久しぶりにエウメネスを読んでみたのだが、
比較的新しい作品なんでたかをくくっていたのだが、
すでに相当古びてしまっていて驚いた。
新作を書いたり旧作をリメイクしたりするうちに自分の文体というものがどんどん変わっていく。
たくさん書けば書くほど変化する。
一年もして昔書いた物を読むと他人の文章のように感じる。
そもそも乗りが今と違う。
自分が書いたものによって自分自身が変わっていく。
そりゃそうだわな。
書くという行為によって自分は変わる。自分と作品は相対的なもので、
自分が作品を作るように作品が自分を作る。
どうしたらよかろうか。
月: 2014年3月
ディエンビエンフー
タイトルが『ディエンビエンフー』でなければこの漫画を読むことはなかったと思う。
作中にも書いてあるが、ディエンビエンフーは厳密にいえばベトナム戦争ではない。
しかし普通の人は(私も含めて)ディエンビエンフーと言えばベトナム戦争を連想するだろう。
あるいは、ベトナム戦争の前史であるインドシナ戦争の話を期待するのではなかろうか。
ベトナム戦争を表層的ではなく扱っているという意味では悪くないアプローチだと思う。
これよりも浅い戦争漫画ならいくらでもありそうだ。
美少女のヒロインが出てくるところが若干漫画だ。
そこは既定路線だと納得できれば抵抗なく(いや、あるが)読めるのかもしれん。
ふと思ったのだが、戦記ものというのは、
戦略的には比較的忠実に歴史をなぞり王道を行きつつも、
戦術的部分、つまりディテイルはかなり脚色してラノベ化するのはアリなのかもしれん。
[cat shit one](/?p=13048)もある意味そうだ。
その逆はたぶん読むに堪えないのではないか。
鬱ごはん
面白い。それはさておき、
ここに出てくる食事というのは、すべて、
ファミレスだったり、コンビニ弁当だったり、回転寿司だったり、
ハンバーガーだったり、牛丼屋だったりピザだったりインスタント食品だったりする。
そして酒は出てこない。
タバコは一瞬出てくるのに酒がでない。
私の小説とはどっこもかぶってないところが逆に面白いといえば面白い。
そして、ファストフードは一通り出てきて、かつ、
そばの話は二度も出てくるくせに、富士そばなどの立ち食いソバの話が一切でない。
これもある意味象徴的だ。
まあ、たぶん、酒を飲むやつと飲まないやつの違いだろうな。
ラズウェル細木だと絶対こうはならんもんな。
食い物の話は好きなくせに、
なぜ今までこういうのを書こうという気が一度もおこらなかったのかというのを自問自答している。
たぶん自分が20代なら必然的にこうなったのかもしれない。
じゃあ50近くのおっさんがファミレスやチェーンの居酒屋や牛丼屋の話を書けばどうなるんだろうか。
謎だ。
矢口高雄が渋谷や原宿の話を描くくらい何かが違う。
世界史
エウドキア無料キャンペーンだが、40位あたりをいまだにふらふらしている。
明らかにいつもと違う。
いつもは、そろそろ100位圏から離脱しているころだ。
理由はたぶん、カテゴリー世界史で1位だからだろう。
世界史はほとんど売れてない。動きがないから、1冊でも売れると上位にくるんじゃないか。
無料で1位なら落としてみようかなんて人が割と途切れなくいるのではなかろうか。
だからいつもとは違う人が落としてくれているのじゃないかと思う。
こういうマイナーなカテゴリーで1位になるというのは宣伝効果としては悪くない。
まあしかしそれがわかったところでどうしようもない。
無料キャンペーンが終わったあとも目立ち続けられればいいんだけどね。
一つのジャンルに特化するというのは一種の営業でもあるわけだね。
すでにやられているのかもしれないが、
ランキング上位に居続けるように、
定期的に身内買いするみたいな宣伝はあるかもしれんね。
なんて素敵にジャパネスク
氷室冴子はマンガやアニメの原作者としてはすでに知っててまあ好きなほうだから、小説も割といけるかと思ってためしに『なんて素敵にジャパネスク』を読み始めたのだが、いろんな意味で驚いている。
まず、こんな昔からラノベって1センテンスごとに改行してたのな。
第一印象としては人間関係がわかりにくい。官職名がいきなりぽんぽん出て、これ、読むひとほんとに理解して読んでるのかという感じ。権少将とか大納言とか出てくるんだが、官位が書かれてないからどっちが偉いのかもわからん。そんなこと考えなくていいんだろうけど、気になる。むしろ、そうやって、よく分からない単語であふれさせることによって、無理矢理平安時代の雰囲気を出しているのかもしれん。
