亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

09.08.2017 · Posted in 歴史

日本人で古典ギリシャ語を学んで本を書いている人は圧倒的にキリスト教徒だと思う。 というのは新約聖書がコイネーで書かれているからだ。 しかも新約聖書が書かれたころにはすでにヘレニズム世界は滅び、ローマがヨーロッパ世界を形成していた。 ヘレニズムとローマは一部かぶってるが全然別物だ。

それでいろんな意味で、ギリシャについての学問は偏っている。 ローマ的に、キリスト教的に解釈されている。 ソクラテスやプラトン、アリストテレスなどの哲学でさえもローマの、キリスト教のフィルタがかかっている。

さらにのちのドイツロマン主義などは、ローマやキリスト教を否定するためにギリシャを理想郷のように勝手に解釈してしまった。

そうした長い長い曲解と捏造のために、ギリシャをありのままに理解することはほとんど不可能に近い状態にあるとさえ言える。

日本人が読んでるギリシャの古典というのは、ほとんどすべてが英訳の和訳である。 英訳というのはだいたいオックスフォードがやった仕事だ。 すべていったん西洋史観のフィルタを通したものなのである。 しかし、ギリシャというものは、ヘレニズムというのもは、ヨーロッパとかローマの範疇で見てもわからない。 ヨーロッパから見えたギリシャというのに過ぎない。

古代ギリシャでもっとも非ギリシャ的だったのはテーバイやアテナイだ。 アテナイはギリシャのボロスの中ではむしろもっともペルシャ的と言うべきだ。 アテナイの民主制は確かに極めて独特だが、それはアテナイの特殊性というものである。 しかもほとんど完全な直接民主制だったのはペリクレスの時くらいだが、ペリクレスは内政も外交も戦争もすべてがめちゃくちゃだし、 そもそもペリクレスのせいでアテナイは衰退し、スパルタによってアテナイの民主制は一時停止した。 アテナイに対するスパルタの影響力を失わせ、アテナイに民主制を復活させたのはテーバイだ。

アテナイは確かに非常にユニークだが、しかし、 アテナイほどペルシャの影響を受けたギリシャのポリスはなかろうと思う。 少なくともアテナイをギリシャの典型的な、最終最高形態のポリスであると考えるのは完全に間違っている。

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エウメネス4

09.08.2017 · Posted in 歴史

そろそろもう読んでいただいても大丈夫かと思います(などとここに書くのも変だが)。

最初に書いた『エウメネス』がなぜか好評で、なぜ売れているのかわからず、調べてみたらエウメネスを主人公にした『ヒストリエ』というマンガがあった。

その後、『エウメネス2』という続編を書こうと思ったら思いのほか長くなったので 『エウメネス2』『エウメネス3』に分けて、最初に書いた『エウメネス』を『エウメネス1』というタイトルに変更した。

この『エウメネス1』~『エウメネス3』も、やはり不思議と読まれている。 理由としてはやはり『ヒストリエ』の読者が、ついでに読んでくれているというのが大きいのではないかと思っている。

ともかく『エウメネス1』から『エウメネス3』まで買って読んでくれている人が少なからずいるというのは驚くべき現象だ。

ところでこの『エウメネス』シリーズというのは終わりの無い、とても長い話である。 続編を書こうと思えばずっと書いていられるだろう。 『エウメネス』の主題は何かといえば、「ヘレニズム史」だ。 「古代ギリシャ史」でも「古代ローマ史」でもない。 日本史で言えば、「平安時代」と「戦国・江戸時代」の間にある、「鎌倉・室町時代」に相当する。

司馬遼太郎なんかは平安・戦国・江戸(幕末)しか歴史小説を書かない。 中国史だと『項羽と劉邦』くらいしか書いてない。西洋史はほとんど書いてない。 まあ要するに、NHKの大河ドラマと読者層がかぶっていて、日本の歴史好きは司馬遼太郎とだいたいストライクゾーンが似ているわけだ。

