結婚式

シャイニングを、原文と和訳を見比べながら読んでいるのだが、なかなか面白い。これによると、キリスト教徒の伝統的な結婚式では、神父(牧師)が新婦の父親に

Who giveth this woman?

と尋ねて、それに

I do.

と答えるらしいんだが、つまりこれは女は父の持ち物から夫の持ち物となるという、完全な家父長制の、というかゲルマン法に基づく儀式であって、「バージンロード」というからには処女の娘を夫となる男のところへ連れて行くのは父でなくてはならず、従って新婦の母親はいなくてもよいし、新郎の父もいなくてよいことになる。

この箇所、和訳では「この男にめあわすために、この女を渡すのは誰か?」「われこれを行なう」となっていてしかも傍点までふってある。日本でも昔は教会でこういうふうなセリフを使ったのかもしれない。そのまま訳しちゃわけわかんないから略さずに言うセリフを探し、さらにそれを古風な和訳に置き換えたのだろう。翻訳者の苦労がわかるね。

若い頃はすくなくとも酒を飲めばハメを外してストレスの発散になったのだが、今は逆に外で酒を飲むとハメを外さないようにモノをなくさないようにと我慢して飲むからストレスをため込んでしまう。家で飲むときには安全でしかも適量しか飲まない(350mlのビール2本とハイボール1杯くらい)。外で飲むとどうしても飲み過ぎてしまうししかもハシゴまでしてしまう。

要するに年を取ってメンタルも弱くなったし、体力も落ちたし、酒にも弱くなったし、酒を飲むと自分がどうなるかってこともほとんど全部経験し尽くしていてこれ以上新しいことなんて(自分自身がまったく別人にでもならんかぎり)ないってわかってるわけだ。自分という形ができあがってしまってその形の中で酒を飲まなきゃならんという窮屈さがある。自分という殻が邪魔だし、自分の周りの環境も邪魔だし、つまり自分自身が邪魔なわけだ。犬がうるさいのも自分のせいだしタバコが臭いのも自分のせい。すべて、他人のせいでもあるが同時に自分のせい。これはもうわかりきっている。じゃどうしたら良いんだよっていうとどうにもできやしない。ここまでこじらせてしまうと手の付けようがない。

いろんなことをくよくよと気にするようになったのも年のせい。人の言うことをいちいち深読みしてちゃ外飲みはできんのだろう。年を取ったおかげでいろんなことが予測できるようになってしまった、先回りしてわかるようになってしまった、ということは良いことでもあるのだろうが、メンタルにはきつい。

トップページのタイトル

トップページだけ、タブに表示されるタイトル(つまり titleタグの中身)を「ページのタイトル – サイトのタイトル」ではなく「サイトのタイトル」になるようにしてほしいと言われ、いろいろやってみた結果、function.php に

add_filter( 'pre_get_document_title', 'change_document_title' );
function change_document_title( $title )
{
  if( is_home() )
  {
     $title = blog_info('name');
  }
  return $title;
}

と加えれば良いだけだった。あと、SEOプラグインがタイトル管理してる場合があるのでその時はそのプラグインを無効にしなくてはならない。

アマゾンのレビュー

『特務内親王遼子』なのだが、特に読まれた形跡はないのに(読破した人がいるとは思えないのだが)レビューに星1つついてて、コメントは無し。おそらく平安文学的、ないしは女性週刊誌的「内親王」のイメージで読み始めたがそのイメージとまったく合わないことが書かれていたので、読むのをやめて星1つを付けたのだろう。あるいはこれが、近代東アジア史のパロディになっているので、それが生理的に気に入らなかったのかもしれない。

同じことはおそらく『江ノ島合戦』にも言えて、ただ単にタイトルのイメージで面白そうだなと思って読んでみたら期待外れだったのだろう。

『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』もそうだろう。ハイディに対するイメージと違う、そういう反発で低い点を付ける。

これはもうしょうがない。私の場合世の中にもう読みたい本がなくなったので自分で書き始めたのであり、その辺にありそうな本を読みたい人が読んでも面白いはずがない。気難しい、世の中が嫌いで人間が嫌いなおっさんが書いたものなので、一般人が読んで不快なのはしょうがない。

『妻が僕を選んだ理由』は23個もレビュー(コメント無しを含む)がついてて、なんでこれがそんなに読まれたのか不思議だが、おそらくこれも単にタイトルに興味が引かれたというだけなのだろう。

