

水道屋さんがきて蛇口を交換してくれた。
軽くひねってピタリと止まり、ポタポタたれない。極めて快適。
浅草の中心部、浅草観光ゾーンにはやはり平日であろうとできるだけ近寄らないほうが良い。駅を出てあちこち買い物して帰ろうとするとかなり高い確率で精神を病む。人通りの多い道を避けて路地に入ると某町会事務所の前に灰皿が設置されていて堂々とタバコを吸っている。路地を通り抜ける歩行者には迷惑千万だ。もしかすると私道だから行政が口出しできないのだろうか。台東区にはこういうのを取り締まってほしいが、鶯谷駅北口ですらガンガン路上喫煙しているから、まったくやる気が無いのだろう。
雷門の某スーパーは刺身や魚類の品揃えが良いのだが、入り口付近に異様に動きが緩慢でうろうろいったりきたりする方々が滞留しているのでやはりメンタルをやられる。
とにかく浅草というところは自転車の危険走行が多すぎる。最近私が一番あぶなかっかしいと思うのは黒くてタイヤが太い電動自転車で、どうもレンタル自転車らしいんだが、あれが後ろからスピードを落とさずすり抜けていく。さっさと規制されればいいのに。
それで、浅草の周辺部、入谷とか山谷とか向島辺りは比較的平和でのんびりしているから、そういうところで極力日常の用を足すのが良さそうに思えてきた。入谷には花正も稲毛屋もあるし、まいばすけっともあるし、小さいけどダイソーもあるし、ココスナカムラという謎のスーパーもある。精神衛生上、入谷に軸足を移そうかな。浅草にはどうしてもいかなきゃいけないことがあるときだけ行くことにして。
土日浅草は日本人だけでなく外国人もなぜか多くて、旅行中の外国人なら平日にくりゃいいじゃんと思うのだけども、ともかく土日は浅草の喧噪を避けて向島辺りを散策すると良いのではないかと思っている。
「天下の糸平」の話が内村鑑三の「後世への最大遺物」に載っていて、
有名な天下の糸平が死ぬときの遺言
は「己れのために絶大の墓を立てろ」ということであったそうだ。そうしてその墓には天下の糸平と誰か日本の有名なる人に書いてもらえと遺言した。それで諸君が東京の牛
の御前
に往
ってごらんなさると立派な花崗石
で伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っております。それは、その千載にまで天下の糸平をこの世の中に伝えよというた糸平の考えは、私はクリスチャン的の考えではなかろうと思います。
なんてことが書かれているのだが、これを読んだのは長崎県の某中学校の図書館で、私が中学2年か3年の時のことだと思うから、以来もうずっと、45年間も「天下の糸平」のことが気にかかっていたというわけになる。
「牛の御前」とはおそらく牛嶋神社のことであろう。糸平の石碑があるのは牛嶋神社よりずっと川上にある木母寺である。ウィキペディアなど見ると天下の糸平こと田中平八(屋号が「糸屋」、糸屋の平八で糸平と呼ばれたらしい)の次男が成島柳北の娘と結婚したなどと書かれていてへえっと思う。ともあれ明治の頃には有名な大富豪だったのだろう。以前この辺りは散歩に行って隅田川神社などは見たことがあったが木母寺には行ったことないんで今度行ってみよう。
クリスチャン的であるかどうかなんてことはともかくこうした馬鹿でかい墓を作りたがった人は他にもおおぜいいたらしく、そうした墓石を谷中霊園にいくといくらでも見ることができる。
正岡子規は20才の頃に長命寺桜餅山本屋に下宿していたことがあるから、この辺りの地名をいくつも歌に詠み込んでいる。以下は全部子規が詠んだ歌。
雪の中に 咲くも操や 梅若は 名のみ桜を 君や恋ふらむ (梅若寺。木母寺の別名)
「雪の中に 咲くも操や 梅若は」まではなんとなくわかるが「名のみ桜を 君や恋ふらむ」は何を言っているのかわからん。春は名のみで、まだ梅が咲き雪が降っている、あなたは早く春になって桜が咲かないかなと思っている、というような意味だろうか。
木母寺は梅若丸が死んだ場所だとされて梅若寺ともいう。梅若丸って誰かというと、室町時代に「隅田川」という猿楽が作られてその主人公が梅若。彼は京都の公家の子で人買いにさらわれた。病気になって捨てられ、隅田川のほとりで死んだ。現地の人が弔って、遺言によりその墓に柳を植え、それから一年が過ぎて一回忌の念仏を唱えるという日に、狂った女がはるばる京都から息子を探しにきて、それが梅若の母だった、という話。
