亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘読書’ Category

妻が僕を選んだ理由、16日目

11.28.2016 · Posted in kindle

いちおう宣伝を兼ねて。

驚いたことにまだ売れている。 無料本なので、売れているというのは変だが、ダウンロード数のいきおいはさほど衰えてない。 といっても総数はこれまでやった無料キャンペーンと大差ないのだが、 これが今後も持続するとしたらすごいことだ。

理由はよくわからないが、やはり、世の中には、 なぜ妻は私を選んだのだろうと思う男がけっこういて気になってとりあえず読んでみるか、 無料だからとりあえず落としてみるかという気になるからじゃなかろうか。 そういうことは案外女性も気にしているかもしれない。 読者の男女比も知りたいところだ。

もちろん男女のロマンス、夫婦の情愛のようなものを、描いてないわけでもなく、 逆ハーレロマン的な要素もなくはないのだが、 エロやバイオレンス的なものは一切なく(いや、暗示するものはあるが)、 魔法や超能力もなく、 本質的にはがちな近未来SF。 起承転結的なものも特になく、ただひたすら「妻が僕を選んだ理由」は何かを読者に推理させ、読み続けさせる話、 とでもいうか。 だけどアマゾンのレビューには「サスペンスドラマ」と書いてもらった。 スリルや怖さをことさら演出したわけではなかったが、そう感じてもらえたのはうれしい。 ともかく良いレビューを書いてくれた人がいたおかげで、リバウンドしたのはよかった。 非常にありがたい。

学術的な難解な問答。すいません。 あれは、読者サービスならぬ著者サービスです。 著者の自己満足なので我慢してください。飛ばして読んでも全然問題ありません。

ともかくほとんど無名作家の私の場合、 読者サービスをするつもりで、無料サンプルを書くつもりで書くくらいがちょうどよいらしい、 ということがわかった。 でもこれが無料でなかったらどのくらい売れただろう?わからん。そんなこと考えてもしかたない。

実はまだ手直ししている。 プロットの変更はさすがにないが、細かな描写の追加はある。 誤記もまだたまにあるので油断ならない。

Amazon 売れ筋ランキング:

1位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > ロマンス

この「ロマンス」には他の無料本がほとんどないので、別にどうでもよいのだが、 もしかするとそこに意味があるのかもしれない。

1位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > SF・ホラー・ファンタジー

1週間以上この状態が続いているはずだ。 このジャンルは私の知り合いの KDP作家が一番書いているところなんでびっくりしてる。

12位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > 小説・文芸

これもけっこうすごいことだ。このジャンルでは夏目漱石『吾輩は猫である』『こころ』、 太宰治『人間失格』が玉座を独占しているのだが、 そのはじっこにつらなっている。

Kindleストア 無料タイトル – 28位

この位置をキープしているというのもかなりすごい。

公開して16日が経過した。 明らかに今まで書いた本とは反応が違うので楽しい。 それはそうと私の他の本がついでに読まれるかというと、いまのところそうではなく、むしろ減ってる。 思うにとりあえず無料本から読んでおこうかという動きかもしれない。

kobo ではまだ1部もダウンロードされてない。 kobo よ・・・。

妻が僕を選んだ理由、16日目 はコメントを受け付けていません。

狙いは悪くないらしい。

11.19.2016 · Posted in kindle

最初ちょこちょこ間違いを修正しながら加筆したりしてしまうのだが、 出版して1週間ほど経過して 「妻が僕を選んだ理由」 はやっと落ち着いてきた。 すでに読んだ人、買ってもらった人には悪いのだが、私の本はだいたいそんなものだ。

一箇所、「ナターシャ」のはずが「メアリー」と書いたところがあった。 ごめんなさい。 他にもいろいろ間違いがあった。もうだいぶなくなったと思う。

「妻が僕を選んだ理由」「潜入捜査官マリナ」はわざと「大衆小説のようなもの」を書いたのだけど、 狙いは悪くなかったらしい。 というのは、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」 に出てくる本が多くて、しかも今までと全然違うジャンルの本が出てくるからだ。 今までとは全然違う人の目に触れているのは間違いない。

