九条良経と後鳥羽院

九条良経の歌というのは、今で言えばファッション雑誌を見て、どこかのシャレオツな店のマヌカンに選んでもらって、金持ちのボンボンだからいくらでも高い買い物ができる人が着るような服、といえばわかり良いだろう。そして世の中にはそんな金持ちの慶応ボーイみたいな歌が好きな人が一定数いるのも事実だ。それなりの需要はあるのだ。それはそれとしてそういう歌をうまいとか絶唱とか褒めるのはやめてもらいたいと常々思っている。ジャニーズのイケメンがかっこいいのは当たり前じゃないか。

九条良経の四歳下の妹任子は後鳥羽院の中宮なので良経と後鳥羽院は、血はさほど近くはないが義兄弟である。この二人の歌は良く似ている。ほとんど区別できないこともあるが、だいたいにおいて後鳥羽院のほうがうまい。後鳥羽院は後鳥羽院で、それなりに苦労はしているので、そうした生まれ育ちが歌に微妙な屈折を与えている。良経にはその屈折とか鬱屈というものがまるで無いように見える。

後鳥羽院にはあの腹違いの兄安徳天皇がいるわけだから、それが性格に暗い陰を落とさないわけがない。後鳥羽院は生涯九条家と鎌倉武士に頭を押さえつけられて生きていた。京都武士に多少そそのかされたということはあったかもしれないが、後鳥羽院が自ら倒幕などという大胆な改革を思いつき実行しようと企んだということはほとんど考えにくいと思う。それに京都武士らにそそのかされたのはむしろ順徳院であって、後鳥羽院は息子と取り巻き連中の暴走を制御できなかった、というのが正解であるはずだ。

都庁前乗り換え

乗り換え案内だと、都庁前で乗り換え1分、待ち7分などと表示される場合に、実際にはほとんど0分で乗り換えが可能なことがある。やはりあのひねくれた路線と都庁前乗り換えは悪評が高いのだろう。あの乗り換えで0分かそれとも7分待たされるかで大した違いはないっちゃないのだが(それを言えば郊外の10分間隔とか15分間隔にしかこない電車はどうなるとなる)、しかしあの乗り換えはマジでメンタルに来るので、いろいろ工夫しているのに違いない。

恵方呑み

デニーズのメニューに「恵方呑み」なるものがあって、まさか今年は西南西を向いて酒を飲めというのじゃあるまいなと思ったらまさにそれだった。

そうなると「恵方寝」は布団を西南西に向けて寝ることになる。

ほかにもあるだろうか。「恵方歯磨き」西南西を向いて歯磨きをする。「恵方くしゃみ」西南西を向いてくしゃみする。「恵方放尿」西南西に向けて立ちションする。「恵方放屁」おしりを西南西に向けておならする。「恵方ラッパ」西南西に向いてラッパを吹く。大日本帝国海軍の信号ラッパの伝統。「恵方キャッチボール」西南西に並んでキャッチボールする。

アジア物産

千束通りに向かい合って日豊アジア物産という店と、アジアマートという店がある。アジアマートのほうはまだグーグルには捕捉されてないみたい。デリカぱくぱく千束店の近く。アジアと言っているが完全に中国人による中国人のための店。新大久保あたりのほうがもちろん中華食材の店は充実しているのだが、ここは袋麺がけっこう高い。

アジアマートのほうは麻辣とかが多い。辛いのは苦手なのだが、アジア物産のほうで「葱香排骨面」というものを買ってみた。麺はごく普通だが、粉末のスープ1つと液体のスープが2つ入っていてけっこうこだわっている。全然辛くはない。日本のインスタントラーメンとはまったく違っていて美味しかった。

エキミセ

今や松屋というと牛丼屋というイメージが強いせいか、松屋浅草はエキミセと呼ばれたがっているらしい。というか、松屋浅草とは地下1階、1階、3階部分を言うらしく、2階は東武浅草駅。4階から上がエキミセ。

この建物、エスカレーターの動線がめちゃめちゃわかりにくい。なんでこうなったんだろうか。おそらくもとは歩いて上り下りする階段だったものをエスカレーターに置き換えたらこうなったんだろうけど、昔はそういうのが流行りだったのだろうか。