何が面白いのかさっぱりわからぬが、ウィキペディアを読むと、家康が「梅柳山」という山号を与えたとか、近衛信尹が「梅」を「木」と「母」に分けて木母寺という今の名前にしたとか、ほんとかうそかわからぬが昔はそれなりに有名だったらしい。
受けぬとは 知れども祈る 三めぐりや めぐり会ひたし 別れにし君 (向島三囲社)
三囲社は墨田郷土文化資料館の近くにあるので、こないだ前をよぎった。
人の目に かかるも憂しや 牛嶋に 妹と我との すみか定めむ (向島牛嶋神社)
向島は濹東綺譚の舞台で、料亭や小料理屋などが点在していて浅草の観音裏に似た雰囲気もあり、昔はそれなりに栄えたのだろうけど、今は鳩の街通りなども閑散としているが、その分曳舟駅前がやや栄えている。向島の繁盛はすべてここ曳舟に吸い寄せられているように見える。浅草のように観光客でごった返すわけでもなくほどよく栄えていて良い感じがする。
吉川英治旧宅跡は今は墨田区立寺島保育園というものが建っている。
いづ方も くもりなき日は 寺島に 晴れ間だになき 我が思ひかな (向島寺島町)
幸田露伴旧宅(蝸牛庵)跡は露伴児童遊園という公園になっていた。
向島にも見番(芸妓の組合)があった。
浅草は上野や御徒町、鶯谷あたりとひとくくりにされることが今は多いようだが、どうせ繰り出すなら反対の向島、曳舟へ行ったほうが楽しいと思う。押上やスカイツリーはどうしようもない。松屋浅草をエキミセ、スカイツリーをソラマチと言わせたがっているのは東武であろうが、こないだ初めて人がソラマチと言っているのを聞いた。調べてみるとほかにも東京ミズマチなるところがあるらしい。隅田川に架かる東武伊勢崎線(スカイツリーライン笑)の陸橋に沿って遊歩道(すみだリバーウォーク)が設けられており、そこからスカイツリーに続く北十間堀沿いの道のことをミズマチと言いたいらしい。
曳舟で飲み歩くのは楽しいが、結局、浅草に戻ってきても酔った勢いで何軒かハシゴしてしまい、おかげで二日酔いになってしまうのは非常にマズいのでなんとかしたい。
トランプが発言するたびにニュースにするのはやめろなどと言っている人がいるが、そういう人はテレビを見るのをやめれば良いのにと思う。テレビをつけっぱなしにするというのは悪癖だ。いや依存症だ。依存症はれっきとした病気なので治療したほうが良い。そういう人が世の中にたくさんいるから人はますますヒステリックになっていく。
NYダウがじりじり下がっているのも、円がじりじり円高になっているのも、トランプが連邦政府の職員を大量解雇しているのも、アメリカがウクライナに金出したくないのもみんな当たり前のことではないか。おかしいのはヨーロッパだよ。ポーランドに核装備なんて、それこそ戦後秩序の破壊じゃん。ソ連がキューバに核を持ち込もうとしたことと何が違うのか。ロシアの日頃の行いが悪すぎるからヨーロッパが正しいようにみえるが、明らかにやり過ぎだ。
blueskyは左翼とバイデン支持者とトランプ嫌いと民衆党支持者しかいない。twitterはイーロンマスクが仕切っていて目も当てられない。もうね、SNSなんでみんなやめればいいんだよ、ブログ、いや、ウェブ日記の時代まで戻って、勝手に書きたいことを書けば良いだけなんじゃね?
自民党の党員が減ってるのは裏金疑惑のせいだっていうけど、政治献金すれば、それまで合法であったものまで裏金裏金言われるんじゃあ、怖くて献金もできなきゃ党員にもなれないよな。パーティー券買っただけで裏金って言われる、じゃあどうやって政治資金を集めて政党活動、政治家としての選挙活動をすりゃいいんだろう。
たとえば20万円未満のパーティー券購入は報告義務はないんだよね?でもそれまで裏金と言われちゃあ、私なら怖くてパーティー券なんて買えないよ。買う気はまったくないけどね。報告義務もなけりゃ法律で禁止もされてなくてそれまで慣習的に行われてきたことを過去に遡って裏金よばわりする。いったい誰が得するのか。
もちろん、20万円未満に小分けしてパーティー券を購入すれば匿名になるというのは法律の抜け穴だからふさいだほうが良い。しかし、その穴をふさぐまでは合法なのだから、裏金よばわりされるいわれはないよな?