KDP を始めたのはたしか 2013年頃だったはずで、この3年間で知り合いになった人も多くて、 最初から見てくれていた人たちはもちろんありがたいのだが、 私としては、普通の書店に並べるように、あるいは図書館に置いてもらうようにして、不特定多数の人の目に触れてもらいたいのだ。 同人活動のようなことがしたいのでは決してない。 日本の文芸史に果たした同人の力は大きいし、今も脈々と、コミケのような巨大イベントや pixiv のような形に引き継がれている。 しかし、だからこそ、同人活動というものはやり尽くされていて、どんなものかというのはやる前からおよそわかっている。 KDP にはまだ未知の要素があって何が起きるかわからないのが面白い。 もちろん KDP と同人活動という、この異質なものが融合して、なにか新しい化学反応を起こすかも知れない。 しかしもし私が同人活動というものが好きならすでにやっているはずだし、 学会活動というようなものならもうすでにやったし、そしてすでにその限界を見て疲れてしまった。 つまり私は旗振り役にもなれないしかといってただのメンバーでいるくらいなら個人で動こうと考えてしまう。

「妻が僕を選んだ理由」は出たばかりだが、 「潜入捜査官マリナ」が一番関連書籍が多く、 「エウメネス」は「妻」「マリナ」より少なく、 かつ、これらの本の関連書籍は見事なまでにかぶっていない。 書いてる自分も意識して書いていることではあるが、一冊一冊ジャンルがばらけている。 「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」もたぶんジャンルはかぶってない。 つまり私の場合いろんな場所で撒き餌をまいているわけだ。 「エウメネス」は撒き餌のつもりではなかったが、 「妻」と「マリナ」は明らかに魚影の濃いところを狙ってまいている。 そしてもう完全に新人賞は無視することに決めた。アマゾンに乗っかるほうがましだと思い始めた。 kobo は全然売れてないし、カクヨムも全然読まれてない。 私の本がまがりなりにも売れたり読まれたりしているのは明らかにアマゾン様のおかけだ。

「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」に関していえば、まあ、普通に言って無名の中年新人の小説は売れませんよね。 それよりかかっちりした学術書を書いたほうが、私という人間には需要がある、ということでしょう。

なんでこんなことを始めたかといえば、 「特務内親王遼子」がまったく売れなかったせいかもしれない。 ともかくも、世の中が必要とする本を書いて誘導しないことには、 私が世の中に読ませたい本は読まれない。

狙いは悪くないらしい。 はコメントを受け付けていません。

妻が僕を選んだ理由

11.15.2016 · Posted in kindle

カクヨムでだんだんに肉付けしていったものを、 だいたいのところで kobo ライティングライフで無料で出版しておいて、 そのあと KDP で 99円で出して、 今 0円にしてもらえないかどうか交渉しているところなんだが、 もう買ってくださった人がいらっしゃる。

KDP で試し読みした人はいないので、たぶん KDP 関係者の人は twitter を読んでて早めに読みたい人はカクヨムを読んで、 0円になるのを待っているのだと思うのだが、 たぶん、kindle でタイトルだけ見てすぐ買った人がいるということなんじゃないか。 kobo ではこうはいかない。 アマゾンは偉大だ。

ほとんど書き終えているんだけど、今も、たとえば、

彼女はまずドライブスルーのマックに車を駐め、インターホンに向かって大声でオーダーする。

とだけ書いていたところを

淡い青紫の花の房が枝をたわわにたわませているジャカランダの並木道を走らせ、金持ちが住む住宅街を抜けて、彼女はまずドライブスルーのマックに車を駐め、インターホンに向かって大声でオーダーする。

