菊正宗の味が変わった件

[追記あり](/?p=402)

今月に入ってからときどき通っている某店でいつもの日本酒をとっくりに常温で飲んでみると、
味が変わっているような気がする。
なんか山廃っぽい味になっている。
今までなんの変哲もない普通の日本酒だったのだが、
なんかざわざわした、微妙な味わいになっている。
特に銘柄も気にせず飲んでいたので、お酒を変えたのかどうか聞いてみると、
うちはずーっと前から菊正宗ですよと言われる。

で、いろいろ調べてみると、
[菊正宗は2009年9月から、上撰本醸造酒を生酛造りにした](http://www.kikumasamune.co.jp/about/kimoto.html)って書いてあるじゃないですか。
ははあ、生酛も山廃も、製法も味の傾向も同じようなもんで、つまり普通は乳酸を添加するんだが、
乳酸菌の発酵によって乳酸を発生させるのが生酛やら山廃。
チーズにたとえれば、普通のプロセスチーズに対してブルーチースのように、
なんかかびくさいというか土くさいというか土蔵か古民家に入ったときのような香りと味がする。
山廃っぽいわかりやすい酒はそんな味がする。
今の菊正宗も微妙ではあるがそんな味がするようになった。

で、世の中の酒飲みが大騒ぎしてるんじゃないかとネットを検索してみたのだが、
まったくヒットせず。
でもたぶんこれは私の勘違いではないはず。
ちかぢか日比谷の菊正宗ミュージアムに行ってみる。
確かめてみる。
つーか、以前の菊正宗と今の菊正宗の飲み比べをさせてほしい。

足利幕府

義満が死んでから、義教、義政の辺りをだらだらと読む。
予想してたよりおもしろい。
実は足利幕府の絶頂期というのは義満ではなく、義教の時なのかもしれんと思った。
関東管領を滅ぼし、さらに調子に乗りすぎて赤松満祐に殺されてしまった。

足利幕府というのは、鎌倉幕府よりはよっぽどまともな仕組みのような気がする。
鎌倉幕府は鎌倉が本拠地で京都には六波羅探題。
足利幕府は京都が本拠で鎌倉には鎌倉公方。これらはみな足利氏。
そのほかに管領、関東管領など三管四職と呼ばれる有力諸侯。
源氏の血統が頼朝、頼家、実朝の三代で途絶えてしまった鎌倉幕府よりはずっとましではないか。

さてそろそろ応仁の乱。

頼山陽にピアス

[東京都公立図書館横断検索](http://metro.tokyo.opac.jp/)
などでちまちま調べていたのだが、
野毛山図書館には頼山陽関係の図書がばっちりそろっていたので、読みに行く。
「頼山陽にピアス」など読む。

広島在住で頼山陽研究者や子孫らと直接交流できる著者しか知り得ない、
いろいろ貴重な情報源を持っていることがわかる。
しかし、やはり、私とは根本的に相容れない考え方があるのもわかる。

たとえば、頼春水やその息子の山陽などは朱子学がちがちで、
平家物語はそれに比べるとおおらかであるなどと書かれているのだが、
私からみると平家物語は夾雑物が多すぎてどうでも良いことがくどくど書かれていて、
あまりにルーズすぎる。
仏教臭が強すぎる。
平家物語が特別そうなのであり、太平記などはもう少し違う。
平家物語はしかも戦闘シーンの描写がほとんどない。
太平記ならもっとちゃんと書いている。
太平記はほぼリアルタイムに記述されていったらしく、荒削りなリアリティと迫力がある。
しかし平家物語は、実際の戦闘があって50年近くたってもどこかの坊さんたちがだらだらと仏教縁起や中国の歴史書などから引用したりした形跡がある。
そのようなものに何の価値があるのか。

平家物語にもときどき、妙にリアリティのある場面描写もあるが、
それは当時のまま何の改竄もされてない結果だと信じたい。

あと、日本政記について、著者は、頼山陽が民主主義を理解していたかのように書いているが、
民が本で君主は民を慈しまねばならないとか、天皇を激しく批判しているとか、
そういうものはまさに陽明学そのものであって、西洋由来の民主主義とは全く異質なものであると私は思う。

頼山陽全書も八冊全部揃っているようなので、
ときどき野毛に遊びに行って読んでみよう。
東京都立多摩図書館と、中野区立中央図書館にも揃っているようだ。

頼山陽とその時代

中村真一郎著「頼山陽とその時代」を読み始める。
これはすごい。
頼山陽に少しでも興味がある人は必ず読むべき。

量が多すぎる。
しかしまあ、いろんなことが網羅されているのは良い。
入手しにくいだろうが、首都圏の図書館を片っ端からwebで検索すると意外とある。
通りすがるついでにいろいろ借りてみる。

刑死した三樹三郎については、第二部「山陽の一族」「四 山陽の三子」中に、
p143からp160まで詳しく書かれていてありがたい。
日本外史については第六部中の日本外史と日本政記についてを読めばだいたい、
中村真一郎という人がどう考えているかがわかる。

山陽と三樹三郎について

若き山陽は危機に陥った時、或いは狂乱し、或いは心神喪失状態になり、
いずれにせよ当人の人格的な責任は免れるだけの、動物的な自己保全の本能が発達していた。
いわば死んだ真似のうまい昆虫のようなところがあった。

などと書いていてかなり笑える。