> こころして朝ぎよめせよ若草のはつかにもえし九重のには
明治天皇43歳のときの歌。
なかなかいいなこれ。
歴代天皇の御製の中でもかなり良い。
ていうかこれ、天皇の御製なんだが誰の歌かわかるかって言われてわかる人いるかな。
「品川の海」とかなら明治天皇くらいしかいないからわかりやすいが。
五七調なところも私の趣味にあってるんだよなあ。
> かすがののゆきまをわけておひいでくる草のはつかに見えしきみはも
なるほどこれか。
> こころして朝ぎよめせよ若草のはつかにもえし九重のには
明治天皇43歳のときの歌。
なかなかいいなこれ。
歴代天皇の御製の中でもかなり良い。
ていうかこれ、天皇の御製なんだが誰の歌かわかるかって言われてわかる人いるかな。
「品川の海」とかなら明治天皇くらいしかいないからわかりやすいが。
五七調なところも私の趣味にあってるんだよなあ。
> かすがののゆきまをわけておひいでくる草のはつかに見えしきみはも
なるほどこれか。
願はくは 花のもとにて 千代も経む そのきさらぎの 盛りながらに
これは宣長の歌で、明らかに西行の歌
願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃
を本歌としたものである。宣長らしいおもしろい返し方だ。上田秋成が、宣長の
敷島の 大和心を ひと問はば 朝日ににほふ 山桜花
を批判しているのだが、
大和魂と言ふことをしきりに言ふよ。どこの国でも、その国の魂が、国の臭気なり。 おのれが像の上に書きしとぞ「敷島のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花」とはいかにいかに。 おのが像の上には尊大の親玉なり。そこで「しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」と答へた。
宣長は、賀茂真淵や平田篤胤とはまったく違う意味に「大和心」「大和魂」という言葉を使っていた。「大和心」「大和魂」がもともと源氏物語や赤染衛門の歌に出てくるように、それはもとはといえば女言葉であり、平安時代の日本の女性的な心をさすものであった。特に「漢学」に対する言葉だった。宣長はもちろんそういう意味で使っている。漢心(からごころ)、漢才(からざえ)に対して大和心という言葉を使っている。そのことを指摘したのは小林秀雄だったと思うが今ちょっと良く思い出せない。
宣長が「大和魂」などという言葉を使ったのだろうか。使った可能性もあるが、それは「たをやめ」の「弱く女々しい心」という意味に使ったはずだ。敷島の大和心とは何かと人に問われれば、それは「朝日ににほふ山桜花」をひたすら愛でる、私のような、女々しい心のことだ、と解釈しなくてはならない。宣長が詠んだ大量の桜の歌をみればその気持ちを補完できるだろう。
宣長は復古神道の創始者(の一人)ということになってしまった。だから「敷島の」の歌も誤解されている。秋成も誤解した。ただし秋成は「正しく誤解」している。つまり宣長があんまり外国よりも日本を崇拝するのが気持ち悪いという意味で言っている。宣長にしてみれば国学の重要性を強調したいが故に、極端な表現をした。それくらい当時の漢学崇拝は空気のように自然であり、宣長は孤立無援だった(ある意味今も宣長はほとんど誰にも理解されていないという意味で孤立無援である)。
しかし宣長の弟子の国学者たちは「間違って誤解」した。大和心、大和魂を日本男子の猛々しい心だと考えた。平安時代より前の武人の心だと解釈した。
そしてその誤解が宣長を余計に有名にしてしまった。すべては後の世の人たちの仕業である。
ちなみに和歌のことを「敷島の道」などと詠み始めたのは足利尊氏ではないか。少なくとも彼がその一人であるのは間違いない。尊氏も武士からぬ女々しい和歌を詠んだ。大量に詠んだ。室町時代に勅撰集がやたらと作られたのは尊氏のDNAのせいだろう。彼が和歌好きだったのは間違いない。実は周りの武士団が勇ましいだけで、その真ん中にいた尊氏はほんとに女々しいだけの人だったかもしれないと思う。
私の場合、特に最初の頃は、小説の筋を考えながら書くという癖があったから、