などのように加筆したり、

涼しげな木陰を店先に落とすベンジャミンの巨木が印象的な、海風に吹かれるオープンテラス。

みたいな言い方をして「西海岸」っぽさを出そうとしている。 これに対して

さんさんと日の当たる公園のベンチは暖かかったが川にはもう氷が張っていた。

というのは「東海岸」を表現しているつもりで、

フィヨルドに流れ込む川はどれも細く急流で、ときにははるかな岩の上から、海に滝となって流れ落ちる。その水は澄んでいるがごく冷たい。

というのは北欧辺りをイメージしているわけなんだが、 そういう細かな枝葉が必要かどうか私には、実はよくわからない。

「たわわにたわませる」というような言葉遊びは好きだし(「たわわ」と「たわむ」は同語源)、 西海岸、東海岸、亜寒帯の空気感の違いは出せるものなら出した方が良いと思ってやってみている。

最近はわざとプロットやタイトルが一般読者向けの小説を書いている。 「潜入捜査官マリナ」「妻が僕を選んだ理由」などがそう (「生命倫理研究会」は単にラノベを書こうとして失敗した例)。 官能小説か大衆小説みたいなタイトルを付けて、 冒頭ぱっと見、ハーレクインロマンスみたいな展開にしている。 それはまあ、疑似餌なわけだが、 疑似餌は疑似餌なりに楽しめるようにしておきたいし、 読み始めて違う意味で興味を持ってもらいたいと思っているのである。 ある意味騙してるみたいなもんなので、作品解説でもいちおうネタばらしはしてあって、 そのうえ念を入れて無料配布にしたいのだが、 有料で買っていただけて恐縮している。

実は4万字しかなかったのを8万字まで増やすためにエリックというキャラを追加したのだが、 これは結果的には一応良かったと思っている。 エリックはベタなキャラで、彼の登場で明確な三角関係ができる。 ストーリー的には安定するが、少し陳腐な匂いがしなくもない。

「妻」はなぜ「僕」を選んだか。これは完全にSF的な理由なので、 多くの人はだまされると思う(騙されなきゃ作者は困る)。 まあこれ以上自分でネタばらしするのはやめておこう。

今回の表紙絵は、JPEG のリンギングがあまりにひどいので背景になにやら模様をつけた。 これは clip studio paint のフィルタだけで描けるものだ。

妻が僕を選んだ理由 はコメントを受け付けていません。

11.04.2016 · Posted in 読書

かんたんにミステリを書く方法。

1)死体を転がす。

2)死体の5W1Hを列記する。

3)2でつくった5W1Hを逆から追い込む。

推理小説は応募数が少ない。乱歩賞は「該当作なし」がない。ミステリは穴場だぜ、小説家志望者諸君。(鈴木輝一郎小説講座より)

ネタだよな?

名探偵コナンはこんなふうにできてるが、さすがに相棒はこんなにひどくない。

ましかし、コナンのシナリオ書いている人も、それで飯を食っているわけだから、立派なプロのライターには違いない。

コメントを受け付けていません。

11.04.2016 · Posted in 読書

カクヨムで「ジオコミューン」を書き始めたのは、 プライスマッチで売ることを考えたからで、 要するに無料サンプル的なものである。 今現在、けっこういろんな人がやっているんで、私もやってみようかという気になった。 だがほんとにやるかどうかはわからない。

で、カクヨムで、連載で、 ちょっとずつ公開してわかるのは(小説家になろうでもわかったのかもしれないが)、 PVが指数関数的に減衰するってこと。 第1話を読んで、3分の1くらいの人が第2話を読む、くらい。

こういうことやってて思ったのは、読者数は有限だということ、 その読者の多くも、試し読みまでだってことだね。 アマゾンがいろんな新しい出版手法を提案してきて、 また私自身もいろんな人のお世話になって出版を試みてきて、 それでなんとか読んでもらうんだが、 ある一定のところまで読まれると、もう読者が枯渇して読まれなくなる。

