立花隆面白すぎ。

> 050805: 小泉首相は、解散総選挙になったら、自分が勝利すると思っているらしいが(前に述べたように、その上、大勝利したあげく自分が自民党総裁任期を延長できると思っているらしいが)、あらゆる指標が示すところ、その可能性はほとんどない。小泉首相は郵政法案で討ち死にという結果に終わる可能性のほうがはるかに大である。

> 050810: それがどのような展開をたどるか、いまのところ、まるで予測がつかないし、予測しても外れること必至だろうが、私はこの解散にいたる最後の場面での小泉首相の言動を見ていて、小泉首相の覚悟のようなものが見えてきたような気がする。

> 050818: 選挙の結果が、民主党の勝ち(あるいは伯仲)とでれば別だが、自公連立与党の勝利と出れば、小泉政権の基盤は磐石のものとなる。旧体制はほとんどなくなったも同然となり、自民党は「小泉党」になってしまうだろう。

「あらゆる指標が示すところ、その可能性はほとんどない。」が一週間後には「自公連立与党の勝利と出れば、小泉政権の基盤は磐石のものとなる。」だよ。
こんなんでよけりゃ飲み屋のオヤジでも評論家になれるぜ。
なんだよその「あらゆる指標」って。
自分の脳内指標か。

マスコミもあわてて輿論調査してみると小泉支持率が意外に伸びてびっくり仰天。
アホかと。
この国は、昔から小中高の教員は日教組に染まった偏向教育、マスコミも偏向報道。
プリンセスプリンプリンは革命思想、歌声喫茶は共産思想(笑)。
しかし選挙をやれば必ず自民党が勝つ。
なんでかと誰も怪しまない。
世の中そんなもんだ、ってどんなもんだよ。
説明も何もできやしない。
近頃は日本もやっとまともになってきたのだろう。
マスコミや評論家の予想が当たらなくても何も驚くに足りぬ。

最近音楽DVDをけっこう見る。

まずはブリトニー。
ブリトニーって日本で言えば、えーっと、浜崎あゆみってところ?
普通の映像作品に比べて完成度と金と手間のかけ方が全然違うなーと思いながら見てた。
それから、甲斐バンドとアルフィー。
少し泣けた。
「テレフォン・ノイローゼ」「LADY」「きんぽうげ」「氷のくちびる」「ちんぴら」「杏奈」「ヒーロー」甲斐バンド最高ー。
まじでかっこいー。

「スターシップ」「メリー・アン」「星空のディスタンス」「雨の日はアンブレラ(シンデレラは眠れない)」あー。
懐かしいー。
アルフィーは高校生の頃はなんて軽薄なバンドかと思っていたが、今聞くと何もかも懐かしい。

音楽DVDってもっと出てても良い気がするのだな。
CDに比べて少なすぎる。

公務員や天下り。

うちの実家もそうとう田舎な方だと思うが、特定郵便局とか簡易郵便局しかないというような田舎じゃない。
そういうところに長期暮らしたこともないのでピンとこないけど、超田舎の利便性を維持するために都会暮らしの私らが税金をよけいに払う必要があるのかということでしょう。
田舎が不便なのは当たり前、都会が便利なのも当たり前、当たり前なのが嫌な連中が政治的に解決しようとしてるだけじゃないのか。
こういうのはとっとと国会解散総選挙して民意を問えば良いだけのこと。
圧倒的多数がなんらかの形で都会暮らしをしているのだから、選挙に負けるはずがないと思うが。
なんか問題あるのかなあ。

まああれだな。
この際、公明党との連立解消。
反対議員は公認しない。
その代わり大量に新人を立候補させる。
もし小泉政権が本当に国民の支持を受けていて、そこまで徹底してやるなら、選挙圧勝・単独過半数実現するよ。
まー、どうなるかは知らんがなー。

政治の空白を作って何の得があるのか、と。
空白どころでない、今ほど政治の密度の高いときはないよ。
私がまだ子供の頃にくらべて今は政治が活発で内容が濃くてうらやましいよ。
解散総選挙で真っ向勝負なんておもしろいじゃないの。
今解散すれば負けるからとか今連立解消すると政権を失うとか党が分裂するとか、そんなせこいことばっか言っててもう何十年ですか。