どうしたものだろうね。

朝の騒音

年を取ってSNSというものがメンタルをガリガリ削ってくるので見るのが嫌になった。最近のSNSってのが、ごく普通の人がただ単に書きたいことを書いてるのでなくて、なんかなまじプロの書き手がいて、より多くの人に読まれようと巧んで書かれるようになり、そういう人のツイートなり動画なりがよけいに目立つようになってきて、それって昔のテレビや新聞と同じじゃん、マスコミと根っこはまったく同じじゃん、自分が見るのも嫌だったのと同じことを一般人がやるようになった、そういうメディアができただけじゃんってことになり、見るのが苦痛になってきた。

なんかものが書きたきゃ、心静かにブログでも書いているほうがよいと思えるようになってきた。

朝は耳栓をしていることが多い。

3:00頃新聞配達のバイクが来る。うるさい。早朝ですらない。深夜だ。もしバイクで新聞配達するんなら昼間にやればよい。深夜に配達するんなら、音のしない何かでやってもらいたいがそれはそれで暗闇の中事故を起こしてしまうから危険なのだろう。そもそも新聞自体が無くなってしまえば良いのに。

犬の鳴き声。つい最近、いや1年くらい前か。近所のどこかが犬を飼い始めた。早朝犬の散歩をする。でかける時と帰ってくるときに吠える。うるさい。やかましいというのではなく、カンに障る。小型犬でたいして大きな声ではない。そんなのカラスの鳴き声のほうがうるさいだろうと思うかもしれないが、この小型犬というものが完全に人間のエゴで作られた生き物であり、犬は人間に媚びるしか生きていくすべがない。人間のほうはただ可愛いというだけの理由で衝動的に飼っている。そういう人間と犬の関係性が嫌でたまらないからカンに触るのだ。イノシシを狩る時に連れて行く犬とか、鼠を狩る猫ならまだわかる。単なる愛玩動物。存在自体が嫌いだ。

これは何度も書いたことだが、若い頃は犬が多少吠えていても気にもとめなかった。賃貸で二階に住んでいて一階で犬を飼っていることもあった。ところがずっと後になり隣の家で1:00頃必ず犬が鳴く。新聞配達が来ると必ず1時間くらいずっと鳴き続ける。それがもううるさくて仕方なかった。それ以来犬が大嫌いになったし、新聞配達も嫌いになった。

後、雨戸の開け閉め。あんなもの必要無くないか。だいたい隣の家は4箇所雨戸を開ける。だから1回ガラガラっといったらあと3回同じ音を聞かされる。それが嫌だ。

とにかく年をとるのはやっかいだ。こんなに生きるのがめんどくさくなるとは。

銭湯

最近割と銭湯を利用するのだが、グーグルマップで調べて入り口に灰皿を置いているようなところには行かないようにしている。

東京都の共通入浴券を買った。

15時から17時くらいまでは、開店そうそう待ち構えてやってくるじいさんとか謎の職業の人たちで込んでいるが17時以降はいったん客が引いてガラガラになるところが多いように思う。繁盛している店は二階建てにしたりサウナ付けたりしてるんだが、私はそういうのは要らん。

ほぼすべての店にボディーソープとシャンプーがあるが、ものすごく薄めてあってストレスがたまる。特に泡タイプにしている店はどんなに出してもぜんぜん効き目がない。それで近頃は Biore 1 という、ボディーソープもシャンプーもリンスも全部一緒になった洗剤を使っている。割高なのかもしれんが、とりあえずこれで十分な気がする。

マスクはしているのに路上でタバコふかしてるじいさんとかもうわけがわからない。手の消毒なんかもまったく意味はない。そういう連中がいるから3年間もコロナで騒いでたわけでもうどうしようもない。

どことはいわんが営団地下鉄の改札の向かいにたばこ屋があってそこでいつもたばこを吸っていてくさい。またこれもどことはいわんが地下鉄の駅ビルの裏、ビルの側は禁煙なんだが道挟むと禁煙ではないらしくそこでいつもその駅ビルで働いている連中がタバコを吸いにきている。

どことはいわんが、某スーパーで、タバコと酒は二十歳になってからってわざわざ店内放送してるところがあるんだが、アレなんで要るの。なぜスーパーでアナウンスする必要があるの。酒買いに来たやつが不愉快な気持ちになると思わんのかね。タバコなんかと一緒にされちゃ迷惑だからもうそのスーパー行くのやめるわ。

まったくスーパーにしろ百貨店にしろ駅にしろ電車にしろどうでも良いアナウンスをくどくどくどくど聞かされるのほんとつらい。まじコロナ後遺症だわ。ほんとアナウンスが嫌になった。