今の時代読者よりも著者のほうが多いってのは事実だと思う。 だから KDP ってのは、 読者に向けて書くよりは自分と同じ趣味を持つ(個人出版の)著者に向けて書いた方が売れるのかもしれない。 いやもともとそんな媒体なんじゃないかという気がしてきた。 pixiv なんかもそうで、自分が描くから人の絵も見る、という人の集まり。 コミケもそう。 特に日本はそういう層が発達してる。 しかし、そこから外への広がりが弱い。 まるで研究者が同業者にむけて論文を書いているみたい。

「君の名は。」見てないのにしばしば言及して心苦しいが、 一般人に見せることに特化した作品なんだろうなと思う。 作家とかクリエイターの外の世界の人を楽しませることが第一義に作られている。 それって当たり前じゃんと自分でも今書いてて思うが案外当たり前じゃない。

歌謡曲ってあるじゃないですか。 あれってパターンは決まっててAメロ・Bメロ・サビでできてる。 小説も映画もそうで、もうみんなが見慣れてる、読み慣れてるパターンに沿って作らないとダメなわけ。 流行る前にパターンがあるのではなく、流行ったからパターンとなる。 つまりは古典。 そのパターンを再利用するから、流行りの勢いを利用するから読みやすい、見やすいとなる。 そうやって一つのパターンに収束していく。 もちろんみんなが同じパターンを使うからレッドオーシャン化する。 しかしその激しい競争にうち勝ったごく一部の作品だけがヒットする。 その競争にはとにかく勝つためにはありとあらゆる手段を使う。

それが歌謡曲の原理だし、「君の名は。」なわけじゃないですか。

宮崎駿やジブリは少し違う。パターンを自分で作ったところはすごい。もちろん本人はすごい。 ただ彼らは日本アニメの黎明期からずっと関わってきているから、それが出来た。

庵野秀明も少し違う。彼はともかくも自分の作りたいものを作った。 クリエイター仲間やオタクには受ける。 しかし当たり前だが、外の世界には広がらない。そこがジブリとも違う。 庵野秀明は押井守タイプ。 細田守はジブリへ行こうとして結局押井守や庵野秀明と同じ方向へ行った。 そっちに行かなかった新海誠が結果的に勝った。

KDPは結局仲間向けに書いているものだとして、 だから「小説はこう書け」みたいな本が(素人が書いたくせに(失礼))よく売れる。 よく売れるといってもたかが知れてるわけだが。 私自身は「小説はこう書け」なんて本は恥ずかしくて書けないけど、 似たような近いことはよく書いているわけだ。 こうやって他人の作品を批評したり。 自分の書いたものの解説をしたりする。 私の場合は特に自分の作品を解説しすぎている気がする。

プロの作家が自分の書いたものの解説をしないのは、 作品が自分の力で読まれているのでも売れているのでないことを知っているからだ。 もちろん作家自身の力はあるだろうが、その比率がどのくらいのものかを、わきまえているから、 解説できないよね。

新作も書かず広報活動もしないとほとんど読まれなくなる。 ほっといちゃダメなんだが、読まれないと書く意欲もなくなってきて悪循環だ。 逆に読まれていると無駄に張り切ってしまうところがある。

夏目漱石という人は、日本人が欧米文学、とくに英文学に飢えているときに、 イギリスで実際にそれを学んで、日本語で書いてみせたひとだ。 当時はほかには森鴎外くらいしかいなかったよね? 漱石や鴎外ってのは、最澄と空海みたいなもの。 供給に対して需要が逼迫してたからみんなが読んだ。 みんなが読むとそれは遺伝子となって後世に残る。 勝れた作品だから面白いのではなくて、古典だから面白い、というところは必ずある。 ていうか私もパターンが嫌いなわけじゃないらしい。古典が大好きだから。 もちろんもともと面白くなくちゃダメだが、ただ面白いだけじゃダメだ。 ボトルネック理論と同じで、 ある時代に希少価値がなきゃだめだ。

