kindle

1月頃からkindleで本を売り始めていろいろと一喜一憂したわけだが、
kindle持っている人というのはアマゾンのわりと能動的かつ積極的な顧客なわけで、
そういうお金を払う態勢が整っている人たちがいるからそれなりに売れた。
しかしそういう人というのは日本人全体から見ればごく僅かで、
今はまだ普通に紙の本買って読んでる人のほうが圧倒的に多い。
じょじょにシフトしてくるにしても数年かかる。
で、そういう人の中で私の書くようなものが好きな人というのはさらに少ない。
分母が巨大でなくては私の小説は絶対売れない。

無料キャンペーンで見てくれる人の総数は今のところ max 300人くらいだと思う。
無料のうちにぽちっておいてあとで読む人たちだろう。
私もだいたいそうだから、わかる。
その中で、100人に1人くらいの割合で有料本も買ってくれる。
今のところそんな感じ。
2度目の無料キャンペーンではやはり勢いがない。
kindleランキングで100位以内に入らないと目立たないからますます伸びない。

今は新刊の無料キャンペーンやるとkindleランキングでそこそこ目立ってそこそこ買ってもらえるわけだが、
これからkindle本も著者も増えてくると、
kindleランキングには見えなくなってしまうだろう。
特定ジャンルの上位にはいけるかもしれんが。
しかしまあそれが本来の姿であって、初期状態、過渡期にたまたま目立ったところで大した意味はない。

今すでにそうだが、単純なランキングの上位を占めるのはアダルトものとか、
自己啓発的なものか、
こうすれば儲かるみたいなものばかりだろう。
そのうち青空文庫もそういうやつに排除されるかもしれん。
そうすると小説を読みたい人は、文芸書だけのランキングを見るようになり、
そこでやっとほんとうのランキングが始まる。
それだけkindle本の読者と著者が増えなきゃならない。

今はただ、kdp で無料キャンペーンやってる無名作家というくくりで読まれているにすぎない。
それは「この商品を買った人はこんな商品も買っています」見れば明らかだ。
今の状況は決して本意ではない。

でまあ、半年に一冊くらいの割合で新刊投入してときどき無料キャンペーンやって目立って、
こつこつと何年もかけて固定客をつかむしかないと思っている。

[鈴木みそ](http://www.misokichi.com/chinge/2013/05/kindle-1.html)
の事例はたぶん紙の本とkindle本の相乗効果でこのくらい売れた、ということなのだと思う。

喰いしん坊!

「極道めし」の方は紙の本で6巻くらいまで買ったが、
そのへんで飽きてやめてしまった。
「喰いしん坊」は要するに大食いの話なのだが、「極道めし」のほうが明らかに脚本がよくできていると思う。
ま、しかしこういう紙の本にはどんだけ経費がかかっているのかしれぬ。
99円は安い。
ブックオフの中古とかならありえるわけだが。

銭ゲバ

なんか500ページくらいあって読んでも読んでも終わらないので驚いた。
前半はスピード感があって面白いが、
後半だんだんだれてくる。
最後の「恋」などはのちのジョージ秋山の連載ものにありがちな人情話になってしまっている。

人を殺し、兄を殺し、妻も子も殺してしまう、
そうなるともうどんなストーリー展開もありになってしまって、
リアリティを失ってしまい、しらけてしまうのだが。

子供の頃リアルタイムで読んでたのは「ゴミムシくん」かな。
1972年連載開始だから、まだ小学生になったばかりくらいだな(笑)。
そのイメージが強い。
「銭ゲバ」のほうが先なんだな。
あの頃はアニメもゲームも大したことなかったから漫画のインパクトはやっぱでかかったなと思う。

「ゴミムシくん」って中古ではものすごい値段ついてるけど、
大して人気はないからkindleで復刊しても元はとれんのだろうな。
難しいもんだなあ。

ハナのずぼら飯

しまった。
ついぽちった。
『だんどりくん』とかはすでに買って読んでるのだが、
カスタマーレビューの否定的なコメントと、
良いと悪いの評価が分かれていたのが面白そうなんで買ってみた。これから読む。