だがまあこれは明らかにラノベだ。腐る前の時代のラノベ。ドタバタラブコメが主流だったころの、八時だよ全員集合時代のラノベ。あるいは、防腐剤として古典的教養らしきものがふんだんにまぶしてあるが、それらを取り去れば自然に腐って現在のラノベになるのだろう。今のラノベはこんな難しかったら読まれないんじゃないかと思う。
ヒロインの弟が融というのだが、この時代、融と言えば源融。だが、父親は藤原氏。だから、藤原融というのだろうが、これがものすごく気持ち悪い。漢字一字の名前というのはだいたい嵯峨源氏。藤原氏の名前はほぼ例外なく二字。まあそんなことどうでもいいわけだが。
高彬という名もなんとなく変な感じ。幕末ころの武士の名前だろうとか思う。島津斉彬とか。醍醐天皇の皇子のつもりかな。第十皇子に源高明というのがいるわな。
ざっとネットを検索しただけだがこの作品には次のような和歌が出てくるらしい。
瀬を早み 楫子のかじ絶え ゆく船の 泊まりはなどか 我しりぬべき
春立つと 風に聞けども 花の香を 聞かぬ限りは あらじとぞ思ふ
心ざし あらば見ゆらむ わが宿の 花の盛りの 春の宵夢
うーん。どれもダメだ。大人げないが全然ダメ。単なるパロディなら笑って許せるが、割と狙ってるところがダメ。つか、パロディ(蜀山人の江戸狂歌みたいな)作るにはそれなりにわかってなきゃだめだからな。百人一首のうろ覚えプラス歌謡曲レベルだわな。逆の言い方をすれば、普通の人には和歌なんてものはこの程度で良いということだろう。
連作
フローニはなんとか mykindle でアップデートを利用可能にしてもらった。
まあ、三年後くらいには全部一度アップデートしたい。
あまり焦っても仕方ない。徐々に。
川越素描みたいな長編に最初から最後まで付き合ってくれる人はあまりいないと思うが、
個人的には非常に重要な、というか、愛着のある作品なんで、
なんか無限に時間がかかりそうな気がしてきたけど、きちんと仕上げるつもり。
長くなった理由は、太田道灌の話と現代の話をわざと同時並行的に描いたからだが、
これも三島由紀夫が『豊饒の海』を三部作で書いたりしたように、
連作として分けて書いたほうが、読みやすかっただろうなと思う。
安藤レイも長いが、これも病中手記とアンドロイドもののSFを混ぜて書いたからだ。
読者にしてみれば、読みにくい嫌な作品だろうなぁ。
思うに、読者を獲得するまでは、エウメネスとかエウドキアみたいな単発の短編か比較的短い中編、あるいは連作の一部を書いていけばいいんだと思う。
手直しもしやすいしね。
エウドキアの無料キャンペーンは思ったよりは出た。
勢いはないがだらだら出てる感じ。
しかしいまだにリアクションは不明。
まあ、マイナーだからな。
十字軍がなぜ起きたかってことがわかる良書だとおもうが(笑)。
普通の人は、戦争に至った理由よりか、
イェルサレムのソロモン神殿では足首まで血に浸かって歩いた、とか、
そんな即物的な話のほうが好きなんだろうとおもうよ。
あれ、十字軍の時代にソロモン神殿なんてあったっけ。
ないない。
しかし、ウィキペディアにもそう書いてある。
定家私撰集
すでに定家の私撰集と百人一首の異同を調べている人がいて驚く。
[秀歌体大略](http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/tairyaku.html)、
[近代秀歌](http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/kindai_s.html)、
[秀歌大体](http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/daitai.html)、
[八代集秀逸](http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/hatidai_s.html)。
これらを見比べてみると、定家の趣味がよくわかる。天智天皇の
> 秋の田のかりほの廬のとまをあらみ我が衣手は露にぬれつつ
は四つすべてに採られている。定家はよほどこの歌が好きらしい。
うーん。まあ、良くはないけど悪くもない歌。
明月記にも「天智天皇から」と書くくらいだからそうとう好き。
これはもう定家の趣味だから仕方ないとしか言いようがないと思う。
持統天皇の
> 春過ぎて夏きにけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山
は二つに採られている。
光孝天皇の
> きみがため春の野にいでてわかなつむ我が衣手に雪は降りつつ