村上春樹もボトルネック理論で説明がつかなくもない。 彼の場合、日本人が戦後、アメリカ文学に飢えていた時期があって、 そこに一番うまく乗っかったのが村上春樹だった。 似たような作家には村上龍や山田詠美、田中康夫なんかがいる。 吉本ばななもある意味そうかもしれない。

吉田拓郎が流行ったのも、いちはやくボブ・ディランを真似たからだし、 グループサウンズにしてもそうだ。

自分で書いてみるとわかることがあって、 わかってみると、書いても無駄だってことがわかってくるわけだ。

エロは、衣食住に準じる基本的欲求だから、需要が桁違いに多い。 広く浅く需要があるから読まれる。 うまかろうがまずかろうが人は一日三食たべなくちゃならない。 それと同じでエロはコンスタントに消費される。 エロとおもしろさをうまく調和させて、相乗効果をもたせる天才はいるかもしれない。 谷崎潤一郎はそれに近い。永井荷風は違う。 いずれにしてもエロにおもしろさは必須ではない。

マンガとエロを同次元に論じることはできないが、 絵づらだけ眺めていれば読めなくもないマンガは当然しきいが低く需要も多い。 映画やアニメやゲームも同じ。 私の場合面白いストーリーを書けるかどうか試すために書いている、といってよい。 面白いというか、私の頭の中からしか出てこない話を書きたい、もしそういうものがあるとしたら。 それが新しくしかも面白いならば、ある一定の評価を受けるはずだ、という前提で書いている。

世の中に迎合して注目を集めたり、小遣い稼ぎをしたりするために書いてるのではない。 売れても自分の実力でないなら意味がない。味気ない。 身内ではなく赤の他人に評価されたい。

ただ作家活動というものは広報や宣伝や営業を含めて作家活動だったってことは、 人類の長い歴史を見れば明らかなわけで、 身内だろうがなんだろうが利用できるものはなんでも利用するのが営業なわけだ。 作家活動はやりたいが営業はやりたくないというのは比較的新しいタイプの人種、 つまり学者、科学者タイプなので、私はやはり作家というよりは学者なのだろうと思う。

「ジオコミューン」だが、こういうSFものは今までも書いてきた。 「安藤レイ」「生命倫理研究会」などがそうで、 実は、本名で公開している作品の中に同じようなものがある。

「ジオコミューン」は外人ばかり出てくるので、自分で書いててなんか恥ずかしいのだが、 そんなこといったら「エウメネス」「エウドキア」「海賊王ロジェール」も外人ばかり出てくる話なのだよなあ。

「ジオコミューン」は今からもっと肉付けする可能性がある。 私の場合、最初に50枚くらいのあらすじだけみたいな話を書いてそこに肉を付けて服を着せたりして100枚くらいにする傾向がある。 つまり、最初から最後まで順番に書いているわけではない。 なのでできあがってからまとめて読んでもらってもまったくかまいません。

コメントを受け付けていません。

10.26.2016 · Posted in 読書

思うに、エヴァはいきなり使徒が襲来して、進撃の巨人ではある日いきなり巨人が人間を食べ始める。 あるいは、目が覚めたら見ず知らずの他人と密室の中にいたとか。

ゼビウスも、あれは売れたからあとからノベライズしただけで最初からプロットがあったわけではあるまい。 最初からあったか後付けかはともかくそういうものを世界観と言うらしい。 ゲームという分野の中でそれをやったのはゼビウスが最初だろう。 だから、ゲーム以外の分野にも適用範囲を拡げて、ゼビウス方式とでも名付けると良いかもしれない。 とりあえずなんか食いつきの良い作品を作ってヒットさせる。 ヒットしてからディテイルや続編や関連グッズや世界観なんかを作る。

初代のガンダムはよく出来ていた。 人類の歴史の必然の上で戦争が起きて中立国のサイド7にも飛び火したという設定になっている。 しかし主人公のアムロは第一話でいきなり戦闘が始まりいきなりモビルスーツに乗ることになる。 周りの状況はともかくとして、主人公はいきなり未知の世界に投げ込まれるのである。

