関係ないこと

近頃は youtubeを見ても twitter を見ても何にも面白くない。だいたいみんな見飽きたというのもある。最初は面白くてもすぐに飽きてしまう。あと20年くらいで死ぬのでいまさら新しいことを始めても仕方ない。つまらないことはどんどんやめてしまって、行きたい店だけ通ってほかのいろんな店はみんな行くのをやめてしまうくらいでよいと思う。

茸本朗とかノージョブフドウとか楽しくみていたのだが、だんだん感動がなくなってきて、見なくても全然平気になった。

コロナにかかったせいでいまだににおいが戻らない。醤油をかいでも山椒をかいでもまったくにおわないのは困る。ものを食べても酒をのんでもにおいのぶん損している気がする。four roses でも jack daniels でもにおいがないから違いがない。

世の中直接私に関係ないことであれこれ考えても仕方ない。東京都知事がどうなろうとクルド人が増えようとあと20年で死ぬ私には直接関係ない。

家を建てて20年も経つとどこかしらガタが来て、業者がわらわらきて、点検したらどこかしら不具合があって、営業がうるさい。とにかくうざい。営業は営業トークなのであれこれ悩むだけ無駄だ。基本放置が正しい。正直なんの興味もない。こうなってくると持ち家が良いのか賃貸がよいのかわからなくなってくる。独り者なら2年おきに引っ越すのが一番楽ではないか。だがただ年寄りには簡単に部屋は貸してくれないだろうから結局買わねばなるまいなあ。

NTT株

私は自分が株をやり始めた2022年1月あたりを基準に株価を判断するくせがある。そうしてみたときNTT株はまだまだ高い。もちろんNTTは日本でも一番安定した会社だろうから、長期的に見れば今多少含み損があってもいずれは解消されるだろう。

だが、2023年1月あたりからの値上がり分は全部嘘だと私は思っている。なんだか異常な値動きだった。私ならNTTは1株130円くらいまでさがってくれなくては安心して買えない。NTTはさらに法律が変わって国が持っている株を売却するという話もある。そうなると株価は下がりこそすれ上がることはあるまい。

2022年といえばたかが2年前だ。このころNTT株を買った人は、今いくら下がろうと含み損はないわけだ。逆にこのころ買った人は今売っても損はないわけだ。だから売るのになんのためらいもないはずだ。そういう人がたくさんいればNTT株は下がる。ただそれだけのことだろうと思う。

逆に2023年ころにNTT株が上がるのを見てつられて買った人は、いまなぜNTT株が下がるのかわからん、ということになるのだろう。

光の君へ

私はNHKの大河ドラマを見る趣味はないのだが、今回は仕方なく最初から見始めた。

いきなり藤原道兼が紫式部の母親を殺すという展開にはびっくりした。花山天皇の性格設定にもかなり疑問を感じた。

私もフィクションを書くのだけど、歴史に残ってないことはなんでもフィクションにしてよいという考え方は、間違ってはないのだが、ぎりぎりまで考証をして、どうしてもわからないところに補助線をひいて、補助線も引けないところには大胆にフィクションを使う、というのならばまだわかる。

最初からおもしろおかしいように、あるいはわかりよいように、フィクションにしてしまうのは感心しない。

寛和の変のとき道長は20才、右兵衛権佐。三男坊で、文官としての出世をあきらめて武官として出世することを考えていたと思う。では武官として出世するには。そのため源頼信、藤原保昌、平維衡、平致頼ら、道長四天王の若者らとつるんで、自らの武士団を作っていた。おそらくそれは右近衛大将だった父兼家から受けた教育によるものだったはずだ。兼家はきっと清和源氏の将来性に気付いていたと思う。いやというよりも話は逆で、将来伸びる清和源氏に目をつけたから、兼家、道長は天下をとれたのだと思う。

寛和の変で内裏と粟田口を封鎖し、花山天皇が帰ってこれないようにしたのは兼家の指図を受けた道長の役割だった可能性が高い。また父兼家は源頼信の兄源頼光を従えていた。つまり、兼家道長父子は清和源氏嫡流の武力を掌握していたので、兵を速やかに動かし、あのようなクーデターを起こすことができたのだ、と考えるのが自然だと思う。

私だったら道長を野心家の武家の棟梁、昭和の青年将校のような人間として描くだろうと思う。あんなふうなぼんやりとした三男坊にはしない。

大鏡にも競べ弓という逸話が載っているが、道長は普段から武芸を鍛錬した、めちゃめちゃ武闘派の体育会系な人だったと思う。そういう腕白で腕力に訴えようとする人は藤原氏の中に当時、道長以外にはいなかったのだと思う。

