日露戦争物語

江川達也が「BE FREE」「ラストマン」「東京大学物語」と来て、今は「日露戦争物語」。
教育モノが好きなんだね。で、今は日清戦争にさしかかったところ。

江川達也が「王道の狗」を読んで影響を受けていたかどうかは微妙。金玉均の描き方がまるで違うところをみれば、おそらくは読んでないか。では「坂の上の雲」を読んでいるかといえば、もちろんそうだろう。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を原作とした映画やらを禁じているそうだが、原作というほど似てはいない。しかし秋山真之が主人公なところはそっくりだがなー。

「坂の上の雲」では金玉均についての描写はあまりなかったような気がする。一応全部通して読んだはずだが。

江川達也「日露戦争物語」司馬遼太郎「坂の上の雲」安彦良和「王道の狗」を読み比べるというのはなかなかおもしろいんだが。「坂の上の雲」は超ベストセラーで、「日露戦争物語」もそこそこメジャーだと思うが、ミスターマガジンに連載された「王道の狗」を読んでる人というのはきわめてまれだろう。安彦良和は最初ガンダムのキャラクターデザイナーとして現れ、それからアリオンという空想的というか浪漫的なギリシャ神話ネタの漫画を書いた。はっきり言ってアリオンは大した漫画ではない。ところがギリシャ神話を取材にギリシャに行って、それからトルコでクルド人というのを知って、「クルドの星」という漫画を書いたのだが、これがなかなかの傑作。またトルコで日本近代史というものに開眼したのだと思われる。日本神話にも関心を持ち神武天皇とか大国主の命の話も書いているが、こちらはどうにもこうにも。さらに幕末から日清戦争までを書いた「王道の狗」は傑作だと思うが、ノモンハン事件あたりを書いた「虹色のトロツキー」はかなり異常で難解。割と好きなのは「三河物語」で、大久保彦左衛門と一心太助が大阪の陣に徳川方で参戦するという話。これはメディア芸術祭か何かで賞をもらってたようだが、知名度はほとんどないんじゃないか。

「王道の狗」は前振りをざっくり省略すれば、自由民権運動で投獄され脱獄した主人公が金玉均の用心棒となり、その遺志をついで日清戦争後も朝鮮でゲリラ活動を繰り広げるというもの。「日露戦争物語」みたいに読んでわかった明治時代、みたいな書き方にはなっていない。

なんかとりとめのない話になってしまったな。

で、金玉均もそうだが陸奥宗光がまた。PHP文庫に岡崎久彦「陸奥宗光」というのがあり、また新潮文庫に角田房子「閔妃暗殺」というのがあるのだが、読んでも読んでもようわからんのだが、その中でも江川達也の描写というのはなかなか的確でわかりやすいなあと思った。彼はそうとうに努力していると思う。

ただ、江川達也の書き方だと、陸奥宗光も金玉均も、日本と清が一戦交えることで、清、朝鮮でそれぞれ日本の明治維新のような改革が進んで、日本、清、朝鮮の三国によって西洋による東洋の侵略をくい止めることができる、と考えていたことになる。それでいいんだろうか。

雍正帝

宮崎市定の「雍正帝」という本を読むと、

康煕帝はどこまで漢文化に対する理解があったかは別として、しきりに文化事業を起こして大きな書物を編纂させた。その十中八九は徐乾学が編纂の総裁官であったというが、そのたびごとに弟子を編纂官に任用し、事業が終わると部下は恩賞を受けて大官に抜擢され、或いは試験官となって地方に赴く。芋蔓式に目に見えない広範な組織が出来上がるわけである。

とある。康煕時代の文化事業といえばまず康煕字典だが、そもそもなんのために康煕字典というものが作られたかということなど考えたこともなかった。康煕帝は文武両道に秀でた名君だとみんなが漠然と考えるところだが(陳舜臣もそう考えたらしい)、満州から移り住んで間もない康煕帝が自分の意志で漢和辞典なぞ作ったはずはなかった。学者連中が自分の学閥を肥え太らせるために、喧嘩は強いが無教養な天子様からお金をせびったのである。

開けられないブラックボックス

ビックコミックのアフター0というのでありとあらゆる電磁放射や圧力を100%はねかえす箱というのが出てくるんだよね。で、誰もがそのブラックボックスを開けられない。その箱の中には花崗岩の石版が入っているのだが、核分裂で発生する熱で数千万年のうちに中の石版がどろどろにとけるというんだよね。で、開けた瞬間に中から溶けた花崗岩が飛び出してくるという。しかし、外界からのいかなる信号もはねかえすのに、どうやってその箱を外から開けられるのかと。また、外から電磁波が入らないということと中から熱が出てこないというのは別問題な気もするし。SFとして成立してないような気が。