6階フロアまるごとニトリ。ここのニトリはすごい。郊外ならともかく浅草のど真ん中でこの広さはすごい。まあたいていここで買えるだろ。

ベトナム米

土曜日の朝、浅草場外馬券場の付近、つくばエクスプレスA1出口のあたりにとんでもない数のおじいちゃんたちが集結する。路上喫煙者だらけで、鶯谷北口のような、北千住喫煙目的店通りのような状態になる。正直まったく近づきたくない。そうした場合、この煙幕ゾーンを避けてつくばエクスプレス浅草駅を使うには、地下駐輪場を延々と歩いて、北か南のはしの出口を使うしかない。

この時期浅草はいたるところで道路の修理をしているがこの工事費用はなんとJRAが補助しているのだという。競馬産業に支えられる街、浅草。

例の吉原のど真ん中にあるBig-A。「サイズミックスたまご10個」178円。安い。「ちょうどいい牛乳」188円。安い。サッポロ黒ラベル350ml缶168円。おなじくスーパードライ168円。外税とはいえなかなか今どき見ない安さだ。

驚きなのは「ベトナムのお米」5kg 2480円。税込みでも2678円。炊いて食べてみたがごく普通。まずいということはない。日本の米と同じ短粒種で、タイ米やインド米のように細長い米ではない。同じものがamazon、楽天市場で売られているが品切れ状態。

根岸こと鶯谷

根岸という土地に私たちは何か牧歌的なイメージを抱く。鶯谷という地名にしても悪い噂はあるものの私は何やら楽しげな飲み屋の町という先入観を持っていた。

私は浅草の方から入谷を経て根岸の子規庵に行こうとした。この界隈をぶらぶら歩き回り(というか、根岸から根津へ抜けようとしてなかば迷って)子規庵の前を偶然通りがかり休館日だったので再び来てみたのだ。グーグルマップで開館日でしかも営業時間内であることを確認して。

上野や或いは秋田などの古い町にはよくあることだが昔の道が後から作られた車のための道や鉄道によって分断されて歩行者が恐ろしく遠回りさせられて、その代償に歩道橋や歩行者用の陸橋に登らされるという町が戦後日本にはたくさんできた。鶯谷もそうであった。子規庵へ続く道にはバカでかい歩道橋しかなく、その歩道橋に登らなくては大きく迂回せねばならなかった。私は仕方なく歩道橋を渡った。

子規庵は13:00まで昼休みというので入れなかった。

それから北口に向かったがここは路上喫煙者のたまり場になっていた。禁煙の店が2、3軒あるのをグーグルマップや食べログで確認していたのだが、禁煙の店の店先には必ず喫煙者がいた。喫煙可能な店の中にももちろん喫煙者がいるのに違いない。北千住のタバコ通り並にここは喫煙者の多い場所だということがわかった。

根岸すなわち鶯谷というところは駅の北口と南口で高低差がある上に線路で分断されていて、古い道も分断されて、喫煙者だらけで、北口にラブホテル街が広がっているのはどうでも良いとして、鶯谷南口は上野の博物館や寛永寺にも近く平和なところだが北口にはもう近寄りたくない。子規庵の最寄りがその鶯谷駅北口だというのと、二度も入れなかったので行く気が失せた。

疑似文語

1月27日に1年、いや1年半かけて書いた本の最終原稿を提出して、もちろん校正段階で手直ししたり差し替えたりということもできなくはないのだが、それはもうやらず、最小限の修正に留めて、余計に書きたくなったらここのブログに書いていこうと思う。そういう文章が溜まっていってまた本にまとめるかもしれないし、しないかもしれない。

短歌の表記について:文語・口語のこと

あざやけし・やすらふ(1)

あざやけし・やすらふ(2)

あざやけし・やすらふ(3)

江戸時代にあったのは国文(くにぶみ)であり、国文には和文(やまとぶみ)と漢文(からぶみ)があった。『平家物語』や上田秋成の『雨月物語』のような和漢混淆文もあり、本居宣長の『玉勝間』などを見てもわかるが、散文に関していえば、和文だけでは語彙が足りないから適宜漢語を混ぜて書いていた。その書き言葉を記したものを文語というのであれば、確かに文語は江戸時代からあった。