アレクサンドロス大王は案外人気がない。 いや、あります、という人もいるかもしれないが、本来あるべき人気よりも、はるかに人気がない。 本来エベレストくらい重要なのに、富士山くらいにしか人気がない。これは不当である。 アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師というのにすぎない。 しかし世間一般ではアレクサンドロスよりアリストテレスの方が人気があるだろう。 一事が万事こんなふうにおかしなぐあいになっている。

人気があるのはやはり古代ギリシャ史か古代ローマ史なのであり、 アレクサンドロスはそこからかなり外れている。 外れているがあまりにも重要なのでそこそこ興味を持つ人がいるという状況。 アレクサンドロスやヘレニズムは単なるヨーロッパ史ではない。 ギリシャ史やローマ史よりも、世界史的にははるかに重要なのだが、 西洋史観に慣れている日本人にはそこが理解できない。 理解はできても好きにはなれない。

西洋では、ローマ史ができて、ギリシャ史ができて、その間をつなぐ過渡期として、ヘレニズム史ができた。 西洋史観ではだから重要性はローマ、ギリシャ、ヘレニズムの順番になるのだが、 しかし、世界史というものは西アジア(エジプトを含む)もしくは中央アジア(インドを含む)が中心であって、 そこから東アジアやヨーロッパに伝播していったのだ。 世界史的観点から見ればヘレニズムやイスラムの方が、ローマやキリスト教より重要なのは明らかだ。 欧米の史学もそのように次第に修正されてきているはずなのである。 そういうように理解しなければ世界史というものは、歴史というものは、決して理解できない。 日本人では早くに宮崎市定が主張しているところである。

しかるに、日本史の中で室町時代が一番面白いというのが変わり者なように、 世界史の中でヘレニズム時代が一番面白いというのはやはり変わり者なのである。 そして、たぶん、読者はそういうトリッキーな(ほんとは正統派なのだが)面白さを求めて私が書いたものを読みたいと思っているわけじゃないと、私は思っている。

岩明均が『ヒストリエ』を書こうと思ったのはプルタルコスの『対比列伝』を読んで面白かったからだろうが、 『対比列伝』は古代ローマ時代に書かれたものであって、 『対比列伝』をおもしろがること自体がすでにローマ文化に毒されているのである。 ローマ文化とは別にギリシャ文化が好きな人はいるがそういう人はプラトンやクセノフォン、アリストテレスを読むわけであり、 アレクサンドロス大王とか、大きなくくりでヘレニズムというものが好きな人というのはおそらくほとんどいない。

ドイツロマン主義などにみるギリシャ偏愛は非常にひどい。 今回私はアルカディアやスパルタを描いた。 スパルタといえば300だし、アルカディアといえばキャプテンハーロックだ。 メガロポリスという言葉もみんななんとなく聞いたことがある。 しかしその実態はまったく異なる。 皆が歴史だと思っていることの多くは後世作られたファンタジーに過ぎない。 私はどちらかと言えばファンタジーに酔うのではなく、ファンタジーをぶち壊して史実に置き換えるのが好きだ。 史実にできるだけ肉迫して、どうしてもわからないところだけをフィクションで補完するのが好きなのだ。 でもまあ最初からそんな読み方をしてくれる読者がいることは期待してない。 ただ私の書いたものを読んでそういう面白さをわかってもらえるとうれしいと思う。

『エウメネス4』がこれまでの『エウメネス1』~『エウメネス3』と同程度に読まれてくれれば成功だが、 さらに『エウメネス4』を読んでみてさかのぼって『エウメネス1』~『エウメネス3』も読んでもらえることを私としては狙って書いている。

