亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

03.24.2017 · Posted in 雑感

昨日、つけて初めてICDが作動した。

バスに乗ろうと走って、乗って、座っていたらいきなりキャッチボールを取り損ねたみたいな衝撃が左胸にあった。 何かぶつかったかとあたりをキョロキョロしてしまった。 たぶんICDが作動したんだと思う。

初めての経験だった。この5年間、一度も作動しなかった。 ICDが作動すると気絶するとか倒れるとか言われていたのだが、私の場合全然正気だった。 たぶん拍動が早くなりすぎて心室細動と間違って誤作動したのだと思う。 退院して今まで一度も心室細動は記録されていない(ICDが記録している)ので、まあ今回のも心室細動ではあるまい。

四月にICD検査があるのでそのときまあどんなだったかわかる。 ICDが作動したらすぐ病院に来いと言われた気もするが、どうなのか。

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03.12.2017 · Posted in 雑感

死にたいという衝動と、殺したいという衝動は同じものだ。内向的になっているときは自分を殺したくなるだけのこと。

若い頃はどうでも良かったことが次第に好きか嫌いか両極端に分かれていく。

犬と喫煙者がいないところへ行きたい。 ケルヒャーやピアノのないところへ。 子供が騒ぐのはそれほど気にはならないが、ボールをずっと壁打ちしているのはさすがにうるさい。 子供の声などはたかがしれてるのだ。 しかしボールやケルヒャーや犬は違う。段違いにうるさい。 車のからぶかしもうざい。

朝、風呂に入っていたら隣の犬がずっとだらだら吠えていた。 たぶんご主人さまと車でお出かけするのだろう。 不愉快で仕方なかった。 朝30分ほど犬に吠えられたせいで午後までその不快な気分を引きずっている。

町を歩いても人混みにいらいらする。

音大生向けの完全防音のワンルームマンションに住みたい。 狭くていいから静寂がほしい。自分ひとりだけの。

ともかくもうすべてのことが気にいらない。 いや、違うのだ、気に入ることと気に入らないことがどんどん分離していくのだ。 気にしなければ良いだけなのだろうがどうしようもない。

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02.01.2017 · Posted in 雑感

冠詞(男性, 女性, 中性)

        

単数

  • 主 ὁ, ἡ, το
  • 属 του, της, του
  • 与 τω, τη, τω
  • 対 τον, την, το
  • 呼 ω, ω, ω

双数

  • 主・対 τω, τω, τω
  • 属・与 τοιν, τοιν, τοιν

複数

  • 主 ὁι, αι, τα
  • 属 των, των, των
  • 与 τοις, ταις, τοις
  • 対 τους, τας, τα
  • 呼 ω, ω, ω

人称代名詞(I, II, III)

単数

  • 主 εγω, συ, –
  • 属 εμου/μου, σου, οὑ
  • 与 εμοι/μοι, σοι, οἱ
  • 対 εμε/με, σε, ἑ

双数

  • 主・対 νω, σφω, –
  • 属・与 νων, σφων

複数

  • 主 ἡμεις, ὑ-μεις, σφεις
  • 属 ἡμων, ὑ-μων, σφων
  • 与 ἡμῖν, ὑ-μῖν, σφισιν
  • 対 ἡμᾶς, ὑ-μᾶς, σφᾶς

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古典ギリシャ文字の入力の仕方

01.31.2017 · Posted in 雑感

ギリシャ語を入力する方法

子音

  • ς ← w
  • ρ ← r
  • τ ← t
  • θ ← u
  • π ← p
  • σ ← s
  • δ ← d
  • φ ← f
  • γ ← g
  • ξ ← j
  • κ ← j
  • λ ← l
  • ζ ← z
  • χ ← x
  • ψ ← c
  • β ← b
  • ν ← n
  • μ ← m

母音

  • α ← a
  • ε ← e
  • ι ← i
  • ο ← o
  • υ ← y
  • η ← h
  • ω ← v

長母音

  • ᾱ ← -a
  • ῑ ← -i
  • ῡ ← -y

有気音

  • ἁ ← *a
  • ἑ ← *e
  • ἱ ← *i
  • ὁ ← *o
  • ὑ ← *y
  • ἡ ← *h
  • ὡ ← *v
  • ῥ ← *r

