職域接種で、モデルナ1回目接種。まずまずスムーズ。15分前到着、15分の経過待ちを含めトータルで45分くらいしかかからなかった。
注射したところがやや痛んだが、今はもう痛くない。今のところなんということもなし。
職域接種で、モデルナ1回目接種。まずまずスムーズ。15分前到着、15分の経過待ちを含めトータルで45分くらいしかかからなかった。
注射したところがやや痛んだが、今はもう痛くない。今のところなんということもなし。
エウメネス6は未だに全く読まれないのに、エウメネス1はちょこちょこ読まれるという現象が続いている。
とりあえず今後私にできることはエウメネス1の文章をできるだけ磨くことくらいだと思われる。
改めて読んでみるとまだ誤字があるのには驚かされる。
一太郎からWordに変換したことによって、いままで気づかなかった誤字が見つかるようになった。
人間の知覚は不思議なものだ。なぜ今までわからなかったのだろう。
今回『エウメネス6』を出してみて思ったのだが、私としては話を完結させねばならないという半ば義務感と、そろそろ決着を付けなきゃいつまでもきりがないという気持ちもあって書いたわけだが、待ち望んでいた人は誰もおらず、読みたがる人もいなかった、ということがほぼ明らかになった。
もちろんきちんと広報したわけではないので、もしかしたら第1巻から5巻まで買っていて、6巻が出れば買おうと思っていたがまだ気づいてないという人もわずかにはいるのかもしれない。そのうち気づいて買ってくれる人がいるかもしれない。でもまあそういう人は稀であろう。
これまで5巻まとめて買ってくれた人はたぶん「積ん読」で買ってくれたのか、あるいは、『ヒストリエ』の参考文献として必要な箇所が読めればよいと思ってまとめ買いしたのか、だいたいそんなところだと思う。
50万字の小説をわざわざ読む人はほとんどいないと思う。よほど話題になって読んでおかなきゃいけないかなと思って読む人はそりゃいるだろう。しかし私の場合はほとんど無名だ。50万字ちゃんと読む人がいるとはとても思えない。
エウメネスを新人賞に応募したのが 2012年12月。
落ちたので kindle で出したのが 2013年。
その後なぜかエウメネスばかりが売れるようになり、といっても大したことはないのだが、他のはだいたい出して少し読まれたら失速していくんだが、エウメネスだけはぽつぽつ買われてて、続編が読みたいというレビューもあったんで、続編を書いた。
それでエウメネス2とエウメネス3を出したのが 2016年6月とか7月。
おそらくは『ヒストリエ』の副読本もしくは世界史の勉強のために読まれているのだろうと思う。それ以外あまり理由がおもいつかない。
それからエウメネス4とエウメネス5を出したのが2017年の8月とか11月。このへんからかなりフィクションを交えて膨らますようにした。というより、イッソス、ガウガメラあたりまでは勢いでかけるのだが、そこから先はエピソードを羅列しただけでは書きようがなく、フィクションで補間しないと話として成立しない。
ペルシャがまたよくわからない。少なくとも日本語の文献だけではほとんど何もわからず、日本人にも感心が薄いところ。でも、ペルシャを書かねばアレクサンドロスは書けないのだから、書けるようになるまでずっと構想を練っていた。それでやっと完結編エウメネス6を書けたのが 2021年8月。
アレクサンドロスの死やディアドコイ戦争については書く気はもともとなかったので、これでおしまい。
完結して、全6巻そろってこれからも順調に売れ続けるようなら出版社に話を持って行くなり、最悪自費出版でもしようと思ってる。
トータルで1万部も売れれば話に乗ってくるとこはあるんじゃないか、などと思ってるのだが、どうか。
エウメネス6は今までとはかなり違った構成になったと思う。村上春樹みたいに心象風景を延々と書くようなものを書いてみたかったが、結局そうはならなかった。
私の場合まず、歴史的な骨組みを書いて、そこに補助線を引いて増築し、そのあと心理描写などを肉付けするんで、どうしても「シンプルな文体」とか「シンプルな構成」になってしまう。
