秋が終わると冬が来る

今日はカラオケで「私がおばさんになっても」を歌った。

秋が終わると冬が来る、ほんとに早いわ~♪
まったくそのとおり!
森高千里の歌に涙した。

それはそうともう11月だというのに私は未だにTシャツ一枚ですよ。
なんかね、もう、暑くてたまらない。
重ね着すると胸と腹の間のくぼみに汗がたまって気持ち悪い。
デブだからなのか。
デブだから寒くないのカー。

みんなもう長袖です。私が異常なのだろうな、たぶん。

近藤真彦の愚か者も歌った。
「ここは愚か者の酒場さ~」と歌うと周りの客やママが微妙に引いた気がした。

今日の兄村

きょうもあほみたいにカラオケ歌った。

愛、覚えていますか。
砂の十字架
男なら
September by 竹内マリア
たとえば…たとえば by 渡辺まち子
青い鳥をみつけたよ by タイガース
戦士の休息
圭子の夢は夜開く
風を集めて

なんか歌いまくった。
戦士の休息はかなり軍歌。
男ならはもともと戦前は軍歌だったのだが、カラオケに収録されているのは少ししょぼい。

風を集めてはわりと歌いやすい。

愛、覚えていますかは自分でうたってもいいが、やはり女性に歌ってほしいものだ、しかしあまりにもマイナー過ぎて誰もしらん。

ラ・セーヌは今日も流れる~
もなかなかよい。
花売り娘は知ってる~

みなしごのバラードも良い。
しかしあまり歌うと嫌われる。

まあそれだけですけど。

冥王星

なんか世間と感覚がずれているのかな。
冥王星なんてどうでもいいし。
ていうかほんとの科学者ならあっそうで終わりじゃないの。
科学者じゃない連中の琴線に触れる部分があるんじゃないかなとか。
そうじゃなきゃこんな大騒ぎしないでしょ。
教育関係者とか、インテリってこういう話好きだよな。
立花某とか専門でもなきゃわかりもしないくせに科学談義大好きだしな。
子供の頃小学校で「一番遠い惑星は冥王星です」って教わりましたみたいなノスタルジー。
科学的な客観的事実とか、科学者どうしが決めたクライテリアよりも、
検定教科書になんと記述されているか、
教育指導要領にはどのように定められているか、
入試にはどのように出題されるか、
その方が100倍重要なんだろう。
明らかに科学的態度からは乖離しているよね?
果ては「科学者の傲慢」とか言い出す始末。
そのうち「科学は非民主的」とか言い出すよ。
アホかと。
だいたい論文の新規性や有効性だって査読者どうし話し合いで決めてるんだよ。
ノーベル賞の審査基準だってそうだろ。
今更なんだよって感じだよね。

「冥王星」って名前の響きはいいよね。
でも月より小さいひねこびた岩の固まりなんでしょ。

世論

憲法で保証されている言論の自由というのは国家権力に対する拘束を言うのであり、マスコミや政治家に対する一般市民によるテロ行為を、言論の弾圧だとか基本的人権の侵害だとか言うのは拡大解釈だと思う。
もちろん暴力を容認してよいと言っているつもりはない。
しかし、言論には言論で対抗せよと言っても、メディアを掌握してないものやインテリでないものは引っ込んでろといっているようなもんで、はなはだ乱暴な理屈だと思う。
そんな理屈で説明責任を果たしたつもりの言論人などいざというとき何の価値があるだろうか、みものだ。

ネットの匿名の「心ない発言」が問題になっているようだが、ならば飲み屋のオヤジ連中の無責任な発言も問題にすべきではないか。
文字になるかならないかの違いに過ぎない。
酔っぱらいオヤジ連中の国士気取りの戯言など昔からある。
同様に侵略されりゃ無条件降伏すれば良いという団塊世代の思考停止論もある。
そもそもこういう一般大衆の本音というものは、規制することも否定することもできぬ。
事実そのものだからだ。

マスメディアと世論がいかにして乖離しまたは同調するかというのはおもしろそうな話だなぁ。
マスコミといっても一般大衆が読みたいと思うものを書いてるにすぎぬ。
大衆が読みたいものを書けば売り上げが伸びる。
誰も市場原理に逆らうことはできぬ。
世論というのは過激なことを言っているようで実は保守的なものであり、やはりきちんと均すと世論(サイレントマジョリティと言うべきか)はその時代時代ではおおむね正しい。
どちらかと言えば間違っているのはマスコミなのだが、世論と乖離し間違えば間違うほどマスコミは暴走するのだよね。