無気音

  • ἀ ← :a
  • ἐ ← :e
  • ἰ ← :i
  • ὀ ← :o
  • ὐ ← :y
  • ἠ ← :h
  • ὠ ← :v

重アクセント

  • ὰ ← [a
  • ὶ ← [i
  • ὺ ← [y
  • ὲ ← [e
  • ὸ ← [o
  • ὴ ← [h
  • ὼ ← [v

鋭アクセント

  • ά ← qa
  • έ ← qe
  • ί ← qi
  • ό ← qo
  • ύ ← qy
  • ή ← qh
  • ώ ← vh

曲アクセント

  • ᾶ ← @a
  • ῖ ← @i
  • ῦ ← @y
  • ῆ ← @h
  • ῶ ← @v

下書きイオタ

  • ᾳ ← `a
  • ῃ ← `h
  • ῳ ← `v

無気+鋭

  • ἄ ← /a
  • ἔ ← /e
  • ἴ ← /i
  • ὄ ← /o
  • ὔ ← /y
  • ἤ ← /h
  • ὤ ← /v

無気+曲

  • ἆ ← ^a
  • ἶ ← ^i
  • ὖ ← ^y
  • ἦ ← ^h
  • ὦ ← ^v

分離

  • ϊ ← +i
  • ϋ ← +y

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ベーシックインカム

01.26.2017 · Posted in 雑感

ベーシックインカムというのは、これまで以上に社会保障を厚くするとか社会福祉国家に突っ走るというよりは、逆に、 これまで政府がやってきたいろんな福祉やらなにやらの仕事を全部個人に丸投げするというやり方だわな。 だから社会主義というよりは自由主義と相性が良い。

最低賃金もなくしてよい。 国や自治体は医療費負担しなくてよい。 年金制度もいらない。 どうしてもそっちのほうへいく。

政府は外交と、治安と、国防と、収税。道路・治水などの社会インフラ。 ま、そういう必要最小限度の機能だけ持って、あとは個人に「基本的人権」を維持するのに足る最小限の金をばらまけば良い。 非常にコンパクトな政府になり得る。

で、ベーシックインカムがこれまでうまくいかなかった一番の理由は納税の問題だと思う。 国民なのか国民ではないのか。 税金払ってるのか払ってないのか。 それが曖昧なままではベーシックインカムはただの慈善事業になっちゃう。 全国民の収入と納税が完全にガラス張りになっていて初めてベーシックインカムが機能する。 日本もやっとマイナンバー制度が始まって、 まあほとんど100%所得が把握されちゃうことになったから、 ベーシックインカム始めてもいいかなくらいまできた。 でも、ベーシックインカムは寄こせ、年金は払いたくないがよこせ、医療費は自治体が負担しろ、でも税金は払いたくない、最低賃金は守れとか、 所得は知られたくないとか、そういうことを言ってくるうざい連中がまあたくさんいて、 弱者救済ビジネスとか政治団体とかがまだまだうじゃうじゃいる。 ベーシックインカムが必ずしも弱者救済ではなく、 かつ、 弱者を装った反社会勢力の救済には一切ならないこと。 ま、これが明らかになれば彼らは反対してくる。 こんなのほんとの福祉国家じゃないとか。社会主義とか共産主義の理想から逸脱してるとか。 誰が反対するかで、誰が反社会ビジネスに荷担しているかが見えてくるわな。

ベーシックインカムは機能し得る。 それは理想的な共産主義社会に非常に近いものだ。 今後ロボットや人工知能が普及すればさらに労働力は余ってくる。 労働者が余ると、労働市場というものが存在し、労働者が労働市場に依存する限りにおいて、 需要と供給のバランスで、労働者は困窮せざるを得ない。 社会がいくら豊かになっても、労働力に余剰がある限り、労働者は幸せにはなれないのだ。 だから働きたくない人、働けない人、働く必要のない人は積極的に、働かせないようにしなきゃいけない。 人間は働かなきゃいけないというのも近代の幻想にすぎない。 今の教育は将来子供たちを労働者にして労働市場に投入して、労働市場に依存させるためのものだ。 これじゃ労働力の過剰供給になる。 資本主義社会が悪いのではない。 労働市場が悪いのだ。 労働市場は社会主義国家にもあった。 だから結局社会主義国家は労働者を救えなかった。

食料は余りつつある。むしろ人類の多くにとって肥満のほうが問題だ。 戦争は減りつつある。むしろテロのほうが問題だ。 テロはベーシックインカムで防げる。 国家に属さない、税金を払わない無法者がテロリストになるが、 所得をガラス張りにすればベーシックインカムあげるよと言えば、 普通は嫌とはいわない。 そしてとりあえず彼らを飼い慣らすことができる。 国家の枠組みにいれちゃうことができる。 仲間がひよっても、自分一人だけでも戦い続けるぞなんてやつはまずいないからどんどん雪崩をうってごく当たり前の市民になっちゃう。 そうするとテロリストがそもそもいなくなる。 食料があまり、戦争もテロもなけりゃ、人間のやることはますます減る。 ただ遊んでいればいい。 そして働きたい人、高収入が得たい人、自分の才能を試したい人、趣味で働きたい人だけが働く。 そうなると、労働市場は自然と均衡してくる。 人間は生きているかぎり消費するし、消費があればビジネスは生まれる。 ビジネスがあればなんらかの形で税収がある。 税収があればそれをベーシックインカムに使えばよい。