この先膨らますとすればどうしてもアマストリーが主人公になりそうないきおいで、でも以前にそれに近い『エウドキア』を書いてしまってるので、アマストリーについて書けば書くほど『エウドキア』に近づいていくだけだと思う。どうしても私が書くと話がそっちのほうへふくらんでいってしまうのだなあ。
登場人物の数は圧倒的に男が多いが女もけっこう出てくる。人物の描写で言えば男女半々くらいで、主要な女キャラも、オリュンピアス、アマストリー、ラオクシュナ、アパマ、シシュガンピス、バルシネ、アルトニス、ピュティオニケ、フリュネなど、ほかにもアルテミシア、シャンムラマートなどけっこういて、なぜ私がアレクサンドロスの小説を書くとこうなるのか、自分でも不思議だ。
2012年12月の原稿を今更ながら読んでみると、いかにも拙い。味わいが足りない。それでもこれが、少しずつでも売れたからこそ、手を加え、校正し、文章を練り直し、続編を書き、全部で50万字の作品になった。読者の反応がなければ書かないし、書けなかっただろう。
といって大してもうかったわけでもないし、読まれたわけでもない。
これからもっと読まれてくれると良いのだが。
しかし、ブログはやはり書き残しておくべきものだな。昔何やってたかもうすべて忘れてしまっているから。
cubase の elincencer だがときどきサーバーが混み合ってて認証されない。dawとかasioとかそもそも音楽関係のソフトって音が出ないとかうまく動かないとか開発が止まってて古すぎるとかいろいろストレスフルなところがある。そのうえ、認証サーバーが非力とかで、かなり精神力を削られるところがある。
この認証系のエラーメッセージ(ネットワーク接続を確認しろとか、サーバーがメンテナンス中かもしれません)ってのが出るのは、他の unreal とか unity なんかもそうだが、proxy や firewall のせいじゃなきゃたいていは認証サーバーが混み合っているせいだ。認証をかけてない普通のサーバーはだいたいいつも回線容量とかアクセス数とかに余裕があってさくさくダウンロードもできる。しかし認証サーバーはたぶん常にそういうサービスを供給するところが不足していてそれゆえに高価でだから業者もケチってるんだろうな。
github をブログ代わりに使おうかなどとも考えた。不可能ではないんだが、検索が非力で過去記事をスキャンするとかできなさそうなんで、結局使えそうにないので、またはてなに書くことにした。
音楽ソフトとかモニタースピーカーなんかはヨドバシとかビックよりも楽器屋のほうが品揃えがよく、さくっと話が通ってすぐに買えたりする。これからは楽器屋もこまめに顔をだそうと思った。
最近は作曲とかDTMとかdawとかシンセとかも始めてしまい時間をどんどん削られる。 私の場合どちらかといえば作曲がしたいというよりは、ゲーム制作や動画制作のアセットとして曲が欲しいわけなんで、曲ばかりバンバン作る必要もなく、アセットとして必要になったら作ればいいんだが、とりあえずは自分がどんな曲を作れる人なんかってことを試すためにいろいろやってたらかなり疲れた。
FL Studio はなんだかんだ言われるがやはり良い。Cubase はあまりに古すぎて身動きとれない状態になっていると思う。 LE を入れようとしても AI しか入らず、AI を入れると Elements にしろとか言われ、Elements を入れても Artist にしろとか言われ、Artist を入れても Pro にしろとか言われ、 Pro を入れても Nuendo にしろとか言われるのだろう。 なんだかスマホゲーの課金システムを見ているようだ。 認証サーバーも重くてつながりにくいし、ファイアーウォール挟むとさらにやっかいだ。 やっと起動しても音が出るまでに一苦労する。
FL Studio もまた Cubase と似たようなものだが、新参な分、身軽で良いのだと思う。 Cubase は定番なのに儲かってなくて経営者や株主からせっつかれてるのかもしれんが、ああいうやり方はユーザーの心証を悪くするだけだと思う。 完全に一から作った Daw が出てくればそっちに乗り換える可能性は極めて高い。 Maya や 3dsmax みたいに昔からのユーザーを引き連れているソフトよりも blender のほうが使いやすいのと同じだろ。