やはりプロローグというものはある程度、いきなり読者を、視聴者を作品の世界の中に投げ込まなくてはならないから、 突然イベントが発生して、そのイベントがどうなるか、なぜ起きたのか、 興味を持たせるためにある程度未知のままにしておかねばならない。

だが凡百の作品はそこまでお膳立てをしているのではない。 めんどくさいからいきなり架空の世界に転生したことにする。 つまりはご都合主義で済ませる。

或いはストーリーを考えたり記述するのがめんどくさいので、 世界観だけ一生懸命に凝る。 世界観という言葉が生まれたのはストーリーと世界観が分離した証拠であり、 それは作者や読者がストーリーか世界観のどちらかにより関心を持つようになり、 もういっぽうをめんどくさがるようになった、ないがしろにするようになったからである。

カフカの変身などがいきなり転生ものの古典と言っても良いかもしれないが、 あれはまあ、当時いきなり転生するってことがすごく珍しいストーリーとして成立し得たってことと、 世の中がいきなり様変わりすることが現実世界でも起きてたからそのメタファーでもあったのだろう。 今の世の中はどちらかといえば現実がいきなり変わることなど期待できず、 現実から逃避したいから転生するわけである。 現実というややこしくめんどくさいものと格闘するのがいやだからファンタジーに逃げる。 その「現実めんどくせえな」という匂いがしただけで私はそれを読むのがいやになる。 いやになるというか、作者の勝手な妄想世界に付き合わされるのは時間の無駄だという気になる。

実際ストーリーと世界観にまるごとくいついて全体を咀嚼し消化するのはけっこうな労力だ。 だからパーツに切り分けて鑑賞する。 そういう流れが生まれてもしかたない。 例えば太田道灌というたった一人の人を知るにも南北朝を知り、室町、戦国を知り、 鎌倉や川越や江戸城を知らなくてはならない。 道灌が落とした数十の関東の古城と敵将を知らねばならない。 その上、和歌も知らねばならない。 たぶんほとんどの人は疲労困憊すると思う。 だからこそ私には太田道灌が書くに値する魅力的なキャラに見えるが、 読者にわからせるのはほぼ諦めている、と言っても良い。

私の場合、実在の世界に完全に埋没したストーリーを書くから世界観というのは現実そのもの、 歴史そのものであるけれど、 しかし私が書く歴史小説は私が発見した、あるいは再発見した歴史を書くのだから、 私の考えた世界観と言えなくもない。 ハルパロスやアルトニスやエウドキアなどは実在のキャラではあるが、 まだ誰も書いてないから手垢がついてない、私が創ったキャラだということになる。 ほんとはエウメネスもそのはずだったのだが、漫画がすでにあったし、 そもそもプルタルコスでは英雄として描かれていたのだった。

富野由悠季は現実から逃避したいからではなくて現実そのものを、自分の歴史観と世界観で描きたいのだが、 現実そのものを子供向けロボットアニメで描いてはシャレにならないので仕方なく虚構を使ったのである。 だからああいう作品になった。

コメントを受け付けていません。

10.24.2016 · Posted in kindle

著者セントラルのランキングは1時間おきに更新で、 KDPの販売データ一覧は1日に1度くらいの更新らしいんだが、 ランキングが微妙に増えてるなと思った作品が売り上げではまったく売れてないし、 KENP も無い。