政治家はある人から感謝されると同時に他の人には恨まれるかもしれない。
恨まれるからといってへいこらしていては政治家としてつとまらない。
人に恨まれるのを覚悟していないと政治家はつとまらない。
特に一般大衆に恨まれればどうなるかわからない。
政治家など今も昔もそんなものではないのか。
人に恨まれるのが嫌なら政治家や医者や弁護士など、人の人生を簡単に左右してしまうような仕事につかねばよい。
それだけのことではないか。

地方紙5紙の社説がソックリ。

まあ、地方新聞をいじめちゃかわいそうだよね。
毎日毎日何千字何万字も文章書いても報われない仕事だ罠。
まじめに文章書きたいやつは大手ねらうかフリーでがんばるか、どっちにしても地方新聞には居ないでしょう。

というか今回の日経の靖国関連報道には失望した。
この時期に天皇発言メモリークしたり、やり方露骨すぎ。
経済ニュースだけ淡々と書いてくれりゃいいんだが。
もはや読むに値する新聞などないことがわかった。

私からみれば小泉首相はきわめてわかりやすい人なんだが、マスコミから見ると特異で複雑怪奇な人に見えるらしい。
丸山真男とか「幕引きはまことにアイロニカル」とか、文士固有の思想を小泉首相に投影しようとするからますますわからんようになるのでないか。

加藤紘一も、首相になり損ねるは、マスコミには踊らされるは・・・。
立花隆を政治家にするとこんな具合になるね。
中国や韓国につけいる隙を与えているのも結局は国内マスコミとか有識者連中らが大騒ぎするせい。
ほとんどは国内問題、マスコミ問題なんだよね。
鯨問題もまた同じ。
売国発言する連中が後を絶たぬのはなぜか。
悪女の深情けというやつか。
一億二千万人の日本世論が毅然と正論を通せばよいだけのことなのだが。

[日経新聞編集局総務の言い訳](https://web.archive.org/web/20061005060712/http://www.nikkei.co.jp/saiyo/06saiyou/02/kisha_kouen_f.html)。
なるほど、日経としては、誰かがリークしたネタをそのまま即座にスクープにしたのかもしれん。
しかし政治的に利用されたくないのならそもそも記事にしなけりゃいいわけで、結局「政治的利用」はあった、そういう意識がなかったわけじゃないことがこの編集局総務の言い訳からわかる。

> 日経というのは、偏らないで、中立で、妙なメッセージを押し付けないという定評をもっています。

私も、日経だけはそうだと思っていたのだが・・・。
ていうか、よその新聞は「偏っていて、中立でなく、妙なメッセージを押し付ける」と思ってるわけね。
正直な人だな・・・。

プラズマに感心。

アップルシードはマッハバンドが出まくるビデオだと思っていたが、先日プラズマで見るとまったく見えない。
液晶はEIZOだろうがAQUOSだろうが、暗い部分のコントラストが低い。
暗いところは一様に真っ暗になってしまうのだろう。
だからガンマかけて明るくするので暗い部分のマッハが目立つ。
明るい部分はとんでしまう。
なんでこんなまっちろけなんだろうと疑問に思ったシーンがきちんと再現されている。
うーむ、やはり未だに液晶はダメなのかと。
プラズマは暗いところは暗く、明るいところは明るく表現できる。
全体的に暗く見えるが、ほんとうはその方が正しく、隅々明るくくっきり見える液晶の方が嘘なのだろう。
どうにもこうにも、これからテレビを買うなら40型超のプラズマしかないなと思った。
もうしばらく待てば15万円くらいで買えるようにならんか。

他にも被写界深度のエフェクトが頻繁に使われていることに気づいた。
なんで今まで気づかなかったのだろうか。
小さな画面だったりガンマが効き過ぎてたり勝手に鮮鋭化されていると、この手のボケ表現がわかりにくくなるのかもしれん。
いやーしかしプラズマはすごいわ。

フルスクラッチ

千葉銚子沖が千葉桃子沖に見えた。
千葉桃子って誰だよ(笑)

フルスクラッチという言葉はもともとプラモデルorフィギュア用語なのだろうか。

フルスクラッチとはどうやら和製英語のようだ。
from scratchという熟語は確かに存在する。
また Free Software for Microcomputers GNU bulletin vol.1, no. 14 にあるように

> Linux has been written from scratch and does not contain any proprietary code in the kernel

という言い回しがあり、これを誰か「リナックスはフルスクラッチで書かれた」などと訳したために定着したのではないか。

で、フルスクラッチというのは模型を作るとき、既存の模型を流用せずすべて材料から作ることを言うようだ。
やはり模型用語なのだなと。
でもおそらくもとはといえば from scratchから来ているのだろう。
どちらにしろ、あまり頭の良い言葉とは言えないから使わないのが無難だな。