ま、そういう社会の仕組み、お金の循環というものが、昔から人が夢想してきた、理想的な共産主義社会というものじゃないのかね。 マルクスの予言が成就した社会ということができるのではないか。

だからまあ、もともと政府が弱体で、人口が少ない、エストニアみたいな国が、 完全なマイナンバー制度の完全な電子政府を作って、 社会保障は全部ベーシックインカムで済ませちゃう。 そういうところがまず成功するだろうと思う。 日本みたいに政府が肥大するだけ肥大しちゃって、 弱者救済ビジネスが高度に発達してしまった社会の場合、 その余剰を削るのに一苦労だ。

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01.17.2017 · Posted in 雑感

新宿西口、ヨドバシカメラ、時計専門店。 ここは良い。なかなか良い。 ヨドバシも並行輸入ものとか逆輸入ものの時計をたくさん売ってるってことを初めて知った。 普通の時計屋にはあんまりないよね?

で、これがレディースだとは思えないんだよね。 現物も見たがとてもすばらしい。

セイコー・プレザージュ(プリサージュと読みたいところだが。フランス語読み?)。 まあ、今度買うとしたらこれだな。

メンズとレディースだが、デザインというより、単に大きさで区別してるように思えてしかたない。 これなんてどこがレディースなのかというデザインだ。 敢えて言えば中性的なデザイン。

機械式だど、時計の盤面の直径が 35mm くらいなのがレディース、 40mm くらいなのがメンズ、そう呼ばれているだけのような気がする。

多針アナログにも一時期あこがれたが、これは飽きる。絶対飽きると思う。

スマホを持ち歩けば時計に正確さを求めなくてよい。 むしろ毎日ねじを巻いたり時刻合わせをするわずらわしさのほうが楽しくなってくる。

ソーラーも暗いところにおいとけば止まるし、 電波時計も地球上どこでも動くわけではない。 いろいろ勘案すると、実は、良く出来た機械式の腕時計を所有することには、 それなりの、リスク回避の意味がある。

ロレックスも見た。たしかにロレックスはすばらしい。 しかしセイコーも良い。セイコーの飾りっ気のなさが良い。 でも葬式用の時計なんて買いたくない。 なんかメカニズムの色気は欲しい。でもあまりこてこてしたりわざとらしいのはいやだな。

グランドセイコーである必要はないと感じる。

ルキアは女物だが割と好き。かなり中性的なデザインのものもあって、そっちを選びたくもなる。

スケルトンは背面だけで良いと思えてきた。

プレザージュ、レディースで、皮バンドで、重さが 80g くらいで、厚さは 1mm くらいで、 直径が 34mm くらいのが良いが、ちょうどなやつがない。 軽くて薄くて小さいのが良い。

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01.17.2017 · Posted in 雑感

縄文人のセックスを笑うな

うーん。 まず、古代には近親婚は普通だったはずだ。

エジプトやペルシャの王族なんて兄弟姉妹で普通に結婚している。

古代日本でも神話なんかみるとそうだったように思われる。

生物学的に見ても、近親婚は普通だ。

でまあ、近親婚の弊害というのは、王族みたいに先祖代々近親婚を続けるような場合に起こる、つまり、 家系図のような先祖の記録をもっている家系で起きるのであり、 例えばハプスブルク家みたいにもうずーっといとこどうしで結婚しているような場合に起こるのであって、 普通の家だと、数代遡ればもう誰が親だからわからなくなるから、 血統が近くなりすぎる弊害が実際に起こるとは思えない。

フロイトなんかが考察してるけど、 ハーレムを形成する場合、つまり一人の男が多数の女を独占する状況では、 女子はハーレムに留まり、男子は強制的に独り立ちさせられる。 それがイクソガミー(外婚制)、トーテミズムの起源だとフロイトは言っていて、 もしそうだとすれば、イクソガミーはもともと近親婚を前提としているのである。

あと、縄文時代のほうが栄養状態が悪い、というのは明らかに間違った前提だ。 縄文人のほうが体格も良いし身長も高い。 農業に頼らず、狩猟で肉食メインだった証拠だ。 だから、女子は初潮がきたらすぐにセックスして妊娠し子供を産んだはずだ。