さらには、まったくオリジナルな『特務内親王遼子』のようなものに関心を持ってもらえるとうれしい。 ある意味、『エウメネス』は、ほぼ史実に沿っている。 楽しく世界史を勉強したい人も読むかもしれない(実はそういう需要で読まれているのではないかと私は感じている)。 しかし『特務内親王遼子』はほぼ完全な創作なので(というか私の中で実際の歴史が一旦抽象化されて虚構として具体化されたもの)、 これを理解してもらうのはかなり難しいと思う。かなり遠いところにあるせいで、ほとんど読まれてない。 しかし私の中では『エウメネス』と『遼子』にはその主張したいところに何の違いもないのである。

ま、ともかく『エウメネス4』は一つの実験でありこれが売れてくれると私はうれしい。 私としてはここまでの読者を裏切るようなことはできない、失敗は許されない、というような気負いがあった。 しかしこれまでの私の作品がすべて実験であるように今回も一つの実験だから、完全にこけることもあり得るわけである。 著者にとって読者がどう考えるかってことはまったく予測付かない。 配信し始めてはじめてわかる。それはSNSなどのメディアでも同じことだろう。

実は最初書き始めたときは、メガロポリスの戦いだけでこんなに長く書ける気がしてなかったのだ。 だからガウガメラの戦いまであわせて一巻にしようかとも考えていた。 ところが書いてみたら結局今までよりも長いものになった。 史実以外の部分を書くのに慣れてきたせいかもしれない。 じつは史実以外の部分が異様に詳しい、歴史小説というより、新聞に連載されるような、つまり元ネタを薄めにうすめたような、大衆時代小説みたいな、誰とは言わないが吉川英治の『新平家物語』とか司馬遼太郎の『燃えよ剣』みたいなのが私は好きではない。 しかし私もこれまでいろいろ書いてきたせいで多少長く書くテクニックが身に付いてきたようだ。 私の場合、簡潔すぎるとか、戦闘シーンがあっさりしすぎている、と思われることが多いように思う。 それは、私がやりたいことはまず第一に史実を忠実になぞることであって、史実以外の部分は私の創作だから、そこに厚みを付けることに、作者自身それほど興味がないのである。 戦闘の描写よりは戦略的・戦術的背景を描くことを私は好む。 実際どういう戦闘だったかというのはいくら調べてもそんなに詳しくはわからない。 わかることだけ書けば数行で終わってしまう。 それでは作者が物足りないだろうからとなんとか引き延ばそうと努力したりもしている。 読者は戦闘シーンよりも戦闘が始まるまでの軍議の描写が異様に詳しいと感じるだろうと思う(たとえば『江の島合戦』)。 それは私には私なりの必然性があるのだ。 今回もエウメネスとカッサンドロスの軍議のシーンがかなり長くなった。 それは作者が好きな箇所、書きたい箇所だから単に長くなったのにすぎない。

読んだ人はもう気付いているかもしれないが、『エウメネス』の主人公はほんらいエウメネスではない。 アレクサンドロス大王を第三者の視点から、つまり読者の視点から見るためにエウメネスという地味なキャラを選んだのにすぎない。 私はあの時代に生まれ変わってエウメネスという剣豪になりたい、などとは決して思わないし、そういうキャラに感情移入することができない。 もし、私とどうように世界史そのものが好きな人ならば、アレクサンドロスのそばで彼を思い存分観察してみたい、と思うだろう。 それが著者自身の私であり、エウメネスなのである。 エウメネスは明らかにそういう意味で作中への私自身の「投影」である。

しかし『エウメネス4』ではエウメネスはアレクサンドロスと別行動を取り、一人でいろんな体験をする。 もはや単なるアレクサンドロスの観察者ではない。 タイトルが『エウメネス』だからそろそろ彼を主人公として扱ってやらねばならないかなあと、著者が考えたと思ってもらっても良い。 ただまあ、今回エウメネスはスパルタやメガロポリス、コリントス、ドードーナなどいろんなギリシャの町を巡るのだが、 これは私自身にそういう、古代ギリシャのいろんな場所を旅をしてみたいという欲求があって、それを作品という形で実現している、と言えなくもない。