ランキングが低いと KENP に変動がなくてもランキングが上がったりするということなのだろうか。 非常に紛らわしい。 アルゴリズム的になんか間違ってる気がする。

そんで逆に KENP を見るとまあまあ健闘しているように見える作品のランキングがあまり上がらなくなった。 アマゾンがなんかいじってるのに違いない。

エウメネスは1から3まで堅調。 続編を書けば読んでもらえるというのであれば書くしかないわけだが、 何を書こうか迷っている。 ガウガメラの戦いとかソグドの戦いならすぐに書けるのだが、 そっちに行く前にスパルタとかオリュンピアスとかアルトニスとかハルパロスとか、 そういうサブストーリーを書いてみたい。 エウメネスをガウガメラではなくてギリシャ本土に行かせて、 オリュンピアスやスパルタと絡ませたい。 となると、史実というよりはほとんどは創作で書くしかないことになる。 エウメネスはオリュンピアスと仲が良かった。 どこに接点があったのか。 史実は何も残ってないから想像で書くしかない。 オリュンピアスについても、従来、悪い女、悪い妻、悪い母としか描かれてなくて、 それらはおそらくどれも嘘なのだけど、 嘘だと断じる証拠がないと書きようがないんだが、 オリュンピアスはずっとエピロスという田舎にいたので、 実際何をした人かまったくわからない。

スパルタについて調べようとするとほとんど何もわからない。 アテナイ人と違ってスパルタ人はほとんど何も歴史を残さなかったからだ。 スパルタがそんな大したポリスであるはずがない。 私の直感ではそうなる。 しかしスパルタが大した国じゃなかったってことを書くにはそれなりの証拠が必要だ。 その証拠がなかなか集まらない。

アルトニスもよくわからん人だ。 単なる、エウメネスの良妻賢母、というわけではないはずだ。 ではどう描けばよいか? ていうかバルシネを描いた人は多い。 バルシネは派手な人だからキャラとしては描きやすい方だ。 バルシネの妹でエウメネスの妻であるアルトニスを描いた人はおそらくこれまで誰もいないはずだ。 ではどう描けば良いか? 私が書いたものの中では、アルトニスはレスボス島からアテナイに渡ってきて、 リュケイオンでエウメネスの学友だったことにしている。 ではそこからどう発展させれば良いか?

構想はいろいろあるが書き始めることができない状態。 歴史に残ってないものを勝手に補うというのはつまり歴史小説の中に時代小説やファンタジーを埋め込む手法であって、割と面白いのだが、そのチューニングには技巧を要する。 ウィキペディアの解説みたいな歴史小説を書いても仕方ないのは明らかだ。 史実は史実としてきちんと大枠を構築しておいて、 その隙間に、埋め草のように、フィクションのエピソードを埋めていく。風俗もできるだけ盛り込んで風味付けにする。そうするとゴージャスになる。

サイゾーやニューズウィーク、SAPIOなどの雑誌もランキング上位に浮上してこなくなった。 そのかわり変なやつが上がってくる。

MdN と CG World は読むようにしている。 CG World は最新号だけ unlimited を外しているのだろうか? よくわからない。 unlimited なので、雑誌は読まなきゃ損なのだが、 ル・ボラン、音元出版、時計Begin、眼鏡Begin など面白いっちゃ面白いが、 読んでるだけでおなかいっぱいになって、なんかどうでもよくなってしまう。

コメントを受け付けていません。

10.23.2016 · Posted in 和歌

湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也

04-0631 宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者

うはへなき ものかもひとは かくばかり とほきいへぢを かへさくもへば

あるいは、

うはべ無き ものかも妹は かくばかり 遠き家路を 還さく思へば

あいそのない人だな、君は。私にこんなに遠い家路を帰らせようと思うなんて。

04-0632 目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

めにはみて てにはとらえぬ つきのうちの かつらのごとき いもをいかにせむ

伊勢物語73

昔、そこにはありと聞けど消息をだにいふべくもあらぬ女にあたりを思ひける、

目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂のごとき 君にぞありける

コメントを受け付けていません。

在原元方

10.20.2016 · Posted in 和歌

だんだん見えてきた。

古今和歌集編纂の主役は、業平・棟梁・元方の在原氏三代と紀貫之。

伊勢物語は業平・紀有常コンビが中心になってできあがったもの。 古今集は元方・貫之。 棟梁は中継ぎのようなもの。 棟梁と貫之は寛平御時后宮歌合(宇多天皇の母班子女王主催の歌合)で知り合った。