unreal editor は unity が出てから生まれ変わった。いまや unity のほうが旧態依然としているくらいだ。 unity も unity hub に移行してからずいぶんひどかった。いまは少し落ち着いたが。 epic games launcher の認証もファイアーウォールごしだと一時期もたついてたが今では特に問題ない。 私としては ue5 になってガラっと変わられては困るなと思っていたが、ユーザーインターフェースや仕様などほぼ ue4 を引き継いでいてくれてほっとした。
blender も 2.91 になってからすっかりおちついた。半年に1回定期的に upgrade されるようになってこれもありがたい。 というか、落ち着いたから定期 upgrade に以降したんやろね。落ち着いてなきゃできないことだ。
動画ばっか作るようになったのはコロナのせいだ。 というか、ほんとは、もっと早く動画を作るようになるべきだったのだが、その必要性を気づかせてくれたのはコロナだし、 業務として動画制作するんじゃなきゃこんなに早く身にはつかなかった。 動画作るのは楽しいし、一番有効に時間を活用しているようにも思う(そうね。小説書いたり作曲したりする時間くらいに)。 でも時間がまじで足りなくなってきた。余裕がない。 コロナが落ち着けば少しは時間ができるかもしれないが、それでも足りない。 思うに、twitter とか facebook 見たり書いたりするのをやめれば時間が余るに違いないのである。 全然見ないわけにはいかないかもしれないが、 活動のメインを youtube とかブログにして、その告知くらいをたまに twitter あたりでやるので十分ではなかろうか。 twitter に直接いろいろ書くのも問題あるしね。
ここのところ1週間くらいkdpはkenpも注文数も0。ところが一部のランキングは動いていて不思議だ。『潜入捜査官マリナ』とか。なんでやねん。amazonのページにアクセスがあったとか?それとも購入済みの本にページビューがあったとかか?
ランキングが10万とか100万の世界だとそのくらいでランキングが変動するのかもしれんね。
不思議ついでだが『藤原定家』とか『シュピリ』も割とランキングが動いてて、こいつらは私が出版したわけではないので注文数とかkenpが動かなくてランキングだけ動いてても何の不思議もないのだが、kindle unlimited に登録されているから誰かがときどきチラ見しているということだろう。『シュピリ』はともかく『定家』も読まれているとは嬉しいことだ。
いや、嬉しくはなくて、ある日から注文もkenpも0になって世の中から見捨てられるのではないかという恐怖はずっとある。
いろいろ種を蒔き始めて10年が経ったわけで、このまま一部の人たちに名前を覚えられてなんかそのうち花咲くときがくれば良いななんて思ってる。
カクヨムは相変わらず。最初だけ少し反応があって、その後まったくアクセスが途絶える。ただし『伊勢物語』は別。悩ましい。『伊勢物語』を読んで他の作品もついでに読んでくれる人がいればいいのに。ていうか皆無ではないと思うが、ほとんどいまのところその効果は無い。
ときどきコメントとかレビューされることがあるがなんかこの人プロの研究者かな?とか思えるときもあってちょっとびびる。
10年以上続けてみないと見えてこないものはあるわけで。2013年にkdpで『エウメネス』を出して、以来、なぜか私が書いたものの中で『エウメネス』だけが読まれ続けていて、なぜかなと思って調べてみると、エウメネスを主人公とする漫画『ヒストリエ』があり、ああ、『ヒストリエ』を読んだ人がついでに私の小説にも興味を示して読んでくれているのだろう、とそのときは納得していた。
そのままずっとそれで納得してたのだが、最近は、必ずしもそれだけじゃないんじゃないかと思い始めた。
私が書いたもので比較的継続して読まれているものには、カクヨムで出している『伊勢物語』がある。この『伊勢物語』と『エウメネス』に共通しているのはどちらも娯楽ものというよりは教養ものという性質の読み物であるということ、学習参考書的な性質を持っているということだと思う。