も二つ採られている。
これらは天皇が詠んだ古歌として、定家のお気に入りだった、ということがわかる。
柿本人麻呂
> 足引の山鳥のをのしだり尾のながながし夜を独りかもねむ
四つ全部に入っている。
なぜか知らんがこれが相当好きらしい。
紀友則
> ひさかたのひかりのどけきはるの日にしづ心なく花のちるらん
小野小町
> 花の色はうつりにけりな徒に我身世にふるながめせしまに
坂上是則
> 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野のさとに降れる白雪
在原行平
> 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今かへり来ん
これらはそれぞれ三つ。やはり好きなのだと思う。
百人一首の中で一度も出てきてない歌というのが、興味ぶかい。
陽成院
> つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりける
源融
> 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
藤原定方
> 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな
藤原兼輔
> みかの原わきて流るる泉河いつ見きとてか恋しかるらむ
源宗干
> 山里は冬ぞ寂しさまさりける人めも草もかれぬと思へば
藤原興風
> 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
平兼盛
> 忍ぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
壬生忠見
> 恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひ初めしか
藤原敦忠
> あひ見ての後の心にくらぶれば昔は物も思はざりけり
藤原朝忠
> 逢ふ事の絶えてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし
藤原義孝
> 君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな
藤原実方
> かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原道綱母
> 嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかはしる
藤原公任
> 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
紫式部
> めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月影
大弐三位
> 有馬山いなのささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
赤染衛門
> やすらはでねなまし物をさよ更けてかたぶくまでの月を見しかな
清少納言
> 夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
藤原定頼
> 朝ぼらけ宇治の川ぎり絶えだえにあらはれわたる瀬々の網代木
周防内侍
> 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ
三条院
> 心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
能因
> 嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり
大江匡房
> 高砂の尾上の桜咲きにけりとやまの霞たたずもあらなむ
藤原忠通
> 和田の原漕ぎ出てみればひさかたの雲ゐにまがふ沖つ白波
藤原顕輔
> 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげのさやけさ
待賢門院堀河
> 長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ
徳大寺実定
> ほととぎす鳴きつるかたをながむればただ有明の月ぞ残れる
道因
> 思ひわびさても命はある物をうきにたへぬは涙なりけり
俊恵
> よもすがら物思ふころは明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり
