頼山陽にピアス

[東京都公立図書館横断検索](http://metro.tokyo.opac.jp/)
などでちまちま調べていたのだが、
野毛山図書館には頼山陽関係の図書がばっちりそろっていたので、読みに行く。
「頼山陽にピアス」など読む。

広島在住で頼山陽研究者や子孫らと直接交流できる著者しか知り得ない、
いろいろ貴重な情報源を持っていることがわかる。
しかし、やはり、私とは根本的に相容れない考え方があるのもわかる。

たとえば、頼春水やその息子の山陽などは朱子学がちがちで、
平家物語はそれに比べるとおおらかであるなどと書かれているのだが、
私からみると平家物語は夾雑物が多すぎてどうでも良いことがくどくど書かれていて、
あまりにルーズすぎる。
仏教臭が強すぎる。
平家物語が特別そうなのであり、太平記などはもう少し違う。
平家物語はしかも戦闘シーンの描写がほとんどない。
太平記ならもっとちゃんと書いている。
太平記はほぼリアルタイムに記述されていったらしく、荒削りなリアリティと迫力がある。
しかし平家物語は、実際の戦闘があって50年近くたってもどこかの坊さんたちがだらだらと仏教縁起や中国の歴史書などから引用したりした形跡がある。
そのようなものに何の価値があるのか。

平家物語にもときどき、妙にリアリティのある場面描写もあるが、
それは当時のまま何の改竄もされてない結果だと信じたい。

あと、日本政記について、著者は、頼山陽が民主主義を理解していたかのように書いているが、
民が本で君主は民を慈しまねばならないとか、天皇を激しく批判しているとか、
そういうものはまさに陽明学そのものであって、西洋由来の民主主義とは全く異質なものであると私は思う。

頼山陽全書も八冊全部揃っているようなので、
ときどき野毛に遊びに行って読んでみよう。
東京都立多摩図書館と、中野区立中央図書館にも揃っているようだ。

頼山陽とその時代

中村真一郎著「頼山陽とその時代」を読み始める。
これはすごい。
頼山陽に少しでも興味がある人は必ず読むべき。

量が多すぎる。
しかしまあ、いろんなことが網羅されているのは良い。
入手しにくいだろうが、首都圏の図書館を片っ端からwebで検索すると意外とある。
通りすがるついでにいろいろ借りてみる。

刑死した三樹三郎については、第二部「山陽の一族」「四 山陽の三子」中に、
p143からp160まで詳しく書かれていてありがたい。
日本外史については第六部中の日本外史と日本政記についてを読めばだいたい、
中村真一郎という人がどう考えているかがわかる。

山陽と三樹三郎について

若き山陽は危機に陥った時、或いは狂乱し、或いは心神喪失状態になり、
いずれにせよ当人の人格的な責任は免れるだけの、動物的な自己保全の本能が発達していた。
いわば死んだ真似のうまい昆虫のようなところがあった。

などと書いていてかなり笑える。

本朝覇史

見延典子著頼山陽によれば、最初山陽は「本朝覇史」という名前にしようとしていたが、
叔父の春風の提案で「日本外史」としたのだという(上巻第二部第八章)。
また、水戸藩が編纂していた「大日本史」を模倣して尊皇論風に書かれているが、
その主題は、徳川氏に対する政治批判であると(下巻第十部第四十二章)。
文章力によって幕府批判に見えないように擬装してある。
また、林子平「海国兵談」が版木を没収され蟄居を命じられた例を挙げて、
そのような尊皇思想や、あるいは朱子学的・陽明学的な政治批判は当時の文人らの間でも珍しくなく、
頼山陽はそのような江戸後期の儒者の一人にすぎない、
後世に甚大な影響を与えたのはその文章力と名調子にある、
というのがおおよその解釈だろうと思う。

また、漢文の著書に対して松平定信が題辞をやまとことばで記述したのは、
真意をごまかしはぐらかすためだと言っている。
ほんとうだろうか。
幕府の忌避にふれかねないとは思ったが、
作品としてはおもしろかったので、世の中に埋もれさせるのは惜しいと思ったのだろうか。

Wikipediaの新井白石の読史余論など読んでみると、
大まかな組み立ては日本外史と大差ないことがわかる。
微妙な尊皇風味と陽明学っぽさが加わっているだけにも思えてくる。

