を教えたり、場合によって語学を教えたりすれば良いだけだ。
日本の文部省は高校に文系コース理系コースを残しながら、
学位だけ博士に揃えようとした。
抵抗が強いので博士(理学)とか博士(文学)などという珍妙な呼称を押しつけてきた。
気違いだ。
歌論集 : 俊頼髄脳, 古来風躰抄, 近代秀歌, 詠歌大概, 毎月抄, 国歌八論, 歌意考, 新学異見 新編日本古典文学全集 (87)
非常に良くできた本だ。
密度が濃い。
原文と、解説と、ほぼ完全な現代語訳がついている。
原文にかぶせた註が茶色に着色されているのもすばらしい。
全集の中に埋もれているのが惜しい。
この「新編日本古典文学全集」は比較的後発のためか、あまり図書館には納められていないのだ。
新しいがゆえに完成度も高いのだろう。
『俊頼髄脳』が読めるのは事実上この本だけではなかろうか。
源俊頼によるこの歌論書は、
古今集仮名序や後拾遺集序などを下敷きにしつつ、
先行する公任による[新撰和歌髄脳](http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%AB%84%E8%84%B3)をさらに長大精緻にしたものと言って良い。
公任や俊頼の時代の歌論は、後世の古今伝授のようないかがわしさがある。
> をののはき みしあきににす なりそます へしたにあやな しるしけしきは
これは句の頭の一字ずつ集めると「をみなへし」となり、句の終わりの一字ずつを逆に読むと「はなすすき」
となる。
> むらくさにくさのなはもしそなはらはなそしもはなのさくにさくらむ
これは回文。こういうトリッキーな例がいろいろ蒐集してある。
歌論としての深みはあまりない。
変なことを言っているところもある。
たとえば「安積山」は「あざかやま」と濁って読むべきだとか。
安積山は万葉仮名で「阿佐可夜麻」と書くことが出土した木簡などからも確認されていて、
「あさかやま」と濁らず読むのが正しいと思うのだが。
「あさかやま」と「あさきこころ」と浅いが繰り返されているのが歌の病だ、
歌の親が病んでいるのだから後代の歌は影響を受けないのだろうか、などと言っているのもおかしい。
『毎月抄』はやはり偽書であろう。
いろんな人の説があるようだ。
関連する『定家十体』も偽書だろう。
頓阿の『井蛙抄』あたりと関係あるか。やはり頓阿はあやしい。
ここらの偽書の話も今書いている本に盛り込もうかと思っていたが、
も少しちゃんと調べてから、きちんと書いた方がよさそうだ。
『俊頼髄脳』を読んでみると、
俊成がなぜ『古来風体抄』のようながちがちの天台教学的歌論を書いたかわかる気がする。
私はずっと『古来風体抄』は偽書ではなかろうかと疑っていたのだが、
法華経かぶれの俊成が年寄りの繰り言のようなこんな文章を、俊頼に対抗して書く可能性はあるなと思った。
俊成は俊成なりに、俊頼のようなぐにゃぐにゃした歌論を、
仏教思想に基づいてきちんと整理しなきゃいけないと考えていた。
定家は仏教と和歌を混ぜるようなうかつなことはしなかったが、
京極為兼が『古来風体抄』の影響をもろにうけて『為兼卿和歌抄』のような歌論を残したのは残念である。
『近代秀歌』『詠歌大概』は定家の歌論で間違いない。
『近代秀歌』の秀歌例に異同があるなと思っていたら、
前掲の本の解題にちゃんと解説があった。
歌論についてはあまり深入りせず今書いてるやつからは極力除こうと思うが
『近代秀歌』だけはちゃんと調べなきゃいけないなと思った。
まったく終わる気がしない。
すでに四百字用紙換算で300枚超えている。
分量はもうそんなに増えないはずだが、書き換えが終わらない。話が収束しない。
調べ始めるときりがなく、
wikipedia と吾妻鏡の記述に矛盾があったりして困る。
余暇のほとんどを執筆活動に追われて、ツイッターとか書いてるヒマがない、のは良い傾向だ。