皇嘉門院別当
> 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋わたるべき
式子内親王
> 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする
殷富門院大輔
> 見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず
源実朝
> 世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのをぶねの綱手かなしも
慈円
> おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣に墨染めの袖
飛鳥井雅経
> み吉野の山の秋風さよ更けて故郷寒く衣うつなり
西園寺公経
> 花さそふ嵐の庭の雪ならでふり行くものは我が身なりけり
藤原定家
> こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ
藤原家隆
> 風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける
後鳥羽院
> 人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は
順徳院
> 百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり
まず、疑惑の源融は定家私撰集には一つも採られていない。
たぶん定家は源融には全然興味がない。
陽成天皇の歌が採られてないことには素直に喝采したい。
驚いたことに公任や能因を定家はあまり高く評価してなかったようだ。
赤染衛門もあんまり評価してない。
藤原興風もなぜかない。
明月記に出てくる飛鳥井雅経は定家の私撰集には全然出てこない。
これはどうしたことか。
式子内親王や慈円もあまり評価してない。つまらないと思ったか、それとも余りに身近すぎるからか。
さらに実朝はまったく出てこない。
定家は実朝を新勅撰集には採ったが秀歌に挙げるつもりはなかったのではないか。
実朝が歌人として有名になったのはもう少しあとだったのではないか。
飛鳥井雅経が出ないのも似たような理由か。
待賢門院堀河も定家と同時代の人だと思うが、あまり評価してない。
紫式部、清少納言も私撰集には出てくるが百人一首の歌とは違う。
百人一首に大弐三位や紫式部や清少納言や小式部などがわざわざ入っているのも後世の人の趣味な感じがする。
あの有名な、平兼盛と壬生忠見の歌合の歌も抜けている。
私撰集にも歌は出てこない。
やはり定家の趣味ではないのだろう。
定家自身は私撰集には出てこないが、私家集ではないから自分らの歌は採らなかった、
と解釈できなくもない。
父俊成は出てくる。
定家の趣味は明らかに反映されている。
だが、定家が選んだとしても誰か他の人の好みを取り入れているだろう。
やはり最初は、百首という整った形ではなかったのではないか。
他の私撰集ではそんなことはやってない。
もし私が小倉百人一首を偽造するなら、定家の私撰集の中に出てくる歌を百首選んだと思うが、
そういう傾向はまったくみられない。
かなり自由に、自分の趣味で(笑)選んでいるように思える。
後鳥羽院と順徳院を入れたということは、藤原為家が作ったというのはあり得ることだ。
それがいつの間にか定家自身で選んだことになったのかもしれない。
で、為家が選んだことにしても全然悪くないのに、おかしなことをしたものである。
なぜすでにこれだけ多くの私撰集があるのに、そこへさらに、定家選とは言いがたいような、
小倉百人一首が現れねばならなかったのか。
そしてなぜ小倉百人一首だけがこれほどまでに有名になったのか。
要は、百人一首という分かりよい形態が、伝授好きな後世の歌人たちに好まれたのだろう。
そしてそれは定家が選んだということにしなくてはならなかった。
定家が選んだという箔付けが必要だったのだ。
百人一首への招待
この本には私が疑問に思ったことについてほぼすべてが書いてある。
つまり百人一首の成立過程で、
現在分かっている事実のほぼすべてが網羅されていると言えると思う。
それで読んでみて、結局確かなことは、
1. 定家の日記『明月記』には、天智天皇から飛鳥井雅経・藤原家隆までの歌を障子色紙に書いた、としか書いてない。それが百首あったかとか、その歌がどんなだったかは不明。
1. 最も古い『百首秀歌』の写本は冷泉家に伝わるもので、鎌倉末期までさかのぼることができるらしい。