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09.06.2017 · Posted in 雑感

facebook なんだが、実名のページの他に筆名のページを作ると、あれをしろこれをしろとうるさく通知してきてやってられない。 だからもう非公開にした。

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オイコノミクス

09.05.2017 · Posted in 読書

クセノフォン著『オイコノミクス』というのを読んでいるのだが、 ソクラテスとクリストブロスという人が対話していて、しかしクリストブロスのモデルはクセノフォン自身である、 などと解説してある。 読んだ内容からして、とてもそんなことは信じられない。

たぶんソクラテス学派の名も無い貧乏学生が想像で書いてそれをクセノフォンが書いたと言っているだけだろ。 仏教の経典が「如是我聞」って嘘書くのと同じだよ。 この時代の世界中の著作のほとんどすべてがそう。 まずそう疑ってかかるべきだろ?

ソクラテスやディオゲネスの逸話というのはどれも特定のバイアスがかかっている。 彼らはみんなイソクラテスが嫌いでデモステネスが好きなのだ。 しかし私にはイソクラテスの方が好ましく思えるし、デモステネスは最悪なやつだと思っている。

イソクラテスはごく普通の学者だ。 ソクラテスやディオゲネスも普通の学者だったはずだが、へんな方向に偶像化されてしまっている。 赤貧とか清貧というものをありがたがる連中というのは洋の東西を問わずいる。 別に珍しくもない。

クセノフォンはおそらく『アナバシス』を口述筆記しただけで残りはみんな偽作だと思う。 プラトンという人はいただろうがほとんどは偽作。 あれは、劇場で上演するための台本なんだよ。 役者に喋らせるために、対話形式になってるだけ。 水戸黄門漫遊記みたいなもん。

貧乏人のソクラテスと金持ちのクリストブロスのどちらが豊かかなどという問いの答えは決まっている。 クリストブロスのように金を持っていて、ソクラテスのようにつつましく暮らすのが一番豊かなのだ。 なるほど、金持ちは戦争になると金をむしり取られる。 人付き合いにも金がかかる。 ならば、適当に財産を整理して、他人との関わりを絶って、金持ちだと知られないようにひっそり暮らせば良いのだ。 それが一番豊かで贅沢な暮らしだろう。

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09.05.2017 · Posted in 雑感

アレクサンドロス大王の秘書官エウメネスの視点で描いた大王東征記。第四巻の本書では、マケドニア摂政アンティパトロスとスパルタ王アギス三世がアルカディアの拠点メガロポリスを争奪する戦い(BC331)を描く。

概要

かつてテーバイの驍将エパメイノンダスは、ペロポンネソスを支配するスパルタをレウクトラの戦い(BC371)で討ち破った。それまでペロポンネソス地方では、人々は都市に集まって住む習慣がなく、小さな農村に散らばって住んでいた。エパメイノンダスは、アルカディア人を一箇所に集め、堅固な城郭を築き、アルカディア経営とスパルタ牽制の拠点とした。これがメガロポリス(大きな町)である。テーバイが滅んだあと、メガロポリスはマケドニア王アレクサンドロスを盟主と仰ぐコリントス同盟に属していた。

エウメネスはシリアで王の一行と別れ、バルシネとともにネアルコスの艦隊に同船してギリシャ本土へ向かう。バルシネと彼女の息子ヘラクレス(アレクサンドロスの息子)をロードス島に残し、エウメネスはスパルタ王のもとへ使者として赴く。スパルタを討つためにメガロポリスに入っていた摂政アンティパトロスは息子カッサンドロスを、ネアルコスの軍に募兵のために派遣する。このとき初めてエウメネスはカッサンドロスに出会う。