私は車というものには何の愛着も感じないほうであって、洗ってもまたすぐに汚れるのにみんなよく洗車なんかするなあと思い、隣の住人がときどき日曜日にケルヒャーなどで車を延々と洗っているのをああなんてやかましいと思っていらいらしたりもするのだが(ケルヒャーにしろ掃除機にしろ、或いは犬を飼うにしろ、本人はちっともうるさくない。赤の他人が一方的に騒音を聞かされるからうるさいのだ)、ベランダに置いた洗濯機の蓋が汚れているのを見ると、やはり拭いてきれいにしたくなるものであって、ああ車を洗う人もきっと同じような気持ちなんだろうなと初めて共感できた。
賃貸の共同住宅なんてものはどこに住もうが多かれ少なかれ不満があるものであって、便利なところに快適に住もうと思えばそれなりの対価を支払わなくてはならない、それが嫌ならなにがしか我慢をしなくてはならない。
今浅草で借りているこの部屋だが、ギリギリセーフとギリギリアウトの境目辺り、どちらかといえば限りなくギリギリアウトに近い。最近かなり気になるのは隣でトイレの水を流す音が丸聞こえなのだが、まあそれはしょうがないと諦めるとしても、その流れる時間が異様に長いのである。そんな大きな音ではないのだが、ちょろちょろちょろちょろいつまでも流れている。あれはいったいなんなのだろうか。たぶん配管が詰まっていて、少しずつしか水が排水されていかないせいだろうと思う。完全に詰まれば管理会社が修理してくれるのだろうが、中途半端に詰まっているから放置しているのだろう、などと思うと余計にイライラしてくる。
それで今回またしても水道工事を頼んだ。蛇口の水がなかなか止まらないという話を先にここに書いたが、この蛇口が途中で止まらずぐるぐるぐるぐる回転するようになってしまった。ある一定角度のところで(45度くらい)水はなんとか止まりはするのだが、そこを越してさらに回すと水がまたでてきて、45度辺りまでくるとまた止まるという謎仕様。
これはさすがに使いづらいにもほどがあるので電話して修理してもらうことにした。
私ばかりでなく、都会では、相当多くの人が不動産に不満を抱いたまま、そして通勤にいらだちながら暮らしているんだなあと思う。こんなことならきっと縄文人のほうがクオリティオブライフは高かったんじゃないか。
米一袋5kgが4000円いや5000円するのが当たり前な昨今ではパスタ乾麺がたとえばトップバリュ1kgで250円というのはかなり割安。5kgでも2500円にしかならない。昔は確かに5kgで2000円の米というものはザラであった。10kgで3000円というものもあったように思う。しかし今なら、単に炭水化物を摂る目的ならばスパゲッティを食べる方が安そうだ。
一方で現在浅草あたりではカラヒグ麺というものが話題になっていてこれが2月5日からまいばすけっとで買えるようになって、私は結構買ってたべているし、人にあげたりして勝手に普及活動をしていたりする。
一袋2食199円というのは、安い。安いと思うのはたぶん錯覚で、1食分100円というのはカップ麺に比べれば安いが袋麺よりはやや高いかな?と思うが、最近は袋麺もそれなりの値段がするからなんともいえないかな。
生麺が特にうまいと思ったことはなかった。たとえば蕎麦を生麺と乾麺で食べ比べてみて割高な生麺が特別うまいとは思えなかった。そうして今まではできるだけ安い乾麺ばかり買って食べてきた。しかし今回、敢えて生麺を食べてみると似ているようでまったく違う食べ物であって、自分の中でいままで試したことのない新味がある。しばらくはパスタ麺だけでなく蕎麦なんかも生麺で食べてみようと思う。
カラヒグ麺はかなり面白い。塩気がもともとかなり含まれているので、(乾麺の蕎麦のように)ゆでた後でいったん水洗いするならともかく、味付けにはかなり気をつけたほうが良い。ゆでて湯切りをせずそのままスープをからめていくやり方だと、麺からかなりぬめりが出るようだが、そのぬめりに塩気が留まってかなり塩辛くなる。早ゆで2分と袋には書かれているが、1袋に2玉入っていて1玉が生麺で130gであるから2玉くらい余裕で食べられるんじゃないかと思ってたべるとかなり弾力があって顎が疲れてくる。多くの人にとっては少し長めにゆでたほうがちょうど良い固さなのではないかと思う。
ともかくいろんな意味でこのカラヒグ麺というものは食感が独特で、敢えて食べてみる価値は十分にあると思う。
カラヒグとはカラスと樋口という二人の人が作ったのでそういう名前なのだそうだ。