1. 小倉色紙は東常縁が伝授したと言っているのだが、東常縁の古今伝授というものがそもそも虚偽である以上は、小倉色紙もまた贋作である可能性が極めて高い。
ということだ。
東常縁を含めて、
定家の子孫や一派は『明月記』を読んでいたはずであり、
定家が選んだ小倉色紙というものが、もし現存していなかったとしたら、
その復元もしくは贋作を試みたであろう。
それを百首とまとまりの良い形にしたのは、おそらく、
鎌倉末期の二条派と京極派が正統をあらそい、不毛な歌学論争を行い、
故に棒にもはしにもかからない歌論を大量生産していた頃であろう。
つまりやはり小倉百人一首は定家の選ではないということを疑ってみなくてはならないということだ。
定家が選んだかどうかということは、
定家が選んだ私選集と、
定家一人で選んだ勅撰集である新勅撰集の選び方と比較してみないとわからんだろうと思う。
そうすればかなりの精度で小倉百人一首が定家によるのか、
或いは定家の選の原型をある程度とどめているのか、
それとも全くの贋作かがわかるはずだ。
ものすごく大変な作業だが。
自分で自分の書いたものを読みなおしてみて
将軍放浪記。
かなり書き直すか追記する必要がある。
たぶんこれを読んで分かる人は南北朝の専門家だけで、
普通の人にわかるようにするにはもっと詳しく丁寧に書かなくてはならないのだが、
南北朝を丁寧に書き始めると何十倍にも膨らんでしまうので不可能。
とりあえず多少手直しして放置か。
墨西綺譚。
指摘されていたように、あと三倍くらいに膨らませないと、
ふつうの小説にはならない。
出版停止して完全にリライトする。
特務内親王遼子2。
悪くない。ていうか続編かかなきゃ。
紫峰軒。
悪くないが誰に読ませるために書いたのか。
割と最近書いたものなので安心して読める感じ。
安藤レイ。
悪くない。しかし長い。
淡々とした病中手記として読むなら悪くないのかなあ、というくらい長い。
エウメネス。
やっぱりこれが一番安心して人に読んでもらえるかな。
さらっとも読めるし、ある程度深読みもできる。
超ヒモ理論。
紫峰軒に近い。
もしかしたらタイトルで損してるかも。
将軍家の仲人。
西行秘伝くらい難易度高い。
ある意味西行秘伝より難易度高い。
退屈だがやはりある程度新井白石の伝記みたいなものは必要。
いじりようがない。
多少語尾をいじったりしたくなるが、基本これで良いと思う。
> ところが、ここからが陰謀めいている。良仁の兄・後光明天皇は英邁だが奇矯な人だった。天皇であるのに剣術を好み、朱子学に傾倒した。大酒飲みで酒乱でもあった。仏教を嫌い、仏舎利を庭に投げ捨て、天皇家の火葬を廃した。父後水尾院にも似た、極めて異様な天皇だ。京都市民には敬愛されたが、突然、跡継ぎを残すまもなく病死した。享年わずかに満二十一才。そのため急遽良仁が即位して後西院となる。結果的に、徳川和子が後水尾天皇の后となったときと同じように、徳川の娘が入内した形になった。
> 明子には皇子・八条宮長仁親王があった。長仁は紛れもなく家康の血を引いた親王であって、かつ後西天皇の第一皇子であったから、天皇に即位することもあり得た。長仁は成人してまもなく死去したが、一時的にも、家康の血を引く天皇が即位する可能性は十分にあった。というより、家綱が長仁より先に死んでいら、征夷大将軍でかつ天皇になっていた可能性もある。
[天皇家と武家の関係](/?p=13365)。
長仁親王が征夷大将軍と天皇を兼ねることは十分にあり得た、
というあたりがこの小説の肝なのだが、たぶんここまでついてきてくれるひとはあまりいないと思う。
スース。
なんとも言いようがない。
ダメではないが、良いとも言えない。
巨鐘を撞く者。
前半部分の蘊蓄が長いよな。
その他。
司書夢譚と川越素描。
長いんだよね。
すんごく長い日常茶飯事みたいな話の中に歴史小説が埋め込まれているパターンなので、
まあ読みにくいわな。
司書夢譚は為永春水辺りでみんな飽きる。
護良親王の話も長いしたぶんみんな興味ない。
しかし承久の乱とか三種の神器とか護良親王とかの話はほんとはもっと読んでもらいたいんだよね。
川越素描の中に埋もれている赤塚姫の話だけ抜き出して読みたいという人はたぶんいると思う。
太田道灌の話だから。
室町時代後期、戦国時代初期の関東の話は面白いんだよね。
でもこれは個人的な思い入れからやはり今の川越の話とか音楽の話もしたいわけで、
たぶんこのまま放置することになると思う。
デーテ。
うーんこれどうしよう。
古今集。
これはこれでもういいかなと思う。
現在公開してないけどそのうち公開したいもの。