ジミ・ヘンドリクス勉強会。

ツタヤでJimi Hendrix at WoodstockのDVDを借りてくる。
アメリカ国歌の演奏が実に印象的。
Wikipediaによれば

> 1969年8月に6人編成でウッドストック・フェスティバルに出演しトリを務め、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(星条旗、いわゆるアメリカ国歌)を演奏。
フィードバックやアーミングといったエレクトリックギターの特殊奏法の限りを尽くし、爆撃機が空襲を行い民衆が泣き叫び逃げまどう様子を、音で完璧なまでに再現してみせた。
これは泥沼化して先が見えないベトナム戦争と、希望のない戦争にのめり込むアメリカ合衆国への痛烈な批判であった。

だということだが、そんなことはさっぱりわからんのだが、ともかくすごい演奏だと思った。

Purple Haze、 Voodoo Child もかっちょいい。

「紫のもや」試訳:

紫のもやが脳の中に充満している
近頃は何もかも違ってみえる
おかしな具合だがなぜだかわからない
空にキスする間ちょっとまって

紫のもやがあたり一面立ちこめている
どっちに歩いているかもわからない
俺は幸せなのかみじめなのか
ともかくあの子は俺に呪文をかけた

助けて助けて
なにもわからない

紫のもやが目の中にいっぱいだ
昼だか夜なのかもわからない
おまえは俺の心を吹き飛ばした
明日かそれとも時の終わりか

何もわからん
助けて
教えてくれ
さあこい

「ブードゥーの子」試訳:

山のそばに立って
手刀で叩き割り
破片を集めて島を作る
小さな砂を軽々と持ち上げるように

だって俺様はブードゥーの子だから
神様も俺がブードゥーの子だと知っている
最後にもひとつ言いたい
あなたのすてきな時間をとりあげるつもりはなかった
そのうち返してあげる

もしこの世で二度と会わないとしたら
次の世で会うだろう
そのときは遅れるな
遅れるな

俺様はブードゥーの子
問いはいらない
答えもない

こんな感じでしょうか。 wikiでジミヘン和訳集とか作るとおもしろいかな。

普通のハードロックやヘビーメタルなどの曲にはリズムとメロディーがあるのだが (そしてそのテンポがしばしば異様に速い)、それがジミヘンにはない(ことが多い)。
ジャズの即興演奏に近いかも。
あるいは津軽三味線のようなものも連想させる。
ときどきバンジョーのような弾き方もする。
ドラムはジミヘンの演奏に合わせて適当に太鼓をたたいているだけのように見えるし、ときどきドラムを合わせきれずに苦笑しながら眺めていたりする。
私はバンドというのはよくわからんのだが、ドラムとかベースとかボーカルとか役割分担が決まってて、即興のように見えてある程度までは整然と演奏されるのだと思う。
しかしジミヘンの場合は空から霊感がおりてきて、ジミヘンがそれをギター演奏として表現し、周りのスタッフがそれに合わせて適当に太鼓たたいたりマラカスふったりしている。
シャーマニズムにも近いものがあるのかもしれんし、もしかするとネイティブアメリカンの音楽の影響もあるかも。

CoD2クリア。

Call of Duty 2をかなり進めた。
ノルマンディ上陸作戦というのがほんとうにこんなものだったのかどうか、実際にはわかりっこないのだけど、かなりまじめに精密に作ってあるのだけはわかる。

ドイツ人はどういう気持ちであそんでいるのだろうか。
これがもし沖縄上陸作戦だったらどうかと考えると恐ろしい。
杭州湾上陸作戦だったらもっと恐ろしいかもしれない。
考え出すとあれもこれもおそろしい。

Call of Duty 2は北アフリカ戦線のが少しおもしろい。
イギリス人もドイツ人も好き勝手リビアやチュニジアに土足で上がり込んで暴れ回っている。
そこんところアラブ人とかどう感じるのか。
もしこれが日本本土だったら嫌な感じだよな。

全体に、初代のときみたいに、戦艦ビスマルクに乗り込んでドイツ兵を殺しまくったりとか、カーチェイスみたいなのとか、そういうふざけたおもしろおかしいミッションが減って、まじめくさったものが増えている。
史実に近づけようとしているのだろうか。
ベトコンも2になってまじめくさってしまい、おもしろみがなくなったしな。

CoD2クリア。
エンドロールを見ていて陰鬱な気持ちになるのは枢軸国側の人間だからだろうか(笑)。

雨の日は家でじっとしているに限る。

私の人生に5.1chサラウンドは必要ないことがわかった。