Unofficial History of Japan

日本外史は英語にも訳されたというので、
絶版になった本はgoogle様がオンライン化している可能性があるので、
検索してみたのだが、
なかなかみつからない。
ただ、日本外史は英語で
Unofficial History of Japan
というらしく、
また、外史氏曰くは、
The Unofficial Historian says:
となるらしい。
なるほどうまく訳したなあと思った。

アーネスト・サトウが1872年頃に日本外史の最初の四巻を英訳して出版したらしい。
後半は抄訳したらしい。
手に入らんのかな。
最初の四巻とはつまり平氏、源氏、北条氏のところだな。

見延典子 頼山陽

山陽の妻となる梨影が山陽の字を「飛び跳ねる」ような「怒っているような」字だと言っている。
確かに、くせ毛がピンピン跳ねているような、一種独特の書体だなと思う。

大阪の商家というところは、日本の中でもほとんど唯一、自由で人生を楽しむという雰囲気のところだったのかもしれない。
自分の才覚で金を儲けて自分の甲斐性の中で遊び楽しむ。
農村や武家には、そんな発想は生まれて来るまい。
今の大阪の漫才師の芸風に見られるような、日本人離れした軽さというのは江戸時代から由来しているのかもしれん。
父親が京都私塾の儒者で、母親は大阪の儒医師の家の娘、それがたまたま広島藩に召し抱えられて窮屈な武士の嫡男となった、
という境遇が、武士であるのに自由奔放な性格を作り出したのだろうし、
特に歴史の編纂も試みた父親と、歌人でもあった母親の影響がどれほど強かったかしれん。

頼山陽 日本外史

安藤英男著「頼山陽 日本外史」を読む。
これはなかなか愉快な本である。
頼山陽自筆の原稿の写真など掲載されている。
なるほどこんな筆跡だったのかなどと思う。

頼山陽の没年が1832年だというので、
没後150年の1982年にこの本は出版されている。
この本の大部分を占めるのは、日本外史の中から特に序論と論賛の部分だけを抜き出し、
現代語訳し、その原文の写真を掲載しているというもので、また著者の意見を解題として載せている。
その解題の言っていることは、ようするに、
岩波文庫「日本外史」や中村真一郎「頼山陽とその時代」などで書かれていた解釈とは真反対の、
いわゆる戦後の価値観では「危険思想」とみなされていることなどである。

山本五十六が日本外史をどう読んでいたかなど引用されていて興味深い。

山陽の壮烈なる、区々たる身命を惜しむにあらずと雖も、直書、憚る所なければ、
其身、罪を得るに止まらずして、外史、亦後世に伝ふべからざるを慮りしがためなり。
嗚呼、徳川氏、圧世の甚だしき、遂に山陽をして、其の筆権を曲しむるに至りしは、実に慨嘆に堪へざるなり。
然りと雖も、山陽の健筆、忌諱に触れずして、能く正義を鼓舞し、
赤誠塁積、徳川の僭越を風刺して、人心の迷夢を醒まし・・・
此書をひもとく者、誰か一読憤慨し、志を惹起せざるものあらんや。
彼が精忠、能く鬼神を泣かしめ、気概、山嶽を抜き、唯、尽忠報国の責務あるを知って、
身命あるを知らず。遂に維新の偉挙を築き、文明の端緒を開きたる明治の元勲をして、
蓋世の士気を激励したる、此書、与って力あると言ふべし。

などと書いているのだが、
まあ、山本五十六は学者ではないので、
「当時の有為の青年」らが一般的にそのように解釈していたことはわかるのだが、
徳川氏を直接攻撃することなしに、暗喩によって、島津・毛利・鍋島などの雄藩をそそのかし倒幕に向かわせたとか、
その辺りが山陽の真意だったとは、後付けの理屈のように思える。
また、よほどの空想家でないかぎり、古代の天皇親政・国民皆兵が理想の政治形態だと言いたいのだとは思えないし、
ではどうすれば良いかとの何か建設的な提案があるのでもない。
自分の時代に都合の良い解釈をするのは戦後民主主義の連中のやってることと同じで感心できない。

また、「外史というのは、既成の熟語ではない」などと言っているが、
すでに「儒林外史」などの前例がある。
「正史」に対して個人が勝手に編纂した歴史、もしくは個人的な史論という意味だろう。