オマルハイヤームの話とか、ゴットフリードとかバルドヴィンの話とか、両シチリア王ロジェールの話とか。
調べ直して完全にリライトしなきゃいけない。
歌詠みに与ふる物語。明治天皇と高崎正風の話。
どう書き直せば公開できるようになるか見当もつかない状態。
書きたいことは書きたいんだが。
昔と今とじゃ文体がかなり変わってきている。
昔書いたやつを今に合わせるの大変。
ストーリー自体を改変したくもなって大変。
そのうち最近書いたやつも過去の作品になっていき、
そのすべてがリライトしたくなるとしたらもう作業量的に爆発するから、
やはり昔のはそのまま放置するしかなくなる。
だからできるだけリライトしなくて良いような書き方をするしかない。
できるかしらんが。
つか何年か書いてみないと自分の文体ってフィックスしないよな。
いろんな雑多なものを書いたのは、私の書いたもののうちどのあたりが読者受けするかテストしているからだ。
どれかが受けるということが分かればしばらくはその辺だけ書くと思う。
人虎伝
[「山月記」はなぜ国民教材となったのか](/?p=14007)というのを書いたせいで気になって調べてみた。
山月記の中で、中島敦は虎に
> 人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い
などと言わせているのだが、
私はこの台詞がすごく好きなんだが、
これが原作の人虎伝にすでにある文句なのか、
それとも、中島敦が独自に挿入したものなのか。
人虎伝の
[原文](http://www.geocities.jp/sybrma/122jinkoden.html)も
[現代語訳](http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/san_jinkoden.htm)も、
今では簡単にネットでみることができる。
当該箇所を読んでみると、それらしきことは書いてなくて、
> 於南陽郊外、嘗私一孀婦。其家竊知之、常有害我心。孀婦由是不得再合。吾因乘風縱火、一家數人盡焚殺之而去此。爲恨爾。
つまり、女の家に放火して、一家数人をことごとく焼き殺した、などということが書いてある。
それでさらに検索してみると、なんと中島敦の本家本元
[筑摩書房](https://www.chikumashobo.co.jp/kyoukasho/tsuushin/rensai/jugyou/002-04-01.html)
でその箇所について解説しているではないか。
なるほど。
「山月記」は国語教科書の定番なので、
「人虎伝」までさかのぼって深読みし、指導の助けにしようという教師は少なからずいて、
筑摩書房もその要望に応えたというわけだ。
「人虎伝」を読めば明らかなように、人が虎となったのは、密通放火殺人の罪による。
中島敦はここをすべて捨て、
代わりに、己の詩業に熱中するあまり、妻子を顧みなかったから虎になった、
そう読み変えたのだ(家庭をないがしろにする男などいくらでもいる。そういう男がみんな虎になったらたいへんだ。中島敦もだから虎になった理由は明記してない。そんな説得力のある理由じゃない。だから思わせぶりな記述になった)。
自分なりにストーリーを書き換えてみたい、
あるいは多少のオリジナリティをもたせたいと考えるのは自然で、
芥川龍之介もやっていることだ。
この筑摩書房のサイトの解説がなかなかおもしろいのだが、
> 李徴の詩は、微妙な点において欠けているものがあるから一流になれなかったということなのですが、
李徴の詩が、微妙な点において欠けている、と感じたのは中島敦本人なのである。
そう感じたからストーリーを改変した。
中島敦はおそらく李徴に自分自身を投影したのだ。
しかし中島敦自身は、李徴のような鬼畜な人間ではない。
作者は感情移入できない。
「妻子とか、生業などに煩わされながら、物書きをしている自分」というものを主人公にしないとそもそも話を物語ることができない。
李徴に遭遇した袁傪はただの脇役なのでやはり感情移入しにくいわな。
> この微妙な点を生徒の多くは「愛」に求めます。妻子への愛がなかったからいい詩が書けなかったというわけです。私が「では、愛があればいい詩が書けるの?」と問えば、躊躇なく「はい。」と答えてきます。本気で「愛があればなんでもできる。」と信じ込んでいるわけではないのですが、生徒たちは小説・物語はそう読むということに慣れ親しんでいるのだと思います。テレビ・アニメ恐るべしです。
ここで「私」と言っている人が誰なのかと探してみてもよくわからない。
