最終〆切

今書いている本は去年の今頃に話が出て、1か月くらいで書いたものをさらに1年くらい推敲してきたもので、ほんとに出版してくれるのかどうか半信半疑ながらも、紙の本で出せなきゃ KDP で出せばいいやというくらいの気楽な気持ちで、ともかく自分がどこまでモノを書けるのかという限界を見極めようというようなつもりで、文章の密度と完成度を高めてきた。

これは要するに、虚構の歌人藤原定家や、読めば読むほどわからなくなる本居宣長の延長線上にあるものなのだが、今回は単著実名で出す初めての本となる。もちろんそんなに出したきゃ自費出版でもなんでもよかったわけだが、今後また本を書く機会があるかどうかはともかくとして59年の人生を締めくくる内容になっている、私という人間がこの世に残していく記念碑となる本になると思っている。

おそらくどんなに遅れても年内には出るだろう。そろそろ脱稿しないとメンタルがもたない。というか今日がその最終〆切のつもりなのだが。31字の和歌を詠むのと同じ気合で20万字の文章を書くのは物理的に、分量的に不可能だ。しかし推敲に1年かければそれに近いことはできる。できるけれども精神的負担はものすごくでかい。今はもうしばらく休みたい。しかし生きるということ自体メンタルがもたなくなってきている。仕事もそうだし持病もそうだし、年を取ると飯を食うにも酒を飲むにしても、何もかも面白くなくなる。書くと言うことも今回やりつくした感があって、しばらくやりたくない気分だ。

いまさら何か新しいことに手を出してあれこれ試行錯誤しても、人生あと20年で終わるんかと思えば、腰を据えてやる気にもならんし、今までやってきたことを整理するだけであと20年くらいはあっという間に過ぎるのではないかと思っている。

読めば読むほどわからなくなる本居宣長で書きたかったことはほぼ書いたと思う。宣長の本ではないので、宣長についてまだ全然まとめておきたいことはあるんだけど、宣長単独の本なんて誰も読まない(というか理解できない)ってことはわかりきっているんで、書きたいことは書いたからいいやと思っている。今回樋口一葉についてもかなり書いたんだが、これまた、じゃあ樋口一葉で一冊書くかといわれると、とにかく今は疲れていて、当分考えたくもないというか、本を書くためにあれこれ読んだり、これ以上勉強するのがおっくうになってる。とにかく本を書くのに疲れた。

バブル

まだまだ上がるアメリカ株という記事を以前に書いたのだが、雇用統計も悪く失業者は増え、貧乏人はどんどん借金漬けになって行き、物価も高止まりして上がることはあっても下がることはないのだが、株価は相変わらず上がっている。

つまり株を買うような連中は別に何にも困ってなくて逆にますます収入があって、余った金を投資しなきゃならないからさらに株を買う、という循環になっているのではないか。ここで慌ててブレーキをかけて金融引き締めしたり利下げしたりすると景気が冷え込む。そうした政府の政策のせいでリセッションが起こる。逆に、貧乏人を犠牲にしてますます借金漬けにして景気を過熱させれば、最悪でもソフトランディングで済む、とアメリカ政府は考えているのではなかろうか。経験則で言えばそういう結論にならざるを得ないだろう。

国民全体の福祉とか考えちゃいない。日々の生活にも困る路上生活者があふれてもかまわない。格差社会になっても構わない。それよりか、ともかく景気を冷やすのが一番悪手である。すがすがしいまでにそう開き直っているようにみえる。アメリカって結局、一部の軍事産業か国際企業ががーっと儲けて、貧民はそのおこぼれで生きていく、という社会なんだろう。

景気を冷やさないためには治安が悪化しようとかまわずどんどん移民を受け入れ、貧乏人に借金させなきゃならない。なに、アメリカの一部がスラム化しても全体として健全ならそれでいい。もちろん金持ちも借金しまくって、キャリートレードで利ザヤを稼げばそれで良い。経済を回すには借金しかない。アメリカ人はみんなそう思ってるフシがある。明らかにバブルなんだが、これまでいろんなバブルを経験して、日本のバブルも観察して、中国のバブルも観察して、それで自分たちだけはうまく立ち回れると思っているのではなかろうか。