あと、あの道長の姉、藤原詮子が妙に理想主義者に描かれているのが気になる。当時の藤原氏は一人残らず、男も女もみんな腹黒い極悪人だった。詮子と道長だけ善人に、兼家や道兼を悪人のように描き分けるのは私の感性からかなり遠い。なんでそんな勧善懲悪的なストーリーにしたがるのかな。だから大河ドラマは嫌いなんだよ。

コロナだった

風邪ひいたという記事を書いたがどうやらコロナだったらしい。いつも風邪は11月に寝冷えして引くのに今回は街中で移されたり、喉がやたらと痛かったり、少し違ってた。

三年前にコロナが流行り重症化する人が多かった、ということは事実だったのかもしれないが、そういうことは数年おきに起こりえることだし、まして中国の秘密研究所から漏れた殺人ウィルスであったはずがない。無意味でばかげたことだった。

だがまあしかし、コロナ、インフルエンザ、普通の風邪と、人が以前より細かに気を遣うようになり、対処方法も明確になり、人も簡単には踊らされなくなったことは多少教訓にはなったのだろう。

アメリカ

物価が上がるとかインフレがなどというが、通貨の価値が下がっているだけなんだよね。なぜ通貨の価値が下がるかっていうと通貨は国が勝手にいくらでも作れちゃうからだよね。国は、国という信用を担保に通貨という形で無から有を生み出している。通貨を増やすと仕事が発生し雇用が生まれるから、景気が悪くなると通貨を増やして公共事業を増やすなどしなきゃいけない。

だけどインフレは企業にとって雇用を減らす動機になる。インフレに合わせて給与をあげないとより給与の高いところに人を取られて人手不足になるから給与を上げるのだが、人件費の発生しないような仕事に切り替えようかっていう話が進んで雇用は減る。

インフレは消費を減らすから、世の中はどうしても不景気になる。不景気になると国はさらに通貨を増やさなくてはならない。

アメリカという国が際限なく借金を増やし通貨を増やしているから世の中なんとなく好景気に見えるわけだが、実際それは見せかけのものにすぎないということよね。ドルが基軸通貨であり続け、アメリカが破綻しない限りアメリカが借金や通貨を増やし続ければ何の問題もない。今のところビットコインがドルにとって代わる気配もない。

日本は金融引き締めしてバブルをつぶしちゃったけど、今のアメリカはバブルをつぶす気などまったくなく、このままひたすら金を擦り続ける、と腹をくくっているはずだ。アメリカが不景気になるということもあまり考えにくい。アメリカは軍需産業という一番おいしい産業を握っているし、人口も増え続けているし、高齢化の気配もない。中国やインドが独自経済圏で回っていくようになるにしてもまだずっと先の話。となると、当分の間アメリカは安泰ってことにならざるをえない。

通貨はインフレで資産価値が目減りするから金を買えという人もいるが、金を買ってずっと塩漬けにしておくのだろうか。そのうち自分の寿命が来てしまう。

一方で金利を上げたり下げたりということは政府とは直接関係がないことのように思える。コロナ騒ぎでアメリカが金利を下げたのは人の消費活動が減ってデフレになったからにすぎない。アメリカはデフレをあまりお気に召さない国だから金利を下げられるだけ下げたのだろう。コロナのようなばかさわぎでもない限りアメリカ人が消費を控え、デフレになるということは今後も(長期的傾向としては)なさそうに思える。

インフレを抑制するには金利を上げて貯蓄に向かわせればよい。また金利を上げればドル高になる。いずれにしても金利を上げたり下げたりしてもあまり意味があるようには思えない。

ところで日本がなぜいつまでたっても金利を上げないのかということだがこれもよくわからない。日本がデフレ過ぎだからだろうか。金利を上げると国債の利息が増えるからだろうか。どうでもよくないか。

シンギュラリティという名の崩壊

今のfacebookはきもいリールだらけだし、twitterは頭のおかしなやつばかりだし、AIは狂った絵ばかり描くし(全然褒めてない)、もうダメだな。youtubeはまだ比較的ましだが結局、見たくない動画を見ず見たい動画だけどんどん流れてくればよいけどそうは全然なってない。シンギュラリティというよりは、次の時代どう仕切り直しするかっていう話になってくるだろうな。