署名記事ではなさそうなのだが、
いかにも高校国語教師の感想という感じでほほえましい。
妻子への愛があれば良い詩が書けるとは中島敦も考えてなかっただろう。
そんな雑な結論を導かれちゃ困るだろう。
読者は自分の好き勝手に誤解したがるものだ(そしてそれが当然の権利で正しい行為だと思っている。自分が作者よりもよい解釈をしてやったとすら考えている)。
作者の意志などどうでもいいのだ。
作者は(と言いながら自分のことを書くが)、
そんなありきたりの、
誰でも思いつく、
誰が書いても同じな、
毎日テレビで垂れ流されていてわざわざ自分で書く必要すらない、
つまらないストーリーなんか書きたくない。
普通の恋愛、普通の推理、普通の歴史小説なんて書きたくない。
二重三重に意味を持たせた、トリッキーなストーリーを書きたい。
はぐらかしたりだましたりしながら、ちゃんと読めばちゃんとわかるように書いてあるのだ。
しかし最初のトリックにつまづいてそこで読了した気持ちになっている読者を見るとがっかりする。
思うに、
山月記が説教臭い教材になってしまった理由は、
普通の高校生とその教師と親がそういう解釈を好んだためだとしか言いようがないと思う。
中島敦が山月記を書いた理由?おそらくは自分の著作活動における自問自答、葛藤のようなものをそのまま書いたのだろう。
教科書会社は売れるから載せているだけだ。
文科省の役人は特に現状を変更する理由がないから放置しているだけ。
「なぜ国民教材となったか」と言われればそれこそ「国民が望んだから」としか言いようがない。
文科省の官僚や教科書出版社や指導要領の作成者のせいにするのはよろしくない。
おそらく「人虎伝」で種明かしをされてしまうと怒り出す高校生や国語教師がたくさんいるのではないか。
そんなの俺の「山月記」じゃねえ、とか言い出して。
アニメとかラノベのファンなんてみんなそうだ。
追記。やや嫌らしいが、教育指導要領の方もみておこう。
> 李徴が虎になった原因が三点も記されていることについて考える。
それは、中島敦が、本来の理由を削除して、自分なりの解釈に改変したが、
その解釈を読者に押し付ける自信がなかったからだわな。
> 李徴が詩に執着した理由を考える。
詩人が詩に執着して何がいけないのか。
> 現代小説に特徴的な主題を読み取り、現代小説に親しむ。
ていうか現代小説を書いているつもりの私にも「現代小説の特徴」なんかわからんよ。
主題を読み取るというが、この小説に何か明確な主題なんてあるのか。
元の伝記小説にはあったかもしれんが。
つか小説なんてのは、特に近代や現代の小説てのは(漫画とかアニメとか娯楽物でない限り)、
何か具体的な主題に沿って書かれるものじゃないだろ。
無理に高校生に主題を読み取らせようとするから筑摩書房のサイトに書かれているような頓珍漢な答えが出てくるんじゃないの
(それとも自己流に解釈すればそれはそれで、自分で頭を使ったからよいということか)。
さらに、「山月記」なんか読んで現代小説に親しめるか?
> 現代小説独特の表現に親しみ、その特性を理解する。
同上。
> 表現とそのリズムに親しむとともに、表現された心情を考えながら音読・朗読する。
音読、朗読か。なぜわざわざそんなことをさせたいのかよくわからない。
それって必要なのか。
てか、朗読させたければ詩にすればいいんじゃないか。
> 運命に対して無抵抗であり、理由の分からないものをただ受け入れざるを得ないという不条理、人間という存在に対する嘆きがあります。人間がこの世界に投げ出された状況とは、まさにこういうことでしょう。理由などないのです。それを人間は、自分たちの物語に理由づけようとして悪戦苦闘しているのです。
いろんな理由を考えさせて、高校生を悩ませておいて、
結論はこれなのだろうか。
答えは「理由はない」。世の中は不条理だ。人間は苦しんでいる。
それが現代小説の特徴なのだろうか。
はて。うーん。
ニーチェとかサルトルみたいなもん?(笑)
なんか、もっともらしい理由づけではあるが、
高校生に読ませる教材なんだよね?
もっとほかにふさわしいのがありそうなものだが。
いやいくらでもある。
やはり、いろいろ生徒に悩ませておいて、最後にこうですと、手の内をあかして、
けむに巻いてみせたいだけなんじゃないかと勘繰りたくなる。
ネット時代の今、そんな手口はもはや高校生には通用しないんじゃないのかなあ。
一時期「ポストモダン」な人たちが風靡してたころはそんなわかったようなわからないような禅問答的解釈でよかったかしれんが、
今はググればごまかしはすぐばれるよ。
[追記あり〼](/?p=14710)