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01.13.2017 · Posted in 雑感

社会運動なんかやっても無駄だという感覚と、社会運動はどんどんやろうという感覚は、表裏一体なわけよね。

私の場合、社会問題にしてもらいたいことってのは、犬の無駄吠えうるさいとか、 ペットショップは虐待だとか、 戦闘機うるさいとか、 新聞配達のバイクうるさいとか、 空調うるさいとか、 喫煙者いなくなれとか、 パチンコなくそうとか、 通勤ラッシュ死ねとか、 自転車二人乗り死ね(アニメによる表現を含む)とか、 マスメディアの偏向報道死ねとか、 そういうことなわけだが、

世の中の社会運動ってだいたいは反原発とか沖縄基地問題とか憲法第九条とかじゃん。

まあやる気なくすわな。 そこでやる気なくさなかった人がむりやりつっぱしった先にあるのが社会運動だわな。

たまたま個人の欲求と社会全体が向いているベクトルが完全一致した人がいて、その人にカリスマみたいなもんがあれば、 その人は意識せずに社会運動できるのかもしれんが、そんな人はまあいない。 一般大衆というものにはベクトルはない。そろわない。

市民の声なんてものはだいたいはばらけているものだが、それが一方向に向かえば市民運動、社会運動になる。 実際には市民の声なんてそろわない。 何かやらせがある。 犬やペットショップが好きな人が多いからその規制には向かわない。 たばこやパチンコが好きな人が多いからなくならない。 エアコンがうるさいくらい平気な人が多いから、エアコンはいつまでたっても静かにはならない。

人がばたばた死んだりしないかぎりふつう自発的な社会運動はおこらない。 でも社会運動はよくおこっている。それはやらせがあるからで、 やらせを専門職とする人がいるからよね。

読者の購買意欲とかも本来はそろわないものだが、 それをそろえちゃう仕事もあって、それはふつうに営業とか広報とかマーケティングなどという。

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01.12.2017 · Posted in 雑感

しばらくツイッターの固定表示でカクヨムへリンクしてたのだが、 ほとんど誰も読まないことがわかった。 たぶん、私が書いたものは何でもとりあえず目を通すという奇特な人は3人くらいしかいない。 無料だろうとなんだろうと。

だから、私が書いたものを読者に読んでもらう、読ませるためには、 まったく別の努力をしなくてはならない。

洋物のKDPの新着無料タイトルを見てみるとレズビアンものばかりだ。 内容は、よく読んでないが、かなりロコツなもののようである。 これが日本のKDPになると、あんなふうな感じになるわけだ。

何を書けばよいのだろう。 正直悩む。 『エウメネス』の続編を書けばある程度は売れるだろうと思う。 そして私としては、それは、ギリシャ古典とかギリシャ哲学とかいう「ギリシャ神話」を完全に破壊するためのものにするつもりでいる。 そのために、ディオゲネスとアリストレテスをペルシャ風の僭主として描こうと考えている。 ディオゲネスはアナトリアのシノペの出身であり、彼の思想はたぶんインドかペルシャから伝わってきたものだ。 当時のギリシャ人、とくにアテナイ人がディオゲネスを理解できなかったのは当然で、 逆に、アレクサンドロスはある程度までディオゲネスを理解したはずだ。 アレクサンドロスの思想はかなりペルシャに近い。 そしてアリストテレスはまあ間違いなく、アナトリアの僭主の養子であって、 アレクサンドロスの家庭教師になったのも、おそらくはアレクサンドロスがアナトリアに進出する意図を持っていたことと無関係ではないのだ。 ここまではある程度史実に沿っている、と思っている。 だがそこから先もっと脚色して、暴れさせる。 エウメネスはアリストテレスの遺志を継いでアナトリアの僭主となる。アレクサンドロスのディアドコイ、というよりは。 そういう構成になるだろう。

アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師だったから有名なのにすぎない。 アリストテレスの百科事典なんてものは完全に後世の捏造だ。 前にも書いたが、アリストテレスの本名はニコマコスで、ニコマコス倫理学だけがかろうじて、 彼自身か、彼の父か、彼の子か、あるいはその三代で書き残したものであろうと思う。 プラトンの出自に関して言えばほとんどすべて空想の産物だ。

クセノフォンという人はいた。ペルシャのキュロス王子の傭兵となったクセノフォンという人が。 彼はソクラテスの弟子だっただろう。しかし、クセノフォンの著作が彼自身によるものかどうかはかなりあやしい。 アナバシスは口述筆記のようなものだったはずだ。 それ以外の彼の著作はおそらく他人がまとめたものだ。 プラトンの著作も、アリストテレスの著作もおそらくそう。