思うに、『ヒストリエ』を読んでアレクサンドロス大王に初めて興味を持った、という人はおおぜいいるに違いないが、そうでなくとも、アレクサンドロス大王に興味を持つ人はいるに違いない。世界史を学んでいて、『ヒストリエ』を参考にしようとしても、『ヒストリエ』は時代考証的にはかなり怪しいので、楽しみながら読めてもう少し役に立つ読み物はないかと探すと『エウメネス』にたどり着くのではないか。
あとはやはり、アマゾンでポジティブなレビューがついているのはやはり大きく、ときどきランキングで浮上して目に付くというのもかなり効いていると思う。
古代ギリシャものというのは古代ローマものと同じくらいに日本人には人気が高い。ギリシャものを読みあさっていくと、アレクサンドロス大王についてしっかり書いたものはそれほど多くはない。塩野七生も『ローマ人の物語』の二番煎じで『ギリシア人の物語』というものを書いた(書かされた)が、このできがあまり芳しくない。いろんな意味で不満が多い。少なくとも私としては。
これが英語圏の書籍であればアレクサンドロス大王について書いた本はゴマンとあって無名の作家が書いても埋もれてしまうのかもしれんが、日本語だとあまりない。あったとしても、断片的で、全体をざっと俯瞰し網羅するのに向いてなかったりする。あるいは逆に、概要だけで詳細がつかめないとか。
日本語でギリシャものといえば、神話とかアテナイとかあのへんのやつばっかりで、アレクサンドロス大王とかマケドニアあたりは案外手薄だ。
今はウィキペディアがあるから手間をかけて調べようと思えば別に小説を読む必要はないのだが、時間かけてあちこち調べるよりも手っ取り早くまとまった本を読みたい、という需要はやはりあるはずだ。
つまり、需要はあるが供給がない状態、ブルーオーシャンになっているのだろうと思う。
『伊勢物語』に関していうと、たぶん、これは高校生や受験生が見に来ているのだと思うが、ほかにも似たようなサイトはいくらでもあるのだけどたまたま、カクヨムだと検索の上位に来やすいとかそういう理由で見にきているのではなかろうか、と思う。極めて残念なことながら『伊勢物語』を読んだあとにカクヨムにおいてる他の私の作品も合わせて読まれているという傾向はほとんど無いと言って良い。
カクヨムでいうと『六波羅殿御家訓 現代語訳』もなぜかかなり読まれていて、といっても『伊勢物語』に比べると1%くらいだが、こういうものにはある一定の需要があることがわかる。
『エウメネス』を読んだ後にたとえば『エウドキア』などを読んでくれていることは、まったくないわけではなさそうだが、しかし、私の著書を一通り全部読んでみようという人は、まだおそらく、ごくわずかしかいない。
つまり私は、教養ものとしてはまあそこそこ読まれてはいるものの、娯楽ものとしてはほとんど需要がない、という状態にある。カクヨムだとあるところまでは読まれるが、それ以後ピタリとPVが止まる。それはkindle本でも同じように言える。読まれないものは永久に読まれず、埋もれてしまい、存在しなかったことにされてしまう。
10年近く小説を書いてみてわかったのはそういうことだ。また、10年続けてて少しずつ認知はされてきているのだと思う。
いつかパタッとPVが止まるのではないか、というのは恐怖で、逆に、今後もじわじわPVが続く、というのはとても心強いものだ。
とはいえ、一番売れてる『エウメネス1』でさえ、実売は500冊くらい。しかし、これが今後1000冊、2000冊となったらどうか。出版社に持ちかければ書籍化してくれるかもしれない。
まったく無名の作家が広告費もかけずに500冊売ったということにどれくらいの可能性があるものだろうか。
自分のレンタルサーバーでwordpressで日記書くのを諦めて、そのあと、カクヨムとかnoteとかも使ってみたが、ブログのようにアーカイブをただちに参照できるようにはできてなくて、つまり、何年にもわたって書きためるには向いてない。
で、自前のwordpressを持たないと決めたら残る選択肢はハテナブログくらいしかない。
