東京銭湯共通入浴券

入浴券の期限があと少しで切れてしまう。期限はまだまだ先だなと思っていると案外使わずに過ぎてしまう。使わないのはもったいないが無理に使うのも面倒だ。それで、まだ行ったことがないところへ試しに行ってみようと思うのだが、歩いて行ける近場はもう全部行ってしまっているので、電車で数駅くらいのところへ行って、銭湯入って、適当に近くの安い居酒屋で飲んで、それでまた電車で帰ってこようと思っている。中央線より北側に広大な未開拓ゾーンが広がっているのでちまちまやっていく。

しかしこの共通券だけど、期限が切り替わるのが年に6月30日一度きりらしい。

7月に買っても6月に買っても期限は6月30日。ふだんしょっちゅう銭湯に行く人にとっては誤差のようなものかもしれないが。

たいていどこの銭湯もちょっとずつちょっとずつ使いにくいのだがそれは個人経営の銭湯なんだから仕方ないとあきらめてこちらから合わせていかねばなるまい。

人の悪口

サイトを再開して1年経過し、以前よりもかなりグーグルで検索されるようになった。というより、グーグルは1年未満のサイトを検索結果に極力出さないようにしているようだ。そういう日の浅いサイトを信用しないというのはある意味かなり効果のあるフィルタリングかもしれない。

そうして検索されたからといってブログ村のPVが増えるわけでもない。いずれにしても今は誤差の範囲ということだろう。検索されたりバズったりすることは悪いことではないと思うが、ただ単にそれで目立つことが目的化して、書きたいことではなく、目立つため、書きたくもないのにインプレッションを稼ぐための記事を書くようでは、何も書かないのと同じか、むしろもっと悪い、人生の無駄遣いに等しいことだと思っている。それを本腰入れて商売にするというのであれば、少なくとも生計のたしになっているのだから意味が無いとはいえないのだろうが。

エゴサするのが好きな人がいて、自分の悪口を言っている人はとりあえずブロックし、自分のことを良く言っている人の言葉だけ聞いていたいという人はいるのかもしれない。まったく絡みもしてこない相手をブロックする理由というのはそれしか考えられない。とにかく目障りなものは見ない、自分のファンの反応だけを見て承認欲求を満たす。そもそもエゴサしない人は赤の他人をブロックすることはあるまい。

私はどうだろうか。なにかバズっていろいろ私のことを世間で良く言ったり悪く言ったりしていて、悪口はみたくないからブロックするだろうか。そもそもエゴサしたりするだろうか。わからん。なってみないとわからないものなのかもしれない。しかしまあ、人の悪口というのはかなりメンタルにくるだろうか、できるだけ見ないようにするのが精神衛生に良いのだろうということはわからんではない。その場合私はエゴサした上でブロックするのではなく、そもそもエゴサしない、自分を褒めるひともけなす人も一様に見ないようにすると思う。

フォローされたりリツイートされたりしたというのなら話はまた別だが。思うに、やはりエゴサというものは怖いものなのである。だからエゴサそのものをしたくなかったり、エゴサしたときに目障りなアカウントをブロックしたりするのだろう。

田舎暮らしは嫌だ

多少不便でも良いから田舎でのんびり暮らしたい、とは誰しも思うことかもしれない。最初のうちは物珍しさで毎日楽しいかもしれないが長期滞在しているとだんだん嫌なところが見えてくる。

ものすごい田舎でなければ田舎が不便ということは最近はあまりないと思う。イオンモールなり、ホームセンターなりスーパーなり、ドラッグストアなど何かしらあって買い物に困るというケースは、少なくとも駅から徒歩圏ならばないと思う。

田舎は案外うるさい。畑や田んぼは例外なくうるさい。耕運機やらなにやら。田舎の家も生け垣などあると刈り込みの音がうるさい。農業がなにもかも機械化されて年寄りがやるようになったからうるさくてしかたない。工務店と同じだ。

あとやはり田舎には、住宅街にはうるさすぎていられないような工務店か工場のようなものが点在していてこれがまたうるさい。いちいち気に障る。

それから、ワゴン販売みたいなのが駐車場に止まってるとこれがまたバックで駐車するときにいちいちうるさい。

田舎に静かな一人暮らしなどというものを求めても結局人が住んでればなにかしらうるさいのである。駅や街道から離れ周りにたんぼも畑もない一軒家などが良いのかもしれないが、私は胸に機械を入れてから免許証をとりあげられてしまったし、そもそも車に乗りたくないし、そんな周りにひとけのない、どんな野生動物が出るかもしれないところは危険な気もする。それで結局静寂な環境を求めるのであれば、きちんと防音されたマンションなどに住むしかないのではないかと思う。