地獄の黙示録特別完全版を全部見る。難しい映画だと思っていたが、通してみると非常に説明的というかオムニバス形式というか、いれかわりたちかわりいろんな人がいろんな立場でベトナム戦争を語っているのだった。「サーベイ映画」と言ってもいいかもしれん。

「猫の恩返し」はけっこうおもしろい。

「ギブリーズ episode 2」もわりと好き。

丸谷才一は小林秀雄が嫌いらしい。私も別に好きではないが。

丸谷才一「桜もさよならも日本語」という本があり、昭和7年と昭和58年の某新聞の社説を比較しているところがあり、戦前に比べて戦後はだいぶ日本語の文章が読みやすくなったと言っている。戦前の文章や結婚式の祝辞などはたとえて言えば祝詞のような意味不明の美文なのに対して、戦後の文章は虚飾と儀式性を廃した実用的な文章だという。

しかし私から見ると戦後の社説も戦前に負けずおとらず虚飾に満ちており、意味不明に思える。

相互依存の進展する現在の世界では、国家間の利害が衝突する機会が増え、その分野も広がる。密接な関係にある先進工業諸国の間では、なおさらその可能性が大きい。

こんな文章に何の意味があるのだろうか。情報量が0だ。まだ近所のスーパーの折り込みチラシの方が情報量があるだろう。こんな文章を書くやつは馬鹿じゃないかと思う。春秋戦国時代の国際関係だって似たりよったりじゃないか。戦前の軍国主義が盛んだった昭和7年くらいの社説が空虚なのは当然だし、そんなものと比較すること自体が恣意的だと思う。単に戦前と戦後を比較したいのであれば、もう少し前の大正時代の社説と比べてみてはどうか。下手をすると、大正の方が今よりまともかもしれない。

丸谷才一という人を私は非常に尊敬しているし多大な影響を受けてもいるのだが、ときどき急にワケのわからないことを言い始めるという気がする。

※追記 丸谷才一は祝詞に何か恨みでもあるらしい。國學院大學教授だったときによほど嫌な思いをしたのだろう。

そもそも祝詞は意味不明でも虚飾に満ちてもいない。祝詞は昔から繰り返された決まり文句であるというだけで、意味はある。アワビの干物を何個、アジの干物を何個、米や麦やヒエやアワを何升、献上します、ということを言ってたりとか。つまり今でいう目録のようなものだったり。レトリックというものからは一番遠い。きわめて素朴な文章である。
そういうことを丸谷才一が知らないはずはないのだが。

お中元とかお歳暮とか年賀状とか年始参りとか父の日母の日とかクリスマスとか、もろもろの近所づきあいとか、結婚式のスピーチとか、葬式とか香典とか香典返しとか、昔は(そして今も)やらなくても良いことが日本には多すぎた(今も多すぎる)んだよね。
そして当たり前だとあきらめてたんだよな。しかし決して当たり前でもなんでもなくて、ほったらかしとくと国が死んでしまうんだよ。ともかく、政治家に結婚式や葬式にわざわざ来てもらうのはやめれ。

某新聞の「**」も救いようのない駄文なんだこれが。文芸は文芸できちんとやってもらってかまわんが、報道とも文芸ともつかない自慰行為を惰性で続けるのはやめてほしいよなあ。もう21世紀なんだからさ。紙面を減らすか広告を増やすかして値段を下げてくれた方がまだいいんだけど。あるいはスタパ斉藤に社説書かせるとか。なんでもいいからもちっと工夫してほしいね。

志賀直哉

志賀直哉の「剃刀」は27才のとき、「清兵衛と瓢箪」は29才のとき、「小僧の神様」は36才のときの作品なんだねぇ。もう私はそんな年とっくにすぎたよ。しかし「濠端の住まい」は41才、「晩秋」は43才、「万暦赤絵」は54才ですよ。そう言われてみると、確かに「剃刀」「清兵衛と瓢箪」は若さに満ちあふれとるし、「万暦赤絵」はいかにも年寄りじみてるし、「濠端の住まい」「晩秋」は四十路のおやじが書きそうだ。「小僧の神様」は年齢不詳(?)だが、三十台半ばといわれれば、はぁと思い当たる節もあるようなないような。じゃあおまえ年の順に並べてみろといわれてもできないようなできるような。

しかし若いと言えば中島敦は若いよねぇ。ほとんどの作品が32~33才。「山月記」も「李陵」も「名人伝」も。

いやしかしねぇ。

筒井康隆も読み返してみてるが、まあなんていったら良いのか。明らかにあまりにもひどいのもあるよねぇ、筒井康隆は。

坑夫

夏目漱石の「坑夫」というのを高校生のころに読んだが,あまり有名な小説でないので,それ以来見かけたことがなかった.漠然とどこかの炭坑のようなものを想像していたのだが,青空文庫で読み返してみると,この東京から北の方へむやみに歩いて松原が延々と続くというのは,どうやら川越街道の描写のようだ.とくに「松原が延々」というのは志木から川越の手前あたりのことに違いない.川越街道は「栗よりうまい十三里」で東京から 52km だから,夜通し歩けばだいたい三芳町あたりまでくるだろう.もしかして夜中に寝た八幡様というのは上福岡の鶴ヶ岡八幡神社だったかもしれん.