カラヒグ麺、中野新橋のまいばすけっとでは、賞味期限がどんどん新しくなっているので、結構回転しているようだ。しかし町田のまいばすけっとで買ったときは中野新橋よりも後で買ったのに賞味期限は古かった。やはり都心のほうがこうい新しいものに関心が高いのではなかろうか。
カルボナーラには良く合うと思う。ボンゴレビアンコもうまい。まだ試してないがミートソースにはきっと合うと思う。あっさりしたボンゴレを食べたければ湯切りもしくは水洗い(と温め直し)をちゃんとしたほうが良い。
ざるそばのような食べ方もしてみたのだが、これだと小麦粉そのものの味わいを試せるということはあるのだが、めんつゆとはほとんど絡まないような気がする。あんまり相性は良くない。食感は餅に近いので、砂糖醤油で食べると案外うまいのじゃないかと思っている。
ラオタ界隈では浅草開化楼はかなり有名なラーメン屋で、ここでこのカラヒグ麺は使われているそうだ。私はラーメン屋にはほぼまったく行かないのでよくは知らない。浅草地下街のニュー小江戸の焼きそばにも使われている。この焼きそばは(以前にも書いたかもしれないが)、最初食べたときは固くて焦げててなんてたべにくい焼きそばだろうかと思ったのだが、食べ慣れてみるとほかの焼きそばはもう食べ応えがなくて焼きそばを食べた気になれなくなるというしろものだ。初心者には敷居が高いが、何度も食べているとそのうちはまる。
白川静 孔子伝の続き。
白川静「初期万葉集」を読み始めた。これによればなぜ白川氏が万葉集の研究を始めたのか明らかだ。彼は漢学者、というより、漢字学者として、詩経を学び、詩経と万葉集を比較しようと考えたのだ。
詩経と万葉集を比較した学者ならば江戸時代にもいた。というより、平安時代にもいた。藤原公任は和漢朗詠集を作った。九条良経など漢詩も作り和歌も詠んだ。彼らは漢詩と和歌を際限なくごっちゃにしていた。
詩経に関しては荻生徂徠がかなりまとまったことを言っているはずだし、国学者も万葉集、詩経両方を研究した人がいたはずだ。私にはまずそこから研究すべきではないか、と思えたのだ。
しかし漢字学者である白川氏が江戸時代の国学者や歌学者を知っているはずもない。そうした先行研究を調べることはできなかっただろうと思う。もし万葉集の研究をするのであればまず仙覚、荷田春満、賀茂真淵の先行研究について触れなくてはならなかったのではなかろうか?
また私には、文字の無い時代から文字を得た時代の文芸について研究するのであれば、当然西アジアを含む全世界の古代文芸、ギルガメッシュ叙事詩や、ホメロスやその他の叙事詩との比較研究を行うべきであろうと思う。近代の研究者である白川氏にはその責務がある。しかしながら、世界の古代文芸との比較も行わず、江戸時代の先行研究のサーベイも行わず、白川氏独力で、いったいどれほどの研究ができるのだろうか、と私には思える。
一人の人間がそんな網羅的な研究ができるはずもない、もう少し限定的な何かを追求しようとしていたのかもしれないから、もう少し白川氏の書いたことを読んでみようとは思っている。
一人の一歌学者として思うに、日本人は古来、漢詩の理論で和歌を体系づけようとして、ことごとく失敗していた、その轍を踏むのではないかという危惧がある。
漢詩は漢詩なのである。和歌は和歌なのである。漢詩と和歌には似ている。確かに似ている部分もあろう。和歌が漢詩の影響を受けた部分は多い(逆は無いとしても)。しかしそもそもまったく違うものなのであって、これまで多くの人が陥った間違いに白川氏も陥るだけなのではないかという気がしてならない。そう、そもそも、日本歌学における漢学の影響を排除するところからしか、和歌というものは分析できないと私には思えるのだ。なぜなら、漢学の影響が日本文芸には強すぎるからだ。
漢語と大和言葉はそもそも言語として全然違う。相性は最悪だと思うが、長年の努力で混淆してきた。
私から見るとドイツ詩と漢詩は構造が良く似ている。しかし和歌はまったく違う。特に短歌形式や発句形式(俳句や川柳)は、短くて構造を持たないことが特徴である。一方(ゲーテなどの)ドイツ詩や漢詩は対句や押韻によってシンメトリカルに整った構造を持っている。今様や都々逸にはまだ構造や対称性、反復、リズムというものがあるけれども、短歌には無い。短歌でリズムを表現しようとするところに多くの人の勘違いがある。金属や宝石などの結晶は構造があるがガラスは結晶ではない。ガラスはほとんど変形しない液体なのだ。短歌もまた結晶構造を持たない、アモルファス、静止した液体なのである。という比喩でわかってもらえるだろうか?