腹八分目、酒八分目

食事にせよ飲酒にせよ、適当なところで止めておくのが平穏無事に生きていくためには必要なんだなと思う。

やはり高いウィスキーでハイボールを作るのはもったいないと思うようになった。シーバスリーガルがホワイトホースくらい安ければロックも炭酸割りも全部シーバスリーガルで飲むのだが、そういうことは超富裕層の上級国民で、伊勢丹の外商通してしか買い物しないような人にだけ許されるのだろう。

玉子ほどじゃないが、ウィスキーも最近だんだん最近高くなってきた。ホワイトホースも1本1500円くらいまで上がったが最近はまた1000円近くまで下がってきたのは喜ばしい。ホワイトホースばかり飲むと飽きるのでいろいろほかのを飲んだりするんだがホワイトホースを超えるウィスキーはなかなかない。特に国産にはない。国産の高価なウィスキーをありがたがる風潮は私にはまったく理解できない。chivas regal とかジョニ黒とかジャックダニエルとか、あとは knob creek なんかを順繰りに飲めればそれでいいかな。

匿名と実名

私はブログやツイッターに匿名で書いているわけだが、その匿名で紙の本を出してもらったり、kdpで個人出版しているので、一応、ただのアノニマスな人間として活動しているわけではなくて、売れているかどうかはともかく、一個の作家としてすでに世の中に存在していると思う。そしてたぶん調べれば私の本名を調べるのはそんな難しくないし、わかったからいまさらどうということもない。多少困ることになるかもしれないし、職場に迷惑がかかるかもしれないが、その程度の発言をしている人は世の中にざらにいるし、問題があるとも思えない。一時期、ツイッターの匿名アカウントが実は某通信社の社員だったことが判明したりして騒ぎになったが、私はそういうタイプの人間ではないと思う。

さらに言えば、7年後定年したら、匿名と本名を区別せずやっていくつもりで着々と準備している。もう私も60才なので、匿名と実名を使い分けてどうこうなどということはせず、書きたいものを書きたいように書こうと思っているわけだ。

それで、ある人にツイッターアカウントをブロックされたのだが、別にこれが初めてのことではないのだけど、私はわりと小心者なので気にしている。いまのところ警告されたり削除依頼が来たわけではないし、まして、相手の記事に返信したりリツイートしたわけでもない。私が嫌いですよ、困ってます迷惑してます、という意思表示ではあり、また私の書いたものが(おそらくこのブログを含めて)相手に読まれているということだ。どういう頻度で詠みに来るのかは知らん。ブロックしてそのまま無視するのか。それともときどきチェックしにくるのか。まったくわからん。なんか怖い。

となると私もこれから何を書こうかということを意識せざるを得ない。

とりあえずこれ以上メンションするのはやめておこうと思う。

次に出す本は割と政治的要素が強いのだけど、今までもそういうものをKDPで出したことはあるが、紙で出て、しかも世間で話題になったらなんか言われるんじゃないかという心配は実はあるんだが、まあもう私も60だからそろそろ言いたいことを言わせてもらおうかなと腹をくくりつつあるところだ。

夫婦同姓

梅雨入り直前というところかなあ。

世の中では江戸時代の夫婦同姓と養子縁組をごっちゃにしている、あるいは、ごっちゃにしたがっている人が多いように思う。たとえば、婿取りをして、婿が養子縁組によって姓を変えて、夫婦同姓になる、ということはあったと思う。医者とか、芸能の家の場合には特に多かったようだ。本居宣長も明らかに、婿入りで京都の医者になるのを狙っていた。

婿取りとは要するに女系相続のことだから、漢民族や、ゲルマン法に基づく西ヨーロッパではなかったが、東ヨーロッパや古くギリシャ、ローマでも、或いは東ローマ帝国でも、女系相続というものはごく普通におこなわれていた。しかしふつうそれは夫婦同姓とは言わない。養子縁組だ。

