実朝・鎌倉の歌。

> 鶴の岡あふぎて見れば嶺の松こずゑはるかに雪ぞつもれる

> 八幡山こだかき松にゐるたづの羽しろたへにみ雪降るらし

> 八幡山こだかき松の種しあれば千とせののちも絶えじとぞ思ふ

鶴の岡、八幡山はいずれも鶴岡八幡宮のこと。

> かみつ毛の勢多の赤城の神やしろ大和にいかで跡をたれけむ

こちらは上野国勢多郡赤城山神社のこと。
しかし実際に現地に行ったかは不明。

実朝・温泉の歌。

> 伊豆国山の南に出づる湯のはやきは神のしるしなりけり

> 都より辰巳に当たり出で湯あり名はあづま路のあつ海といふ

> わたつうみの中にむかひていづる湯のいづの御山とむべもいひけり

> はしる湯の神とはむべぞ言ひけらしはやきしるしのあればなりけり

温泉の歌を詠んだのは間違いなく実朝が最初だろう。と思う。
[追記](/?p=2571)。

実朝・海辺の歌。

> 磯の松幾久さにかなりぬらむいたく木高き風の音かな

> 降り積もる雪踏む磯の浜千鳥浪にしほれて夜半に鳴くなり

> みさごゐる磯辺に立てるむろの木の枝もたわわに雪ぞ積もれる

> 大海の磯もとどろによする浪われてくだけて裂けて散るかも

> 世の中は常にもがもな渚こぐあまのを舟の綱手かなしも

> かもめゐる荒磯の州崎潮満ちて隠ろひゆけばまさる我が恋ひ

> かもめゐる沖の白州に降る雪の晴れ行く空の月のさやけさ

鎌倉には州崎口古戦場というものがあるが、ちょっと内陸。
なので州崎は一般名詞なのだろう。
荒磯でかつ州崎というのは稲村ヶ崎のような岩場と砂地が隣り合わせた岬のようなものを連想させるよね。
荒磯とカモメの組み合わせで歌を詠んだのは実朝が最初かもしれんね。

カモメが居る荒磯の州崎に潮が満ちて、だんだんに海に隠れていくように、
私の恋も募っていく

なるほど。少し面白い。
渡辺真智子「かもめがとんだ」(笑)。

いやしかし、いかにも伊豆湘南っぽい光景だ罠。

鎌倉江ノ島あたりには白州といえるほど白い砂浜は無いんだがなあ。
沖の白州とは、なんだろう。江ノ島のことかな。

五月雨の頃

和歌データベースで「さみたれのころ」で検索かけて驚いたのだが、486件もある。
極めて好んで用いられたフレーズなのだ。

> 下草ははずゑばかりになりにけり浮田の森の五月雨の頃 藤原俊成

> 降りそめていくかになりぬ鈴香川八十瀬も知らぬ五月雨の頃 藤原俊成

> 小山田にひくしめ縄のうちはへて朽ちやしぬらむ五月雨の頃 九条良経

> 玉ぼこやかよふ直路(ただぢ)も河と見て渡らぬ中の五月雨の頃 藤原定家

> ほととぎす雲ゐのよそに過ぎぬなり晴れぬ思ひの五月雨の頃 後鳥羽天皇

> なつかりのあしのまろやのけぶりだに立つ空もなき五月雨の頃 九条教実

> ほととぎす聞けども飽かず橘の花散る里の五月雨の頃 源実朝

> みつしほのからかの島に玉藻刈るあままもみえぬ五月雨の頃 飛鳥井雅経

> 難波江やあまのたく縄燃えわびて煙に湿る五月雨の頃 後鳥羽天皇

> なかなかにしほ汲みたゆむあ人の袖や干すらむ五月雨の頃 藤原家隆

> 都だに寂しかりしを雲はれぬ吉野の奥の五月雨の頃 後醍醐天皇

「五月雨の頃」をこうして年代順に並べてみようとするとなかなか難しい。
ただ、一番最初にこのフレーズを使ったのはおそらく俊成だろう。
驚いたことに定家も詠んでいる。

後鳥羽院の「ほととぎす」は新古今で、当時実朝は十歳そこらだから、
実朝の「ほととぎす」は後鳥羽院を真似たものに違いない。
「難波江の」は遠島百首なので、新古今よりも承久の乱よりも後だ。
家隆は長寿なので「なかなかに」がいつ詠まれたのかよくわからんが、
家隆は隠岐に流された後鳥羽院と親しかったし、
後鳥羽院は、