板橋街道というのが出てくるが,これはつまり中山道のことだが,これとは別もののようだ.中山道とは別に北へ行く街道と言えば,あとは水戸街道があるが,水戸街道や中山道は川を越えたり田圃を過ぎたりしてわりと変化がある.その点,川越街道は,志木を過ぎて柳瀬川をわたってからはほとんど何も変化がない.まず間違いないだろう.

さらに行くと,牛込神楽坂のようににぎやかで,東京と同じふうな人がいる町で,汽車のステーションがあるというところにでる.これは川越のことだろう.

それから汽車で足尾銅山に向かったとある.川越から足尾銅山へはずいぶん乗り換えがあるが,まあともかく,川越街道あたりで若者を勧誘して足尾銅山につれていく商売をしていたというのは大いにあり得る.

レンズ豆

レンズ豆はレンズに似ているからレンズ豆というのではないのである.レンズがレンズ豆 (lentil) に似ているのでレンズ (lens) というのである!レンズ豆はなんと創世記に出てくる.アブラハムの子イサクは,リベカと結婚し,妻リベカは双子の子エサウとヤコブを生むが,創世記 25:27~34(新共同訳)

二人の子供は成長して,エサウは巧みな狩人で野の人となったが,ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした.イサクはエサウを愛した.狩りの獲物が好物だったからである.しかし,リベカはヤコブを愛した.ある日のこと,ヤコブが煮物をしていると,エサウが疲れ切って野原から帰って来た.エサウはヤコブに言った.「お願いだ,その赤いもの(アドム),その赤いものを食べさせてほしい.私は疲れ切っているんだ.」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである.ヤコブは言った.「まずお兄さんの長子の権利を譲ってください.」「ああ,もう死にそうだ.長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると,ヤコブは言った.「では今すぐ誓ってください.」エサウは誓い,長子の権利をヤコブに譲ってしまった.ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた.エサウは飲み食いしたあげく立ち,去って行った.こうしてエサウは長子の権利を軽んじた.

最近読んだ某という本では,アメリカのエグゼクティブは大量の活字を読む速読術を身につけていて,一週間で聖書の三倍の文章を読む,とか書いてあった.そりゃあ嘘だろう.嘘ではないかもしれないが,新約だけのことを言っているのかもしれない.旧約は新訳の約三倍あるからね.

ミスターマガジン休刊

なんとミスターマガジン休刊!そ,そそそれでなのか.それで「王道の狗」も最終話だったのか.それで「天切り松闇がたり」も最終話なのか.「突破者太陽傳」も面白かったのに終わるのか.「ドーラク弁護士」も「ERET」も終わってしまうのか.ああなんていうことだろう.

なんてひどい話だ.ミスターマガジンだけは欠かさず買ってたのに.主に「王道の狗」を読むためだったけど.モーニングは買わなくてもミスターマガジンだけは買っていたのに.ひどいっ.しかし,「王道の狗」の最終回があまり不自然でなかったのは救いだ.それほど唐突さを感じなかったのも救いだ.もしかすると,編集部は「王道の狗」の最終話まではとがんばったのかもしれない.それでも,話を多少はしょることはあったかもしれんな.こんなにクオリティの高い雑誌を休刊するなんて.もっとくだらない低俗な雑誌はいくらでもあるというのに.ひどいひどいひどすぎる.そもそもそんな雑誌を一番楽しみにしてた私の立場はどうなる.

タルコフスキー

タルコフスキーという映画監督がおもしろいというので,いくつか借りてみた.「惑星ソラリス」はずいぶん前に見たので今回は借りなかった.話せば長いことながら,富田勲の「宇宙幻想」というアルバムを中学一年生の頃聞いた.その最後に富田勲が編曲した「惑星ソラリス」があった.で,スタニスラフ・レムの原作「ソラリスの陽の下に」(のハヤカワの和訳)を読んだり,ビデオを借りて見たりした.原作の方を先に読んだから,というのは,僕が高校生の頃までビデオレンタルというのはほとんどなかったからだが,映画がそれほど優れたものだとは思わなかった.だけど,その映画の監督だと言えば多少は期待がもてるというもの.

さて,「僕たちの村は戦場だった」と言うのをまず見たのだが,これはずいぶんダークな映画だ.12才の少年斥候兵が戦後ドイツ軍に絞首刑になったことがわかるというオチ,少年とその妹が無邪気にみずべで遊ぶラストシーン.みなきゃよかったと思った.それから,「アンドレイ・ルブリョフ」という二本組の長編だが,これは途中であまりにも退屈なのでみるのをやめた.