エウメネスはカッサンドロスとともにメガロポリスの戦いに加わる。かつてスパルタに支配されたアルカディアやメッセーニアの民の奮戦の甲斐あって、スパルタ王アギス三世はアンティパトロス率いるマケドニア軍に敗れるが、この戦いでマケドニアに勝利をもたらしたのはわずか十九才のカッサンドロスの采配であった。 メガロポリスの戦いの後、エウメネスはエペイロスの聖地ドードーナに住むオリュンピアス(アレクサンドロスの母)を訪れる。エウメネスは巫女オリュンピアスから、ガウガメラの戦いでマケドニア軍がペルシャ軍に勝利したこと、アルトニスがまだペルシャ軍中にいて生きていることなどを知らされる。

目次

* 腑分け占い * ピュティオニケ * ハルパロスの指輪 * タウリスコスの後任 * ネアルコス * メッセーニア * カッサンドロス * 麦畑の夜襲 * 脱走 * ドードーナのシビュッラ

主な登場人物

* アレクサンドロス三世 マケドニア王。アレクサンドロス大王。 * エウメネス アレクサンドロスの書記官。 * アギス三世 スパルタ王。 * ネアルコス マケドニア王国海軍の提督。 * ハルパロス マケドニア王国の金庫番。 * ピュティオニケ もとアテナイの娼婦で、ハルパロスの愛人。今はスパルタの奏楽者。 * プトレマイオス アレクサンドロスの近衛長官。 * ペルディッカス マケドニア王国の王族。斬り込み隊長。 * バルシネ アレクサンドロスの妃。ヘラクレスの母。 * フリュネ テーバイの娼婦組合長。 * ディオゲネス コリントスに住む犬儒派の哲学者。フリュネの情夫。 * アンティパトロス マケドニア王国摂政。 * カッサンドロス アンティパトロスの息子。 * オリュンピアス アレクサンドロスの母。

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ヤシオリ作戦

08.24.2017 · Posted in 映画

そうか。ヤシオリは八塩折之酒のことなのか。

なんちゅうか、単なる蘊蓄ネタのオチだったわけね。

前半は割と真面目に作ってるのに、後半は蘊蓄とオマージュとオタクねたで無理矢理まとめてるのが、いまいちなんだよなあ。

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度胸星

08.20.2017 · Posted in マンガ

第1巻が無料で面白かったので、第4巻まで買って読んだのだが(最近マンガを買うのは珍しい)、 これはなあ。 作者の意に反して打ち切りになったというより、これ以上話を続けられなかったのじゃないかなあ。

まあ、面白いんだよ。でも、 地球では起きない超常現象が火星では起きることの説明が付かないよな。 付けられれば傑作と言えるかもしれないが、たぶんできなかったんだろうと思うよ、これは。 これじゃあ最後にどんな種明かしがくるかを知るためだけに金払った人は納得できないよ。

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エウメネス4

08.20.2017 · Posted in 歴史

『エウメネス4』は今執筆中で近いうちに出るのは、まあ、たぶん間違いない。

『エウメネス2』と『エウメネス3』は書いているうちにどんどん膨らんだので途中でグラニコスの戦いとイッソスの戦いに分けた。

今回もメガロポリスの戦いとガウガメラの戦いを分けて、 『エウメネス4』『エウメネス5』として出す予定だったのだが、 どうもそんなに膨らまない。

メガロポリスとガウガメラは数ヶ月差でほぼ同時に起きた戦いで、 一方はペロポンネソス半島、もう一方はアッシリアで起きた。

それで、メガロポリスのほうはカッサンドロスを主役にしたてて書いてみた。これはこれでまあ良いとする。 古代ギリシャの中でもスパルタはとてもわかりにくい。 スパルタ王はどんな格好をしていたのか。王宮はどんなだったか。服装や髪型は? 「スパルタ王」で画像検索すると例の「300」が出てくるんだが、こんなの絶対嘘だからね。 近世もしくは近代に描かれた西洋美術のイメージで私たちは古代ギリシャを思い描いているが、そのすべては嘘だからね。