ラジオってこういうときは便利だな。
一人一人がしゃべりたいだけしゃべってるよ。
「血で血を洗う戦い」か、おもしれーじゃねーかもっとやれやれ。
ついでに参議院もなくして議員を半分に減らそうぜ。

こんだけ大きな変動には、自民党同様マスコミも周到狼狽、対応できず、思惑や予想がまるきりはずれ、老婆は老婆心を裏切られ、「世の中そんなもんじゃない」が口癖のおじさんもメンツをつぶし、すっかり信用を失うというのをひそかに期待しているのだが。

自民党は2001年に賞味期限が切れたはずだった。
もー小渕とか森とか超勘弁という雰囲気だった。
しかし小泉首相が出てきたもんだから、まあもうちょっと自民党で様子見るかと。
郵政民営化とか言ってるし、お手並み拝見というところだったわけだ。
で、竹中とか猪瀬とかブレインに使ってるし。
なかなかいい感じだったわけだが。
そのうち自民党の中でもう小泉嫌だ昔の自民党に戻りたいとか言う奴らが出てきたわけです。
細川とか土井とかなら数年でぼろだして自滅してたけど、小泉首相はなかなかそうもいかない。
業を煮やして、おいおいそろそろ古き良き村社会だったころの日本に戻ろうぜと談合しました。
小泉首相の方でもそろそろじり貧で長くはないなと思ったから一気に勝負に出たんでしょうな。

小泉首相も首相になったばかりのときは、郵政民営化どうするかと聞かれて、いやすぐにどうということはなく、じっくりやりますと答えた。
そう覚えているのだが、彼が首相になったときにもう今の状況がくるのは決まってたんだなーと思うよ。
なにしろ自民党は族議員の巣窟、図体でかいだけの寄り合い所帯だからのー。
小泉改革というて最後は必ず身内どうしの喧嘩沙汰になるしかなかっただろうよ。

ていうかもし民主党が郵政民営化に賛成してたら、小泉無き後の民主党に一度は政権持たせてもいいかなと思ったが。
話にならないな。
まー私が一票投じたからどうこうなるというわけではないのだがなー。

マスコミもこう世論がまっぷたつに割れてしまうと、支離滅裂でどうもこうもならん。
自分の意見をばしっと言う習慣がないもんだから、いろんなやつの意見や街頭インタビューを並列に報道するのみ。
要するに何も判断できないんだな。

今まで天下りとか談合とか既得権益でやってきたものを、いきなりやめろと言われればいくら悪いこととはいえ怒るだろう。
郵政だけではなく、国や地方自治体から給料もらってる連中はみんな戦々恐々としているだろう。
多少とも関係のある人間は日本人全体の1割から2割はいて、そいつらが明日は我が身と抵抗してるわけだ。
そもそも公務員は己を捨てて国に奉仕しようと思って公務員になっているわけでない。
いろんな思惑で国や地方自治体から給料もらって生計を立てる生き方を選んだだけだ。
特に猪瀬直樹は危険な感じがする。
もうちょっとものには言いようがあるだろうと思うが。
恨みを買って最初に刺されるのは小泉首相というより猪瀬直樹のほうではないか。

国のためを思って解散したのか個人の意地で解散したかなんてことはどうでもよいことで、公務員とか政治家は利己的に動くのが当然で、国のために滅私奉公しなくては治まらんというのでは近代国家のシステムとは言わんだろう。

トトロ中国語字幕

相変わらずジブリを見ている。
火垂るの墓は見れない。
これは苦痛だ。
トトロはもともと持ってるからしょっちゅう見ているが、中国語の字幕冒頭の歌詞だが、

走!走!走!(歩こう歩こう)
精神好!(私は元気)
我最喜歓走路(歩くの大好き)
一直向前走(どんどん行こう)

