民主政と新聞

異世界ファンタジーで民主主義なんていう話が流れてきたのだが、異世界ファンタジーって何という話はひとまずおいといて、まったく架空の世界で一から民主主義国家ができていく過程を描くとしたらまずはアテナイを参考にするしかあるまい。

アテナイは神話時代から王政となり、王が追放されて貴族政(連合領主政)となり、そこから完全な直接民主政といえる状態になり、ギリシャ統一、帝政にまでいこうとしたがペロポネソス戦争で頓挫して、結局ギリシャ統一はマケドニア王国のアレクサンドロス大王を待たねばならなかった。このギリシャ統一にスパルタも含まれているかどうかは微妙ではあるが、ともかくスパルタも含めて全ギリシャが事実上マケドニアの支配下に入った。またここで帝政というのは民族を超えて、複数の異民族国家を統べる国家のことを帝政というのであり、皇帝という絶対権力者がいることを意味してはいない。

国家が肥大するにつれて、アテナイの民主政がマケドニアの王政に飲み込まれ、また明らかにアテナイの民主政を真似たローマの民主政も支配地が拡大すると必然的に帝政を必要とした。それはなぜかというに、市民がいてマスメディア(新聞)がなかったせいだ、大規模な間接民主主義には新聞と、新聞が形成する世論が欠かせない、というところが論点だったようなのだが、果たしてそうなのだろうか。そもそも民主政ってなんなんだよという話にもなる。首長を選挙によって選ぶこと?ならばローマ教皇も、かつての神聖ローマ皇帝も選挙で選ばれたから民主政なのか、ということになる。

神聖ローマ皇帝、つまりローマ王を選帝侯による選挙によって選ぶというしきたりは、おそらくローマ帝国において皇帝が元老院の承認によって選ばれる、というやり方に由来するのであろうし、このやり方は共和政ローマと帝政ローマに連続性を持たせるために作られた形式的なだんどりなのであろう。共和政ローマがアテナイのコピーであるのは明白であるから、結局ヨーロッパの民主政というのは、アテナイ→共和政ローマ→帝政ローマ→神聖ローマ帝国と継承されて、イギリス、アメリカで完成されて、またフランス革命によって若干の修正が加えられたもの、というしかあるまい。

ここにおいて民主政と新聞が不可分なものであるという主張にはかなり無理があるという気がする。新聞とか市民とか世論というものが民主政の一要素であることは確かなようであるが、民主主義が成立するために必要であった歴史的要件はほかにもたくさんあるからだ。そしてすべての歴史的経緯は多分に偶発的なものであり、必然的とはいいがたいものであり、したがって西洋の歴史次第では今とまったく異なる民主主義というものが成立していた可能性もあると思う。

アメリカの大統領選挙にしても、市民による直接選挙なのではなく、州ごとに選挙人を選ぶという多段階方式になっている。これは帝政ローマにおける元老院承認、神聖ローマ帝国における選帝侯選挙に近いものであるかもしれない。ヨーロッパ人はなぜか選挙というものを信頼したがるのだがそれはやはりヨーロッパの起源をギリシャに求めたがるからであろう。そうした嗜好性はスター・ウォーズなどにも見られるのである。

で、世論というものを国民全員が共有する必要はなく、それぞれの地域から何らかの方法で選ばれた選挙人の間で政治に関する知識や意見が共有されていても、民主政に類するものは成立し得るのではなかろうか。たとえば多段階直接民主政。地域ごとには直接民主政でそれを国とか連邦とか国際連合のようなものに多段階に積み上げることによって市民全員が参加する民主政を実現する。

ま、ともかく、メディアとか新聞というものは、必ずしも信用のできるものではなく、できればそうした要素を民主政成立の必要条件としたくはない、という気持ちが私にはある。

さて、まったく架空の自分の世界観で、何もないところから民主政ができていく話を書くというのは、まあまあ面白そうだが、私はもう『エウメネス』を書いて、アレクサンドロスやアリストテレスやトゥキディデスやクセノフォンにアテナイの民主政についてさんざん語らせたのでそれで十分だろう。

