散楽

能楽は幕府の式楽(公式の儀式に用いる音楽・舞踊)であったというが、
散楽はもっぱら娯楽だったのだろう。
家宣は自分でも散楽を歌い踊るほど好んだという。
側用人の間部詮房がもとは猿楽師見習いであり、側室の喜世ももとは踊り子であったというから、
その意味するところはとらえようによってはかなり重大である。

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