ブログのタイトル

これまでけっこうあちこちでちょこちょこブログを書いてきたが、それらの記事は最終的にこの「はかもなきこと」に全部まとめている。こういうレンタルサーバーにブログを置いていると死んだとたんにサーバーごと消滅してしまうので、はてなブログなどに移しておこうと思ってた頃があったんだけど、まあそれはそれで、生きているうちはやはり自分のサーバーに置いておいたほうがカスタマイズしやすいし、人のブログもいくつか管理しているので、そんならついでに自分のブログも再開しようということになった。

「不確定申告」というのは今もはてなブログにあると思うが、それはここのバックアップのようなもの。

「はかもなきこと」は昔実名でブログを書いていたときのタイトルなのだが、その当時のブログは今検索してもまったく出てこないだろう。田中久三名義で書き始めたのは「亦不知其所終」というタイトルだったがこれは日本外史の北条時行のところで出てくる文句。「はかもなきこと」は和泉式部日記の「はかもなき夢をだに見であかしてはなにをかのちの世語りにせむ」から来ている。「はかもなきこと」「亦不知其所終」「不確定申告」いずれにしても、私はどうも否定から入るのが好きらしい。気をつけなくてはならない。ほかにも「世田谷素描」という題でブログを書いていたこともある。これも今検索してもまったく出てこないと思う。

アメリカは金利を下げるという。金利を下げるとまたしてもアメリカ人は借金して株を買うだろう。NYダウもとんでもない額になっている。金利を下げれば物価は上がり、賃金も上がり、インフレも進むだろう。貧乏人はますます借金し、ますます生活が苦しくなる。いいのかそれで。そもそもインフレになるのはアメリカの景気が良いからではなく逆で、景気が悪いからドルをどんどん刷って景気を無理やり回そうとするからで、ドル刷りすぎというのは政府、いや、中央銀行が悪い。ドルを刷るのはタダだからどんどん刷ってしまう。インフレになればなるほど貯金をしても無駄でむしろ借金したほうが得、ということになる。アメリカはもう完全に腹をくくってやっている。この借金経済というものはドルが基軸通貨であるうちは誰も損はしない。アメリカにどんどん借金が溜まっていっても、でっかい戦争があればそんなものは吹っ飛んでしまう。ただしアメリカ以外の国の通貨がとってかわって基軸通貨となったときに、アメリカは借金のせいで死ぬ。

ユーロは、EUが貧乏国をたくさん抱えているせいで信用がない。基軸通貨にはなれまい。スイスフランは安定していて高値だが、国が小さすぎて基軸通貨にはなれない。同じことはイギリスポンドや日本円にも言える。人民元は中国がもう少し腰が低くものわかりの良い国だったら今頃とっくに基軸通貨になっていたかもしれないが政治が悪すぎる。インドも人口が多いだけでまだ全然ダメ。となるとしばらくはアメリカドルでいくしかないから、案外パクス・アメリカーナはまだまだ続くのかもしれない。ただ誰もが言っているように大統領選挙のあと株がどかんと下がるってのはかなり高い確率でありえる。今のうちに売っておきたい株はいくつもあるのでそれを適当なところで売っておき、下がってから買い足す予定。私の場合特に理由がなければ100株ずつしか買わない。リスクは分散させたいからだ。一人投資信託的なやり方。下がったらナンピンして後で損しない価格で売って100株に戻す。基本的にそれしかやってない。なら最初から投資信託でいいじゃんと思うかもしれないが、他人任せなのは嫌なのだ。

何もやる気が起きないときには何もせず何も考えないのが良いのかもしれない。そうしていると無意識に脳の中が整理整頓されて、またものを考えようという気が起きてくる。それが瞑想とか悟りというものかもしれん。

飯も食わず、酒も飲まず、人とも会わず。勉強もせず。そういったものを無理につめてつめて人生を有意義にしようとするのがかえってよくないのかもしれない。

岡本太郎2

相変わらず岡本太郎を読んでる。

岡本太郎は伝統は過去のものではなく現代のものだと言っている。確かにその通り。過去の、死んだものではなく、その継承者や文化、生活とともに in vivo に保存されたものでなくてはならない。しかし、続けて言うには、

「伝統」は、もっぱら封建モラル、閉鎖的な職人ギルド制の中で、むしろ因襲的に捉えられて来ました。今日でもほとんど、アカデミックな権威の側の、地位をまもる自己防衛の道具になって、保守的な役割を果たしています。

