イタリアの古地図は複雑でややこしい。
飛び地がいっぱいあるし、国も頻繁に生まれたり統合されたりする。
トスカーナの歴史もわかりにくい。
カール大帝の時代はトスカーナ辺境伯。
それからフィレンツェ共和国(1115-1532)となり、
途中メディチ家が一時追放されてフィオレンティーナ共和国というものがあったりして、
それからトスカーナ大公国(1569)となる。
メディチ家が絶えるとハプスブルク家のものになる(1737)。
で、マティルデという女性がトスカーナ辺境伯を治めていて彼女が死んだ(1115)あとに、
トスカーナとジェノヴァの間にルッカという共和国が独立した(1160)。
ナポレオンがルッカとピオンビーノをくっつけてルッカ・エ・ピオンビーノ公国というものにしてしまい、
ナポレオンの妹エリザ・ボナパルトとその夫のフェリーチェ・バチョッキに与える。
ナポレオンはトスカーナ大公国を復活させエリザにトスカーナ大公を兼ねさせる。
これによってトスカーナとルッカはふたたび同じ国になった、と言える。
ナポレオンが失脚するとハプスブルク家の大公が復活するが、ルッカが再び独立国になることはなかった、ということらしい。ふー。
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