つまりアメリカはついにバブルをつぶさないコツをつかんだのかもしれない。それは、いくら失業者が増えようと、景気が落ち込まない限りにおいては、貧乏人にはどんどん借金をさせ、破産させ、会社は倒産させる。そうすれば金持ちは安心してどんどん借金して株や不動産を買って、運用するから社会は回っていく。日本みたいに総量規制なんかして急ブレーキを踏むからいけない。ブレーキは絶対踏んではいけない。それが国家経営の極意なのだ。

自民党

自民党が派閥解消して総裁選をやり、パーティー券を売るのもやめるという。これはもはや自民党とは言えないのではないか。自民党はもともと連立政権が一つの政党になったもので、政党内政党、つまり派閥を持つことを前提として成り立っている政党だったはずだ。麻生が派閥を肯定したのは当然だ。しかし岸田は派閥をぶっ壊して逃げた。

派閥無しでガチンコで総裁を選んで総理大臣を出したとして、その総裁のもとに自民党がまとまるという保証はあるのか。

政党政治というものはもともと派閥政治である。派閥を否定するのであれば、自民党は普通の政党の集合体になるしかないのではないか。

私は今みたいな寄り合い所帯が長期独裁政権を続けるよりは、派閥ごとに政党を組み、場合によってそれらのいくつかが連立政権を立てる、というやり方のほうが良いと思う。岸田はそこまでの考えがあって今回の挙に出たのだろうか。

自民党は長く続きすぎてあまりにもつまらなくなった。ネトウヨ政党はちょっと面白いだけでまるでまとまりがなく、政党をどうやって運営していくかということがまったく手についてない。そろそろまともな政党が出てきてほしいものだが、どうなることか。

たけくらべ

樋口一葉のたけくらべとか幸田露伴と森鴎外がたけくらべを批評した「三人冗語」などを読んでいるのだが、確かにたけくらべは面白いといえば面白いのだが、最近はこういう、いわゆるジュヴナイルな小説というものはいくらでもあるので、当時どのくらい珍しくて新鮮な衝撃だったかというのがわからない。

話はおそらくは逆で、樋口一葉のたけくらべから、筒井康隆のジュヴナイル小説やら少女漫画などが生まれてきて、感覚がマヒしてしまっていて、それで今たけくらべを見ても何も目新しさを感じないのだと思う。あとやはり文体が古すぎるのも現代人にピンとこない要因だ。

樋口一葉研究の第一人者と言われる塩田良平の解説なども読んだのだが、なんだか異様に決めつけが多いように思う。半井桃水と一葉の関係とか、なんとかかんとか。

ピッチアクセント

ゆうだい先生の「ピッチアクセント」の動画を見たのだが、日本語にはもともとアクセントとかイントネーションというものがなかったのだが、なぜか平安時代の京都にいきなりピッチアクセントというものが生まれて、それが日本各地に広まっていったのだという。

思うに、平安時代かあるいは奈良時代の後期に、中国語の四声というものが、漢字の音読みとともに日本に渡ってきたのではなかろうか。最初の頃は漢字の四声も含めて律儀に発音していて、それがじんわり大和言葉の発音にも影響を与えて、つまり、漢語と大和言葉を混ぜて話しているうちに全体にアクセントというものができてしまったのではないか。

アクセントのあるしゃべり方をしていたのはおそらく日本人ではなく、百済人などの渡来人だったのではないか。そのうちに漢字の四声は忘れられ、日本語のピッチアクセントだけが残った、というのはどうだろうか。