そうした不毛なペダンチズムに対する憤りから、岡本太郎は『日本の伝統』を書いたのだという。「伝統」と言っても明治後半に作られた新造語に過ぎず、「内容も明治官僚によって急ごしらえされた」「文部省がバックアップして権威になると」「無批判に、ウムを言わさず国民に押し付けてしまう」「新しい日本の血肉に決定的な爪あとを立ててはいない」「大層に担ぎあげればあげるほど、かえって新鮮さを失い、新しい世代とは無縁になりつつある」「学者、芸術家、文化人、すべてが官僚的雰囲気の中で安住している」、要するに、東京大学文学部の亀井勝一郎、竹山道雄なんかが嫌で嫌でたまらないんだろうなってことはよくわかった。私が佐々木信綱に抱く感情に近いものがある(佐々木信綱には私が好きな歌もあるが、考え方で相容れないところも多い)。

まあよろしい。しかし

絵描きには浮世絵や雪舟よりも、ギリシャ・ローマの西洋系の伝統の方が、現実の関心になっている。

などとくると、はて、それは単に、あなたの感想ですよね、としか言いようがなくなってくる。浮世絵や、明治に入ってからの錦絵などにも、面白いものはいくらでもあるではないか。もちろん明治の錦絵や、もっと後の川瀬巴水なんかは西洋画の影響を受けたものではあるのだが。

源氏物語だとか(中略)新古今だとか俳諧だとか(中略)それよりもスタンダール、ヴァレリー、ドストエフスキー、サルトルでも、カフカでも、フォークナーでも構わない。多少のインテリなら、若い日、むしろそういうものに夢中になり、魂が開かれ、(中略)音楽でも、ベートーヴェンやショパンよりも第何世常磐津文学兵衛の方がぴんとくる、なんていう若者は珍しい

などというに至っては、それってただの西洋かぶれですよね?としか言いようがない。スタンダールも私は読んでみたが長すぎて展開が遅すぎてとても読めなかったんだが、岡本太郎は読んだことがあるのだろうか。サルトルなんてばかばかしくて読む気もおきない。三遊亭円生が落語の中で常磐津なんかをうたったりするが、常磐津がすごく好きなわけじゃないが、ああいうふうに歌えたらきっと気持ちが良いだろうなとは思う。

岡本太郎の視界には、杜甫や李白、史記、平家物語や吾妻鑑や太平記、日本外史、三国志演義、西遊記、水滸伝、紅楼夢のようなものはまったく入ってこないのだろう。彼に見えているものは伝統そのものではなく、伝統を掲げてふんぞり返っている官僚や学者、虎の威を借りる狐らの姿なのだ。トゥキディデスやクセノフォンやアリアノス、イブン・バトゥータも見えてはいるまい。

岡本太郎は、どこか書きすぎるところがある。突っ走り過ぎるところがある。面白いことを言ってるけれども、明治政府が作り出しそこに乗っかった権威主義的アカデミズムが嫌い過ぎて、そこへ自分自身の偏見と無知が加わって、いたるところで論理がねじ曲がり破綻しており、勢い、明治以前の文芸を否定し西洋を礼賛している、ように見える。しかしながらしょせん彼は言論の人ではない。評論家ではない。画家であり芸術家であるから、多少おかしなことを言っても、あーあの人は芸術家だからと見逃されているだけだ。

私もつい先日文学というものを書いたが、私が感じている近代文学のいかがわしさというものを、岡本太郎も感じているのだと思う。

装飾

岡本太郎は『日本の伝統』で

装飾性と芸術の関係は大へん複雑ですが、芸術が本質においてはたんなる装飾の反対物であることは確かでしょう。真の芸術は装飾性をおびることはできますが、けっして純粋の装飾ではなく、それを越えたものでなければならない。

装飾的絵画では、意がみちてそれを越えたばあいはよい。しかし一つまちがえば平板なデコレーションに堕し、無内容な非芸術におちいってしまう危険性をいつもはらんでいる

などと言っている。しかしながら岸田劉生は『想像と装飾の美』において

美術というものは元来人間の想像の華(はな)である。その根本は装飾の意志本能にある。美術とは世界の装飾にあるともいえる。美は外界にはない、人間の心の衷(うち)にある。それが外界の形象をかりて表われると自然の美となりその表現が写実となる。それが外界の形をかりずにすなおにじかに内からうねり出て来たものが、装飾美術になる。

と言っている。ここでまず注意せねばならぬのは、岸田劉生は美術における写実と装飾を対比させているのに対して、岡本太郎は、美術の本質は装飾を超えたところにあるべきだ、と主張しているところだ。岡本太郎は写実と装飾の間の緊張関係などというもの、つまり写実などというものには何の関心もないように思える。