追記:悪くはない。買ってよかった。しかし完全に予想通りの内容だった。
一般女子が買うと裏切られるのだろう。

銀河英雄伝説

これも第一巻だけ無料というパターンか。
どうやってこういうの探せばいいの。

そうか、5月2日までなんだ。

[酒のほそ道](/?p=12248)も定価に戻ってる。
タイミングなんだな。
無料キャンペーンだったってことか。
それにしてはkindleランキングに上がってこないようだが。
不思議だの。

追記: うーん。
帝国ってのは近代のオーストリア帝国みたいなものを漠然と参考にしているようだが、
まあ以下略。

剣菱

小説に書いてしまうとどうでもいいことまでくよくよと気になるものであり、
フィクションなんだから、頼山陽は通説どおりに大酒飲みという書き方をしても別に誰も怒るまい。
今更、山陽は下戸でしたという設定にしては一から書き直さなくてはならないからしないが、
どうも調べれば調べるほど頼山陽はさほど酒好きではなかったように思われる。
幕末のころに暴れた頼三樹三郎が酒豪であったので、父の山陽にそのイメージが投映されているのかもしれん。
ならそれはそれで面白いことだと思う。

岩波文庫『頼山陽詩抄』にも酒を飲む詩は出てこない。
李白やオマル・ハイヤームみたいにのべつに酒を飲んでいるのではない。

頼山陽が剣菱を飲んだのはほぼ間違いないと思うが、
それ以外の銘柄や酒造についてはよくわからん。
個人が所有している書簡に書いてあるとか、
頼家に伝わる史料にあるとか、
頼山陽全集に書いてあるなどと言われると不勉強な私はご免なさいというしかないのだが、
剣菱などの酒の銘柄を詩に詠んで広告塔になった、などということは、
絶対無いとは言い切れないが、あんまり考えにくい。
そういうことはいかにも三樹三郎あたりがやりそうなことで、
それとごっちゃになっているのではなかろうか。

剣菱は伊丹の酒か灘の酒かということについても諸説あるが、
剣菱は江戸初期から将軍家の御用酒、御膳酒であって、
下り酒の最たるものであった。
頼山陽が広報しなくてもすでに十分に有名な酒であったろう。

となると、伊丹の他の酒造に先駆けて回漕に便利なように灘に工場を作ったと考えるのが自然。
本家は伊丹にありながら工場は灘にあった、
それが大正時代に本社ごと灘に移った、
という辺りが真相なんじゃないかと思うが、
ググっただけではそこまでわからん。
江戸の人間が剣菱は灘の酒だと思っても全然不思議ではない。

ていうかまあ小説を書き直すまでの間違いではないような気がする。

印税振り込み

ほんとにアマゾンから銀行に振り込みがあった。
30%アメリカの所得税天引きされてた。
振込手数料はかかってなかった。さすが新生銀行。

4月15日くらいにアメリカにfaxしたから返事が来るのは五月半ばくらいか。

びゅんびゅん売れてはないがときどき1冊ずつくらい売れる。

小説書いて新人賞に応募しだしてだいたい4年くらい。
今後 kindle で 20ないし30冊くらい、いやできればもっとたくさん売って、
それで地味ーに1冊あたり1000部とか売っていければそれでよいのだが、
もちろんそれ以上に売れてくれればうれしい。

今の時代に生まれて、
小説書き始めるのと kdp 始まるのとほとんどシンクロできたのは幸運と言うべきなのだろう。

山紫水明処

先日京都に行ったときに、頼山陽の山紫水明処やら墓所やらを見て回ったのだが、
頼山陽は毎日鴨川から水をくんでそれで茶を点てたり、硯に入れたり、
硯を洗ったりしたのだという。
だが実際に水をくんだのは、おそらく、
「みそそぎ川」、つまり高瀬川上流部分のことだろう。
みそそぎ川は今は丸太町通りより南から地上に出てそれより上流は暗渠になっているが、
頼山陽の時代には山紫水明処を出てすぐの鴨川の河原のそばを流れていたのではなかろうか。
だから、

> 階下浅水流 ・・・ 臨流洗我研

などと言ったのであろう。
鴨川の河原は階下というには広すぎる。
みそそぎ川は当時は上水として飲用されていたと考えられる。
いくらなんでも鴨川から直接水をくんで飲んだりはしないのではなかろうか。
といっても鴨川から分岐するみそそぎ川の取水口は一条通りくらいの堰であるから、
そんなにむちゃくちゃ上流から水を引いているのではない。
しかし、当時は今よりずっと人家も少なかっただろうから、
飲用することもできたのだろう。