ポーランドの森を思い出した.僕は1994年くらいにポーランドに国際会議で出かけたのだが,会場が森の真ん中の少年自然の家みたいなところだった.お金がかからないようにと気をきかせてくれたのだが,僕たち日本人ならワルシャワの一番高いホテルに泊まってもぜんぜん平気だっただろう.その方が観光もできてよかったのに,森の中じゃ退屈きわまりなかった.ポーランドの子供たちが屋内プールで泳いでいるところを眺めてもおもしろくない.楽しみは夜パブでビールを飲むくらいだった.毎日,食べたこともないようないろんな種類の雑穀を食べさせられた.森と言っても日本の雑木林のようなウラジロやヨモギやそういった下草がほとんどなくて,白樺みたいな木の幹がすっとのびていて,どこまでもどこまでも歩いていける恐ろしい空間だ.迷い込んだら出られなくなるだろうな.

切腹の起源 2

いろいろ調べ始めたがさっぱりわからん.とりあえず岩波新書「武家の歴史」を借りた.わかったことといえば,平安時代の武家の源氏とか平氏とか藤原氏とか言うのは,かなりいい加減だということだ.あと岩波文庫の日本外史も借りる.頼山陽は,最初に切腹した人が誰か知っていただろうか.そういえば,靖国神社で「日本外史を読む」とか言う講座をやってたような気がする.

ちょっと検索してたら徳川慶喜所有の日本外史の版木で作った火鉢と言うのが出て来た.うーむ.たとえば ここ には「尊皇攘夷運動のバイブル「日本外史」」とか書いてあって,まさにそうなのだが,倒幕された側の慶喜がその版木で火鉢を作って使っていたとは.どういう心境だったんだろうなあ.慶喜が駿府に移って住んだ寺にあったものだというから,ほんとに使ってたんだろうな.昭和 15 年に失火したときに,住職が庭に放り投げて守ったとか書いてある.

ところで上の二つの頁はどちらも ntt.co.jp なのだが,NTT って郷土の歴史に力いれてるのかなあ.

ジェーン・エア

嵐が丘を書いたエミリ・ブロンテのお姉さんがシャーロット・ブロンテで,その人の書いた小説がジェーン・エアで,その映画化されたビデオを嵐が丘のついでに借りてきた.普通に楽しめた.主人公(ヒロイン)が幸薄い孤児で,

愛された人のためなら馬に蹴られても牛に突かれてもいいわ!

と言うところなんか,思わず馬の後脚にぱかっと蹴られるシーンや,牛の角にどかっと突き飛ばされる姿を想像してしまって泣けた.

小説にも映画化しやすいのとしにくいのとあるだろうけど,ジェーン・エアはごくしやすい方ではないか.

嵐が丘は難しいよね.私も読む前に恋愛小説だという話は聞いていたが,読み始めてしばらくは誰と誰が愛し合うのかさっぱり分からず,もしこのまま映画化すれば,最初の 30 分間はただもう殺伐として陰惨な家庭のありさまが延々と描写されるだけだ.映画化するにはある程度小説としてのディテイルを落したり,或いは筋を整理したり流れをつかみやすくしなくてはならないと思うが,そうするとあの独特の粗野で雑然とした雰囲気が伝わらなくなってしまうだろう.そのうちキャサリン・アーンショウという気性の荒い女の子と,アーンショウ家に拾われてきた(或いはその家の亭主の隠し子?)ヒースクリフという男の子がこの話の主人公らしいことがわかってくる.この二人は幼い頃嵐が丘で野性児のように放任されて育つ.互いに相手を自分の分身のように考えていたが,そのうちキャサリンだけがおしとやかな女性として育てられるようになり,とくに好きでもない近所の金持ちの家の息子エドガー・リントンと結婚してしまう.ヒースクリフはいじけて家を飛び出す.三年後ヒースクリフはお金をたんまり稼いで嵐が丘に戻って来る.そしてアーンショウ家とリントン家に徹底的な復讐を開始する.ヒースクリフはエドガーの妹イザベラをかどわかして結婚する.わがままなキャサリンは夫エドガーというものがありながらヒースクリフとの交際も続けたがり,エドガーにも彼との交際を勧めるが,エドガーはそれを拒絶する.キャサリンは三日三晩自室に閉じ籠って怒り狂った挙げ句,脳膜炎をわずらい半病人になってしまい,ヒースクリフと再会したとき発作をおこして死んでしまう.ヒースクリフはいよいよ復讐の執念を燃やす.という救いようのないお話なのでした.まあ凡庸な監督が映画化しても収拾つかん筋書きだよなぁ.西原理恵子なんかが漫画化すると笑えるかもしれん.