なんか中国共産党の行進曲のようだ。

私はタレント嫌いなので、声優は知らない人の方が当たり障りなくて良い。

ひたすらジブリ見る。

「海がきこえる」氷室冴子原作来ター。うわー。高知。宮崎駿臭がほとんどない。
ていうかこれなぜ実写でやらないのか。
普通はこういう少女漫画を実写で映画化するとずっと楽なところを敢えてアニメでやった、
というのが売りなのか。
ていうか実写でやるとビーバップハイスクールとかごくせんとかになっちゃうのが嫌なのか、
というよりはアイコ十六歳か時をかける少女か(笑)。
まーそういうところはあるかもな。
実写だと役者や監督が好き勝手やって手垢のついた学園ドラマになってしまう。
それはどうしても避けたいだろうアニメファンとしてはなー。

「耳をすませば」柊あおい原作。京王線聖蹟桜ヶ丘。
なんか多摩の団地に異様な執着があるのかジブリ。
宮崎駿が絵コンテ描いてるせいかかなり絵的に動き的に宮崎駿的。

しかしまあ少女漫画は見てて恥ずかしい。
氷室冴子はさすがにすごいね。
需要は一部にあるのかもしれん…ジブリとか宮崎駿と関係なしに。
オトコノコが士郎正宗原作が好きなようにね。

Kiki’s Delivery Service Disney日本語字幕版見たりとか。
おもろいな。

ステレオタイプ

世の中はステレオタイプに満ちあふれているが、ステレオタイプのすべてが偏見であり邪悪なものであるわけでなく、むしろステレオタイプの多くは社会的に意味があって不可欠なものだ。
ステレオタイプとはつまり社会的常識ということであり、その多くは単に人間社会が勝手に決めた決まり事や架空の宗教的イデオロギー的な産物ばかりでなく、生物学的解剖学的根拠に基づく正当で良心的なものも多く含まれる。
信号機の青が進めで赤が止まれというのもそうだ。
ステレオタイプはいちいちその功罪を論じ、悪しきものはなくして行かなければならないというのは、それ自体が「ステレオタイプ」である。
多くのステレオタイプはわざわざ気づかせる必要もない。
常識の存在にいちいち気づかないと前に進めないようではまともに社会生活ができない。
ジェンダーの問題に取り組む人たちがほとんどすべて女性であり、その発想がきわめて「女性的」であるのに本人たちはその「ステレオタイプ」に気づいてないか、気づいていても故意に避けているように見える。

ジブリ

鉄道オタクはほとんど男だ。
男の子供というのは凶暴で乱暴だ。
自分の子供を観察するだけでも明らかに教育とか体験の結果ではなく性差というものは存在すると思う。
鉄道好きの親がいるから鉄道を好きになるのでもないし、
乱暴ものの親がいるから暴力をふるうわけでもない。
攻撃性や破壊衝動や嫉妬心や反抗心や独占欲などいうものは生まれつきそなわっていると言わざるを得ない。
普通に観察していれば明らかだと思うのだが。

わけあってジブリ作品をいろいろ見る。
今まで見たやつも、見なかった「おもひでぽろぽろ」とかも全部通して見る。

おもひでぽろぽろの主演声優は今井美樹と柳葉敏郎なんだが、
アニメじゃなくてそのまま実写でやりゃいいじゃんと思わなくもない。
普通は実写だったり純文学だったりするところをわざとセルアニメ化しておもしろがってるところがある。
そういう意味では一種の実験映像といえるかもしれん。

こういうものを商業アニメとして出してしまえるところが、
実はジブリの恐ろしいところなのかもしれないと思う。
退屈きわまりないが駄作ではない。
そういう意味では人気は高いが駄作ばかり作っている某とかに比べればはるかにましだと思う。
農村回帰というテーマを1991年にジブリブランドでやったことの意義はもしかすると大きいのかもしれない。
二ノ宮知子「グリーン」や今やってるダッシュ村など。
こんなの全部同工異曲でしょう。

同じジブリでも時代と作品によって動きが古くさかったりCG使ったりとか、
そういうこと考えながら見てると、
まだまだいくらでも見落としがあるなあと思いながら見てる。