この江戸期にすでに確立されていた文語を逸脱したものを擬似文語と言いたいわけだが、より狭義に言えば、口語、話し言葉にはあるが、文語にはない語を文語風に造語し補完したものを擬似文語と言いたいわけなのだが、今どき散文を文語で書く人など皆無であるから、疑似文語の問題はただ、俳句とか近現代短歌のコミュニティだけで見られるものである。

一番わかりやすい例でいえば「大きい」。古語には「おほし」しかなく、「多し」「大し」「大きなる」などとしか言わなかった。「おほきなる」から口語の「大きい」が出来て、「大きい」を文語化すると「大きし」となるが、「大きし」などという古語の用例はない。

同じく「近しい」という現代語はあるが「近しし」という古語は存在しない。

「おだやかな」という言葉はあるが「おだやけし」という形容詞は存在しない。「おだし」という言葉は『源氏物語』にも見える。ただし私の知る限りにおいて「おだし」が和歌に用いられた例はないように思う。話し言葉には用いても和歌に用いられない言葉というのはよくある。よく知られているのは、係り結びで「ぞ」「こそ」は使うが「なむ」は話し言葉にしか使わない、など。

同じように「あざやかな」とは言うが「あざやけし」とは言わない。古語には「あざらけし」という言葉があって、「あざらけし」というのが正しい、などという人がいるが、それもどうだろうか。「あざらか」は『土佐日記』に用例があるらしいが、「あざらけし」の用例は非常に少ない。まして和歌に用いられた例はなかろうと思う。

「たけのこ」は「たかむな」「たかうな」とも言う。『源氏』には「たかうな」と出る。和歌に使われるのは圧倒的に「たけのこ」であって、私は特に理由が無い限り「たけのこ」と言うべきだと思う。

「ずき」「ずけり」などは万葉時代には使われていたらしい。「見れど飽かずけり」など。しかしこれも、「ざりき」「ざりけり」と言うべきだと思う。もし文字数の制約で、或いはわざと万葉調にするため、或いは単に奇をてらってそうするというのは慎むべきだと私は思うし、私ならば絶対やらない。

「悲し」「悲しむ」という古語があるのだから、「寂しむ(さびしむ)」「愛しむ(いとしむ)」「侘びしむ(わびしむ)」「激しむ(はげしむ)」などという語があってもよかろうという人はいるかもしれない。実は「侘びしむ」は『岩波古語辞典』にも載っているれっきとした古語である。崇徳院に

いかでいかで 嘆きを積みし 報いとて 逢ひ見てのちに 人をわびしむ

また西行に

寝覚めする 人の心を わびしめて しぐるる音は 悲しかりけり

がある。「さびしむ」にも用例がある。しかしながら「愛しむ」は「いとほしむ」と言うべきだろう。「激しくする」を「激しむ」というのはおそらく誰もが違和感をおぼえるだろう。

俳句や現代短歌ではこれら疑似文語をしばしば使う。言語というものは移り変わっていくものだから、現代語を現代人が勝手に作り変えて新しい造語を作るのは勝手だという考えもあるだろう。どうぞそうしてかまわないと思う。その代わり和歌とは混ぜないでほしい。

どんどん新しい言葉を作ってその中には後の世に残る良い言葉も含まれているかもしれない。しかし多くの造語は淘汰されて残らない。何十年か後に、昭和の歌人たちはなんてでたらめな言葉遣いの歌を詠んでいたんだろうといわれたくなければそうした珍文語は使わないのが良い。

新語とか造語ではなくて、明らかに単なる誤用という場合もあると思う。「やすらふ」はグズグズする、ためらう、優柔不断、の意味であって「休む」という意味はない。「安心する」という意味も無い。それらの誤用を許容する理由は、現代短歌や俳句ならいざしらず、少なくとも和歌には無いと言ってよかろう。