なかなか筋が収束しない。
一番ひどいのはアルプスの少女デーテで、2008年頃からちょこちょこ書き足している。
最初から決め打ちで書き上げたのは「エウメネス」「紫峰軒」くらいで、
わりと最近のものである。
どちらもどこかの新人賞に応募した。
一応新人賞に応募する小説としての体裁を整えてから書き始めている。
投稿したあとは書き換えられないもんね。
でもパブーやキンドルに出すときにはまた書き換えたりする。
一度ボツにしたやつをほとんど新作といえるくらいに書き換えてまた出すこともある。
或いは途中までで放棄したやつを他の小説の小ネタに使い回したりとか。
そういや、超ヒモ理論は私がまだ大学生だった頃に書いた漫画が元ネタだ。
それに新しいネタを足して合わせ技で小説に仕立て直した。
「紫峰軒」は応募した最後だ。
「紫峰軒」自体はそんな一般受けするような話じゃない。
でももう新人賞は諦めた。
新人賞には頼らないと決めた。
昔は新人賞に応募したあとパブーで公開してた。
いまはいきなり kdp に出している。
新人賞に応募して落ちたやつを kdp で出版するという個人作家がいてもおかしくないと思うが、あまりみかけない。
或いはそう表明してないだけか。
じじ臭い言い方だが、若い人は、kdpでいきなり出版せず、まず新人賞に応募すればいい。
もったいない。
年寄りが新人賞に応募してもいいことはない。
年寄りはひねくれているから出版社のいいなりにはならないし自分の書きたいことを書きたがる。
作家としてデビューするためには何でもやる、などとは、少なくとも私は考えない。
若者ならどうだろう。
いずれにしても、書く前からすでに完成していたと言えるのは、「エウメネス」「紫峰軒」くらいからなんだが、そういえば「エウメネス」には後書きを追加したな。うん、一度で確定してないじゃないかやっぱり。
そもそも最初の頃は自分がどういう文章を書く人間かということすら自分で把握してなかったので、とにかく書き始めてみるしかなかった。
小説を書いてみて改めて自分がどういう人間か再確認してる感じ。
コンテやネーム、企画書なしにいきなり書き始めるタイプ。
今もけっこう途中で仕様変更しながら書いている。
何度か校正すれば誤字脱字はなくなるはずだという指摘をされることがあるが、
書き換えているうちは新たな誤字脱字が発生するので、何度読んでもなくならないのである。
それは言っておきたい。
よく書き換える人ほど間違うだろうと思う。
一度書いてそのままだとあまり間違えはおきない。
書き換えた箇所に間違いが起きるのだ。
書き換えるということは追記したり良い表現に訂正したりする。
時間的にも文言もつぎはぎなのでどうしても間違いが混入する。
だから、小学生の書き取りの間違えと一緒にしないでほしい。
間違いを見つけたら、ははあ作者は、ここで何度か文章を書き換えたらしいな、と考えてほしい。
kdp 作家の文章に誤字脱字があるのはある意味当然で、
市販の書籍でも初版第一刷にはやっぱりある。
紙の本も一応書いたことがある私がいうんだから間違いない。
編集が校正して完全にミスを無くしてくれるわけではない。
[小谷野敦氏](http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/)だってブログでしょっちゅう訂正している。
誤字脱字が無くなるのは初版第一刷以後の、「書き終わった」本を読んでいるからだ。
個人出版なんだからそのへんの間違いを指摘されても困る。
もすこし違うところを指摘してほしい。
このブログなんかも単なる書き切りの日記ではなくて、
何度も書き直したり書き足したりしている。
エッセイの草稿みたいなもんだな。
ブログ記事をまとめて小説書くこともあるしな。
ちなみに安藤レイは太宰治賞の[一次選考](http://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/entry/719/)
に通ったことがある。
これも落ちてからかなり追記した。
安藤レイにしてもそうだが、もしあのとき心臓の除細動で死んでたら、