製氷皿

近頃は twitter に書こうか blog に書こうか迷ったら twitter に書くようにしているつもりなのだが、ハイボールを飲むようになってから製氷皿を酷使するようになって、自動で作ってくれる冷蔵庫も自宅にはあるがそれ以外の場所で貧弱な冷蔵庫使う場合もあって。それで良い製氷皿というのは、ひねるとぽろっと自然に氷が落ちる。悪い製氷皿はひねっても氷が落ちず氷にヒビがはいったりする。あと、積み重ねて置けるような形になってる製氷皿があるんだが下の皿は凍りすぎてやはり氷が落ちにくい。あと何年も使ってると割れて水が溜まらなくなる。

ウィスキーもおんなじやつをずーっと飲んでれば、味の違いがわかるようになるし、製氷皿もしょっちゅう使ってれば善し悪しが分かるようになるし、だから、人間も長く生きているとよろずのことに善し悪し好き嫌いができてくるのは仕方ないことなのだな。

heidi 1-3-6

Heidi hatte unterdessen sein Schürzchen losgemacht und schön fest zusammengerollt mit den Blumen darin zum Proviantsack in die Vertiefung hineingelegt, und nun setzte es sich neben den ausgestreckten Peter hin und schaute um sich. Das Tal lag weit unten im vollen Morgenglanz; vor sich sah Heidi ein großes, weites Schneefeld sich erheben, hoch in den dunkelblauen Himmel hinauf, und links davon stand eine ungeheure Felsenmasse, und zu jeder Seite derselben ragte ein hoher Felsenturm kahl und zackig in die Bläue hinauf und schaute von dort oben ganz ernsthaft auf das Heidi nieder. Das Kind saß mäuschenstill da und schaute ringsum, und weit umher war eine große, tiefe Stille; nur ganz sanft und leise ging der Wind über die zarten, blauen Glockenblümchen und die goldnen, strahlenden Cystusröschen, die überall herumstanden auf ihren dünnen Stängelchen und leise und fröhlich hin und her nickten. Der Peter war entschlafen nach seiner Anstrengung, und die Geißen kletterten oben an den Büschen umher. Dem Heidi war es so schön zumute, wie in seinem Leben noch nie. Es trank das goldene Sonnenlicht, die frischen Lüfte, den zarten Blumenduft in sich ein und begehrte gar nichts mehr, als so dazubleiben immerzu. So verging eine gute Zeit und Heidi hatte so oft und so lange zu den hohen Bergstöcken drüben aufgeschaut, dass es nun war, als hätten sie alle auch Gesichter bekommen und schauten ganz bekannt zu ihm hernieder, so wie gute Freunde.

一方、ハイディはエプロンを外し、中に詰めていた花を巻きこんで、きちんとしばり、ペーターの袋に他の荷物とともに入れて、地面の窪みに戻した。それからペーターの隣に座って辺りを見回すと、眼下に谷間は朝の輝きに満ちており、目の前には、深い青空にむかって大きく広い雪山がそびえ立ち、左手には巨大な岩がそそり立っていて、その頂はいずれもむき出しの、のこぎりの歯のような岩肌の、天空に伸びる岩の塔のようで、それらがみな、ハイディを興味深そうに見下ろしていた。その子は鼠の子のように黙って座っていて、辺りを見回した。辺りは全くの静寂に包まれていた。あちらこちらに咲いている繊細な青いツリガネソウや黄金色に輝くスミレに心地よい優しい風が吹いてきて、細い茎を静かに、楽しげに揺らしていた。ペーターは苦労の後で眠りに落ち、山羊たちは辺りのやぶで草を食べていた。ハイディは今までの人生の中で一番の幸福を感じた。その子は黄金色の日差しの中で新鮮な空気や、繊細な花の香りを吸い込み、この幸せが永遠に続けば良いのにと思った。そんなふうにその子はとても良い時間を過ごした。そして高い山々を何度も見上げて、それらの一つ一つに顔があって、親しげに、自分の良い友を見るように見下ろしているように感じた。


mäuschenstill = Maus + chen + still 鼠の子のように静かに

Glockenblümchen = Glockenblüm + chen。学名 Campanula、英名 Bellflower。英名にちなんでツリガネソウと訳した。