まだまだ上がるアメリカの株

アメリカの株がまだまだあがり続けそうなのは驚きだが、要するにアメリカでは借金や貧乏人が急速に増えつつあるけれども一方で金持ちが金を持て余していて、そのやり場に困って結局株を買ったり、金を買ったり、不動産を買ったり、仮想通貨を買ったりしているのだろう。それで消費が落ち込み、失業者が多少増えたとしても金利は高止まり、インフレが継続している。貧乏人にどんどん金を貸して家を建てさせて経済を膨らませ回している。恐ろしい国だ。いずれにしても消費が減速しない限りインフレは止まらない。止まった時が見ものだが、こういうふうに貧富の差が開きまくっても国というものは案外安泰なのかもしれないな。

薬飲み忘れ

つい最近、コロナだった、とか風邪ひいた、とか言う記事を書いたのだが、どうもこの時期薬をだいぶ飲み忘れていたらしくて、それで先週の検査で心房細動が出てしまったようなのだ。それでいつもより少し多めにアミオダロンを飲むようにした。

そしたら心房細動も収まってきたように思うが、まあまだよくはわからん。

来月2回また病院に行くのでそのとき止まってたら薬の飲み忘れのせいだとみてよいのではないか。

結局私の持病の拡張性心筋症なんだけど、心臓が膨らむことによって心房細動がおき、心房細動が起きることによってさらに心臓が膨らむという悪循環を起こす。この拡張性心筋症にかかる原因は結局わかってないらしく、運が悪いとしかいいようがない。酒を飲んだり飲まなかったり、運動をしたり、ストレスのせいだったりとか、そういうことはあんまり関係ないように思う。

で、アミオダロンという薬がこの特効薬なのだが飲み過ぎると私の場合甲状腺がいかれポンチになることがわかっているので、あまり量は増やせない。だから、飲み忘れの無いように毎日コツコツ飲むしかない。

このアミオダロンの成分は脂肪に蓄積されるらしいので、飲み忘れてしばらく経ってから影響が出るのかもしれない。

ま、ともかく、いつ何があって何をしたか記録しておくためにも、このブログは自分のためにもこまめに記しておいたほうがよい、という気がしてきた。

アミオダロンを1日2錠飲んでいたら甲状腺がやられて1日1錠に減らしたら心房細動が出っぱなしになるようになったので、2020年2月にアブレーションの手術をした。そしたらそれ以後心房細動が出ないようになった。それがこの7月になってまた出たので焦ってしまった。この頃の日記はなくて、twitterに若干記録が残っているのだが、やはりブログはきちんと書くべきだなあと思う。特に私のように持病をもっている人間は。

ここのBNP上昇というところでも薬飲み忘れなどと言っている。ここで出てくるアンカロンというのはアミオダロンと同じ。私は結局このアミオダロンという毒薬によって命をつないでいるのだなあ。

塵中日記

樋口一葉の父は甲斐国から江戸に駆け落ちしてきた幕臣の息子であったらしい。甲府藩はもともと徳川宗家が治めていたがのちに幕府直轄領となり、江戸であぶれた幕臣が左遷されるようなところであった。ということは樋口家ももともとさほど身分の高い幕臣ではなかっただろう。駆け落ちしたかったということもあっただろうが、辛気臭い甲府を出て華やかな江戸時代末期の町人文化が花開いた江戸に出たいという気持ちが強かったのではないか。

一葉の父、樋口則義はいろいろ周旋して同心株を買って町奉行所の同心になったという。町奉行所には奉行がいて、与力がいて、同心がいて、その下に岡っ引きがいるわけで、おそらく則義のような仕事をこなしつつやっと同心に取り立てられたということだろう。となると、一応は、銭形平次や八五郎よりは身分は上で、最下級ではあるものの徳川宗家直参の武士ということになる。

与力といえば大塩平八郎が有名だが、与力ともなれば200石扶持、300坪程度の屋敷を与えられるからいっぱしの御殿様だ。

同心はそれよりか少し格下で30俵2人扶持だが100坪、つまり300m2程度の屋敷を与えられていた。

ところが幕府が瓦解して、父は死に、一葉一家は住む家にも困ることとなる。典型的な没落士族といった図だ。この頃一葉が書いた「塵中日記」を読むと、非常に狭い棟割長屋のようなところに親子三人で住んでいる。そうしてそういう境遇から抜け出せないままに24才で死んでしまうのだから、なんともかわいそうな人だ。

