三つ葉葵の御紋服

『父子鷹』の中で小吉が徳川家の御紋服を拝領していて、いざと言うときにこれを着て、「百姓、頭が高いッ」「土百姓奴、三つ葉葵の御紋服が目に入らぬか」とすごむ場面がある。テレビドラマの水戸黄門にそっくりだ。『父子鷹』は1956年だが、『水戸黄門』は映画が59年、テレビドラマは64年からだ。だから、『水戸黄門』のあのセリフは『父子鷹』の影響である可能性が高い。

さんま

今年はサンマが不漁でイワシが安いというが、安いイワシというのはいったいどこに売っているのだろうか。
安いというくらいだからサンマの半値とかでばんばん売られてなくては嘘だが、
そんなものはみあたらない。
サンマの味というのはイワシとか丸干しのメザシとかあるいはニボシなどとはまたまったく違って独特のものだ。
子供の頃(あるいは学生の頃学食で)サンマを食べた記憶ではなんかむやみとゴムみたいな、
味気ない味だったけれど、きっとそれは油が抜けきった一番安いサンマだったのだろう。
油ののったサンマというのはほんとにうまいものだ。
それと豆腐に海苔の佃煮か何か載せて食べてみるがこれもまたうまい。
豆腐とサンマというのは安いには安いが極上の料理だと思う、今更ながら。

子母沢寛はインタビューする時にいちいちメモを取らなかったというが、今なら音声レコーダーを回しておくところだろう。
味覚極楽の取材の話らしいが、新選組始末記でもそうやって聞き取りをしたのに違いない。
当時の話し言葉のニュアンスなどをどうやって記憶しておいて文字に起こしたかということを考えながら読むと、
また違ったおもしろみがある。
おそらくインタビュー終えて急いでメモを書いてあとでそれを「肉声」に変換するんだろうが、
テレコから直接文章をおこしたのだと実は大して面白くないのかもしれん。
子母沢寛の江戸っ子風の語り口とそれぞれの話者の実際のせりふとが化学反応を起こして、
なんとも不思議な文章になるのかもしれんなと思った。

父子鷹2

1955年から新聞連載して連載終了前に映画化しているから、
最初から映画の原作として書かれたんだろうな。
ていうか、小説は完結してないんだから、
先に映画の原作があって、それを小説化しつつ映画化したというところか。

ウィキペディアなんかだと映画化されるかテレビドラマになるかした小説でないとなかなか記事にはならん。
この父子鷹もそのたぐいなわけだが、
当時の事情はよくわからんが、
これは「新選組始末記」と並ぶ大作で、
しかも始末記の方は分量は多いが短い逸話をたくさん集めたもの。
こちらの父子鷹はきちんと一本筋が通った長編小説。
おそらく子母沢寛もそうとう用意周到に執筆したものに違いない。

で、これも推測に過ぎないが、連載中に新聞で読んだ人もあったかしらんが、
ほとんどの人は映画でこれを知っているのに違いない。
あるいは、後にドラマ化されて。
わざわざ原作を通して読んだ人がどれくらいいるか。
それくらいに読みにくい話ではある。
ただ映画やドラマを作るだけならこんな長くて詳細な小説を書く必要はなかっただろう。
またわざわざこんな読みにくい小説を書かなくてもよかっただろう。
映画の資料として作った感じがすごくする。

小説はのちのち映画化されたり漫画化されたりするわけだから、
そういうこと考えながら書いた方が良い、というか、そうなることを想定して書いた方が書きやすいものなのかもしれん。

父子鷹

子母沢寛の「父子鷹」にはかなり脚色が入っているようだ。
仕官する間際に同僚を投げ殺し牢に入れられたたなどは史実ではないようだ。
まあそういうもんかもしれんね。

生存確認

[何を騒ぐか](http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100910)
などを読んでいて思うに、
よけいなところに無駄に公務員の人件費をかけるなよと思う。
わざわざ高齢者宅を個別訪問させるなど、行政の合理化効率化や、
公務員改革にどんだけ逆行してるのかと。
警官で良いじゃないか。
なぜ警察官を巡回させないのか。

さっさと国民総背番号制にしておけば年金漏れがどうのこうのという問題も起こらなかったのだが、
いろんな連中が戸籍や年収などを国に把握されたくなくて(リベラリストというのか)、
妨害してきたからこの有様。
そういえば、わざわざ婚姻届を出さずに内縁関係のままにするとかいうやつもいたよな。

おまけに電子政府では韓国に大負け。
公共交通機関の支払いの電子化も香港に先を越されたしな。
まったく電子立国が聞いて呆れるが、
おそらくそういう政治的な部分にも根の深い問題がある。

久しぶりに秋葉原へ行くと、だいたい繁盛しているが、
LAOX THE COMPUTER館が廃墟と化していて哀愁漂う。
道ばたで売られているジャンク品なども変遷があって、
たまには行かないとたちまち電気音痴になってしまうな。