今出版している小説の多くは世に出なかったことになる。
そう考えると何か不思議だ。
あれで死んだとして完全な形で残せたのは「将軍放浪記」くらいということになるが、
あれもかなり加筆したからな。
昔々このブログを置いていたサーバが自宅サーバーだった関係で、NTT bflets + アサヒネットの固定IPでずーっとやってきて、今もアサヒネット、
でも、固定IPも自宅サーバーもやめてしまった。
だから固定電話も NTT である必要はすでにない。
アサヒネットの営業電話がかかってきて珍しいなと思ってると、wifiルータ(wimax)使いませんかと言われてなにげに使い始めてもう2年以上使っていた。
wifiルーターは便利なんだが、
スマホのテザリングあればいらないからまあこの際やめてもいい。
それなりの額を自動引き落としされているわけだから、
その分テザリング代に回せばいいわけで。
でまあ今 au だと sony xperia z1 なんかに機種変更すると7万円くらいかかるのな。
高いなあ。
でもスマホ1台あると何でもできるしな。
そろそろかなあ。
au と j:com だけにするかなあ。
twitterアプリはtwitterのサイトで一度認証しないと続けて使えないだけだった。アプリ自体が対応してないんじゃなく。しかしなら自動でtwitterに飛べよと言いたい。
twitterのアカウントはけっこう持ってる。
こっちから勝手にフォローしてフォロー返さない人を切って、
また、向こうから勝手にフォローしてきたらフォロー返しする。
これだけでフォロワーをかなり増やすことができる。
誰でも1000は軽くいくだろう。
tanaka0903ではそれをやってる。
逆に言えば相互フォローでフォロワーを増やすことにいったい何の意味があるんだろう、ということだわな。
もとはフォロワーをわざわざ切ったりしてなかったのだが、
2000以上フォローするにはフォロワーの数が多くなくてはならないそうで、
それで切ることにした。
このアカウントは書くだけでほとんど読んでない。
Write Only。
某実名アカウントは Read & Write。
フォローされても必ずしもフォロー仕返さない。
読むのが面倒だから。
少数精鋭とも言える。
そのほかbotが三つ。
このうちの一つが私の Read Only のアカウントになっていて、
主にフォローしている人を個別に読むのに使っている。
wordpress popular posts を設置してみて思ったのは、 おそらく私のブログを見に来る人のかなりの部分は google検索かなんかで来るんだろうなということ。私のブログの読者というよりも。 過去記事が唐突に読まれる傾向があるからだ。あと銀行ネタは割と読まれている気がする。
私は幼稚園生の頃から祖父に絵を習っていた。
祖父は元尋常小学校の訓導で美術を教えていた。
祖父には剣道も習ったがこれは嫌で嫌で仕方なかった。
中学くらいから内村鑑三や小室直樹を読み始めた。
祖父からの間接的な影響だったと思う。
祖父は戦時中の雑誌などを持っていたからそれを読んだりした。
内村鑑三が頼山陽に言及していたので興味を持ったが、漢詩や漢文は難しすぎてすぐには読めなかった。
頼山陽のファンになるのは四十過ぎてからだ。
大学受験のとき明治神宮にお参りして御製集を入手してからはなんとか和歌を詠もうとがんばった。詠めるようになったのは二十歳すぎてからだ。
それでまあ私は画家か歌人になりたかったのだろうけど、
絵も和歌も商業的にはまず食っていけない。
そのときたまたま俵万智の「サラダ記念日」が出たのだけど、
あんなものはいわばまぐれ当たりであって、
歌人が食えないのにはなんら変わりがない。
画家というのはグラフィックデザイナーやイラストレーターやCGクリエイターなんてのであれば食えなくもなかったのかもしれない。
歌人というのも俵万智みたいなことがあるわけだから可能性が0ではないのかもしれない。
しかし私は少しだけ数学が得意だったから理系に進み、
将来は電気技師のようなものになるつもりでいた。
