群ようこ

群ようこのエッセイはまあおもしろく読めるが、小説は(フィクションがきつくて)気持悪くてとても読めたものでない。
いっしょうけんめい読んではみたが「恨みしゅらん」はやっぱりつまらない。
しかし群ようこはさすがに作家、西原とは文章の質がちがう。西原の俳句(?)はまるでリズムがない(字数はもちろんあってない)。

広島市街に頼山陽史跡資料館というものがあるようだ。
頼山陽マニアの私としてはいかずばなるまい。
頼山陽旧宅も隣接してあるようだ。
しかしこんなところだともとの建物は原爆であとかたもなかっただろうな。
頼山陽はともかくとして頼三樹三郎の情報は非常に少ないので、何かわかるかもしれん。
三樹三郎は山陽の三男だが、三樹三郎が安政の大獄で刑死したとき山陽はもう死んだあとだったようだ。

Dreamcast 中古ハンドルデバイスの調子は最高!

良い買い物したよね!?
PS2 は Sega がつぶれるか、
Dreamcast が発売中止になったあと、
買うかどうか考えよう。
うーん。たぶんかなり高い確率で「私は買わない」だろうとおもう。
「首都高バトル 2」と「東京バス案内」は、
買うだろう。
昨日ゲーセンで「クレタク」をやってる人をはじめてみた。
ものすごかった。私よりか軽く一桁点数が高かった。
もしかしてあのまま続けていたら二桁違ってたかもしれないが、
見てるひまがなかったので知らない。

論語の新しい読み方

宮崎市定著「論語の新しい読み方」を読む。なかなか奇抜でおもしろい内容だ。
いままでにも文庫で出てた「雍生帝」など読んだことあるが、もともと東洋史の人だが、おもしろい人だ。

「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」
学んだことを、いざというときに使ってみて、さらに習熟していくんだよ。
なんて楽しいことだろう(うわー。なんか言っててすごい説教臭い)。

耕雲

モーニングをだらだら読んでたら「ぶっせん」に「耕雲」というのが出てきた。どうもこれは禅宗(曹洞宗)用語らしいな。「耕雲種月」というのは「(心の)雲を耕し(心の)月に種を蒔く」という意味らしい。私の祖父が昭和 45 年大晦日に「釣月耕雲慕古風」という書を書いたのだが、この「釣月耕雲」と「耕雲種月」は非常に良く似ている。「釣月耕雲慕古風」は中国人の漢詩にしてはあまりに浪漫的で妙に端正なので、私はおそらく日本人の、しかもかなり近世の漢詩だろうとみていたのだが、このたび確信を新たにしたね。

さて、ネットで検索すると武田耕雲斎というのがぼろぼろ出てくる。これは水戸浪士で天狗党という幕末に世間を騒がした連中の首領らしい。また、耕雲という号を使っていた人はほかにもいたようだ。また、耕雲寺という曹洞宗の寺もあるようだ。「釣月」に関しては、まったくみあたらない。「耕雲」というのは江戸後期にはかなり一般的な用語だったので、「釣月」で詩としてのひねりを加えたのだろうか。

ことわざ

Lieber dem Baecker, als dem Doktor.

博士よりもパン屋がまし。

Ein warmes Bad reinigt mehr als ein kaltes.

お湯の方が水よりもよく洗える。

Ein hungriger Bauch hat keine Ohnen.

空腹には耳がない。

Ein hungriger Bauch sehmeckt alles wohl.

空腹にはすべてが美味だ。

Ein voller Bauch studiert nicht gern.

満腹はよく学ばない。

Der liebt mich recht, der mainen Bauch fuellt.

お腹をいっぱいにしてくれる人が私をほんとうに愛する人だ。

Besser ein reicher Bauer als ein armer Edelmann.

貧乏貴族よりも金持ち百姓の方がよい。

Der Zweck heiligt die Mittel.

目的は手段を神聖にする。

Zahlen macht Frieden.