おそらく、スパルタ王は、極彩色の唐草模様のような服を着ていた。 古い時代の壁画や壺などに描かれた神や王の絵ではそうなっている。 大理石の白亜の殿堂に、真っ白な服を着ていたのではない。 スパルタ王や、ゼウスやポセイドンは、私たちが今想像しているよりはずっとアジア的な、アフリカ的な風貌をしていたと思う。

ガウガメラは調べて考えているうちに、これは実は、壮大なヤラセだったのではないかと思えてきた。 ともかく、ペルシャ側に戦意のある人が誰一人いない。ペルシャ王を含めて。 必勝の布陣で必敗の予感なのだから、これはもうヤラセとしか言いようがない。

イッソスはガチンコだったけどガウガメラはヤラセだったというのが私の解釈かなあ。

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シン・ゴジラ

08.18.2017 · Posted in 映画

改めて(何度目だ?)シン・ゴジラを、メイキングなども含めて見てみたのだが、 要するに、 前半部分は東日本大震災に絡めた戦後日本への恨み節であって、 タマ作戦はエヴァそのまんまだし、 後半ヤシオリ作戦はタモリ倶楽部になってしまっている。

その主張は、 日本はスクラッチアンドビルドしなきゃ良くならない。そのための自作自演がゴジラだ、というわけだ。

夏休み中ずっと、タモリ倶楽部をYouTubeで見ていたが、 シン・ゴジラのどこがタモリ倶楽部かってことはすでに ネタバレはあります。で書いたのでくどくど繰り返さない。 わざわざ新幹線や在来線が集中する東京駅でゴジラが立ち往生するというシチュエーションがあり得ない。

しかしまあこれを「庵野秀明監督最新作の日本映画」としてしてみたとき非常に良く出来ていると言わざるを得ない。 庵野監督は、金と人と権限を使えばここまでちゃんと作れるのだということを実証したのは素晴らしかった。

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心房細動とアルコール

08.16.2017 · Posted in

聴診器と血圧計でおよそいつ心房細動が出ているかわかるようになった気がする。

心房細動が出ているときは最高血圧が低く、心拍数が多い傾向がある。 最高血圧が100くらいで心拍数が1分95回くらいというのがありがちなパターン。

心房細動は心拍がランダムに起きてそれが適当に間引かれている状態なので、心拍数が多くて、その代わりに一回あたりの心拍の血圧が低くなるのだと思う。

心房細動でないときの心拍数は60とか70くらい。 血圧は120以上。安静時でも150くらいまで上がるときもある。 たぶんこういうのが私の心臓の場合、正常な状態なのだろう。

心房細動でないときの心臓の音は必ずしも完全に一定周期ではないが、それでも心房細動の時みたいにランダムではないので、わかる。

人間の耳の穴(外耳)は後ろから前のほうへ傾いているので、聴診器の耳に当てる部分も、前のほうへ向くようにねじらなくてはならなかったのだ。 これをやらないととても聞こえにくい。 また、聴診器には普通大きな皿と小さな皿がついていて、この皿に開いた穴も軸を回転させて使う皿に合わせねばならないのだ。 最初の頃はこういうことを知らずに適当に使っていたので、心臓の音が全然聞こえなくて不良品かと思った。

それでまあ、酒を飲むと、血圧が下がって心拍数が増える傾向があるんだよなあ。 どうも、アルコールによって心房細動が出るのは、ほぼ確実な気がしてきた。 しばらく観察してみるが、 禁酒して心房細動が止まるようならいよいよ禁酒しなくてはならなくなる。 或いは、ウーロン割一杯をちびちび飲むような飲み方をすることになるだろう。 実に年寄り臭い飲み方だが、金も減らないし、酔って記憶をなくしたり、失態を演じたりすることもなくなるだろうから、むしろ良いことかもしれない。

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