しかし大学に入ってみて分かったのは私よりもずっと才能あるラジオ少年はこの世にいくらでもいるということだった。
しかし25歳くらいに他の人よりも少しだけ研究者に向いてるらしいということに気づき、バブルの絶頂期に隠者のような生活を始めた。
そんでまあ40過ぎて自分の本業の限界も見えてくると余力で絵とか和歌とかがやりたくなる。
副業でできる範囲でいいからやろうと思い始める。
或いは本業に少しでも絡む形で絵やら和歌をやろうとする。
しかしながら和歌というものはまず一般人にはわからない。
俵万智ですら和歌とはいわず短歌という。
短歌と言いたくないので和歌という人の気持ちをわかってくれる世間の人はほとんどいない。
それでまああるきっかけでもって歌物語を書いてみようと思ったわけだ。
小説ならば歌集よりはまだ人に読んで楽しんでもらえるかもしれないと。
だから私が最初に書いた小説は『将軍放浪記』なのである。
私が一種のCG屋さんであるというのはkdpの挿絵を見てもらえればなんとなくわかると思う。
歌の全然出てこない話とか挿絵メインの話とかも書いたり、
比較的純粋な歌物語である『西行秘伝』を書いたりもした(『西行秘伝』は新作ではなく[旧作](/?p=8753)のリメイクである)。
しかし、『将軍放浪記』『西行秘伝』が歌物語だと認識している人がどれくらいいるのだろう。たぶん普通の歴史小説として読まれているのだろうと思う。
歌人や画家は、小説家(とくにエンタメ系)よりはずっと世の中をはかなんでいる、
つまり売れることを諦めている。
もちろん売れた方が良い。
本業をやらなくてもすむくらい売れればいいのだが、
まあ無理だ。
多少売れたとして焼け石に水だろう。
小説を書き始めた動機の一つは日本が本気で絶不調になって私の給料も減り始めたからだ。減った分を自分のまだ活かしてない才能を切り売りして(売れるものなら)補填しても文句は言われまいと思った。
宣長も本業は医者だった。
文芸で食える人もいるだろうが(同時代人だと滝沢馬琴とか山東京伝とかか)そうでなくても全然おかしかない。実際宣長にはなりたいが馬琴になりたいとはまったく思わない。
このブログのアクセス解析はずっとやってなかった。 誰かに読まれているという意識があまりなかったんだけど、popular posts というプラグインを入れてみた。アクセスがあるたびにカウントするんだろうから、最初はあまり正確ではなかろう。はてブやツイッターもときどき突然押されててびっくりする。
まあ、どれもよそのブログのまねをしているだけなのだが。ちなみにこのサイト、2009年3月から初めているので、ペンネームが久三なのだが(ドメイン名がペンネームより先に決まった)、当時 wordpress はまだ珍しかったはずだ。ブログソフトはだいたい movable type が使われていた。perl が嫌いだったのと movable type は当時私企業が作ってて、ライセンス的にGPLな wordpress にしたんだった。当時はまだ movable type の方が wordpress より信頼性が高いと言われていた。今はそんなこと言う人はいない。
最初ここのブログタイトルは不確定申告というものだったらしい。確定申告という名称はおそらく源泉徴収などで余計に納税してたり、或いは申告漏れしてたりして納税額が未確定なのを最終的に確定させるから、そう言うのかも知れんなと今思った。源泉徴収なんてまさに未確定申告だもんな。不確定申告 はまだ名前だけはてなブログに残してある。昔は確かはてな日記と言っていたはずだ。あ、違った。はてなダイアリーだ。だんだん何もかもが忘れ去られていく。ブログをはてなに置くか自宅サーバーに置くかでしばらく迷った。結局自分でwordpressいじったほうが楽しいというので自宅にしたのだった。
ウェブ日記らしきものはそれこそ NCSA Httpd が出た頃から書いてた(少し嘘。でも最初使ったのはこのソフトだ)ので、ずっと古い。
2ch読むとやはりATMコンビニ手数料無料の回数制限がそれなりに話題になっているようだ。