ハテナブログはwordpressのすべての機能を使えるわけではない。でも、勝手に関連する過去記事のリンクを表示してくれるのはとてもよい。まあこれもおそらくなんかのプラグインを入れてるだけなんだろうけど。しかしそういうことを自前のwordpressでやろうとするとめちゃくちゃ重くなったりメンテがたいへんだったりするから、やはり便利といえば便利だ。
なので、あちこち書き散らすのでなくブログに回帰してくるかもしれん。
つまり、ブログはtwitterみたいな即時的な交流は(少なくとも昔ほかにほとんどSNSのたぐいがなかったころのような)期待できないがこつこつ書きためてアーカイブするには良い、ということだと思う。
中国で研究者になるというのが流行りらしいが、ケースバイケースではなかろうか。研究者というのは本来は渡り職人みたいなもので、中国だろうがアメリカだろうがヨーロッパだろうが世界中、あるいは日本国内でも、渡り歩くので良いと思う。
しかしながら年を取ってくるとそういつまでも転がる石みたいなことは(生涯年収的に)できないからどこかに落ち着くとなると、自分にとってそれなりに住みやすいところに住むしかなかろう。
中国に数年腰掛けるだけなら行けばいいんだろうが、そんな簡単に縁を切ることができるのだろうか。いろいろリスクがありそうだ。研究者が渡り職人であるためには労働市場の流動性が必要なわけだが(日本にはそもそもそれが無い)、中国に行って簡単に転職したり帰国したりできるんだろうか。
小説もブログも同じだが、何年も書きためてみなくてはわからんことは多い。長期的にみたときにふらっと中国に行ってそれで大丈夫なのだろうか。とは思わないのだろうか。
あとわざわざ中国が引き抜きにくるにはいろんな理由があるはずで、それをわかった上で引き抜かれようというのは、いろいろモラル的にはどうかと思う。
いずれにしてもマジで必要とされている人ならどこへでも行けるはず。もっと露骨に言えば、日本だけじゃない、アメリカでもヨーロッパでも相手にされなかったから中国に拾ってもらったんでしょ、としか思えない。
もひとつ。中国のアカデミズムは今やすでに世界最高水準だ、という評価には疑問を感じる。論文数や特許件数なんてのは、あれは商売と同じでマーケティングさえすればいくらでも水増しできるものだ。正味ははたしてどれほどだろうか。
在宅勤務が増えたせいで最近ちょっとヘッドホンに凝ってるのだが、ロジクールのヘッドセット(1万円くらい)、マランツ(8千円くらい)、オーディオテクニカ(2万円くらい)を聴き比べてみた。
オーディオテクニカの ATH-M50x だが、こいつが一番音が細く聞こえ、ロジクールが一番音が良く聞こえる。
ところが、よくよく聴き比べてみると、オーディオテクニカが一番高音が聞こえやすくて、だから音が細く弱く聞こえるのだった。
同じ音量で聴くと明らかにオーディオテクニカが一番ゲインが高い。
オーディオテクニカの後にロジクールを聴くと音がモコモコして聞き取りにくい感じがする。
オーディオテクニカとマランツ MPH-2 の差はわずかだが、やはりオーディオテクニカのほうが高音が聞き取りやすいように思える。
あと、オーディオテクニカは側圧が強くて、ノイズキャンセリングではないのにものすごく密閉されている感じで、周りの音が聞こえなくなる。その代わりさすがに付けていて疲れる。密閉すればするほど高音が聞き取りやすくなる、ということもあるのかもしれない。
なので、よほど音質を気にするような作業をするときはオーディオテクニカだが、ふだん音楽を楽しむときはマランツで良いのではなかろうか、と思った。
あと、思ったのだが、冨田勲の昔のシンセサイザーのアルバムなどを今聴いてみるととても音が悪い。おそらく冨田勲自身が自分でオープンリールのテープレコーダーかなんかで多重録音しているのだろうが、そりゃまあ昔の機材だとこの程度の録音しかできなかったのか。
音がこもっているというか割れているというか。ダイナミックレンジも狭いし、まあふつうにLPにカッティングするんだから仕方ないんだろうけど、『宇宙幻想』とか、せっかく迫力ある盛り上がる曲なのに、もったいないと思う。今録音してたら全然違ったんだろうが、逆に、今だとシンセサイザーなんて珍しくもないからね。
ヘッドホンじゃなくて、BoseのPCスピーカーなんかでボコボコ鳴らすと逆に迫力があってよろしい。