有常と貫之は同じ紀氏だが、家柄は若干遠い(紀有常の祖父・勝長は、貫之の祖父のさらに祖父。 勝長-名虎-有常、勝長-興道-本道-望行-貫之。なお、本道-有友-友則)。 血筋が一本通っているのが在原氏。 貫之が元方に接近していろいろ昔のことを聞き出して伊勢物語の祖型を作った。 元方はほわっとした歌を詠む人だよな。

それで、伊勢物語自体は非常にもやっとしたもので、 わけがわかってない。 紀貫之が素稿を書いたのは間違いないと思うが、 それを後撰集や拾遺集時代のもやっとした連中がかなりリライトしている、というあたりが真相だろう。

在原元方は生没年不明だが、おそらく貫之とだいたい同じなのだろう。 藤原国経の養子になっているのは、元方の父棟梁がそもそも金が無いのと、国経が棟梁の娘を妻としたからだ。

国経は基経や高子の異母兄妹にあたるわけである。 国経や基経は高子のもとに忍んでくる業平の番人になっていたことになっている。 国経は当事者だし、棟梁や元方も事情を知らなかったはずがない。 だがどう考えても高子の話は変だ。

古今集に出て来る当代歌人の中で当時一番偉かったのは宇多上皇だけど、彼はなぜか古今集には一首も載せてない。 いくつか可能性があって、宇多上皇の歌は載っているのだが読み人知らずになっている、という説(自説)。 宇多上皇は元方と貫之をたてて自分は表にでなかったという説(これも自説)。

国経にしても時平にしても、摂家ではあるが、宇多上皇の時代にはそれほど権勢はなかった。 少なくとも国経と時平は歌人と言えるような人物ではなかった。 そうすると一番偉いのは元方だろう。 だから彼の歌が巻頭に出て来る。

在原元方 はコメントを受け付けていません。

伊勢物語の真相2

10.15.2016 · Posted in 和歌

66、67、68 謎

69、70、71、72 例の伊勢斎宮の話。

ちはやぶる 神のいがきも 越えぬべし 大宮人の見まくほしさに

恋しくは 来ても見よかし ちはやぶる 神のいさむる 道ならなくに

これはもともと万葉集11-2663

千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無

ちはやぶる かみのいがきも こえぬべし いまはわがなの をしけくもなし

73、74 謎

75 これは有常が妻を任地の伊勢に連れて行こうとした話だろう。 「見る」と「逢ふ」が区別されているのだが、「見る」とは「文を見る」の意味だろう。

76 これの謎解きは『古今和歌集の真相』に書いた通り。

77、78 文徳天皇、女御・多賀幾子、藤原常行、在原業平の話。

79 貞数親王の話。 父は清和天皇、母は在原行平の娘・文子。

80

むかし、おとろへたる家に、藤の花植ゑたる人ありけり。

在原氏と藤原氏のたとえだというのだが、それはどうだろうか。

81 源融の話

82、83 惟喬親王、在原業平、紀有常の話

84 長岡

85 出家後の惟喬親王

86 有常と妻の話か?

87

津の国莵原の郡芦屋の里

阿保親王の領地であるという。

88

95 藤原高子に仕える男女の話。

97 藤原基経

98 藤原良房

99 業平

101 行平

102 尼となった斎宮の宮とは誰だろうか。晏子か恬子だろうか。

103 仁明天皇に仕えた男。850年までの話になる。

106 竜田川。渚の院、業平。

107 藤原敏行

114 光孝天皇。伊勢物語の中では比較的新しい。

115、116 陸奥の話

125

むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、

つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを

後付けな感じがするが『古今集』に採られているので古い歌なのだろう。 業平かどうかは疑わしい。

伊勢物語の真相2 はコメントを受け付けていません。