中公バックス日本の名著28頼山陽(1984年発行)の付録に中村真一郎が寄稿しているが、
「ところが、この数年、またもや化政天保の頃、京都で生を愉しんでいた文雅な一文筆家を、もう一度、
超人的な政治的慷慨家たらしめようという、私などには辟易する傾向が再燃しはじめている」
などと書いていて、これはあきらかに安藤英男の著作に対して言っているのだろうと思われる。

ついでに見延典子の「すっぽらぽんのぽん」(2000年)「頼山陽」(2007年)も読み始めている。

また、菊池寛「新日本外史」もちらと読んだ。あまり面白くなさそうだった。

平家物語

通勤や旅行などに平家物語の文庫本を持ち歩くようにしている。
というのは、比較的安くいつでも手に入るからである。
移動中に本を読むのは良いとして汚損したり紛失したりもする。
その点、平家物語は無尽蔵と言ってよい。源氏物語くらい入手しやすい。
これが同じ軍記物でも保元物語や太平記となると、ハードカバーのものしかない。
保元物語は昔岩波にあったかしれんが、事実上文庫本は入手できない。
昔は、日本外史も割と入手しやすかったが今では絶版。
かつ、オリジナルの漢文の完全版はどこで入手・閲覧すれば良いのやらという状態。

あちこち図書館を見て回ったが、吾妻鏡は割とおいてある。
続古事談というのが、なかなか入手できないので、わざわざamazonで古本を買ったのだが、
某図書館に古事談・続古事談の合冊があって、なんだわざわざ買う必要もなかったか、と思ったりもした。

ま、ともかく、重要な本は二三冊まとめ買いし、古本屋で見かけたら予備に購入すべきだなと思った。

それはそうと平家物語だが、
こうくどくどと、今昔物語風の仏教説話が混ざってたり、ほとんど関係ない中国の歴史が混ざってたりするのは、
成立までにかなり長い期間をかけて琵琶法師らがよってたかって改編し増補したからだろう。
もともとはもっとシンプルなものだったのではないか。
むしろそれが読んでみたい。
同時代の人がリアルタイムで書いたものと、
後世の人が想像で追加したものが、まぜこぜになっている感じだよな。

野党

自民党は初めて野党になったのではない。
1993年からしばらく、日本新党なんかから総理大臣が出てた。
自民党は社会党(笑)と連立して与党復活。
日本史でたとえれば(笑)、南朝と北条時行が組んだみたいなものだ。
いやまてよ、たとえになってないな。組んでも北朝には勝ってないわけだから。
なんかうまい歴史的前例はなかろうか。
漢族が蒙古や満州族の王朝の官僚として仕えている感じの方が近いか。
いやいやそれもちと違う。
そういうアナロジーを探してみるのは、実は重要な作業なのではないか。

自民としては、社会党に総理とか議長だけやらせてやって、
実質を取るという戦略だったわけだ。
しかし村山談話とか、いくらなんでもというので、小渕からずっと公明党と連立してた。

思うに、1993年の段階で、二大政党制に移行していれば、
もう少しすんなりいけただろうな。
やはり、自民党が社会党とか公明党と連立して余命を無理矢理延ばしたのがまずかったのではないか。

民主党は右と左に分裂して右が自民党と組むだろう。
左は左で組んで、やっと、二大政党制に落ち着くんかな。
自民は右とか保守とか言ってたが今まで全然保守じゃなかった。
まあ、寄り合い所帯だけど由来としては保守というか。
麻生総理が敗戦の弁で言ったように「守るべき保守」がまずあって、
それを守るために大胆に改革していくのが保守というもの。
それをきっちり言って掲げたのは良かった。
それを、次につなげて欲しい。

二大政党制になって初めて、政党が行政スタッフをきっちり抱え込めるようになり、
官僚制と拮抗できるようになる。
自民長期政権だと、与党と官僚がべったり癒着するだけ。
弱小政党だらけだと、やはり官僚が政治をやるしかない。
今の民主党では、行政スタッフもいなきゃ政権経験者も足りないわで、
マニフェスト実行どころじゃないだろう。

私の記憶では、自民党は野党な方が破壊力が大きい(笑)ので、
しばらくガンガン民主を破壊してみて欲しい。
かなり痛快だろう。