ファンタジーというものは世界史を知らねばわかるわけもないと思っているのは世界史をやった人の考え方であり、高校で世界史を履修した人なんて日本人に一割いるかいないかなのではなかろうか。パイレーツ・オブ・カリビアンやスチーブンソンの宝島なんかはわりと史実に忠実な気がするのが、ワンピースのファンなんかはもう世界史なんて知るか民によって成り立っているのだろう。私はワンピースがジャンプで連載開始した頃にはまだジャンプを毎週読んでいたのだが、ワンピースはつまらなくてすぐに読むのをやめてしまった。ワンピースより宝島のほうが面白いじゃん、こんなの海賊の本場イギリス人がみたら噴飯ものだろとしか思えなかったんだが、ヨーロッパ人にもアメリカ人にもワンピースのファンがめちゃめちゃたくさんいる現状を見るとあきれてしまう。正直世の中のファンタジー面白いつまらないという基準が私にはわからない。

浅草疲れ

浅草に転居してあちこち飲み歩いているのだがさすがに疲れてきた。飲み屋通いは楽しいが、年も取ったし、度がすぎるとメンタルのゲージが減りすぎて(満足度が高過ぎて?)、逆に飲みたくなくなってしまう(お腹いっぱい状態になる)。30年ばかり前に上福岡という町を飲み歩いていたことがあったが、今から思うとこぢんまりとしていて、東京近郊の駅前の商店街、ベッドタウンというものの心地良さを体験できる最後の機会だったのかなとも思う。

上福岡は個人商店の力がすごく強い町でなかなかチェーンの居酒屋が進出してこなかったのだけど、最近は再開発も進んで普通の町になってしまったようだ。

町田で飲み歩いていたこともあったが結局1、2軒の行きつけの店というものができないと落ち着かないものだ。

浅草だと新参者が常連に混じっていくにはそうとう通わなきゃならないと思うが、そこまで通おうという店がないというか、あるにはあっても気力が伴わないというか、通う前から疲れてしまうのはやはり年をとったからだ。今からおもうと30代なかば頃の上福岡飲みは楽しかった。もう二度とああいう遊び方はできないのだな。浅草に住んでいようと。

それと、浅草はやはり観光地価格なので割高だ。そこがちょっと飲み歩きしにくい。

公共建築

隈研吾という人の建築が叩かれているが、好き勝手に注文住宅を注文して建ててもらって25年間も放置しておいて、リフォームに3億円かかるのは高すぎるなどというのは、発注した町議会のせいだろとしか言いようがない。町も国の補助金か何かをあてにして建てたのかもしれないが、維持もできないようなものを建てるなよとしか思えない。

個人の家ならともかく公共建築で、というが、公共の建物を建てるのだって誰かがそういうものを建てたいから建てたんだろうし、個人の家だって新築から25年経てばそれなりに補修費がかかるのは当たり前だろう。凝った家なら1千万円くらいかかってもおかしくない。もっと大規模な美術館のような建物ならばどうか。1億円ならば良かったのか。3億円だから高いのか。いずれにしても無計画な町がごねているようにしかみえない。

それはそれとして凝った公共事業とか、万博などというものは馬鹿げたものだと思っている。愛知万博の木製の通路、あれ、グローバルループっていうらしいが、行きたいところにまっすぐに行けなくてほんとにイライラした。ああいうデザインをするデザイナーが減ってほしい。ああいう不便なデザインが世の中から淘汰される仕組みがほしい。

浅草の飲食店

ワンオペでカウンターが5席くらい、テーブル席が2つ程度の店もかなりある。こうした店はあまり一度に注文するとオーダーがなかなか通らないのでなかなか頼みにくいものがある。

他にももちろんチェーン店とか、個人経営だが従業員がフロアと厨房で分かれているようなシステマティックな店とか、いろんな店があるんだが、総じて雰囲気が良い。これはもう江戸時代から続くモメンタムとしか言いようがない。

飲食店というものはたいてい新陳代謝が早いものであるから、浅草といえどそれほど老舗の店ばかりではないが、江戸時代から続いている店、戦前からある店、戦後まもなくできた店もあるにはあって、実際ビートたけしが通った蕎麦屋とか居酒屋なんかもあったりする。浅草寺の土地だと今も再開発が進まない低層の店舗が多く、中には店賃を払ってない店もあるという。浅草寺の参道やら仲見世通りやらもあれば、もとはいわゆる朝鮮部落などと呼ばれていた通りもある。浅草に住んでいる人はそういうのが当たり前だと思っていてあまりありがたみを感じていないようにも見えるがこんな街はそんなにあるものじゃない。私の知る限りでは京都にはこんな街は無い。祇園、新京極、河原町、烏丸、観光地ではあるがどこも全然違う。大阪の道頓堀とか通天閣あたりの雰囲気が近い。十三は道が一本だけだが雰囲気は似ている。町田や、再開発前の溝の口とも近い。新宿にも甲州街道のガード下あたりにこういうごちゃごちゃしたところがあったがすべて再開発されて消えてしまった。ともかく、浅草寺の寺領を含めて、土地の権利関係が複雑過ぎて再開発できないからこんな街が残っているのは間違いなく、そういうところで栄えているところはだいたい浅草と同じ状況なんだと思う。京都なんかは市の条例なんかがあって強制的に道並みを整えたり再開発したりしてるんじゃないかなあ。