wikipedia の日本史は汚染されている。
読んでてすごく嫌だ。
特に仏教関係には捏造が多い印象。
藤原定家について書いている。
タイトルは仮に「定家の禅」。受け狙いでもあり、わりと本気でもある。
さくっと書き終えたと思ったが、調べているうちに知識が増えていき、
最初は推測で「かもしれない」などと言っていたところが、
確かな証拠を発見したりして、「なのだ」などと断言したり。
全体をまんべんなく加筆するのではなく一部がどんどんふくらんでいくので、バランスが崩れていき、
全体のテーマ自体が変わっていく。
先に古今集をやったから、次は百人一首の真相みたいなのを書こうかと思ったのだが、
定家個人が面白くなってきて、ある意味百人一首なんて、どうでもよくなってきた。
だれが読むのだろうか。
いずれにしても今回は紙の本で出す予定なので売れないわけにはいかない。
こむつかしい本ではなく、ある程度娯楽性のある本を書かねばならぬ。
基本的には、定家の時代の歌論書である。
定家は以前は嫌いだった。
今は割と好きになった。
定家は以前は勉強家の秀才だと思っていた。
今はある意味天才だと思っている。
少なくとも、若いころに「天命」に目覚めた人である。
癇癪を起して、発作的にやってるのではない。すべて確信的にやっている。
オタクとか、マニアとか、マッドなわけでも必ずしもない。
のめりこむ性格ではあったかもしれないが、必要に迫られて勉学に励んだのだと思う。
編集の人と相談して意外だったのは、
私のような門外漢でもネタしだいでは定家の本を書いて出版してもよいということだった。
ただ、筆名を田中久三以外にできないかと言われてやや戸惑った。
編集の考えることはよくわからん。
これから読もうと思っているのだが、「天才帝王と空気の読めない秀才貴族」
という解釈は間違いだと思う。
後鳥羽院の宮廷で「空気を読む」ということはつまり自我を捨てて幇間になるということだ。
皇帝の前の宦官になれというのか?
だから北条氏と戦争して負けるんでしょう?
むしろ後鳥羽院が暴走して破滅するのを定家は予測してたんじゃないの。
どちらかというと
「空気が読めない裸の王様と、それなりに現実的でニヒリストな秀才貴族」というところか。
どちらも天才ではない。
後鳥羽院は天才というよりは狂人というべき。
いや、狂人というのも当たらないかも。
菊池寛に『[忠直卿行状記](http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/501_19864.html)』
というのがあるが、この[松平忠直](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%BF%A0%E7%9B%B4)に近い。
御曹司にありがちな錯覚と狂乱(ただしこの小説は、忠直自身の行いに、古代中国の暴君の行いをモチーフに脚色したものが加わっており、忠直の人格を忠実に記したものではない、か。なるほどね)。
> 八番目の勅撰集『新古今和歌集』が編まれた時代は、和歌の黄金期である。新たな歌風が一気に生み出され、優れた宮廷歌人が輩出した。
これも大きな間違いだ。
黄金期というよりは一種の狂乱期。
すでにこの時期には宮廷以外のところに優れた歌人が現れ始めた。
> 未曾有の規模の千五百番歌合、上皇自ら行う勅撰集の撰歌、と前例のない熱気をみせながら、宮廷の政治と文化は後鳥羽院の磁力のもと、再編成されていく。
いや、それが狂気。
後鳥羽院の狂気。
> 後鳥羽院と藤原定家という二つの強烈な個性がぶつかりあい、日本文化の金字塔が打ち立てられていく時代の熱い息吹に迫る。
金字塔(笑)
この時代ほんとうの天才歌人は西行だけだ。
なぜみんなそんな簡単なことがわからんのか。
菊池寛ならわかるだろうに。