heidi 1-3-5

»Jetzt hast genug«, sagte dieser, als sie wieder zusammen weiterkletterten; »sonst bleibst du immer stecken, und wenn du alle nimmst, hat’s morgen keine mehr.« Der letzte Grund leuchtete Heidi ein, und dann hatte es die Schürze schon so angefüllt, dass da wenig Platz mehr gewesen wäre, und morgen mussten auch noch da sein. So zog es nun mit dem Peter weiter, und die Geißen gingen nun alle geregelter, denn sie rochen die guten Kräuter von dem hohen Weideplatz schon von fern und strebten nun ohne Aufenthalt dahin. Der Weideplatz, wo Peter gewöhnlich Halt machte mit seinen Geißen und sein Quartier für den Tag aufschlug, lag am Fuße der hohen Felsen, die, erst noch von Gebüsch und Tannen bedeckt, zuletzt ganz kahl und schroff zum Himmel hinaufragen. An der einen Seite der Alp ziehen sich Felsenklüfte weit hinunter und der Großvater hatte Recht, davor zu warnen. Als nun dieser Punkt der Höhe erreicht war, nahm Peter seinen Sack ab und legte ihn sorgfältig in eine kleine Vertiefung des Bodens hinein, denn der Wind kam manchmal in starken Stößen dahergefahren, und den kannte Peter und wollte seine kostbare Habe nicht den Berg hinunterrollen sehen; dann streckte er sich lang und breit auf den sonnigen Weideboden hin, denn er musste sich nun von der Anstrengung des Steigens erholen.

「それだけ集めればもう十分だろ、」連れだって歩きながらペーターは言った、「いい加減にしないと牧場にたどり着けないよ、それに、今日全部取ってしまったら明日の分がなくなっちまうだろ。」それもそうかとハイディは納得した。エプロンはもう花でいっぱいでこれ以上入りきらないし、明日また集めることもできるのだ。ペーターがさらに先へ進むと、高原の牧場からかぐわしい牧草の香りが漂ってきたので、山羊たちは立ち止まることなくどんどん先へ進んだ。ペーターがいつも山羊たちをとどめてしばらく放牧させている牧場は高い岩場の麓にあり、そこははじめ薮やもみの木に覆われて、空に近づくにつれてだんだんにまばらになっていく。アルプの片側は岩の深い割れ目になっていて、おじいさんが警告したことは正しかった。この高さまで登ってくるとペーターは自分の袋を時折吹いてくる強い風が彼の大事な荷物を山の谷底まで吹き飛ばしてしまわないように、地面の窪みに注意深く押し込んだ。彼はそれから地面の上に寝転がって手足を思い切り伸ばし、登山で疲れた体を休めた。

heidi 1-3-4

»Wo bist du schon wieder, Heidi?«, rief er jetzt mit ziemlich grimmiger Stimme.

「またしても君はどこへいっちまったんだ、ハイディ?」彼はちょっと腹を立てたような声で叫んだ。

»Da«, tönte es von irgendwoher zurück. Sehen konnte Peter niemand, denn Heidi saß am Boden hinter einem Hügelchen, das dicht mit duftenden Prünellen besät war; da war die ganze Luft umher so mit Wohlgeruch erfüllt, dass Heidi noch nie so Liebliches eingeatmet hatte. Es setzte sich in die Blumen hinein und zog den Duft in vollen Zügen ein.

「ここよ、」どこかからそんな声がした。ペーターには誰も見えなかった。ハイディは香りの高いスモモが茂る小高い丘の裏側に座っていたのだ。そこはまだハイディが嗅いだこともないようなかぐわしい空気に満ちていた。その子は花々の中に座って思い切り匂いを吸い込んでいた。

»Komm nach!«, rief der Peter wieder. »Du musst nicht über die Felsen hinunterfallen, der Öhi hat’s verboten.«

「こっちにおいで!」ペーターはまた叫んだ。「君は岩から落っこちないよう用心しなきゃダメだ。おじさんがダメだって言ったんだ。」

»Wo sind die Felsen?«, fragte Heidi zurück, bewegte sich aber nicht von der Stelle, denn der süße Duft strömte mit jedem Windhauch dem Kinde lieblicher entgegen.

「岩はどこにあるの?」ハイディは聞き返した。しかし、一息ごとにかぐわしい香りが漂ってくるので、その子はその場から動こうとはしなかった。

»Dort oben, ganz oben, wir haben noch weit, drum komm jetzt! Und oben am höchsten sitzt der alte Raubvogel und krächzt.«

「上のほうさ、もっとずっと上だ。僕らはもっと先まで行かなきゃならないんだ!その山のてっぺんには年を取った猛禽がギャーギャー鳴いているんだ。」

Das half. Augenblicklich sprang Heidi in die Höhe und rannte mit seiner Schürze voller Blumen dem Peter zu.

その説明でハイディは一瞬で飛び起きて、エプロンを花で満たしたままペーターのところへ駆けていった。


Prünellen は、Kriechen-Pflaume、英語で plum、学名で Prunus、和名で大雑把に李(すもも)という種の、数多くある俗名の一つであるという。