和歌は世界中見ても類例の無い詩形だ(良く探せばアフリカとかネイティブアメリカンなどに似たものがあるのかもしれん)が、東アジアと西アジア、そしてヨーロッパの詩というものは相互に影響を与えながら成立したのではないか。詩とはなんであるかということの考察はそんなに簡単なことではない。
2週間ぶりくらいに浅草に戻ってきた。まず錦糸町のダイソーに寄って 80cm x 29.5cm のワイヤーネットを3つ、それからワイヤーネット用のフックを数個買う。ここのダイソーはアルカキット錦糸町という駅前のビル(北口から出て左すぐ)の7Fワンフロアぶち抜きの超巨大ダイソーで、東京観光のついでに立ち寄ってみる価値はあるっていうくらいのものすごい品揃えである。グーグルマップでダイソーを検索すると浅草にもあるし入谷にもあるしスカイツリーにもある。しかしながらこれらのダイソーはどこも小さい(品揃えが悪い or 売り切れが多い)。これらの地域から錦糸町に行くのはそんな難しいことではない。オンラインのダイソーにはあるが普通の店舗にはないっていう品が錦糸町に行けば必ずあるらしい(オンラインの在庫はここ錦糸町で管理しているのではなかろうか)。なら最初から錦糸町にいけよって誰か教えてあげたほうがよくないか?
錦糸町は以前来た時はめちゃめちゃタバコ臭かったのだが、競馬の日であったか。錦糸町にもウインズはあるんだよな。ドンキホーテが外装をまったくリフォームしてないのが潔い(逆に浅草のドンキはとてもあざとくおしゃれだ。入り口に水槽なんかあったりして)。しかしながら平日の駅北口辺りは普通にきれいで臭くもない。JRから押上方面への乗り換えが驚異的にわかりにくい。この町で観光客が乗り換えなどに使うことがないからであろう。グーグルマップを見ると街の東側を南北に通っていることがわかるから、多分こっちの方だろうと見当を付けていけば果たしてそこにある。ともかく半蔵門線に乗り換える。昔東急沿線に住んでいた私にとって、こんなところで半蔵門線にでくわすのは意外だ。
スカイツリーと言ったり押上といったり非常にややこしい。最初から押上塔とかそういう名前にしておけばよかったのに。アーバンパークラインとか高輪ゲートウェイとか師根と思う。私としては都営ではなく東武に乗り換えたかったのだが、なぜか東武のスカイツリー駅へ乗り換えるのが異様にややこしい。そもそも東武にはスカイツリー駅と押上駅があって、なぜか離れて作られていて連絡も悪い。頭おかしい。スカイツリー駅から浅草駅にいくことはできても、東武押上駅から東武浅草駅に行くことができない(曳舟まで戻る必要がある)。こんなルーティングを考えた人は世の中を舐めているとしか思えない。何か正当な理由でもあるのだろうか。大江戸線の都庁駅乗り換えくらい理不尽だ。いやしくも公共交通機関ともあろうものがこんな恣意的な設計をして良いのだろうか。罰則はないのだろうか。向島辺りを散歩して曳舟から浅草に戻ろうとしてえらいハマったことがあった。地元の人には当たり前のことでもよそから迷い込んできた私などには行政の怠慢と鉄道会社のエゴの合作にしか思えない。
浅草駅というものも非常に複雑怪奇である。浅草駅9番出口という脱出ゲームができるくらいである。銀座線の改札があちこちにあって、それぞれ別々の出口、別々の路線につながっていて、それらの間には連絡が無い。最初に銀座線ができたんだろうね。銀座線ホームを中心にしてタコの足のように分岐しているのだ。こんなわかりにくい駅はそう無いと思う。銀座線と東武の接続はそれら分岐の一つに過ぎず、その途中に盲腸のように付随している浅草地下街に行くには、結局一旦地上に出た方が早いということになる(地上も五叉路になってるから余計歩きにくい。そもそも浅草は五叉路が多すぎる)。都市デザイン的には非常に面白い話題だと思うのだが、こういうことは地球の歩き方浅草編などに書かれているのだろうか。
浅草界隈でいろんな飲み屋を開拓してみたものの通いたいと思える店は3、4軒くらいに絞られてきた。まあそりゃそうだよな。良い店でも客がみんなタバコ吸う店はやっぱ嫌だ。こんだけたくさん店があるんだから、わざわざ人のタバコの煙を吸わされる店に行く必要はない。浅草は田舎の場末感のある閑散とした平日が良い。店も土日と違い、平日はまったくやる気がないのが良い。平日はもう最初から諦めてる。