嫁入りにしても、夫婦になると同時に妻が養子縁組して夫と同じ姓になることは、あったのかもしれない。或いはそこまで民間では厳密に姓というものが考えられていなかったか、そもそも姓というものを持たない人もいたかもしれない。

しかし武家や公家は違う。徳川氏に藤原氏が嫁入りしても、嫁は藤原氏のままだったはずだ。徳川氏に皇女が嫁入りするときだって、皇女は皇族のままで、徳川氏になるわけではない。天皇に藤原氏の娘が入内しても、皇族になるわけではなく、藤原氏のままだ。

あるいは、商家の屋号というものが実質的に姓の機能をもっていたから夫婦同姓だといいたがる人もいるようだ。

いろいろ民間の制度はあったかもしれないが、原則として日本は江戸時代まで夫婦別姓だった、というのが歴史的事実だろ。違うんなら違うという理屈が知りたい。

はかもなきこと

youtube でうっかり kpop を見たりしようものなら次から次に kpop を推してくる。お勧めに表示しないボタンを押しても簡単には止まらない。よほど kpop を見せたくてたまらないらしい。

夜でも暑い。

twitter にはめったなことではもう書き込まない。何か書きたくなったらまず紙にメモして、たまってきたらここのブログに書くようにする。

セイコーがすごく値上がりしてて非常に悔しい。時計株は買いたいのだけど将来性が不明なので買わないでいた。特にカシオが低迷している。嘘でも良いからスマートウォッチ出しまーすとか発表すりゃすぐ回復しそうなものだが。そういう流行りものには絶対手を出さないって決めてるのかな。セイコーはなんだろ。将来第二のロレックスになるかもしれん、セイコーのメカニカルなら資産として運用できるかもしれんと思われたのか。

チプカシは資産には絶対ならんしな。G-Shock もしょせん消耗品だし。

このブログを再開してだいたい1年が経過してようやく「はかもなきこと」で検索をかけて google の検索結果の1位に表示されるようになった。休眠にせよ新しいサイトにせよ、1年間は様子をみられるということか。

十郎のソウルフードの旅も、十郎の溶けて流れても、やっとブログ村と並んで本家サイトが上位に表示されるようになった。

夏目書房新社のサイトはしかしまだ浮上してこない。たぶん夏目書房という、ほとんど同じ名前のサイトがずっと前から存在するからだろう。そもそも先に夏目書房という本屋さんが神保町にあったのに同じ名前の出版社を作ったのが良くなかった。あと、このサイトは出版された本を紹介されているだけでそれ以外まったく更新されないので、googleには価値が低いと判断されているのかもしれない。

twitterに書き散らかすのはやはり良くない。後から読み直そうと思ってもどこに書いたかすぐにはわからないのだから。

casio databank 電卓付きゴールド

つい買ってしまったのだが、いろいろ問題がある。

防水ではないので、つけっぱなしで使うことに不安がある。

それでも気にせず使おうかと思うと、重いせいか、ベルトが外れやすい。爪でひっかけるだけの構造なので、そこが問題。

困りましたな。普通のチプカシ使うかな。

シーバスリーガル

ちょっと贅沢してシーバスリーガルを買って飲んでみたのだが、ジョニ黒かジャックダニエルに近い味。甘みを感じると思う。実際に甘いかどうかはしらんが。樽の匂いと味なんだろうなあ。これはさすがにハイボールで飲むのはもったいない気がするなあ。

ジョニ黒まではぎりぎりハイボールでも飲めるが、シーバスリーガルは高すぎる。私の感覚では。ハイボールだと味の違いがわからなすぎる。

ついでにアーリータイムスが安かったので買った。普通は、ジャック以外のバーボンは飲まないのだが、安いので買った。ハイボールで飲む。

エウメネス6を久しぶりにいじった

何度も書いていることだがほぼ1年ぐらい、ある新作をずーっと書いている。半信半疑、ほんとに出版されるかどうかわからないまま、たぶん出版されるだろうというつもりで書き続けている。1ヶ月くらいでだいたい書き終えたのだが、そのあともずーっと推敲したり書き換えたり削ったり書き足したりしてその推敲を最優先にしてきた。もちろん私もただの暇人ではない。のんびり執筆活動に没頭できる身分ではない。なので、kdpの作品はほとんどいじっていなかった。

しかしひさしぶりにエウメネス6をいじってみた。

いやー。どうなのかねこれは。とっちらかっているよね。わざとそういうふうに書いているからというのもあるが。これを読める人はいるのかね。書いた自分が読んでも疲れるのに他人が読んだらどうなのかね。