「おもひでぽろぽろ」はガロに連載された漫画のアニメ化で、
原著が岡本螢、絵が刀根夕子、岡本螢は東京生まれで日芸出身。
うーむ。ガロかぁ(笑)。
じゃ、次は辛酸なめ子「にがよもぎ」か「千年王国」でよろしく。
失踪日記でもいいよ。ていうかやりかねんな「となりの山田くん」すらやったわけだから。
なんでもありだな。

寸暇を惜しんでぼーっとする。

「寸暇を惜しんで」の後に続く言葉はたいてい「仕事する」「趣味に励む」「英会話の勉強をする」「ゲームする」とかだろうか。
最近は寸暇を惜しんでぼーっとするという感じだが。
寸暇というものは人類数万年来役に立たない半端な時間だからぼーっとするより仕方なかったのかもしれん。
寸暇を埋めるには活字というものがあったが、今ではノートPCや携帯でけっこう遊べる。
以前は空き時間をせっせと本を読んで埋めていたが、最近はそれも頭が疲れるのでやらず、ぼーっと考え事している。

作家事務所

作家とかアーティストという人たちは、一人で制作もマネージメントもプロデュースもやる人(やりたがる人)のことのようだ。
そうでない人たちは別のカテゴリー、たとえば教員とか日曜絵描きとか変なおじさんとか、普通のデザイン事務所の人とか広告代理店の人とか、プロダクションの人とか経営者とか社長さんに分類されてしまう。
何が言いたいかというと、作家の人たちが大勢集まって作家事務所のようなもんを作ればよさそうに思えるが、それでは普通の会社になってしまうので、そんなことは彼らはやりたがらないのではないか、いつもニュートラルな位置に居たがるのが作家なのではないかという気がする。
だとすれば収益とか生産性とか効率などというものを追求したり、学会立ち上げたり、交流の場を作ろうとか、そんなよけいなお節介を焼いてもしょうがないということにならんか。

作家事務所というのは中世的に言えばギルドのこと、ギルドがさらに高度に自治組織化されたものが大学。
大学の原点は作家事務所だろう。
近代になると大学は国策によって保護され、プロイセンだと「国民大学」は学費がタダだったりした。
国力増大にあまりにも科学が有効なもんだから、科学者が優遇されまくった。

アメリカだとやや事情は違い、戦争のどさくさで国家というパトロンと癒着した一部の(私立)大学 (MITとか) が突出して巨大化していった。
教員は軍事予算によって養われたりした。

しかしいまどき Volks Schule とか国民大学などというものは時代遅れで、科学者は冷や飯食わされる時代で、商業化したり民営化していって、勢い専門学校やらカルチャースクールとなんら変わらんところまで来た。

科学者や芸術家の待遇或いは社会的地位は近世というよりは中世に戻りつつある。
個人個人で活動しているとあまりにも身分が不安定なので、自治組織を作りましょう、後継者の教育もやりましょう、副業として研究成果を社会に還元しましょう、資金調達のためにはカルチャースクールや下請けまがいのこともやりましょう、というのが本来の大学の姿で、現代でも大して逸脱してないのでないか。
そこのところを押さえておかないと、大学ってなんだということがまったくわからなくなる。
本来、国や地方自治体によって教員資格を完全にコントロールするのが小中高までの教育、自主的に組織作りも教育もするのが大学。
もし大学をなんだかんだで解体しようとしたり縛ろうとしても、研究者や作家の組合とか自治組織というものが大学以外のところに自然に生まれるだろう。
それがすなわち大学とか学会というものなのであろう。

商業主義に走ってもいかず、かといって孤立孤高の道に進むべきでもなく、自分たちの居場所を確保するために何が必要かということを考えれば、自然と募集や就職や立地など決まってくるのでないか。
そんな5年10年先のことばかり考えたり、まして来年どうしようとか今年はどうだとか考えても仕方ない。

人斬り与太

「現代やくざ 人斬り与太」「人斬り与太 狂犬三兄弟」見る。
ふと気になり調べてみると深作欣二監督作品としては「仁義なき戦い」より古い。
なるほどなーと。
主人公沖田勇こと菅原文太は1945年8月15日生という設定。
1965~1972年くらいが舞台か。