チェーンの店としては、まずほていちゃん。そして鳥椿。ここらで下地を作って夕方から個人経営の店をひやかしてそのまんま帰宅する、というのがよかろうと思う。そういえば未だに神谷バーには行ったことがない。わざと避けているのではないが行きたい気持ちが起こらないしいつでも行けると思うといつまでたっても行かない。そういえば東京ディズニーランドにも一度も行ったことがない。ユニバーサルスタジオならロサンゼルスで行ったことがある。ハウステンボスならけっこう行ったことある。
浅草で牡蠣を食べたい人は、六区通りにある宮城直送 かきほや飛梅 浅草店の16:00~18:00のカッキーアワーにいくと良い。牡蠣もホヤも半額で食べられてめちゃめちゃお得。全席禁煙。
ホッピー通りの店もいくらかは禁煙らしいので、割高とは聞くが、実際に行って調べてみる価値はあるかもしれない。
浅草あたりにはまだ鳥刺しやレバー刺しを出す店がけっこうある。私は昔上福岡で食べたことがある。たしか新宿三丁目にもあったから(いや高島平だったかな?)、平成の頃はまだ普通に食べられていたのだ。今食べるのはけっこう怖い。鶏や牛をわざわざ生でリスクを冒してまで食う必要あるかとは思う。
ワイヤーネットは窓枠にぴったりはまる大きさのものをわざわざ買ったのだ。やはりちょうどよかった。これでいろんなものを窓にぶらさげることができる。吊るせるものはなんでも吊るしたがる病気にかかっているので気持ちよい。片付く。
郵便受けに入るチラシだが、公明党、幸福の科学などが多い(笑)。浅草ならではなのだろうか。自民党のチラシもある。よそものには何もかも珍しい。
流しの水道の蛇口が古くて思い切りひねらないと水がとまらない。中途半端だと水がずっとぽたぽたたれて止まらない。思い切り締めると今度は開けるのに力が必要になる。金を払っても良いから大家に蛇口を交換してもらいたい。とりあえず不動産屋に相談してみるか。
世の中ものはすべてなんでも少しずつ改良が加えられて便利になっていっている。逆にいえば時代をさかのぼるほど少しずつ不便になっている。この建物もずいぶん古い。雨戸に隙間があって何の役にもたってない。サッシごと交換してペアグラスとか二重窓にでもしてくれりゃいいんだが賃貸にそんな贅沢は望めまい。
吉原の真ん中にビッグエーがあるためにしばしば吉原に通っているが、とにかく迎車(いかついワンボックスカー。白か黒。固有名詞で言えばアルファード)とタクシーが多い。ひっきりなしに入ってきては出ていく。横断歩道の手前で信号待ちしていると、横断歩道の途中からタクシーが左折してくるから右の方へよけなくてはならない。何から何までタクシーが幅を効かせているところだ。客が豪遊しにくるから運転手も気が大きくなるのだろう。ビッグエーがあるから仕方なく来ているがあまり来たくはないところだ。「神明 精米 あかふじ いつものお米 5kg」という謎のミックス米を買ってみる。ヨドバシで買うと税込みで4050円するらしいが(但し現在販売休止中)それよりは少し安く買えた。
ビッグエーはシャンプーやボディソープは手薄なので吉原からほど近いココカラファインに寄り、マツキヨオリジナル1000ml詰め替え用を買う。ボディソープやシャンプーなんて安くてふつうに洗えりゃいいんだよ、と思うが、一般人はどう思っているのだろうか。別に知りたくもないが。
あかふじ米ふつうにうまいと思う。一つの発見。どうも米はビッグエー信用すれば良いって思えてきた。
もう10年くらい前から本屋に行っても本を買いたいという気にならない。今はこんな本が流行ってるのかーとか、こいつずいぶん書き散らかして売り散らかしてるんだなーとか、出版界の市場調査しているような気分になるだけで、本を買ってそれを自分の所有物にしようという気がおこらない。呉智英も本を買うと家が狭くなるから買わない、図書館で借りてくる、などというようなことを言っていたと思うが、もちろんそれもそうで、あーこの本欲しいなと思っても、その本を読んでいる自分を想像して、でもこれ国会図書館デジタルコレクションにあるからわざわざ買う必要ないよなとかまず思ってしまう。