> 墨染めの袖の氷に春立ちてありしにもあらぬ眺めをぞする

> しほ風に心もいとど乱れあしのほに出でて泣けどとふ人もなし

などと言った歌も詠んでいるので、
もしかすると家隆の歌は後鳥羽院のことを詠んだのではなかろうかと、
思われるのである。

いずれにせよ俊成が最初に流行らせたものではあるが、
後世「五月雨の頃」が後鳥羽院を暗示するフレーズになったのは間違いあるまい。
後醍醐天皇ももちろんそれを知った上であのような歌を残したのだ。

しかし、こうして見ても、俊成が非常になめらかでわかりやすい歌なのに対して、
定家はひねくり回して屈折した歌であるし、
実朝は若者らしい習作であるし、
家隆は直球真ん中な歌であるし、
後鳥羽院は後鳥羽院らしく帝王調で、
後醍醐天皇は後鳥羽院とはまた違った意味で帝王調で、
じつにありありと個性が出ていて面白いなと思う。

実朝

とにかくにあればありける世にしあれば無しとてもなき世をもふるかも

あふひ草かづらにかけてちはやぶる賀茂の祭を練るや誰か子ぞ

八百よろづよもの神たちあつまれり高天の原にきき高くして

神風やあさひの宮の宮うつしかげのどかなる世にこそありけれ

端垣の久しき世よりゆふだすきかけし心は神ぞ知るらむ

ひなざかるこしの国辺にありしかば奈良の都も知らずになりにき

われのみぞ悲しとは思ふ波の寄る山の額に雪の降れれば

夕月夜おぼつかなきを雲間よりほのかに見えしそれかあらぬか

老いぬれば年の暮れゆくたびごとに我が身ひとつと思ほゆるかな

桜花咲きてむなしく散りにけり吉野の山はただ春の風

あづさ弓いそべにたてる一つ松あなつれづれげ友なしにして

道遠し腰はふたへにかがまれり杖にすがりてぞここまでもくる

歎きわび世をそむくべき方知らず吉野の奥も住みうしといへり

いづくにて世をば尽くさむ菅原や伏見の里も荒れぬといふものを

ひむがしの国にわがをれば朝日さすはこやの山のかげとなりにき

わが国のやまとしまねの神たちを今日のみそぎに手向けつるかな

身に積もる罪やいかなる罪ならむ今朝降る雪とともに消ななむ

神と言ひ仏と言ふも世の中の人の心のほかのものかは

見てのみぞおどろかれぬるぬばたまの夢かと思ひし春の残れる

空や海うみや空ともえぞわかぬ霞も浪もたちみちにつつ

はかなくて今宵明けなば行く年の思ひ出もなき春にや逢はなむ

世の中は鏡にうつるかげにあれやあるにもあらずなきにもあらず

ちぶさ吸ふまだいとけなきみどりごとともに泣きぬる年の暮かな

神風や朝日の宮の宮うつしかげのどかなる世にこそありけれ

かくてのみありてはかなき世の中を憂しとやいはむあはれとやいはむ

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母をたづぬる

物いはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかな親の子を思ふ

たづのゐる長柄の浜のはまかぜによろづ代かけて波ぞ寄すなる

今朝みれば山も霞みてひさかたの天の原より春は来にけり

黄金掘るみちのくの山にたつ民の命も知らぬ恋ひもするかも

山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふたごころわがあらめやも

なんかすげー歌。甲斐バンドのヒーローみたいだな。
ていうか実朝天才。
実朝は武家の棟梁だったから公家には忌み嫌われていて評価が低いんだな。
すげーよまじで。
万葉集をむさぼり読んだというが、その影響も見える罠。

ニートっぽい歌。

> とどめばや流れて早き年波のよどまぬ水はしがらみもなし 道助親王

> 春や来る花や咲くとも知らざりき谷の底なるむもれ木の身は 和泉式部

> 春やいにし秋やは来らむおぼつかなかげの朽ち木と世を過ぐす身は 紀貫之

> 数ならば春を知らましみ山木の深くや谷にむもれはてなむ 九条良経