岸田劉生は洋画も描き、自ら日本画も描いてみて、日本画で写実を追求するのは無意味である、日本画の本質は装飾にある、美術とは世界を装飾することであり、装飾とは人の心の中にあるものだと言っている。尾形光琳や岸田劉生の境地に至れば、装飾もまた芸術であるということについて、岡本太郎は反対するわけではあるまい。

岡本太郎は「デーモニッシュな緊迫感こそ芸術の内容」であるといっている。それはそうであろう。伝統美術にもデーモニッシュな緊迫感は必要だ。世の中には伝統美術をただ継承し墨守し、「単なる装飾」「平板なデコレーション」にしてしまう人が多い傾向がある、それはそうとして、伝統美術が本来、悪魔的な何かを欠いているわけではない。装飾的でない写実的な絵画であろうと、抽象画であろうと、現代美術であろうと、前衛芸術であろうと、意が満ちておらず、デーモニッシュな緊迫感を欠いておれば、平板なデコレーションに堕し、無内容な非芸術におちいってしまうのは同じことではないか。そこを分けるのは伝統と前衛の違いではないはずだ。世の中には無内容で非芸術な現代アートだっていくらでもある(LEDでただピカピカ光るだけのインスタレーションとか、都庁なんかに投影したプロジェクションマッピングとか)。伝統芸術以上にデーモニッシュな現代アートを見つけるほうがむしろ難しいほどではあるまいか。

岸田劉生のアートは過去との連続性でできている。一方で岡本太郎は過去を切り捨て、過去に価値を見ないことでそこからアートというものを定義付けようと企んでいるように見える。明らかに岸田劉生のほうが無理がなく自然であり、岡本太郎のほうは強引で、決めつけで、いたるところで論理が破綻しているように見える。

岡本太郎

近頃の twitter はほんとうにもう見るのも嫌だ。特定のアカウントを巡回し、思いついたことをメモしたり写真を載せたりするだけにして、まとまった文章はこちらに書こうと思う。

一年のうちで三月と八月はとくに気力が萎えるので、そのせいもだいぶあるとは思うが、なんというかもうまったくやる気が出ないし、生きている張り合いがない。思うに私の場合、本を書いている間は、すごい本を書いて世の中に残すぞーと、気が張っていて、生きているという充実感があるのかもしれない。しかし原稿が出来上がり、校正する余地ももうほとんどないとなると、急にやることがなくなって、これから何をやればいいんだろうという喪失感でいっぱいになってしまうらしい。

もちろん実際に本が出て、良いとか悪いとか、人の評判を聞きたいとは思うが、しかしそれ自体がもう少し長生きしたいなとか、人生って楽しいなという風にはならず、じゃあもう本も書き終えたことだしあとはできるだけ苦しまずに死にたいななどと気分になりがち。

岡本太郎は両親がともに文人であったからあのように文章が書けたのであろうし、また彼の書いたものを出版してくれるツテにも困らなかったのだろう。岡本太郎という人を見ていると、アートとは煎じ詰めるところアートビジネスのことなのだなと改めて思わされる。日本のマスコミにしても、ゴッホやピカソのようなアーティストが日本にも欲しい、ではだれをそのシンボルとして奉るかと物色したところ、一番手ごろなキャラクターだったのが岡本太郎だった、ということではないか。彼の作品に目立つもの、奇抜なものはあるけれども、ではもし彼が大阪万博で太陽の塔の制作を任されていなかったら、今どれくらいの人が彼を覚えているだろうか。彼が太陽の塔を作ったのは、一部は実力であろうが、アート業界におけるコネとか出版社や新聞社やテレビへの露出のおかげというところが大きかったはずだ。

実際私が岡本太郎の作品でレプリカなりなんなり所有したり飾ったりしたいかと言えば、それほど魅力的なものはない。そもそも私はピカソが好きではないし、現代美術、前衛芸術にも関心がない。私が絵葉書を買ってみたり、額装して壁にかけたりする絵といえばレンブラントくらいしかない。レンブラントと岡本太郎はまったく真逆の作家だ。

戦前、旧秩序を擁護した朝日新聞は、戦後、旧秩序をぶっ壊す側に回って保身を図らねばならなかった。そうした状況で岡本太郎はちょうどよいアイコンだったのではなかろうか。