デジタルコレクションにないような今の一番新しい本で買っておこうという本がない。あるとしてもすでに買ってしまっていたりするんだよね。
年度末には予算消化で多少無理して本を買ったりもしていたが今はそれすらない。
街の本屋で本を買うということは、自分の意志と判断で本を選んで買っているようで実は単にコマーシャリズムに負けて、出版社や本屋の営業の力に負けて、本の対価を支払わされているだけなのだ。実際本屋に並んでいない、市場に流通していない本をあえて入手して読もうと思うととたんに、ただ本を入手するというだけでとんでもない労力とコストが発生してしまう。街中の本屋に並んでいる本のどれかを適当に買うってのはとても受け身で楽なことで、コンビニでなにかものを買うのと本質的に何も違わない。テレビに勝手に流れてくる映像を見ているのと何も変わらない。
地方自治体の図書館だってそうだよ。利用客が減ると税金の無駄遣い呼ばわりされるからあれこれ工夫して本を読ませようとしているが、人から読まされる本なんてたいてい価値はない。そんなことを司書が知らないわけがない。
若いうちはまだ良い。知識や経験が足りないからお仕着せの本を読んでもまだ身になる。商業資本に毒されていようが、なんでも手当たり次第に読むというのも一つの手だ。
年をとると本屋に行っても時計を見ても、茶碗を見ても、あーもうこういうの持ってるし、服にせよ靴にせよなんにせよこれ以上買うとおんなじのばっかり家にたまっていくから買わない、となる。若い頃はそんなことはなかった。とりあえず、あ、これほしいと思えば買っていた。買うことができた。品物をそろえることで生活を豊かにしていくことができた。今はもう、何も買わなくてもなんとかなる。食べ物や酒にしてもそうで、別に今日酒飲まなくてもいいやと思いつつ、夕方になるとほかにすることもないので惰性で酒を飲んでしまいこれじゃいかんなと思う。浅草に部屋借りてしばらくは店を新規開拓して、それなりに楽しかったのだが、それが落ち着くと逆に、千束通りあたりで適当に買った惣菜で済まして、何もせず部屋でぼーっとしてようかな、などと思う。
ともかくものを買う楽しみというものがない。観光地に行っても土産物を買おうという気にならない。最近はちょっと梅干しとか沢庵に凝ってたがそれももうマイブームは去った。入院手術も終わって、新しい役職に就いて一年経ったからとりあえずルーチンワークは落ち着いたし、本の執筆も終わったし、正直何をやれば良いかわからん状態。人生デジャブだらけ既視感だらけになって、それもうやったことあるよな、やる必要ないよなってことばかり。みんなよく生きるのに飽きないよな。ここにこんなことをうだうだ書いているのも、ほかにやることないっていう証拠だ。
江戸時代に石野広道という人が編んだ「霞関集」という私撰集が新編国歌大観第六巻に載っていて、安政年間に蜂屋光世という人が編んだ、「霞関集」の続編的な「大江戸和歌集」という私撰集も載っている。江戸には京都から下ってきた堂上和歌の家元、つまり、冷泉、中院、武者小路、烏丸、日野などの公家が、徳川直参の幕臣に和歌を教えていた(実際に京都から公家が江戸に下ってきたのではなく、ほとんどの場合は書簡で教えを受けていただけかもしれない)。純粋に学術的に研究している人をのぞけば、この、江戸における堂上和歌に関心を持ちわざわざ調べてみようという物好きはほとんどいないようである。研究している人たちもそうした和歌に文芸的な面白みがあるとは思っていないだろう。
私はかつてもし幕末に孝明天皇が勅撰集を作ったらどんな歌集になるだろうかと考えて、「民葉和歌集」というものを試みに選ぼうとした。その頃、私には小沢蘆庵、香川景樹、上田秋成、賀茂真淵などの江戸時代の歌人はすでに見えていたのだが、近世歌人の全貌というものはまだ全然見えてはいなかった。徳川家継の生母月光院が冷泉為村に習って詠んだ歌などもわずかに知っていただけだった。
「大江戸和歌集」に採られた歌は当然「民葉和歌集」にも採られなくてはならない。今はほったらかしているが、もしこれから「民葉和歌集」を完成させるのであれば、当然それら堂上和歌も調べてみなくてはならない。また「霞関集」の編者石野広道やその同輩らの歌も、同じように調べてみなくてはならんと思った。これとは別に同時期に本居大平が編んだ「八十浦之玉」という私撰集があってこれも新編国歌大観第六巻に載っている。この「八十浦之玉」については調べなくともだいたいどんなものかは予想が付くのだが、やはりちゃんとこの機会にどんな歌が採られているか見てみる必要があると思った。