鴨川から水をくんで茶を点てる、という言い方はだから間違いとまでは言い切れないが、
少し違う気がする。

みそそぎ川から分流する高瀬川は水運に使われたりして、たぶん上水としての目的には使われてなかっただろう。
誰も直接水をくんで飲もうとはしなかったんじゃなかろうか。

『巨鐘を撞く者』そろそろ出版

『巨鐘を撞く者』はもうじき出版されると思う。
だいぶ改稿した。
後半部分は、長谷川哲也『ナポレオン~獅子の時代~』とか司馬遼太郎『花神』などに影響を受けた、
今から読み返すと恥ずかしい内容だったが、
その辺(つまり戦闘シーンなど)はばっさり斬り捨てて、
『将軍家の仲人』とかそっちの得意な方向でまとめ上げた。
たぶん今のほうがずっと良い。
たぶん、私は、剣豪がとか、くノ一がとか、岡っ引きの捕り物がとか、そういう戦闘シーンを描くのが、嫌い。
嫌いだから未だに描写が下手だとおもう。苦手。
ていうかそういうの書く人はたくさんいる、いわゆるレッドオーシャン、そっちで勝負したくない。
戦争の描写はあるがそういう個別の戦闘はほぼ無く、戦術に関してはそこそこあり、
主に全体の戦略しか書かない。
自分がそっちの方が好きで自然とそっちの描写に凝るからしかたない。

2010年9月30日〆切の某新人賞に『将軍放浪記』とともに投稿したものだから、
自分の書いたものの中ではかなり古い。

結局パブーで公開していた小説はすべて非公開にした。
パブーは何も悪くないが、kindleで出版するたびにレビューが長引いたり著作権照会されるのは面倒。
もうこれ以上勝手にテキストをコピペされることを防止するためには、やむを得ない。

『歌詠みに与ふる物語』『アルプスの少女デーテ』『セルジューク戦記』『スース』『超ヒモ理論』。
ふー。まだkindle化してない旧作がかなりあるな。
まあいいや。並行して新作の構想を練るとする。

ていうかまず、『阿佐ヶ谷バンディッツ』と『帝都春暦』を全然違う話に改作するって作業が。

墨西綺譚

またレビューを書いていただいてありがとうございます。

> とにかく人が入り乱れている。誰かに、フォーカスを当てたままで話を進めると、よりよくなるのではないかと思う。

まあ、「川越素描」の中でも自嘲しているのだが、

> だいたい、こういうものを読む人たちというのは、主人公に感情移入できないとついていけないわけ。で、自分が主人公になりきって、読者が女なら主人公も女で、好きなタイプの男を捕まえる。読者が男なら主人公も男で好きな女をつかまえる。これだけなのよ。それ以上複雑な人間関係を描こうとすると頭が混乱するから、さらっと読めなくなるわけ。でも、あんまりシンプルでもストーリーを展開しにくいから、登場人物を三人にして、三角関係に持っていくのね。キャラを増やしたければ徐々に。RPGみたいに、レベル上げしながら、仲間を増やしていく感じよ。

> だいたい登場人物が多い話ってのは読み切りとか新連載ではあり得ないのよ、特にマンガ。長期連載化して話がマンネリになったから仕方なくキャラ増やして展開させているだけなの。キャラの数にそれ以上の意味なんてありゃしないのよ。『日露戦争物語』みたいに史実だからってどんどんキャラ書いてたらストーリー破綻するわよ。

> 最初に出てきた人物が原則的に主人公で、話の終わりまでずっと生きてなくちゃだめ。主人公だと思ったら途中で死んで別の主人公に切り替わる、とかやっちゃうと暴動が起きるわよ。

「墨西綺譚」は最初に出てきた人が途中で死んじゃう話であり、
登場人物が多くで誰が主役かわからなくて、
感情移入しにくい話なわけですよ。
人に読ませたら「群像劇」ですかとか「バトルロワイヤル」みたいだと言われた。

うーむ。
しかし「墨西綺譚」はもうこういう話なんだからこれでいくしかないんです。

「作者が神の視点で書いてる」
とも言われた。
そうなのよね、歴史書の書き方なのよね、これは。
だから、その反動で一人称の小説なんかも書いたりしたわけだが。