塵中日記は文章もわかりやすく読みやすいし、歌も面白い。近所に住む女郎連中に手紙の代筆を頼まれたりしている。

首長の資格、民意の反映

雑な議論に書いたことの繰り返しになるが、ゼレンスキーだってもとはお笑いタレントだし、小池百合子も蓮舫もテレビタレントだし、青島幸男も横山ノックもそうだし、ロナルド・レーガンもシュワルツェネッガーもみんなそうだ。テレビに出て顔と名前を売らないことにはそもそも選挙に勝つことができない。政治的手腕なんてものは後付けにすぎぬ。

ゼレンスキーにしても、個人の勇気や決断というものはもちろんあっただろうが、彼を神輿に担いでロシアに一泡ふかせてやろうというやつらが大勢集まって金を出し合ったからあれほどのことができたのだ。ゼレンスキーと小池百合子に何の違いもないということは、じゃあ小池百合子でもいいんじゃんということになる。

要するに政治家というのはフロントエンドに過ぎず、バックヤードの有象無象が権力と金と人を動かして、その結果組織票を集めて、見た目、民意が反映されたというお墨付きを得ているだけなのだ。それは民意のようで民意でもなんでもない。民意などというものは浅はかで頼りにならぬもので、そもそも存在しているかどうかすらあやしい。匙加減しだいでどうとでもなる。株価の操作にしても似たようなものだろう。株式会社というものは経営の民主化のように言われているが実際には一部の資産家が結託して上げ下げしているのだろう。もちろん番狂わせのようなことや、予想以外の展開というものもあるのだろうが、だいたいは操縦可能なように、民衆は普段から飼い慣らされている。

私は町の立ち飲み屋で飲むとき客どうしの話をそれとなく聞いたりするが、どいつもこいつもみんな踊らされている。彼らの人生と都知事と何の関係があるのか。まったく無縁無関係のことになんであれほど、酒のつまみ替わりとはいえグダグダと議論するのだろう。実に不思議だ。ツイッターでは、話の向きは逆のことが多いが、踊らさされているという意味では同じだ。何かしらに踊らされて踊るように民衆は子供のころから調教されている。

首長なんて飾りで誰がなっても同じだとか、何もしない首長が良い首長だとかいうのはもっともだが、神輿のてっぺんに鳳凰の飾りが乗ってるように、飾りは飾りとして人目について機能しなくてはならんので、ランダムに無名の人を選んでは大衆が納得しないから、なんかもっともらしい学歴とか業績をくっつけて、結局タレント政治家が生まれるという仕掛けになっている。所詮選挙など売名行為以外の何物でもないのだ。

前にも書いたが選挙の結果みんなが納得して政治が安定して回るなら裏で何が行われていようと、民意が捏造されていようと、そりゃそれでいいのかもしれない。人がみなものわかりが悪くて暴動を起こして店を燃やしたり、監獄を襲撃したり国王をギロチンにかけたりするよりかずっとまし、という考え方もある。実際、選挙やってれば人民は納得して実力行使に走りにくいというのであれば、あいつらそれで気が済むんならやっときゃいいんじゃんという流れになるしかない。

しかしまた、民意なんてものが巧妙に仕立てられたヤラセに過ぎず、何の根拠もないのであれば、民意を(表向きは)無視した徳川幕府や足利幕府のような専制支配と本質的には何も違わぬということにならんか。徳川は足利を悪政と叩き、薩長は徳川を悪政と叩いたが、はたしてそんなに悪い政治だったのだろうか。今の政治のほうが良いという根拠はなんだろうか。ただの幻想ではないか。

帯状疱疹

私は2014年に帯状疱疹にかかっているので、コロナワクチンとは関係ない。

帯状疱疹の発症が増えているというが、昔は帯状疱疹と診断されることが少なかっただけではないのか。或いは昔は皮膚科が少なかったとか?

また帯状疱疹は50才以上の年寄りがかかるものなので高齢化すれば当然発症者は増えるよな。