確かに我々一般庶民はATMで引き出すとき105円とか210円とられる。
消費税が8%になればそれが108円、216円とかになるんだろう。
このタイミングは銀行の消費税対策とも言えるのかも知れないし単なる便乗なのかもしれんし、よくわからん。
そもそもこの金額設定というのはATMが登場して以来あまり変わってないから、おそらく金額的にはそうとう盛っているのだろう。
今の時代で自由競争すれば、こんなにかかるはずがない、と思う。
ま、想像するに、セブン銀行というのはATMの管理しかしてないから、
どこかプロの銀行にATM以外のほとんどすべての(バックヤードの)銀行業務を委託しているのに違いない。
その委託先が新生銀行であるとすれば、新生銀行がATM手数料に異様に太っ腹な理由が理解できる。
つまり、新生銀行はセブンに我々のように毎度毎度手数料を払っているわけではなく、業務提携という形で手数料を相殺しているのだろう。
ところが都銀なんかはセブンとは赤の他人であり、
コンビニで取引があるたび、ある一定の手数料を支払わざるを得ず、
それがかなり効いてくる。
私のようにATMを財布代わりにして9000円ずつ小刻みに下ろすなんてのは大迷惑なのに違いない。
いずれにしてもATM手数料いつでも何回でも無料なのはありがたく使わせてもらう。
西行の歌に
> 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
というのがあるのだが、旧暦2月15日はおよそ春分の日のことであり、
桜が咲くには早すぎる、と以前から思っていた。
旧暦2月15日は釈迦涅槃の日でもあって、
娑羅双樹の木の下で死んだことになっているから、
ここで花というのはおそらく娑羅双樹の花をさしている。
こんなことを私が初めて発見したわけはないと思いググってみると、
川田順という人が「古典日本文学全集西行集」の中で言及しているらしい。
娑羅双樹なんて日本に生えているわけがない。
また娑羅双樹の花が咲くのは初夏であり、
涅槃日とされる春分の日には絶対に咲かない。
また桜の花でもあり得ない。
つまり、「願はくは」は完全に空想の歌であり、
何か具体的な花をさしているのではなく、
ある抽象的・観念的な死の花を言っている。
あるいは死後の西方浄土の世界を詠んでいる。
現実の、春分の頃に咲く梅とか桃とかの花ですらない、ということになる。
おそらく後世の人があやまって(あるいは故意に)山家集の桜の歌の中に「願はくは」の歌を混ぜてしまったのだろう。
特にその次に
> 仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば
をもってきたのはまずかった。
当然「願はくは」の花は桜だという誤解を定着させた。
しかるに、もしこの花が娑羅双樹の花だとわかるように歌集の中に配置されたり詞書がついてたりしたら、このように有名になることも、西行の代表歌になることもなかっただろう。
西行と桜のイメージの相乗効果によってこの歌も西行も有名になったのだ。
こういうふうに後世の人の誤解(脚色)のせいで有名になることはたくさんあると思う。
そもそも釈迦の涅槃が春分の日であるというのも根拠がない。
後世の人がえいやっと春分の日を涅槃日ということにしたのにすぎない。
クリスマスがちょうど冬至の日にあたっているようなものだ。
当然、西行が春分の日に死んだことになってるのもただの伝説にすぎない。
人は真実を知るよりもむしろ美しい嘘にだまされたいものなのだ。
「古今和歌集の真相」の記述も少し書き換える必要がある。
「西行秘伝」はもともとフィクションだからいじる必要はない。
そうして疑ってみると「願はくは」の一つ前の歌
> はなにそむこころのいかで残りけむ捨てはててきと思ふ我が身に
これも実景を詠んだのではなく、釈迦入滅の心境を詠んだものかもしれない、とも思える。
釈迦が死の直前に弟子のアーナンダに「この世界は美しい。そして、人生は甘美である」と言ったとあるが、この時釈迦が見ていた花はマンゴーの花であったかもしれない。そして西行はこの臨終の際に釈迦が言った言葉を和歌に翻訳してみたのかもしれない。