再開発となると大手の業者が入ってきて、その街になんの思い入れもない人たちが損得づくでまちづくりをしてしまい、もとからいた人もいなくなって、無個性な街になってしまうんだろうね。

転居の憂鬱

転居はチャンスでもありリスクでもある。その土地に引っ越すということはその土地のアラが突然見え出すことでもある。深く知れば知るほどその土地が嫌いになるということもあり得る。京都なども旅行でたまに訪れているうちは良いが実際住んでみると、下水の匂い、民家の古いカビの匂いなどが気になってくる。浅草もそうだ。

必ずしも浅草や京都の問題ではなくて賃貸物件の問題もあるんだろうが、転居した直後はいろいろ憂鬱になるのはマリッジブルーと同じ原理だろうか(※京都に住んだのではなく古い民家に2泊くらいした。かなり下水とカビの匂いがした)。

とにかくも街中なのでいろいろと生活音などが気になる。カラスが真夜中でも飛び回りながら鳴いている。真っ暗ならば鳴くことも喧嘩することもなかろう。ゴミが路上にほぼむき出しで捨ててあるからカラスが繁殖する。どうにかならんのだろうか。

サッシが古く窓ガラスがペラペラなので外の音が筒抜けだ。むしろ隣の部屋の音が直接聞こえることはほとんどない。ホテルに泊まって廊下でしゃべる声などが丸聞こえで隣の部屋の声は聞こえない、というのと同じようなものだろう。

結構犬を飼っている人がいて散歩させている途中に犬どうし喧嘩しているのかでかい声で吠える。

車の通りが少ないところを選んだつもりだが、一通の裏通りのはずだが、車が通ればうるさい。トラックはやはりうるさい。原付ははやく死滅すればよいのにと思う。街中は原付は禁止してすべて電動自転車か何かにしてはどうだろう。

路上喫煙者が非常に多い。浅草ではいたるところで道端ですぱすぱ吸っている。上野駅の歩道橋などにも突然むき出しの喫煙所がある。囲って高い煙突をつけてほしい。

自転車に乗ってる連中の(特に年寄りの)運転が雑。浅草辺りはずっと平らなので自転車が非常に発達している。上野、湯島、神田辺りにいくととたんに坂になる。

割といらいらしているのが、トイレの水が完全に止まらないってことだ。微量の水が常に流れ出ているし、タンクの中でもぽたぽたしずくが落ちる音が常にしている。漏水というほどのものではあるまい。大で流すとだいたい止まるが完全に止まったわけではない。小で流すとかなり流れっぱなしになる。この症状は私が以前借りたマンションとまったく同じ。

たとえひと月にふろおけ一杯分の水が失われているからといってさほど大した金額にはならんのだろうが、どうしても気になる。最初が肝心だと思うから一応管理会社に言ってみる。ウォシュレットなんかつけなくていいからこういうところをきちんと直しておいてほしかったなあ。まあしかしそんなこんなをみんな含めて浅草暮らしを体験するしかない。もう部屋は借りてしまったのだから。

人型寝袋を買えば自分の体の熱で温まるから安上がりだと思う人間なので、余計気になる。

浅草に住んで毎日飲み歩いていたら体を壊して死んでしまうから逆に節制しなくてはならんと思い始めた。

台東区と荒川区と千代田区の雰囲気は明らかに違う。気のせいかもしれないが区の境で何かががらりと変わる。入谷とか山谷辺りはまだ浅草って感じがあるが、泪橋辺りまでくると急に風景が雑になり、雰囲気が変わる。上野は台東区のうちだが、黒門町を過ぎて千代田区に入るととたんにクラクションを鳴らして歩行者をおどかすやくざな車が増えてくる。まだ浅草界隈のほうがまし、という気になる。

網戸の建付けが悪く傾いていて、隙間が空いていて虫よけにならない、を追加。不動産屋ってこういうことを一年中ずっと考えてなきゃいけないんだろうな。私なら精神を病みそうだ。

蛍光灯って2027年に生産中止するんだよな。まだちょっと先だが、どうするんだろう。これって大屋さん負担で交換するよね?