風邪ひいた

逆算するとどうも5月4日(土)に近場で飲み歩いたときに感染したらしい。この日帰宅してすぐにうがい手洗いしてあったかくしてすぐに寝ていれば防げていた可能性は高い。

喉に違和感を覚えたのは6日。9日あたりが一番重症でとにかく喉が痛い。私の場合風邪をひくのはたいてい11月で、寝冷えしてまず鼻にきて、のど、肺ときておわるんだが、今回はずっと喉が痛かった。いつもと違うタイプのウィルスなのかもしれない。今日11日は1週間にしてだいたい回復したが、まだなんか微妙に調子悪い。いずれにせよまったく無駄な風邪だった。

楽しいより疲れないように

40代くらいまでは毎日おもしろおかしく暮らすことが人生の目的だったところがある。46才で大病を患ってもそのこと自体にあまり変化はなかった。多少金は使っても飲み歩いて楽しければそれは良い一日と言えた。

しかし最近は、いくら楽しく面白く過ごしても、翌日まで疲れが残っていると後悔のほうが強い。毎日、肉体的にも精神的にもできるだけ疲れないように生きていたい。アルコールが翌朝まで残るのがつらい。深夜2時くらいにはすっかりしらふに戻っていたい、などと考えるようになった。

酒飲んで面白いというのも、今となってはだいたいこのくらい飲んでこのくらい遊べばこのくらい面白いだろうというのがわかってしまっていて、意外性もあんまりなくて、要するに年を取ると人生そのものが全然面白くないという、毎日ただそれだけのあたり前のことになってしまった。

Richard Wagner が書いたものを読もうかと思って読んでみるが当然ながらめんどくさくて続かない。ドイツ語じゃなく英語で読んでみようかと思うがやはりめんどくさくて続かない。定年後にヒマになったら読もうかとも思うがそもそもヒマになって何がやりたくなるかもわからない。今さらあれもこれも読んで書いても仕方ないじゃないか。今書いているものを書き終えたらもう何も書かないというのもありかと思う。75才くらい、つまり今から15年後くらいに死ぬのがちょうどよいのではないかと思う。それから先何か新しいことをやるとはとても思えない。何もやることないなら生きている意味はなくないか。

仮に75才になってめちゃくちゃ作曲がしたくなって作品としては全然ダメだとしても何か作って残したいと思ううちは、後世の評価などは別として、生きててもよいと思う。そういうめちゃくちゃ何かしたいというものが無いのに、ただ疲れないように生きていても意味はなくないか。

仕事が忙しくずっと仕事場に泊まっていたりしたが連休でずっと家にいると家にいることにも飽きてくる。

本を書いているんだが長くなり過ぎた。削ろうと思うが、ではどこを削ろうか。だんだん何を書いているのかわからなくなってくる。

正徹と了俊

正徹は調べ始めるとだんだんわからなくなってくる人だ。どちらかといえば理論家のような気がしていたが信用がおけない。歌はつまらないような気がしていたが、良いものもある、みたいな。今川了俊の弟子だと言っておきながら実はどうもあやしい。疑い始めるときりがない。定家の崇拝者だというのも周りがそうあってほしいと思い、そういわせたような感じもしてくる。

なので結局彼がどういう人であったかということは彼が詠んだ歌をみるほかはあるまい。

正徹に比べて了俊は調べれば調べるほどわかりやすい人だ。了俊の歌は自分で処分したと言っていてほとんど残ってないが、残っているぶんをみても、確かにたいして面白くはなさそうだ。了俊の歌がほんとうにおもしろくなかったとしたら、和歌というものはほんとうによくわからないものだとしかいえない。

fallout (TV series)

fallout をうまく紹介している、fallout ファンにとっても楽しめるドラマにはなっているので、一応成功しているんじゃなかろうか。主人公の Lucy MacLean 役、あとグール役もまあまあ。

fallout をまったく知らない人にとってはどうなのだろうか。ただそういう人まで巻き込んで面白がらせようという壮大な野望で作られたものではもともとないのだろう。

ぐちゃぐちゃしたスラム街の描写は良い。一気に最後まで楽しく見れたのは良いのだが、世界観というかSF考証には少し疑問が残る。特に低温核融合。なんかの起動装置を科学者の首に埋め込んでその争奪戦になるという。結局それだけの話なんだけど、その起動装置に必然性がまったく感じられない。低温核融合装置作りましたで何がいけないのか、なぜ特殊な起動装置が必要なのか、その開発者がなぜ Vault を襲わなくてはならないのか(Raiderである必然性が感じられない)、なぜ Lucy の父はあのような判断をしたのか、なんで Vault で新興宗教が流行ってるのかなどなど、すべての設定に無理があるように感じる。

なんというかもう少し、New California Republic の話で盛り上がれはいいんじゃね、とも思ったが、まあいいや。