私が言いたいのはつまり、九州弁と関西弁と東京の標準語を見境なく混ぜて使ってそれがまともな言語といえるか、ということだ。イギリス英語とアメリカ西海岸の英語とインド人の英語を混ぜた英語が許容されうるか。同じことで、万葉時代や江戸時代にはあった言葉を平安朝の言葉に混ぜて使って、そんな言葉で平気で和歌を詠むんですか、ということだ。現代人は古語には語感がきかないからなおのことちゃんと用例を調べて、例えば紫式部の日本語を標準として定めて、そこに併用しても違和感の無い語彙や文法を慎重に選んで和歌を詠むべきじゃないですかと言いたい。

都庁前乗り換え

近頃は良さげな禁煙の店を見つけるたびに一人密かに喜んでいるのだが、やはり本来私のような人間は東京なんかに住んではいけないのだと思う。早朝は人が少ないので歩きやすいがそれでもときどき路上でタバコをふかしているやつとかいると気分は最悪になる。この世からタバコが廃れて喫煙者がいなくなるより前に私の寿命は終わるだろうから、気にしないのが一番良いのだが、そうもいかない。

ユーチューバーで禁煙の店限定で飲み歩いて紹介している人というのは案外いない。需要はありそうなのだが。寿司屋とか料亭なんかは禁煙が当たり前なんだが安い店ほど喫煙可なところが多い。「孤独のグルメ」なんかはアレは作家が酒は飲まないがタバコはOKという私とはまったく真逆なので私は見ない。「深夜食堂」も嫌になって見るのをやめた。私は心の狭い人間なので仕方ない。

安くて禁煙といえばまずはほていちゃんだが、鳥椿はほていちゃんもびっくりするほど安くてしかも禁煙。しかも昼からやってる。なんて良心的な店なんだ。ほていちゃんとか晩杯屋なんかだとチェーン店感満載なのだが、なぜかこの鳥椿は個人経営店風のオーラが出まくっている。おそらくオーナーが敢えてそうしているのだろう。どういう「理念」で経営しているのか、ちょっと興味がある(創業者 北野 達巳)。そんなに混んでなくてゆったり座れるのが良いが、流行ってなくて撤退されちゃ困るから積極的に支援していこうと思っている。チューリップ1本90円、99本8910円って壁に書いてあるのが笑えるのだが、99本一度に注文したとして一度に99本揚げることができるのだろうか。でかいフライヤーならあり得るのかもしれない。鶯谷にもあるが浅草だと雷門一丁目店というのがある。ここが実はちょっと浅草からは外れていて駅で言えば田原町が最寄り。だからあんまり混まないということはあるのかもしれない。やはり積極的に支援していかなくてはなるまい。

東京の東西を往復している私にとって大江戸線は比較的空いていて便利なのだが、ああいうデザインした人はどういうわけでああいうふうにしたのか、どういう妥協の結果ああなってしまったのか、正直なところを知りたい。特にモヤっとするのは都庁前乗り換えで、ほぼ0分(0分では乗り換え自体できないから1分)で乗り換えできる場合もあれば10分近く待たされることもある。気にしなければ良いのだが気にしだすとものすごくストレスがかかる。

多少余裕を見て家を出るとして早めに駅についてしまった場合はコンビニに寄るなどして時間調整するのが吉なのだろう。

仮に今どかんと金が入って定年退職したらすぐに田舎に引っ越すかといえばなんともいえない。6年後に定年退職するまでは東京暮らしを満喫する計画になっているので、急にどうこうはできないとして、仕事もなく、世間に交わるストレスもなくて、しかし退屈で死にそうになったらどうしようか。退屈だとどうせ youtube 見るか twitter 見るくらいしかしないので、東京をいったりきたりするようになった今はけっこうヒマを潰せていて良いともいえる。

吟醸冷酒よりは普通の本醸造のお燗という記事を昔書いたらしいのだが、今もそう思っている。あんまり甘ったるいのは困るが、菊正宗の熱燗なんかなら申し分ない。ぬる燗だと本醸造の嫌なところが残ってる感じがする。熱燗のほうがよい。

今はまずビールを飲んで、ビールが残っているうちに熱燗を頼む。ビールをチェイサーにして日本酒を飲む。これが最近気に入っている。