朝10時か11時頃に厨房で海苔弁を作ってあったかいまま並べてくれるスーパーは貴重だ。なかなかないね。探すとあるかな。

ツイッターは下衆になった。私が嫌いなテレビや新聞や雑誌の同類になった。だから何を読んでも面白くない。見ないのが一番良い。知り合いのツイートだけ見れば十分。

オリューゾファゴイ

ギリシャ語にどんぐり食い βαλανηφάγος、魚食い ιχθυοφάγος、米食い ὀρυζοφάγος などの言葉がある。このうち古くからありかつ最も一般的なのはイクトゥオファゴイ。ギリシャ人も魚食いであるはずだが、自分のことを言っているわけではない。紅海沿岸に住むエチオピア人やバビロニア人やインド人などのことを言っている。単に魚を食うだけでなく、主食であるはずの穀物の代わりに魚を食っている、もしくは魚しか食わない種族、というようなニュアンス。

バラネーファゴイはアルカディア人の異称。低地のスパルタ人たちが穀物を食べていたのに対して山の中に住むアルカディア人は昔ながらにドングリを食べていたかららしい。

オリューゾファゴイ、米食いという言葉はあるにはあるようだが、ほとんど使われていない。ギリシャ人も米は食うのだが、主食はあくまでも小麦であるということだと思う。日本人はオリューゾファゴイと言っていいよなあ。

ブリーフ

これまでパンツはアマゾンで5枚組のGunzeとかHanesとかBVDなんかを買うことが多かった。しかしこれからはできるだけスーパーか日本の通販サイトで買うようにしようと思っている。

西友にいくとBVDしかなくて結構高い。西友オリジナルブランドで2枚組で1100円のパンツがあったのでこれを買うことにした。

G.T.Hawkins は Gunze のブランドなんだな

G.T.Hawkinsっていまや超高級ブランドなんだなあ。ケチな私が昔はこれを買っていたのか。不思議な気がする。

グンゼにも880円の安物がある。

今やブリーフはユニクロが一番安いんだなあ。

逆にG.T.Hawkinsが履きたくなってきたな。日本経済のために。ブリーフけちったってたかがしれてるしな。たぶん高いブリーフのほうが長持ちするんだよきっと。

浅い眠り

夜は長ければ長いほどよい。年寄りのせいか熟睡するということはあまりなく、ずっとうつらうつらしていて、嫌な夢を見たら一度起きて、寝直して、また夢をみる、それをずっと繰り返していたいと思う。寝たきり老人なんてみんなそんなものなのかもしれない。

実際には人間の体にはリズムがあるからずっと寝ていると飽きてしまい、目が覚めて、何か仕事をしたくなるのかもしれないが。

最近 twitter で読まされるツイートがどんどん偏ってきているように思う。見ていてちっとも面白くないんだがどうしたらよかろうか。

5kg税込みで3500円のコシヒカリブレンドというものを買ったのだけど、普通にうまいと思う。冷蔵庫で一晩冷やしレンジでチンして食べてみたが大丈夫。

ただ、1.5合炊きの小さな炊飯器を使っているんだが、上の穴からものすごく蒸気が吹き出してやばかった。米が溶けやすいのかもしれない。

某スーパーにはまともな沢庵もまともな梅干しもなくてがっかりした。また別の某スーパーにはまともな梅干しとまともな沢庵が1種類ずつあったにはあったのだが、塩だけで漬けた梅干しの塩分が22%もある。それ以外は3%とか5%とか7%とか。なんて極端なんだろう。昔ながらの製法で塩分が15%くらいまでのものがほしいんだが、そういうのが一番高級で値段が高く、スーパーではなかなか買ってもらえないということなのかな。

米は一番安いのを買って、沢庵や梅干しは一番高いのを買おうとする私の消費傾向はなんなんだということになるんだけど、5kgで3500円だと一膳あたりだいたい50円くらいになるはずなんだ。高いのか安いのかよくわからん。梅干しだと高いやつは一個100円はする。高い米と高い梅干しだと一膳で200円することになる。それが高いのか安いのかよくわからん。そうして考えてみるとコンビニのおにぎりというものはそんなめちゃめちゃ高いということはないってことになる。

世の中ものが高い高いというが、歯医者の待合室においてあった、戦後間近の風俗が書かれたとおもわれる長谷川町子のサザエさんでも米が高い高いと言っていて、いつも米は消費者の目の敵にされるのだなと思った。

自炊してもこれだけの金がかかるのだから、むしろ外食で酒も飲んで1食2000円とか3000円というのは決して高くはないのだなと思える。世の中生きていくには金がかかるものだなあ。