岡本太郎が亀井勝一郎、竹山道雄など学者の文章をこきおろしているところがあるが、これとても一種のヤラセであろう。ほんとうに日本のタブーに触れるのであれば出版社や編集者がそういう文章を世の中に出すはずがない。竹山道雄は、斑鳩の里や法隆寺は美しいが駅前のパチンコ屋は汚いなどというどうでも良い話をしている。そんなことをわざわざ文章にすることになんの意味があるのか。情報量ゼロではないか。そして岡本太郎のように、そんな文章をわざわざ批評することにも意味はないのである。岡本太郎は竹山道雄の文章は美文ではあろうが美そのものではないという。そりゃそうだろう。世の中には情報量ゼロの美文をありがたがる人がたくさんいる。それに比べて、最初は汚くみっともなく見えたゴッホやピカソのほうが現代ではより広く世の中に受け入れられている。それはその通りに違いない。

また、小林秀雄が押し入れから骨董品を岡本太郎の前に次々にもち出してきて目利きを試すという話があって、小林秀雄という人はそうやってちまちまと骨董品を蒐集し人にみせびらかすような人であったのかと、しかも骨董品の鑑定というものに対してひどく臆病な人であった(骨董趣味の人はしばしばそうだが)ことがわかり、これはこれで面白いエピソードだけど、そこで岡本太郎が言うのは、経験で鑑定するのでない、玄人は知り過ぎている。素人のほうが批評はうまいはずだ、などと言っていて、そういうこともあるかもしれないが、そうではないこともあるかもしれないとしかいいようがない。ほんとうであるとも嘘であるとも証明できないことを延々と書く。芸術家の文章にはありがちではなかろうか。

岡本太郎は芸術と芸を分けたがる人で、彼の定義によれば、芸とは芸能とか技能のようなもので、伝統的な様式美をとにかく守るものであり、一方で、芸術とはそうした家元とか伝統とは関係なしに若者がいきなり作り出すものである、などと言っている。別にそう言いたければそういえばよかろう。この定義は、岡本太郎やピカソやゴッホには当てはまるけれども、世の中はすべてが前衛芸術でできているわけではない。そんなことは岡本太郎自身承知しているわけだが。

彼は技術と技能の違いについても書いている。技術はひたすら未来に向かって進歩していくが、技能は逆に後ろ向きで、伝統を墨守するのだと。そうかもしれない。だが、技術と技能は真逆のものであり、相容れないものだ、とは私は思っていない。和歌を詠んでいればわかることだ。彼は法隆寺が焼けたのであれば自分が法隆寺になれば良い、古典はその時代のモダンアート、などという。まさにそれであって、古いものを残し尊重しつつ、自らも新しいものを作ることが大事なのだ。古いものと新しいものを区別することは(やりようによってはしばしば)害悪でもある。戦前と戦後、江戸時代までと近代で線引きして一方は良く他方は悪いという、いわゆる二分法で書かれた主張は、わかりやすいだけでたいてい間違っている。

彼が室町や江戸時代の文芸、美術について書いている箇所があるけれども、やはりよくわかってない、というよりかなり雑な知識しかない。そりゃそうだろう。知識や経験があってはいけないと言ったとたんに室町時代の芸術はほとんどすべてわからなくなる。アフリカやポリネシアの原住民が彫った彫刻とか、文字がなかった縄文時代や弥生時代の土偶や埴輪とは違うのだ。文字は読んで理解しなくてはならない。

正しいのか正しくないのか確かめることもせず、本人が実際に書いものを直接読まずにその人を批評する人が非常に多いので、岡本太郎のやり方考え方は非常に危険だと思う。文芸に関していえば、ちゃんと読まなくてはならない、徹底して読まなくてはならない、それはいわゆる世の中の芸術鑑賞とは違う、それが文芸の本質だ。

世阿弥が優れていると岡本太郎は言っているがではあなたはどれくらい世阿弥を読んで理解しているのか。世阿弥と世阿弥以外はどう違うのか、自分で読んでいなくては説明できないはずだ。現代美術には詳しく、一方古典芸能については雑な式しかなく、その上で現代美術は優れていて古典芸能はだめだというのでは説得力がまるでない。

岡本太郎は伝統芸能を批判し、本居宣長も古今伝授をさんざんに攻撃する。私も宣長につられて古今伝授を批判し、それで和歌を擁護したつもりになったりもしたのだが、そういうつまらない伝統やしきたりを目の敵にしてもあまり意味はない、少なくとも、時間を費やして文章にしたり、ましてやそれを出版する必要はないと思えてきた。別に私がやらなくても岡本太郎が書いていることを、わざわざ私が書く必要はない。みんなどこかで読んで知っていることだから。ほんとうに自分だけが気付いたことを書けば十分だ。

去年のこの辺りから岡本太郎の文章を読み始めたようだ。リンクを貼っておく。この頃から既に生きているのが楽しくないなどと言っているようだ。面白いね。おんなじことを何度も何度も書いているのは年寄だから仕方ないということにしておこう。