当時のデモステネスとかイソクラテスは確実に存在した弁論人であり、 イソクラテスは当時としては完全な学者だった。 だがイソクラテスの人気も知名度も非常に低い。なぜか? 公の場で弁論したこともなく、その書簡もほとんどが信用するに足りない。 あとからにいくらでも偽造可能な証拠しかないのだ。

当時、アテナイに住んでいて、 アテナイのエクレシア(民会)と完全に没交渉でいられた学者や言論人がいたはずがない。 だから、もし実在するのであれば、エクレシアとのなんらかのインタラクションが記録に残ってなくてはならない。 イソクラテス、デモステネス、ソクラテスにはある。 ディオゲネスにはたぶんあると思う。 ディオゲネスはテーバイの娼婦との関係などの逸話が多く残る。アレクサンドロスと会ったのもたぶん事実だろう。 しかしプラトンとアリストテレスにはない。たぶんまったくない。逸話の断片すらない。 プラトンはソクラテスの裁判に出席していたという。ほんとだろうか。 プラトンが実在していたとしても、アテナイにはいなかったとしかいいようがない。

プラトンというのは、反イソクラテス学派(おそらくは親デモステネス学派)全体、多くの無名の学者の総和をひとりの人格で表したものだろう。

ほかのひとがどうかはしらんが私はまあ、基本的に、書き手の書きたいものと読み手の読みたいものが合致した場合に読めば良いという考え方だ。 私が読んできたものはだいたいそういうものであったと思っている。 だからそれ以外の読み方も読ませ方もしないつもりだ。 そして PPAP みたいになんかわからんが偶然売れる可能性が0でないのなら書き続けてみようというだけのことだ。

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01.12.2017 · Posted in 雑感

通勤というものがいやで、特にラッシュ時の通勤が嫌でたまらない。 ラッシュ時に通勤しないですむように、 また通勤回数を減らすために、 もう少し頻繁に職場に泊まろうと考えている。

ところで職場に泊まるときにときどき配管が異様にうるさい。 天井板がはまってなくて配管が剥きだしなのだが、施設の人に苦情をいったら、 それは熱交換器というものであるという。

この熱交換器というもの、暖房のときと冷房のときで熱媒体(冷房のときは冷媒)を交換するのだという。 熱媒体を暖房のときと冷房のときで別の液体に交換することによって節電になるというわけらしい。 その熱媒体を交換するときに配管で耐えがたい騒音が出る。 でまあ、いろいろ試してみると、 24時間ずっと暖房を入れっぱなしにしていればこの媒体の入れ替えが発生しないので、 そうとう快適になることがわかった。 廊下で盛んに音がしているときも、居室の中は音がしない。 でも、暖房を切るとまたなりだすわけです。

なんでそれがわかったかといえば、今日は一日中寒かったので一日中暖房を入れていたら、 一度も熱交換器が騒音を出さなかったからなんですよね。 なので居室にいるときは24時間ずっと暖房を入れることにします。

まあ、いわゆる室内機のファンの音も、比較的にうるさくないとはいえるが、うるさいっちゃうるさいので、 寝るときは切りたいのだが、それもできない。

それにしても、誰もいなくて、空調を使ってないときにも、この媒体の入れ替えというのは発生しているらしいんだが、 こいつ「アホなのか?」と思ってしまう。 ほんとに節電になっているのだろすか。 思うのだが、もしかすると、運転切り替えではなくて、室温の高い低いによって、 「自動的」に媒体を入れ替えているのではなかろうか。 だから室温が高くなりすぎると、冷房用の媒体に切り替えるとか、 室温が低くなりすぎると、暖房用の媒体に切り替えるとか、そんなあほなことをやっているのではないのか。 夏はずっと冷房の媒体を入れ、冬はずっと暖房の媒体をいれておけばよいではないか。 そのくらい集中管理でできないのか? それとももしかすると、すでに暖房の媒体が入っているのに、暖房を切ったり入れたりするたびに媒体を入れ直そうとしているのだろうか。 そんな馬鹿じゃないと信じたいが。

世の中いろいろ要らないものが多すぎる。特に電力系。 ガスはそんなうるさいやつはない気がするのだが。 やっぱ電気じゃなくてガスを使いたいが、もう年寄りなのでガスは怖い。 将来的にはキッチン周りは電化すると思う。 でも風呂と暖房はガスで良い気がします。 エコキュートとか深夜電力とか嫌い。

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