「霞関集」「大江戸和歌集」などの江戸堂上和歌は、賀茂真淵が始めた県居門の和歌、つまり万葉調の和歌とはひどく対立していたらしい。村田春海はもともと江戸堂上和歌派であり、「霞関集」の初版には歌を採られていたが、後に真淵の県居門下に入ったために、「霞関集」の新しい版からは歌を抹消されたという。「八十浦之玉」は宣長の息子が編んでいるから、真淵と同じ国学の一派ではあるが、真淵の万葉調とはまた全然違う。しかしながら村田春海と宣長は同じ真淵の弟子どうしで(表向きは)仲良しだったから、その人間関係はかなりこみ入っている。
ともかく「民葉和歌集」はそれら江戸時代の歌人らの歌を門派によらずみんな採録して、また、21代和歌集に続く、22番目の勅撰集という形でまとめたいので、それまでの勅撰集に漏れた古歌も合わせて採りたいと思っていて、ちゃんと作るのは相当な手間だ。ものすごい大仕事になる。江戸時代の和歌というものは全然知られてないだけでものすごく莫大なボリュームがあってそれを一通り調べるだけでも気の遠くなるような作業が必要で、ちゃんと研究している人はいるにはいるけどほとんど手が付けられていない状態だと思う。世の中の人たちはみんな小倉百人一首レベルの知識で止まっていて、或いは明治以降の新派和歌にしか興味がなくて、250年間続いた江戸時代の和歌を総括しようという人はいない(いや、いたのかもしれないが全然成果が出ていない)。江戸の幕臣たちが膨大な和歌を詠み遺していたなんて誰も知らない。
で、実際江戸時代の和歌には価値がない、調べる価値がそもそも無いのかというと、石野広道の歌をちらっと見た感じではけっこう面白い。たとえば、
かすかなる 田づらの庵の ともしびも 蛍やおのが 友とみるらむ
など。堂上和歌を模倣した以上の機知がある。師の冷泉為村なんかよりずっと面白いのではなかろうか(私は加藤千蔭や村田春海の歌はちっとも面白いとは思わないが石野広道の歌はかなり面白いと感じる)。現代の私たちが和歌を詠むのに役に立つヒントやアイディアがかなり含まれているように思われるのである。
江戸時代ってやっぱすげーなと思う。我らは江戸時代に対してテレビドラマの時代劇でみるうすっぺらいイメージしか持ってない。しかし水戸黄門にしろ、吉宗評判記にしろ、最初放送がスタートした頃はすごくきゅっと締まった硬派な番組だったんだが、しだいしだいにだらけてきて、ただの紋切り型のチャンバラになってしまった。そういうものばかりみているから江戸時代なんてちゃらいと思いがちである。
加藤千蔭とか村田春海とか、よくもまあこんなチャラい歌ばかり詠んだものだとあきれかえるのだが、今はほとんど忘れ去られた優れた歌人や歌が、或いは随筆や評論や研究が、長い長い江戸時代には実はみっちりとつまっていて、膨大な堆積物となって遺されている。それらは第二次世界大戦の敗戦という壁の向こうにあって、さらに明治維新というものが目隠しになっていて、今の私たちには容易に想像できないものになっていて、きちんと読む人もいない。
そういうものをどんどん掘り返す作業をしなきゃいけない。実にもったいない鉱脈である。そもそも雄略天皇以来1500年の和歌の歴史というものはものすごく分厚くて、そう簡単にわかるものじゃあない。図書館に行くと日本歌学大系という佐佐木信綱が主体となって編んだシリーズものがあるがこれとは別に歌学文庫 本居豊頴 監修 室松岩雄 編 法文館書店というものがあって、これは要するに宣長のひ孫が編集したものらしいのだが国会図書館デジタルコレクションで見れる。恐ろしい。また世の中には筑摩書房の宣長全集というものがあるが、これとは別に本居全集 吉川弘文館というものがあってこれがまたすごい。さらに荷田全集(荷田春満)というのがあるがこれまたすごい。国会図書館の送信サービスめちゃくちゃすごい。そういうのが明治以降戦前までに相当するまとめられていてこれらを読むだけでもあっという間に10年くらいはかかりそう。世の中のつまらん俗事に時間を取られている暇などないのである。