新選組異聞、他

子母沢寛「新選組異聞」を読み始めるが、「新選組始末記」とほとんど重複。
「始末記」が異様に長くて読みにくいので、抄出して、加筆も多少はあったのだろうけど、
「始末記」をよんでおけば特に見るべきものはない。
異聞は始末記の翌年に出ているのだが、どういう事情でこうなったのか。
言い方は悪いが、子母沢寛には二番煎じものがけっこう多いような気がする。
いつも同じことばかり書いてる感じ。

同「味覚極楽」。まあ、ちょっと面白い。

「父子鷹」。子母沢寛らしい、長くて難渋な文章。少しずつ拾い読みしていると、
しかし、人間関係がわかってきて、筋も見えてくる。
だんだんそれなりに楽しめるようになる。
[wikipedia](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E5%AD%90%E9%B7%B9)に加筆しておいた。

なるほど、岡野孫一郎はただの隣人ではなく借家の大家なんだな。
もう少しちゃんと読んで書き換えなくては。

> わからぬやつだ、今はそういう世の中だと言っているではないか。
何事も賄賂次第、利口な人間は巧みにそれを利用してそれによって自分の地位を築いて、
その時はじめて将軍家のために真のご奉公を申すのだ。
舞台へ上がらんで芝居が出来るか。

> お前さん、ずいぶん怒りっぽいようだね、さっきの目つきがそれだった。え、腹を立ててはいけねえよ。
いいか、え、風が右から吹いたら左へなびく、左から吹いたら右へなびく、
唯根だけはぴったり大地に据えて、ぴくりとも動かねえことだよ。
いいかえ、相手に何か言われて腹を立てることはそれでもう相手に負けたことだよ。

最初から最後までこんな具合にうっとうしい処世訓に満ちている。

serios sam 2nd encounter

リハビリとしてシリアスサム2nd encounterを難易度normal でやっているのだが、
ひろびろとした、ピラミッドが中央と四方にある平原まで来たところで、
まったく進めなくなった。
まあ、私のようなプレイヤーのために easy とか tourist というモードが用意されているのだろうが、
なんか悔しいな。

tomb raider 3

tombraider シリーズの最高傑作は、やはり tombraider 3 だよな、
とか思いながら、気分転換にやり始めたわけですよ、たぶん、1年か2年ぶりくらいに。
しかも、MacOS 9 版ですよ、最高クオリティのね。
最初、Windows Xp でやってたらフリーズしまくりなんですよね。
だから MacOS9 で。
いやあ。すばらしいゲームだよなあ。

そんで、今 Nevada なんだけど、military police に捕まっちゃうのだが、
直接 MP を殺すのではなく、囚人を脱走させてその囚人に MP を殺させる。
なるほど、ただのごろつきを殺すのは許容範囲だと。
毒蛇やハゲタカを殺すのも良いと。
しかし、MPは普通の軍人なので殺すのはまずい罠。
だけどMPに捕まったのは不可抗力で、脱獄するのは仕方なく、その際、
囚人を味方に付けるのは道義的に許される、という解釈なのかなあ。

たぶん、TR3 はあまりにも売れすぎたんだな。
人気が出ると社会問題化するわな。
それで、4や5以後はもっと毒の少ない内容になってしまった。
そんな気がする。

まあ、そんなこと言ってしまえば、call of duty や gears of war はどうなんだということになるよね。

トゥームレイダーシリーズはインディージョーンズを見ておくと理解が早い。

トゥームレイダーはシューティングゲームとしてみた場合にはぬるくて仕方ない、
しかし当時の私には、
結構難しかったんだな、ボス戦が。
ボス戦的にはトゥームレイダーは極めて難易度低い部類に入る。
単なるレベルクリア時のイベント的なもの。

武士の歌

新選組始末記には、武士の歌の引用も多い。
清河八郎

> 魁けてまたさきがけん死出の山迷ひはせまじすめらぎの道

> 砕けてもまた砕けても寄る波は岩角をしも打ち砕くらむ

> 君はただ尽くしましませおみの道いもは外なく君を守らむ

宮部鼎蔵

> いざ子供馬に鞍置け九重の御はしのさくら散らぬその間に

田中寅蔵

> いづかたも吹かば吹かせよこの風よ高天原はまさに吹くまじ

> 四方山の花咲きみだる時なれば萩もさくさく武蔵野までも

松田重助

> 一筋に思ひこめてし真心は神も頼まず人も頼まず

伊東甲子太郎

> 夜の鶴子を思ふやみに迷はぬぞげにたのもしきやまと魂

> 世のために尽くすまことは三島なるかしこき神もしろしめすらむ

> するがなる富士に積もれる白雪はすめら御国の光なりけり

> ちりひぢの身はいかにせむけふよりはすめら宮居の守りともがな

> ますらをの涙の雨のかかる夜に道なたがへそ雲のうへ人

> ますらをの武き心のさきがけて世にも知られむ梅の香ぞする

> 数ならぬ身をば厭はで秋の野に迷ふ旅寝もただ国のため

> 国のため落つる涙のそのひまに見ゆるもゆかし君のおもかげ

鈴木三樹三郎

> 死にてなほ君につかふる真心は千歳を経とも朽ちるものかは

うむ。やはり伊東甲子太郎が数も多いが出来も良い。
というか、きちんと詠んでいる。
出身が水戸の近くだから、水戸学の影響を受けているようにも思える。