勘定を払えば平和になる。

D2

いままでは立ち読みでがまんしていたのだが、
とうとう Dreamcast Magazine を買う。
なかなか読み応えあり。
飯野賢治のインタビュー記事あり。
D2 でいままでの儲けをすべて吐き出したそうだ。
かなり笑えた。
気合いも金もかけたが売れなかったソフトっていうのはある意味お買い得だ。

D2 は実は 4 枚目までぎっしり詰まっていた。
ただし終わってから延々と movie が流れ続けるというもので、
もしかすると 4 枚目は CD-ROM の容量が余ったので movie を入るだけ入れたのかもしれん。
最後のボスキャラは思ったよりも弱く、拍子抜けした。
ていうか全編「説教好きのオヤジ」モードで話長過ぎ。
「世紀末」「進化論」思想に染まり過ぎ。

結局 D2 は 2 日ですべてをクリアした。
シェンムーには 7 日かかったから、それよりはるかに短い。
まあ、シェンムーにも意味不明の時間稼ぎがないかといえばなくはないが。
それに、ほとんどバグと言って良いほどの、致命的欠陥を私は D2
に発見したぞ。

Dreamcast はモデム部分が取り外し可能で、
代わりに LAN アダプタを取り付けることができるという。
うーむ。しかし NTSC 640×480 ではしょせん web の閲覧には向いてないしなあ。

Dの食卓2

「Dの食卓2」「クレイジータクシー」「ぷるぷるパック」を購入。
一日中ドリキャスで遊ぶ。
「ぷるぷる」は人のプレステで体験し、自分のドリキャスにも買ってみたもの。
なかなかよい。
「クレタク」まあまあ良い。
ときどき気分転換にやるにはよさそう。
「D2」ははまらないつもりがはまった。
まあ、買って損はないだろう。

D2 は RPG + スプラッタもの。
地下の迷路で敵と闘うとか、いちいち RPG の定石を踏んでいる
(なぜこんな古くさいテーマを、わざわざ 3D でやる必要がある?)。
RPG 自体に何十年という歴史があって、それをなぞっているのだから、
はずす危険性は少ないし、プレイヤーも安心、
良く考えられているが、思考錯誤というイメージはない。
換言すれば、結局は、経験値とか hit point とか、
RPG の Paradigm の中でいろいろシナリオをいじってるだけなのだ。
シェンムーはどちらかというと、わざと RPG や ADV の慣習を外して、
わざわざ FREE という新しい分野を作ろうとしている。
そこがシェンムーの「オカシサ」になっているのだが。
遊ぶほうが「別の意味で」はらはらしてしまうのである。
つまり「新しい時代」のリアリティと同時に違和感を味わっているのである。
Shenmue にも RPG の痕跡はあちこちに残ってて、
さらにイベントが起きないと次に進めないから、
なんとかイベントを起こして先に進もうとしてしまう。
story 性を重視しつつ自由度を上げようとすると、
どうしても event driven になるのだろうが、そこをなんとかならんのか。

D2 がスプラッタだと知っていれば買わなかっただろう。
「わかば日記」で絶賛していたので、だまされたつもりで(笑)
買ってみたのだが。
一作くらいは持っていても良いが、もうこの手のやつは絶対買わん。

それはそうと、D2 に出てくるモンスターはクレクレタコラに似てる。

D2 は WARP というところの作品で、
SEGA BBS では露骨に差別されている。
シーマンは SEGA ではなく VIVARIUM というところの作品だが、
すごく売れたので SEGA BBS でも VIP 扱い。
D2 はそれほど売れてもいないのだろう、
検索してみてもほとんど何も情報が集まらない。
四枚組で一枚はデモのみ、
実質三枚組なのだが、DISC 3 まではあっという間。
「北の石橋」にはまんまとだまされた。
「シェンムーが狭い」という意味がわかったような気がする。
Shenmue と D2 を比べると明らかに Shenmue の方が情報量も多く、
中身も濃い。しかし、
D2 はいかにも腹一杯ゲームをやりましたという気分になるのに対し、
Shenmue はゲームらしくなく、あっさりしすぎているように感じるのだ。
Shenmue はさらにキャラの操作が非常にわかりやすく滑らか、そのため
「簡単なゲーム」のような錯覚を与えるようだ。

だんだん「セガらしいゲーム」というのがわかり始めた。
私はわりと「セガらしいゲーム」が好きなようだ。

クレージークライマー、クリア.
ラストの CG がいかにも意味不明.
いかにもニチブツ.
オリジナル版の効果音を 3D 版でも使えるようにするとうれしい.

単に 3D 化するのではなく,次回作はリアリティを追求してもらいたい.
もっとリアルな壁面で….
オネエサンが部屋の中で着替えしてたりして.
で,部屋の中に侵入するとミニゲームが始まったりするのね.
で,部屋の中の戸棚を開けるとセガサターンがあって,
スペースハリアーで遊べたりするとかいうのはどうかな.