父子鷹

子母沢寛の「父子鷹」にはかなり脚色が入っているようだ。
仕官する間際に同僚を投げ殺し牢に入れられたたなどは史実ではないようだ。
まあそういうもんかもしれんね。

生存確認

[何を騒ぐか](http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100910)
などを読んでいて思うに、
よけいなところに無駄に公務員の人件費をかけるなよと思う。
わざわざ高齢者宅を個別訪問させるなど、行政の合理化効率化や、
公務員改革にどんだけ逆行してるのかと。
警官で良いじゃないか。
なぜ警察官を巡回させないのか。

さっさと国民総背番号制にしておけば年金漏れがどうのこうのという問題も起こらなかったのだが、
いろんな連中が戸籍や年収などを国に把握されたくなくて(リベラリストというのか)、
妨害してきたからこの有様。
そういえば、わざわざ婚姻届を出さずに内縁関係のままにするとかいうやつもいたよな。

おまけに電子政府では韓国に大負け。
公共交通機関の支払いの電子化も香港に先を越されたしな。
まったく電子立国が聞いて呆れるが、
おそらくそういう政治的な部分にも根の深い問題がある。

久しぶりに秋葉原へ行くと、だいたい繁盛しているが、
LAOX THE COMPUTER館が廃墟と化していて哀愁漂う。
道ばたで売られているジャンク品なども変遷があって、
たまには行かないとたちまち電気音痴になってしまうな。

新選組異聞、他

子母沢寛「新選組異聞」を読み始めるが、「新選組始末記」とほとんど重複。
「始末記」が異様に長くて読みにくいので、抄出して、加筆も多少はあったのだろうけど、
「始末記」をよんでおけば特に見るべきものはない。
異聞は始末記の翌年に出ているのだが、どういう事情でこうなったのか。
言い方は悪いが、子母沢寛には二番煎じものがけっこう多いような気がする。
いつも同じことばかり書いてる感じ。

同「味覚極楽」。まあ、ちょっと面白い。

「父子鷹」。子母沢寛らしい、長くて難渋な文章。少しずつ拾い読みしていると、
しかし、人間関係がわかってきて、筋も見えてくる。
だんだんそれなりに楽しめるようになる。
[wikipedia](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E5%AD%90%E9%B7%B9)に加筆しておいた。

なるほど、岡野孫一郎はただの隣人ではなく借家の大家なんだな。
もう少しちゃんと読んで書き換えなくては。

> わからぬやつだ、今はそういう世の中だと言っているではないか。
何事も賄賂次第、利口な人間は巧みにそれを利用してそれによって自分の地位を築いて、
その時はじめて将軍家のために真のご奉公を申すのだ。
舞台へ上がらんで芝居が出来るか。

> お前さん、ずいぶん怒りっぽいようだね、さっきの目つきがそれだった。え、腹を立ててはいけねえよ。
いいか、え、風が右から吹いたら左へなびく、左から吹いたら右へなびく、
唯根だけはぴったり大地に据えて、ぴくりとも動かねえことだよ。
いいかえ、相手に何か言われて腹を立てることはそれでもう相手に負けたことだよ。

最初から最後までこんな具合にうっとうしい処世訓に満ちている。

serios sam 2nd encounter

リハビリとしてシリアスサム2nd encounterを難易度normal でやっているのだが、
ひろびろとした、ピラミッドが中央と四方にある平原まで来たところで、
まったく進めなくなった。
まあ、私のようなプレイヤーのために easy とか tourist というモードが用意されているのだろうが、
なんか悔しいな。

tomb raider 3

tombraider シリーズの最高傑作は、やはり tombraider 3 だよな、
とか思いながら、気分転換にやり始めたわけですよ、たぶん、1年か2年ぶりくらいに。
しかも、MacOS 9 版ですよ、最高クオリティのね。
最初、Windows Xp でやってたらフリーズしまくりなんですよね。
だから MacOS9 で。
いやあ。すばらしいゲームだよなあ。

そんで、今 Nevada なんだけど、military police に捕まっちゃうのだが、
直接 MP を殺すのではなく、囚人を脱走させてその囚人に MP を殺させる。
なるほど、ただのごろつきを殺すのは許容範囲だと。
毒蛇やハゲタカを殺すのも良いと。
しかし、MPは普通の軍人なので殺すのはまずい罠。
だけどMPに捕まったのは不可抗力で、脱獄するのは仕方なく、その際、
囚人を味方に付けるのは道義的に許される、という解釈なのかなあ。

たぶん、TR3 はあまりにも売れすぎたんだな。
人気が出ると社会問題化するわな。
それで、4や5以後はもっと毒の少ない内容になってしまった。
そんな気がする。

まあ、そんなこと言ってしまえば、call of duty や gears of war はどうなんだということになるよね。

トゥームレイダーシリーズはインディージョーンズを見ておくと理解が早い。

トゥームレイダーはシューティングゲームとしてみた場合にはぬるくて仕方ない、
しかし当時の私には、
結構難しかったんだな、ボス戦が。
ボス戦的にはトゥームレイダーは極めて難易度低い部類に入る。
単なるレベルクリア時のイベント的なもの。