エウメネスは、1は、誰が読んでもだいたい読めるように書いたと思う。

2から3も、途中が少し退屈かもしれないが、読めなくはないと思う。

しかし4、5、6はどうかな。1、2、3 が読めた人のためにおまけで書いたものなので、すごく読みにくいと思う。自分としても読みやすさより、いろいろ実験したいことをしている感じのもの。

普通の小説はこんなに読みにくくないと思う。たとえば鬼平犯科帳なんかは一応全部一続きの長編ではあるが、その中にもいくつか短編があり中編があり長編があってそれらがくみあわさって続きがあっている。前や後ろの話を知らない、もしくは忘れていても、部分的に読んで読めなくはないから読みやすいというのはある。

しかしエウメネスはそうではない。しかも時系列にはなってない。全編頭の中に入っていないとわからない内容になっている。タランティーノ作品、例えばパルプ・フィクションやレザボア・ドッグスに似ている。キル・ビルは少し違う。キル・ビルも時系列にはなってないが話が割と切り分けられていて、それぞれの部分のアクションシーンをみれば楽しめるようになっている。

鬼平も登場人物は多いが、エウメネスはめちゃくちゃ多い。中には私が勝手に作った人物もいるがだいたいはみんな歴史上に実在する人物で、私としては必要があって仕方なく出していて、削れるものなら削りたいが削れなくてでてきてるから説明して読者に理解してもらわなくてはならない。

たぶん私は自分がどこまでのものを書けるか試すためにエウメネス6を書いている。それを人が読めるかどうかってことはほとんど考慮してない。そして私自身まだ全然エウメネス6を書ききれてない。自分自身に課した課題のようになっている。自分自身去年書いたものを読むと荒い。雑だ。他人はどうかしらないが私には推敲は絶対に必要。推敲をしていくことによって自分の文章を書く能力を高めることもできるように思う。うん、推敲は大事。私はもともと雑な文章を書く人間だと思う。だからそれを矯正するためにも推敲は大事。ものすごく有能な編集者がいて勝手に直してくれるのでもかまわないが、あいにく私はすべて一人で書いている。

ジーロフトでエウメネスとアルトニスが新婚生活を始める。二人とも10代で出会い、アレクサンドロスの遠征に巻き込まれて、30過ぎでやっと結婚した、という設定だ。それだけでもかなりひねくれた設定だなと自分でも思う。しかもそこにアマストリーという女の子がからんできて三角関係になっている。けっこうえぐい設定だなと自分でも思う。

アルトニスには父アルタバゾスがいて、弟のファルナバゾスがいる。アルタバゾスは海賊であり総督でもある。そういう有力者の一族の閨閥に組み込まれたエウメネス(歴史的にも実際にそういう立場の人だったはずだ)。そういう日常生活ももっと描き込みたいのだが、そういうことをしているとこの話はもっとどんどんと込み入って、ぱっつんぱっつんに膨らんで、まったく全然違う印象の作品になっていくだろう。

結局、私にとって理想の小説とはなにか、それを自分で書いてみよう、そういう実験作品みたいなものになりつつある。

私ははじめこの小説を、「王とはなにか」ということをテーマに書き始めた。私はもともと天皇とはなにかということをずっと考えていた。もっと一般化して王とはなにかということを、日本に限らず、過去にさかのぼって、世界史的に考えてみようと思った。もっとも王らしい王とはアレクサンドロスなのではないかと思い、彼を書くことにしたが、主観視点と三人称視点を両立させるために、アレクサンドロスの側近を仮の主役にすることにした。読者を仮の主役に感情移入させることによってアレクサンドロスをよく観察させて、没入感をだそうというただそれだけの設定だったのだが、長編にする時点でその仮の主役、つまりエウメネス個人のことをことこまかに書くことになった。もともと私はエウメネスにはなんの関心もなかったが、書いてみるとそれなりに書きがいのあるキャラだ。書記官、学者という設定が、私に合っている。新井白石や、大塩平八郎を主人公にするのと同じ感覚だ。

アマストリーという王女も面白い人で、彼女を描くこともまた、「王とはなにか」「王族とはなにか」というテーマに沿ったものになっていると思っている。

ともかくエウメネスを書き切るにはあと十年はかかると思う。