武士の歌

新選組始末記には、武士の歌の引用も多い。
清河八郎

> 魁けてまたさきがけん死出の山迷ひはせまじすめらぎの道

> 砕けてもまた砕けても寄る波は岩角をしも打ち砕くらむ

> 君はただ尽くしましませおみの道いもは外なく君を守らむ

宮部鼎蔵

> いざ子供馬に鞍置け九重の御はしのさくら散らぬその間に

田中寅蔵

> いづかたも吹かば吹かせよこの風よ高天原はまさに吹くまじ

> 四方山の花咲きみだる時なれば萩もさくさく武蔵野までも

松田重助

> 一筋に思ひこめてし真心は神も頼まず人も頼まず

伊東甲子太郎

> 夜の鶴子を思ふやみに迷はぬぞげにたのもしきやまと魂

> 世のために尽くすまことは三島なるかしこき神もしろしめすらむ

> するがなる富士に積もれる白雪はすめら御国の光なりけり

> ちりひぢの身はいかにせむけふよりはすめら宮居の守りともがな

> ますらをの涙の雨のかかる夜に道なたがへそ雲のうへ人

> ますらをの武き心のさきがけて世にも知られむ梅の香ぞする

> 数ならぬ身をば厭はで秋の野に迷ふ旅寝もただ国のため

> 国のため落つる涙のそのひまに見ゆるもゆかし君のおもかげ

鈴木三樹三郎

> 死にてなほ君につかふる真心は千歳を経とも朽ちるものかは

うむ。やはり伊東甲子太郎が数も多いが出来も良い。
というか、きちんと詠んでいる。
出身が水戸の近くだから、水戸学の影響を受けているようにも思える。

子母沢寛

相変わらず、子母沢寛「新選組始末記」を読んでいるのだが、
この、芹沢鴨や坂本龍馬などの暗殺の描写というのは、
おそらくは子母沢寛が新聞記者時代にこつこつやってきた独自取材なのであって、
新選組始末記が初出であって、
他の時代小説や漫画などはみなこれを典拠にしているものと思われる。
つまり、暗殺などがあって50年近く後に聞き取り取材したわけだから、
相当な誇張や脚色、思い違いや聞き違いが混じっていただろうけど(成立時期のタイミング的には平家物語などに近い)、
真実はともかくとして、
いやむしろ漫画や小説のネタとしては、子母沢寛の残した資料は非常に便利なものだったに違いない。

「座頭市」ももともとは子母沢寛の書いた簡単なメモ書きまたはごく短い小説に由来するという。

新撰組始末記

新撰組始末記の中に「竜馬暗殺」という章がある。
「勝海舟」の中の描写とほぼ同じ。
しかし「軍鶏を買ってこい」というセリフはなく、
また「おれは脳をやられた。もういかん」ではなく
「慎太、僕は脳をやられたから、とても駄目だ」となっている。

まあ、よっぽど恨みを買っていたのだろうなぁと思う。
思想的なものというよりも、強引な商売や取引をしたとか。
やくざの落とし前に近いようなものを感じる。

子母沢寛と司馬遼太郎 2

思うにこれまで、子母沢寛と司馬遼太郎というのは、あまり対比して語られることはなかったと思うのだが、
比べてみるといろいろと面白い。
境遇が似ている。何度か面談もし、対談も残している。
どちらかと言えば、司馬遼太郎が一方的に慕ったかたちだ。
子母沢寛は1892年生まれ、司馬遼太郎は1923年生まれ。
約30才離れている。
司馬遼太郎は、燃えよ剣など書いてみて、幕末維新を取材するには直接の関係者はもう死に絶えていて、
不可能だと気づいたと思う。
たとえば土方歳三が死ぬのは1869年。
しかし乃木希典が死ぬのは1912年。
ざっと40年後だ。
司馬遼太郎は、戦国時代とか幕末維新などの時代が好きで良く小説に書いたわけだが、
子母沢寛のように、取材に基づいた歴史物も書いてみたいと思ったに違いない。
そうすると子母沢寛が取材して書いた時代から30年から40年ほど後となると日清日露の時代であり、
このころだとまだ関係者で生きている人がたくさん居るわけだ。
そこでまず実験的に「殉死」を書いてその後「坂の上の雲」を書いたのではなかろうか。
実際「殉死」の後書きには、それっぽいことが書かれている。
まだ関係者が生きている生々しい時代の歴史小説を彼は狙って書いたのだが、
しかし自分が参加した戦争については敢えて小説には書かなかった。
風景画も静物画も対象からある程度離れないと描けないが離れすぎると見えなくてやはり描けない。
そんなふうなものか。
自分の祖父の時代の歴史というのが一番小説には書き良いのかもしれん。
ここらは子母沢寛の方法論だと言えると思う。

子母沢寛と司馬遼太郎

1967年に子母沢寛と司馬遼太郎が対談している。
子母沢寛は1968年に死んでいるので最晩年だが、
司馬遼太郎は44才、「燃えよ剣」や「殉死」など、
初期の作品を書いたばかりの頃だ。
司馬遼太郎ははたちくらいに子母沢寛の「新撰組始末記」を読んで、
どうしてもこれは超えられないと思い、子母沢寛に会いに行って教えを請うたという。
両者とも新聞記者から歴史小説家になったのだから似た境遇ではある。

「新撰組始末記」を改めて読むとこれは小説とかそんなものではなくて、大論文だ。
これをおもしろがって読んだ人がいるとは思えない。
ただ学術的、歴史的にはそうとう重要な本であろうとは思う。
司馬遼太郎はしかしそもそもこんな小説を書こうなどと思ったはずはない。
最初からもう少し色気のあるものを書こうと思っていたに違いない。
それに、大正時代には生き証人に取材もできるが司馬遼太郎の時代にはできるはずもない。
ただ謙遜して自分には書けないと言ったのではなかろう。
司馬遼太郎はあまり謙遜するような人でもない。

対談は「幕末よもやま」というタイトルでそんな長いものではなく、
しかも司馬遼太郎が勝手に一方的にしゃべっている感じ。
ときどき子母沢寛も発言している、という程度。
ほとんど新撰組と彰義隊の話で、龍馬の話でもしていてくれると面白かったのだが、
司馬遼太郎が遠慮したのか。